『プリティ・ヘレン』:2004、アメリカ

ニューヨークのドミニク・モデルエージェンシーで働く25歳のヘレン・ハリスは、ボスであるドミニクからの信用も厚い右腕だ。彼女は様々な場所で新人のティンカを売り込み、男性モデル選びで苦労していたドミニクには水の交換で事務所へ来ていたゲイリーを推薦する。彼女は上の姉であるリンジーの誕生日に、故郷のニュージャージーへ戻った。リンジーと夫のポール、2人の子供であるオードリー&ヘンリー&サラ、下の姉であるジェニーと夫のエド、2人の子供であるジャスミン&オリヴァーが、既に集まっていた。
結婚前はヘレンと同じようにクラブで遊んでいたリンジーやジェニーも、今やすっかり良き母であり、良き妻だ。妊娠中のジェニーは、素敵な男性と出会って結婚することの幸せをヘレンに説く。しかしヘレンは結婚に全く興味が無く、自由気ままなシングル・ライフを満喫したいと考えている。恋愛に関しても特定の相手を作らず、やはり自由に楽しんでいる。だが、そんな暮らしが一変する出来事が起きた。リンジーとポールが交通事故に遭い、子供たちを残して死んでしまったのだ。
葬儀が済んだ後、ヘレンとジェニーは弁護士から遺言書の内容を知らされる。「子供たちの養育権をヘレン・ハリスに預ける」という項目が読み上げられ、2人は困惑した。「姉の方が適任よ」とヘレンが言うと、弁護士はリンジーが理由を記した手紙を2人に渡した。他の選択についてジェニーが訊くと、弁護士は「ヘレンが養育を拒否した場合、または不可能な場合、貴方に親権が移ります」と告げた。
ジェニーは「良かった、ヘレンに子育ては無理よ」と口にするが、ヘレンは子供たちを引き取ることにした。そのことをヘレンから聞いた子供たちも、やはりジェニーが自分たちを引き取ると思っていたので困惑する。ヘレンは子供たちをニューヨークへ連れて行き、自分のアパートに宿泊させた。翌朝、オードリーは「パパたちを思い出すから実家に戻りたくない。ここの方が叔母さんの仕事場にも近いし」と言う。ヘレンは手狭になることを理由にするが、オードリーは「引っ越し先を探せば?」と持ち掛けた。
ヘレンはジェニーとエドに会い、ニューヨークで子供たちと暮らす考えを話す。ジェニーは反対するが、エドが「環境を変えるのは悪くない考えだ。駄目なら戻ってくればいい」と説得した。ヘレンは4人で暮らすためにアパートを探し、クイーンズにある物件へ引っ越した。リンジーはジェニーに手伝ってもらって荷物を運び込むが、ヘンリーとサラが喧嘩ばかりしているのでウンザリする。アパートの住人であるニルマが挨拶に現れると、ジェニーはヘレンの事情を説明して「何かあったら手助けしてほしい」と頼んだ。
ヘレンは子供たちを連れて学校探しに出掛け、聖バーバラズ・ルーテル学校へ赴いた。ヘレンは校長である牧師のダン・パーカーと会い、入学許可を貰った。登校初日から、サラは「靴紐の結び方を忘れた」と泣きべそをかいた。ヘンリーが「ママがやり方を教えてたんだ」と言うので、ヘレンは「ママと私は同じ教わり方をしたはず」とサラに告げる。「ウサちゃんの結び方」とサラが口にしたので、ヘレンは思い出しながらウサちゃん結びにしてあげた。
ヘレンはオードリーとヘンリーを学校へ連れて行き、サラを幼稚園に預けた。彼女は急いで事務所へ行き、会議に参加する。アルマーニの契約でマイアミへ行くドミニクから「貴方も一緒に来るでしょ」と言われたヘレンは、「今は1週間も家を空けるなんて無理よ」と告げる。ドミニクは代わりにケイトリンを連れて行くことにした。夜のショーでドミニクと打ち合わせをすることになったヘレンだが、シッターが見つからないので子供たちを連れて行く。しかし目を離した隙にヘンリーは楽屋へ行き、サラはステージに上がってしまった。
ヘレンが移籍の決まったモデルのマルチナと車に乗っていると、ダンから電話が掛かって来た。「サラが泣いているので来てほしい」と言われたヘレンは、「仕事中だから無理よ」と困惑する。しかし4歳の娘がいるマルチナは、すぐに行くよう促す。サラは靴紐がほどけて泣いていただけだった。マルチナは化粧道具を園児たちに渡し、顔に落書きさせる。しかし園児の一人が、油性ペンを使ってしまった。トミニクはヘレンが仕事を続けるのは無理だと判断し、彼女をクビにした。
