『P.S. アイラヴユー』:2007、アメリカ

アパートに戻ったホリーは、夫のジェリーに対する強い怒りを示した。ジェリーが謝罪すると、ホリーは激しい口調で彼を責めた。彼が母の前で「彼女は子供を欲しがっていない」と言ったことに、憤慨していたのだ。ホリーは2人の計画について明かさなかったことを糾弾するが、ジェリーも彼女が2年で5回も転職していることに文句を付けた。彼は早く子供を欲しがっていたが、ホリーは計画的に進めたいと思っていた。しばらく言い争いが続いた後、2人は仲直りした。
冬、ホリーの母であるパトリシアのバーで、脳腫瘍によって死去したジェリーの葬儀が行われた。ホリーの友人デニース、友人で不動産会社の同僚でもあるシャロン、彼女の夫でジェリーのビジネスパートナーだったジョン、ホリーの妹キアラたちが参列し、録音されたジェリーの陽気な歌声が店内に流れた。葬儀が終わると、バーではパーティーが始まった。パトリシアはシャロンからアイルランドに住むジェリーの両親が来ていないことを問われ、母親は手術で長旅は無理なのだと説明した。デニースは次から次へと男に声を掛け、ゲイではなく働いていてキスの感触が良い相手を捜した。
ホリーはパトリシアから、キアラがいる間は実家で過ごさないかと誘われた。しかし彼女は断り、自宅アパートへ戻った。携帯電話を取り 出した彼女は、留守電に吹き込まれたジェリーの声を何度も繰り返し聴いた。それから彼女は誰とも連絡を取らず、1週間が経過した。仕事は休んでおり、母からの留守電も無視した。当ての無い散歩から戻った彼女は、ギターを弾きながら歌うジェリーの幻覚を見た。彼女はジェリーに触れ、そして会話を交わした。
3週間後。ホリーは部屋を散らかし放題にしたままDVDで『スター誕生』を観賞し、ジュディー・ガーランドの歌に合わせて熱唱した。そこへ彼女の30歳の誕生日をお祝いするため、パトリシア、デニース、シャロン、キアラ、ジョンがサプライズでやって来た。室内がゴミだらけで悪臭を放っていたため、パトリシアたちは唖然とする。パトリシアに諭されたホリーは、シャワーを浴びに行く。その間に訪問した一行は、部屋の大掃除に取り掛かった。
ホリーは会社の無断欠勤を続けていたが、シャロンはボスのラリーが待ってくれていることを教える。キアラはホリーに、荷物が届いていることを告げる。箱を開けると誕生日ケーキが入っており、「誕生日おめでとう ジェリー」とメッセージか書かれていた。そして箱の蓋にはテープレコーダーが取り付けられており、再生するとジェリーの声が録音されていた。ジェリーはホリーに、「計画を立てた。これから君に色んな方法で手紙が届く。一通目は明日だ。手紙の内容に従えよ。手紙の仕組みは探らず、計画に乗ってくれ。じゃあ手始めに、今夜はオシャレして出掛けるんだ」と語り掛けた。
ホリーは服を着替え、デニースたちと会員制のゲイバーへ出掛けた。泥酔してバトリシアのバーに入った彼女は、バーテンダーのダニエルから声を掛けられて「なぜ夫は天に召されたのかを考えてるの」と言う。「君への罰かも。美しすぎると神様は嫉妬する」とダニエルが語ると、ホリーは「渡しは美しくなんかない」と告げる。ダニエルは婚約者が女友達と浮気したので別れたこと、その浮気相手も元婚約者で出資した会社の共同経営者だったこと、大勢の女とセックスしてショックを乗り越えたことを語った。
翌朝、シャロンからの電話で目を覚ましたホリーは、郵便受けを調べるよう言われて部屋を飛び出した。郵便受けにはジェリーからの手紙が入っており、ホリーは「ベッド脇に明かりを買おう。ディスコの女王はオシャレでなきゃ。セクシーな服を買って。次の手紙を待て。今の仕事が嫌いなら応援するよ。合図を見つけて従って」と綴られていた。ホリーはランプを購入して服を買い、ベッドに寝転びながらジェリーのことを思い浮かべた。
不動産会社の仕事に復帰したホリーは、テッドという男に物件を紹介した。テッドの妻であるヴィッキーはシャロンと話していたが、他に希望者がいると知る。彼女は10万ドルの上乗せを求め、テッドが難色を示しても強硬な態度を示した。ホリーがテッドの意見を聞くよう口を挟むと、ヴィッキーは「私の夫よ。私が買うと言ったら買うわ」と声を荒らげた。ホリーも感情的になって言い返し、2人は激しい口喧嘩になった。
春。歌って手紙を届ける仕事をしているという男が、ホリーの家を訪ねて来た。ホリーは手紙だけ受け取り、歌は断った。ジェリーからの新しい手紙には、ディスコのカラオケに行くよう記されていた。かつてジェリーがカラオケで熱唱した時、同行したホリーは客席で全く気乗りしない様子を見せていた。しかしジェリーが他の観客も巻き込んだ上で「歌わない方に100ドル賭ける」と挑発したので、彼女はセクシーな格好になって熱唱した。彼女はマイクのコードに足を引っ掛け、顔に怪我を負って入院した。見舞いに来たジェリーがヘラヘラしていると、ホリーは「疲れているのに貴方が無理強いしたせいよ」と腹を立てた。
