『プリンス パープル・レイン』:1984、アメリカ

キッドが率いるバンド“ザ・レボリューション”は、ミネアポリスのクラブで演奏している。だが、キッドの勝手な行動にオーナーのビリーは不満を抱いており、しかも最近は客の人気も落ちていた。そのキッドは、両親の不和という家庭の問題を抱えていた。メンバーのウェンディーとリサが自分達の曲を使って欲しいと訴えるが、キッドは拒否した。
キッドはアポロニアという女性と、互いに惹かれ合うようになった。だが、キッドにライバル意識を抱くモリスがアポロニアに近付き、スターにすることを約束して、新しいグループのメンバーに引き入れた。そのことを知ったキッドは、彼女を殴り付けてしまう。
アポロニアをリーダーとするグループが、クラブでのデヴューを果たした。ライヴの様子を見ていたキッドはアポロニアと仲直りしようとするが、冷たく拒絶され、ケンカ別れしてしまう。帰宅したキッドは、父親がピストル自殺を図る現場に遭遇する…。

監督はアルバート・マグノーリ、脚本はアルバート・マグノーリ&ウィリアム・ブリン、製作はロバート・カヴァロ&ジョゼフ・ラファロ&スティーヴン・ファーグノリ、撮影はドナルド・E・ソーリン、編集はアルバート・マグノーリ、共同編集はケン・ロビンソン、美術はウォード・プレストン、衣装はルイス&ヴォーン、マリー=フランス、オリジナル曲作曲&プロデュースはプリンス、音楽はミシェル・コロンビエ。
主演はプリンス、アポロニア・コテロ、モリス・デイ、オルガ・カルラトス、クラレンス・ウィリアムズ三世、ジェローム・ベントン、ビリー・スパークス、ジル・ジョーンズ、ウェンディー、ボビー・Z、リサ・コールマン、マット・フィンク、ブラウン・マーク、チャールズ・ハンツベリー、デズ・ディッカーソン、ブレンダ・ベネット、スーザン、サンドラ・クレア・ガーシュマン、キム・アップシャー他。


天才ミュージシャンとしてノリに乗っていた頃のプリンスが初主演した映画。
キッドをプリンス、アポロニアをアポロニア・コテロ、モリスをモリス・デイ、キッドの母をオルガ・カルラトス、父をクラレンス・ウィリアムズ三世、ビリーをビリー・スパークスが演じている。監督のアルバート・マグノーリは、これが長編映画デヴュー。

基本的には、というか、プリンスのファン以外の人々にとっては、中身の薄いドラマを無駄に付け加えた、プリンスのプロモーション・フィルムという解釈で構わないだろう。
だから、プリンスのライヴシーンがカッコ良く見えたら、それでOKだ。

プリンスの演奏シーンが、映画の肝だ。
だから、そこは途中でカットしたりせず、フルコーラスを流している。
最後は『パープル・レイン』の後、アンコールで2曲続けて歌う。
「モリスと彼のバンド“ザ・タイム”の方が、ダサいけどカッコイイような気もするなあ」とか、そんなことを思ったらダメである。

セリフが少ない上に、それを補うだけの演技力があるはずもないので、登場人物の行動理由や心情が、全くと言っていいほど伝わってこない。
映像だけで補うのは、無理がありすぎる。
ただ、キッドが自己中心的で扱いの難しい男にしか見えないのは、セリフや芝居による表現が足りないのではなく、それで正解なのだと思う。

これは、プリンスの自伝的な物語である。
彼は製作にも脚本にも監督にも携わっていない。
しかし作品は、確実に彼のコントロールの下に置かれている。
何しろ、プリンスはスーパースターなのだ。
そして、プリンスは映画を通じ、メッセージをファンに届ける。

彼は偉大なるスーパースターであり、人々の手の届かない場所にいる人物だ。
しかし、そんな彼が、ここでは“人間”プリンスとしての姿を露にする。
悩み、苛立ち、苦しみむ姿が描かれる。
偉大なるカリスマらしからぬ、普通の青春模様が描かれる。

そう、おそらくプリンスは、この映画を通じて訴えたかったのだろう。
俺は家族や恋人や仲間のことで色々と悩んだり傷付いたりしながら、それでも頑張って来たんだと。だから、俺の弱い部分も分かってくれ、優しくしてくれ、そして、もっと賞賛してくれと、そう言いたかったのだろう。
そうでなければ、こんな映画に主演するはずがない。

しかし、やはりプリンスは、ただのアーティストではない。
彼は、特別なスーパースターなのだ。
だから結局、キッドは誰の力も必要とせず、たった1人で成功への道を歩む。
そこには、「俺は凄いんだ。天才なんだ。お前らはビッグな俺様に黙って付いて来ればいいんだ」という裏メッセージが込められているのだ、たぶん。

クライマックスで歌う『パープル・レイン』は劇中ではウェンディ&リサの曲ということになっているが、実際にはプリンスの作詞作曲した歌だ(劇中で使われる曲では、『コンピューター・ブルー』がウェンディ、リサ&プリンスの作詞作曲)。
つまりキッド、というかプリンスは、結局のところ、「俺は自分の力だけでビッグになったぜ」ということになるわけだ。

最後、そんな俺様体質のキッドを、周囲の人々は尊敬の目で眺める。
キッド、いや、プリンスは無条件に偉大な男なのだと知らしめて、映画は幕を閉じる。
プリンス様のナルシスティックなメッセージが、彼の信者を魅了する。
信者以外の人々は、どうだか知らないが。


第5回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低新人賞[アポロニア・コテロ]
ノミネート:最低オリジナル歌曲賞「Sex Shooter」

 

*ポンコツ映画愛護協会