ヘレンが家でヤケ食いしていると、ダンがアイスクリームを勝って励ましに訪れた。ヘレンがキッチンで愚痴を漏らしていると、ダンはヘンリーの飼っているカメのアーウィンが死んでいるのに気付く。ヘレンは慌ててカメを隠し、ダンと一緒に替え玉を買いに出掛けた。ダンはヘレンに、「オードリーが男子とつるんでる。寂しさを紛らわせているんだろうけど、悪い奴もいるからね」と告げる。ヘレンは「まだ15歳よ、たかが知れてるわ」と軽く考えるが、ダンは「BZって子は退学させようと思うぐらいタチが悪い」と話す。
ダンは「ヘンリーは好きなボールにも触らない。サラの癇癪も、あの時だけじゃない」と言い、家族で話し合うよう促した。ヘレンは「やれることは何でもやってるわ」と反発し、「私の人生がどうなってるか分かる?」と告げる。「子供たちの人生は?」と言われた彼女は苛立ちを示し、「姉を亡くし、ソーシャル・ライフも仕事も無くした。出来損ないの後見人に、お説教するのはやめて」と声を荒らげた。ダンを追い払った後、ヘレンは目に涙を浮かべた。
ヘレンはファッション業界での再就職先を探し始めるが、3人の子持ちで長期出張できないことがネックになって一向に見つからない。疲れ果てた彼女が帰宅すると、オードリーが悪ガキたちを集めてパーティーを開いていた。ヘレンを見たオードリーは開き直って煙草を吸い、笑顔で「叔母さんに紹介したくて」と告げる。用事で電話を掛けて来たジェニーはパーティーのことを知り、帰らせるよう告げる。しかしヘレンが言っても帰らないので、ジェニーはニルマを呼ぶよう指示した。事情説明を受けたニルマは叫びながら金属バットを振り回し、悪ガキどもを退散させた。オードリーはヘレンに泣き顔で抗議した。
ヘレンはニルマの夫であるラヴィから、彼が働く中古車販売店のマッシー・モーターズのミッキー・マッシー社長を紹介してもらう。面接を受けたヘレンは、受付係の仕事を始める。時給17ドル50セントで、勤務時間は9時から17時だ。母の日、ヘレンは子供たちを連れて、ジェニーの家を訪れた。ジェニーから互いの手紙を見せ合おうと言われていたので、ヘレンはリンジーの手紙を持参していた。
ヘンリーが「叔母さんが男を家に連れ込んだり、姉貴がエッチなチャットをしたりしている」と嘘をつくと、ジェニーは信じ込んで顔を強張らせた。キッチンへ引っ込んだジェニーは、勝手にヘレン宛ての手紙を読んだ。そこに掛かれていたのは、三姉妹が好きだったDevoの「トラブルはホイップしろ」というナンセンスな歌詞だった。「これが保護者を選んだ理由?」と呆れたように言うジェニーに、ヘレンは「私は納得したわ」と告げた。
「理解できないわ」と口にしたジェニーは、自分宛ての手紙を見せることを拒んだ。ヘレンが非難すると、「これは手紙なんかじゃない。だから私は見せない」とジェニーは言う。ヘレンが「姉さんは私より優れた母親だと証明したいのね」と指摘すると、ジェニーは「そんなことは分かり切ってる。年季が違うんだから。でもリンジーはアンタを選んだ」と苛立つ。「そうよ、決めたのはリンジーなんだから、私に八つ当たりしないで」とヘレンが反発すると、ジェニーは「ママが死んだ後、アンタの母親役で青春を犠牲にしたのは私。それなのにアンタは気楽に遊び呆けて」と喚く。ヘレンはため息をつき、「もう言い争いはやめましょう」と告げて立ち去った。
ヘレンはサラを連れて、ヘンリーが所属しているバスケットボールチームの試合を見に行く。オードリーはDZと2人で試合も見ずに会話を交わし、「今度、貴方のDJを聴きに行くわ」と約束した。控え選手のヘンリーは、試合に出してもらえなかった。ヘレンはコーチに抗議するが、「本人の希望よ」と言われる。ヘレンがダンの前で、子育ての大変さを語る。彼女はダンに誘われ、子供たちを連れて動物園へ出掛けた。ダンからデートに誘われたヘレンは、「嬉しいけど、無理よ」と笑顔で断った…。