ホリーはシャロン&ジョンとカラオケディスコへ向かいながら、何かに付けてジェリーを責めたことへの後悔を口にした。デニースもディスコに来て、男を物色した。ジョンは「体目当てだから結婚できないんだ」と言うが、デニースは全く耳を貸さなかった。ステージに上がったホリーには、ジェリーの姿しか映っていなかった。会場に来たダニエルがじっと見つめていたが、ホリーはジェリーだけに視線を向けて熱唱した。
デニースはトムという男に声を掛け、熱烈なキスをされた。ホリーが独りでソファーに座っていると、ダニエルが声を掛けた。彼は食事に誘って断られると、「また出掛けたいと思ったら電話してくれ。下心は無い」と言う。ホリーは「ありがとう。ヤンキースの試合なんかいいかも」と告げた。後日、ホリーはクリーニング屋から洗濯物を受け取り、「上着のポケットにありました」というメモの添えられた手紙を見つけた。その手紙には、「この上着は君にあげよう。でも他は処分して部屋を広くするんだ」と書かれていた。ホリーは手紙に従い、ジェリーの衣類を整理した。
ホリーはダニエルと2人でアイルランドの飢饉記念碑へ出掛け、コンビーフ・サンドを食べる。「君は変わった人だ」とダニエルが言うと、ホリーは「幸せな生活を見せるのが一番の追悼だと、ジェリーが言ったのよ」と述べた。彼女はダニエルに、「ジェリーと縁の無い人に彼の遺品を捨ててほしい」と依頼した。ダニエルが承諾したので、ホリーは自宅に彼を連れて行った。その夜、ベッドに入ったホリーは、ジェリーに抱き締められて会話を交わした。
夏。手紙を受け取ったホリーはジョンに頼んで、旅行会社へ連れて行ってもらう。バーバラという社員を見つけたホリーは、旅行の申込書を差し出した。するとバーバラは「貴方が彼の奥さんね」と言い、ジョンの「彼はここに?」という質問にうなずいた。ホリーは母に休暇を取ることを話し、「彼が私とシャロンとデニースのために旅行を手配してくれていたの」と説明した。「それにしても今なの?ダニエルには言った?付き合ってるんでしょ」と言われ、ホリーは「ただの友達よ」と否定した。
パトリシアはホリーに、「今まで黙ってたけど、おかしいわ。ジェリーは死んだのよ。いずれ手紙も終わる。現実と向き合って」と語る。「彼からの贈り物なの」とホリーが言うと、彼女は「彼の死を受け入れて歩き出さなきゃ」と諭す。「私だって努力してるわ」とホリーが反論すると、パトリシアは「天国の夫からの手紙を待ったり、休暇を取ったりすることが?」と告げる。2人の会話を店の奥で聞いていたダニエルは、ヤンキース戦のチケットを破り捨てた。
アイルランド。ホリー、シャロン、デニースが田舎の一軒家に到着すると、テーブルにはジェリーからの手紙が置いてあった。しかし今回はホリーではなくシャロンへの手紙で、「ジョンと好きな時に好きなことをしていいから、ホリーを楽しませてあげて。魚釣りとか」と記されていた。寝室にはデニースへの手紙も置いてあり、お気に入りのパブへホリーを連れて行ってほしいと書かれていた。自分への手紙が無かったので、ホリーは少し寂しそうだった。
ホリーたちはジェリーの指定したパブへ出掛け、ステージでギターを弾いていたウィリアム・ギャラガーという男に注目した。シャロンとデニースは、彼に声を掛けるようホリーに告げた。ホリーはウィリアムに声を掛けて演奏を褒め、休暇でアメリカから来ていることを話す。ウィリアムはステージに戻ると、「ホリーに捧げます」とアメリカの曲を演奏した。ホリーは演奏を聴きながら、ジェリーがギターを引きながら同じ曲を歌った時のことを思い返した。ホリーはジェリーにキスされたところまで思い出して、店を飛び出した。シャロンとデニースが追い掛けると、「ジェリーのせいで思い出ばかり蘇る。残酷だわ」とホリーは漏らした。
翌日、ホリーはたちはボートで湖に出た。デニースが「ウィリアムを捜そう」と提案すると、ホリーは「嫌よ。店を飛び出して馬鹿だと思われてる」と拒否した。魚が釣竿に掛かり、3人は慌てて引き上げようとする。バランスを崩して倒れた弾みで、オールが流されてしまった。ボートで漂いながら会話を交わす中、シャロンは妊娠を告白した。するとデニースは、トムと結婚することを打ち明けた。3人の元へ救助に来てくれたボートには、ウィリアムが乗っていた。夜、ホリーたちは彼を招いて会食をした。シャロンとデニースに勧められ、ウィリアムは泊まることになった…。