監督はゲイリー・マーシャル、原案はパトリック・J・クリフトン&ベス・リガッツィオ、脚本はジャック・アミエル&マイケル・ベグラー、製作はデヴィッド・ホバーマン&アショク・アムリトラジ、共同製作はトッド・リーバーマン&カレン・スティルグウォルト、製作総指揮はマリオ・イスコヴィッチ&エレン・H・シュワルツ、撮影はチャールズ・ミンスキー、編集はブルース・グリーン&タラ・ティムポーン、美術はスティーヴン・ジョーダン、衣装はゲイリー・ジョーンズ、音楽はジョン・デブニー、音楽監修はドーン・ソーラー。
出演はケイト・ハドソン、ジョン・コーベット、ジョーン・キューザック、ヘレン・ミレン、ヘイデン・パネッティーア、スペンサー・ブレスリン、アビゲイル・ブレスリン、フェリシティー・ハフマン、ケヴィン・キルナー、サキナ・ジャフリー、ジョセフ・マゼロ、ショーン・オブライエン、アンバー・ヴァレッタ、イーサン・ブラウン、マイケル・エスパーザ、ケイティー・カー、シャカラ・リダード、ジェーン・モリス、キャサリン・タイリエン、エヴァン・サバラ、パリス・ヒルトン他。


『カーラの結婚宣言』『プリティ・プリンセス』のゲイリー・マーシャルが監督を務めた作品。
ヘレンをケイト・ハドソン、ダンをジョン・コーベット、ジェニーをジョーン・キューザック、ドミニクをヘレン・ミレン、オードリーをヘイデン・パネッティーア、ヘンリーをスペンサー・ブレスリン、サラをアビゲイル・ブレスリン、リンジーをフェリシティー・ハフマンが演じている。
アンクレジットだが、ミッキー役でヘクター・エリゾンドが出演している。

姉夫婦の事故死を知ったヘレンは葬儀で涙を流し、悲しみに暮れている子供たちに寄り添う。そこからシーンが切り替わると、近所の人々が弔いの品物を届けに来るのをヘレンがウンザリした表情で受け取っている様子が描かれるのだが、もう完全にコミカルなテイストだ。
ヘレンに引き取られることを知った時の子供たちの反応も、彼女のアパートで宿泊する時の様子も、元気で明るい。ヘレンは姉、子供たちは両親を亡くしたばかりなのに、その悲しみがすっかり消えているかのような態度だ。
もちろん完全に悲しみを忘れたわけではなくて、「心の中に悲しみはあるけど明るく振る舞っている」ということなんだろうとは思うよ。
だけど、「悲しみはあるけど気丈に振る舞っている」という風には見えないんだよね。幾ら明るく振る舞おうとしても、もう少し悲しみを引きずっているのが見え隠れしそうなものじゃないのかと。
その切り替えの早さは、違和感が強いわ。特に子供たちが元気で明るいのは引っ掛かるわ。ヘレンと違って、そんなに簡単には切り替えられないと思うんだけどなあ。

ぶっちゃけ、「リンジーとポールの事故死」という要素を削って、「ヘレンが3人の子供たちを預かって育てる羽目になる」という展開だけを残して物語を構築した方が、少なくとも前半の展開としては明らかにスムーズなんだよなあ。
ヘレンに引き取られた後の子供たちのワガママ放題な様子や、ヘレン&子供たちの陰気さと無縁なやり取りは、とてもじゃないが「姉を亡くしたばかりのヒロインと、両親を亡くしたばかりの子供たち」という風には見えないのよ。
一応、ダンの口を借りて「オードリーは男とつるんで寂しさを紛らわせている。
ヘンリーがボールに触れないのもサラの癇癪も寂しさのせい」と説明しているけど、そんなんじゃ腑に落ちない。

コメディー・タッチの映画だから、リンジーとポールが死んだ後、ずっとシリアスな雰囲気のままで進めるわけにはいかないという事情は分からんでもないのよ。でも、「ヘレンの姉夫婦が事故死し、子供たちが残される」という悲劇的な展開が序盤にあるのに、コメディー色の強い映画にしたのは製作サイドの勝手なわけで。
その気になれば、「悲劇から始まる物語だから」ってことでシリアスに描くことも出来る。
コメディー映画ってことで「ヘレンの姉夫婦が事故死する」という展開を避けて、「何らかの都合で姉夫婦が2人だけで長く家を離れることになり、ヘレンが子供たちを預かる羽目に」という内容にすることだって出来たわけだ。
悲劇的な出来事から始まるコメディー寄りの映画に仕立て上げたのは製作サイドなんだから、だったら上手く処理する方法も考えないとダメでしょ。

なぜリンジーが彼女を指名したのか、なぜヘレンが子供たちを養育することを引き受けたのか、その理由は良く分からない。ヘレンが引き受けた理由は「リンジーの手紙を読んだから」ってことなんだけど、手紙の内容は後半まで明かされない。だから観客は、そこに疑問を抱いたまま映画を見て行くことになるが、得策とは思えない。
あれだけシングル・ライフを満喫したがっていたヘレンが、いきなり3人の子持ちになることを決意するからには、よっぽど大きなきっかけが必要だ。それを考えると、先に明かした方がいいんじゃないか。
ただし、後半になって「手紙に書かれていたのはDevoの歌詞だった」ということが明かされると、「最初に明かそうが、後半まで秘密にしたまま引っ張ろうが、どっちにしろ同じことだったな」とは感じる。
それでヘレンは納得したらしいけど、こっちは全く納得できないわ。しかも、引き受けた後も「なぜリンジーは私を指名したの?」と悩むシーンがあるので、ちゃんと分かってないんじゃねえか。

明確で腑に落ちる説明が無いので、手紙の内容が明かされた後も、やっぱり「なぜリンジーが彼女を指名したのか、なぜヘレンが子供たちを養育することを引き受けたのか」という部分の疑問は消えないんだよな。
映画の最後にはジェニー宛ての手紙に「自分に一番似ている人を選ぶ。私とヘレンは似ている」と書かれていたことが明かされるが、やっぱり納得は出来ないなあ。
似ているからって、独身の妹に3人の子供を任せるかね。
まあ遺言状を書いた時点ではそんなに早く死ぬとは思っていないだろうから、「これが開封される頃には、さすがに結婚しているだろう」という考えだったのかもしれないけど。

ヘレンが子供たちを引き取ってからの展開は、「ヘレンが慣れない子供たちの世話で疲れ果て、子供たちがワガママ放題なので困らされ、そのせいで仕事の方に支障が出て」という、誰もが大筋としては容易に予想できるような内容になっている。
それは決して間違っているわけではない。
そこは正直に言って、細かい違いはあれど、それしか選択肢は無いだろう。
ただし、もうちょっとキメ細かく描写するとか、アクの強いキャラに頼るとか、何か手を打たないと厳しいと思うなあ。