監督はリチャード・ラグラヴェネーズ、原作はセシリア・アハーン、脚本はリチャード・ラグラヴェネーズ&スティーヴン・ロジャース、製作はウェンディー・フィネルマン&ブロデリック・ジョンソン&アンドリュー・A・コソーヴ&モリー・スミス、共同製作はジェームズ・フリン&モーガン・オサリヴァン&スティーヴン・P・ウェグナー、製作総指揮はジョン・H・スターク&リサ・ズパン&ジェームズ・ホランド&ドナルド・A・スター&ダニエル・J・B・テイラー、製作協力はジュリー・ハントシンガー、撮影はテリー・ステイシー、編集はデヴィッド・モリッツ、美術はシェパード・フランケル、衣装はシンディー・エヴァンス、音楽はジョン・パウエル、音楽監修はメアリー・ラモス。
出演はヒラリー・スワンク、ジェラルド・バトラー、キャシー・ベイツ、リサ・クドロー、ハリー・コニックJr.、ジーナ・ガーション、ジェフリー・ディーン・モーガン、ジェームズ・マスターズ、ネリー・マッケイ、ディーン・ウィンタース、アン・ケント、ブライアン・マクグラス、シェリー・レネ・スコット、スーザン・ブラックウェル、マイケル・カントリーマン、ロジャー・ラスバーン、リタ・ガードナー、ゲイトン・スコット、ブライアン・マン、シェパード・フランケル他。


セシリア・アハーンの同名ベストセラー小説を基にした作品。
監督は『マンハッタンで抱きしめて』『フリーダム・ライターズ』のリチャード・ラグラヴェネーズ。
脚本はラグラヴェネーズと『グッドナイト・ムーン』『ニューヨークの恋人』のスティーヴン・ロジャースによる共同。
ホリーをヒラリー・スワンク、ジェリーをジェラルド・バトラー、パトリシアをキャシー・ベイツ、デニースをリサ・クドロー、ダニエルをハリー・コニックJr.、シャロンをジーナ・ガーション、ウィリアムをジェフリー・ディーン・モーガン、ジョンをジェームズ・マスターズ、キアラをネリー・マッケイ、トムをディーン・ウィンタースが演じている。

ヒラリー・スワンクはオスカーも獲得しているし、演技力の達者な女優だとは思う。
しかし、やはり似合わない役柄ってのはあるもので。
この映画のホリーというキャラクターは、残念ながら「そこはヒラリー・スワンクじゃないだろ」と思わせる。
冒頭の口喧嘩をするシーン、ジェリーにガミガミと文句を言いまくる彼女の表情は、かなりキツいモノがある。その直後に仲直りするんだけど、「ヒステリックでキツい女」という印象が植え付けられてしまう。
ホントは「怒っているけど可愛げがある」という風に見えるべきじゃないかと思うのよ。単なるヒステリックな女に見えたらマズいと思うのよ。

ジェリーが謝ったり提案したりしても、ホリーは全く聞き入れずにガミガミと言いまくる。どっちも文句は言ってるけど、圧倒的にホリーの方が多いし、ヒステリック。それなのにジェリーの方から折れなきゃいけなくなってる。大変だな。
「激しい言い争いから仲直り」という描写で、たぶん2人の愛を表現したいんだろう。まあ愛があることは伝わる。
ただし、魅力的で応援したくなる夫婦か、共感を誘うかと問われたら、答えはノーだ。
「夫婦喧嘩は犬も食わない」なんてことを言ったりするが、まさにそんな感じで、ちょっと冷めた気持ちになってしまう。
コメディー・タッチが強ければ好感を持って受け入れられたかもしれないが、そうじゃないってのも原因の1つ。