この映画は、「使い古されたオーソドックスな展開を、古臭いセンスで凡庸に描写しているだけ」という感じになってしまっているのよね。
あと、中身が「広く浅く」になっている。
「ヘレンが子育てに奮闘」という部分では、不慣れなことだらけなのでミスも多いはずだが、失敗してアタフタするようなことは少ない。
引っ越した後、アパートでの生活風景がほとんど描かれず、「家事はどうしているのか」というのが気になる。特に食事に関しては、外食やインスタント食品ばかりってわけにもいかないはずで。
他にも、掃除や洗濯、生活リズムの違い、男を付け込めなくなるなど、家庭生活の変化を使えば、もっと充実した内容になったはずだ。

この手の話だと「子供たちの誰か1人はヒロインに懐いておらず、反発する」というところから始めるのが良くあるケースだが、子供たちは最初からヘレンに懐いている。
途中でオードリーが反発する展開が入って来るが、それなら最初から彼女だけ反抗的な立場に置いておく方が良かったんじゃないかな。
「最初は懐いていたけど、パーティーがきっかけで嫌われる」という手順を踏んでも、それが物語の厚みや面白さ、メリハリに繋がっているとは思えないし。
しかも、何のきっかけもないのに、いつの間にか仲良しに戻っているし。

そんな雑な処理で済ませてしまうのなら、そんな中途半端なオードリーの反発なんて削除して、他の部分で物語の厚みを持たせる工夫をした方が良かったんじゃないか。
例えば、あまり存在意義の無いダンを、もうちょっと上手く使うとか。
っていうか、オードリーの反発にしろ、ヘレンとジェニーの口喧嘩のきっかけになるタチの悪いヘンリーの嘘にしろ、ちゃんと後の展開に繋げるべきだなあ。そういうのが次のシーンになると忘れ去られ、また別の出来事が描かれるということの繰り返しで、点と点が上手く線になっていないんだよな。
それと関連しているが、ヘレンの子育てにおける苦労ってのも、後半に入ると、ほとんど見えなくなってしまうし。

点と点が上手く線になっていないから、「オードリーが偽造IDを使い、DZとモーテルに宿泊する」という問題を起こした時に、「そこに向けての流れが無かったのに」と引っ掛かってしまう。
いや全く無かったわけじゃなくて、バスケの観戦シーンでオードリーがDZと話している描写なんかはあるけど、その後で「車を売ったヘレンがハムを貰って帰宅する」とか「サラのヌイグルミの誕生パーティーでレストランへ行く」といった「ヘレンと子供たちの仲良し風景」が描かれると、流れが見えなくなってしまうんだよね。
それを考えると、オードリーがヘレンに反発している状態のまま、その出来事に移行した方が良かったんじゃないかなあ。

ヘレンはモデル・エージェンシーの仕事をクビになり、中古車販売店で受付係の仕事を始める。それは自分の望むような仕事ではないし、報酬も以前よりはずっと低い。
しかし、ヘレンに「こんなはずでは」という様子は全く見られず、元気そのものだ。それどころか、厄介物扱いされていた車を見事に売ってハムをプレゼントされ、大喜びしている。
ってことは、ファッション業界に対してのこだわりは、全くと言っていいほど無かったということなのか。そこへの未練は皆無だもんな。
つまりヘレンがモデル・エージェンシーで仕事をしているってのは、「オシャレでパーティー三昧な仕事」ということで設定しているだけになってしまっているのよね。
だから終盤、子供たちをジェニーに委ねたヘレンがティンカからマネージャーを依頼されてファッション業界に復帰した後、「子供たちを選ぶか、ファッション業界の仕事を選ぶか」という選択に悩むというオーソドックスな展開になっても、そこがドラマとして盛り上がらないんだよね。

なぜ機能しないかって、本来なら「子供たちを選ぶか、やり甲斐があって大好きだったファッション業界の仕事を選ぶか」という形になっているべきなのに、「出来ればファッション業界に戻りたい」という意識が見えなかったからだ。
仕事に対するこだわりが無ければ、「子供たちを引き取って育てる」という展開における壁として機能しないでしょ。
「戻ってみたら、かつての自分の空虚な生活に気付く」という描写もあるけど、それは「ヘレンが戻りたがっていた」という描写が前提にあってこそのシーンだし。

(観賞日:2014年10月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会