アヴァンが終わってタイトルロールが明けると、もうジェリーが死んでいる。これが「1年後」のように死から時間が経過しているわけじゃなくて、葬儀のシーン。ってことは当然のことながら、まだホリーは深い悲しみの中にいる。
ただ、悲しみのズンドコ、じゃなくて、どん底にいるはずなので、葬儀で笑顔を見せるってのは、ちょっと中途半端かなと。
そこで笑顔を見せられるぐらいなら、それなりに元気に装うことは出来るのかと思ったら、ずっと引きずりまくって全く立ち直りの兆しなんて無いんだよな。
それにしては葬儀の時の態度は、ちょっと違和感があるわ。

ただし、これが「1周忌」とかなら、話は別なのよ。「もう立ち直ったように周囲からは見えるけど、前を向くことなんて出来ていない」ってのはね。
死んだ直後、葬儀で既に笑顔を見せられるのであれば、しかも「取り繕っている笑顔」じゃなくて明らかに「本当の笑顔」なので、それなら「そんなに長引かないだろう。もちろん悲しみはあるだろうけど、それなりに気持ちの整理は出来るんじゃないか」と感じるのよ。「無理して笑顔を作っている、明るく振る舞っている」ってことなら別だけど、違うんだから。
だから葬儀から帰った後、ホリーが1週間も母親の連絡を無視するとか、ジェリーの幻覚を見るとか、なかなか仕事に復帰できないとか、そういうのが描かれると、葬儀のシーンの態度とのズレを感じてしまうのだ。
っていうか、そういうことを考えると葬儀のシーンって無い方がスムーズなんだよなあ。いきなりホリーの暗い様子、沈んでいる様子での日常風景が描かれて、その後で「ジェリーが死んで悲しんでいる」ってことを観客に明かした方がさ。

ジェリーのボイスレコーダーを聞いた途端、ホリーは素直にその指示に従っている。
もちろん声が本物だから誰かが騙しているってことはないんだけど、それにしても「困惑」とか「懐疑」とか「逡巡」といった手順が完全にすっ飛ばされているのは、ちょっと引っ掛かるぞ。
半ば強引に友人たちが連れ出すとか、迷っているホリーを説得するとか、そういう形にしても良かったんじゃないかと思うなあ。

ホリーとジェリーの夫婦愛の強さがそんなに伝わって来ないので、ジェリーが死んでからホリーが全く立ち直れずにいる様子を描かれても、あまりピンと来ない。
冒頭の10分程度の後、ジェリーが死んでから幻影で何度か登場するけど、そこで描かれるのは「まだホリーが立ち直れていないから幻影を見る」ってことであって、「ジェリーが生きていた頃の出来事」ではないのよ。つまり、ホリーと生前のジェリーがいかに強い愛で結ばれていたかを回想として描いているわけではないのよ。

カラオケに行くよう促す手紙が届いたところで、ようやくホリーがジェリーと過ごした頃の具体的な出来事が回想される。
そこからは同様の回想シーンが何度も挿入されるのだが、残念なことに、意外なほど効果的に作用しないし。
何がダメなのかと考えてみたんだが、内容の軽さかなあ。

ジェリーって脳腫瘍だから、急死したわけではないんだよね。
医者から脳腫瘍と宣告されて、闘病の日々が続いて、それから死に至っているはずだよね。
ってことは、「ジェリーが発症した時の様子をホリーが目にする」とか、「ホリーが医者から病名を聞く」とか、「闘病するジェリーをホリーが看病する」とか、「ジェリーの死をホリーが看取る」とか、そういう出来事はあったはずだ。
そういうのを全てバッサリと省略して、「ジェリーの死から全く立ち直れずにいる」というトコから始めるのは、思い切った構成ではあるけど、結果的には失敗しているんじゃないか。

繰り返しになっちゃうけど、もう最初の時点で「ジェリーの死から1年が経過した」という設定にして、そこから回想としてジェリーが元気だった頃の夫婦生活、発症した頃の様子、闘病の様子などを断片的に何度か挿入しておけば、たぶん夫婦の愛の深さは伝わるようになったと思う。
ただし、「死んだはずのジェリーからの手紙が届く」という展開が待ち受けており、それが本作品の肝になっているので、それが出来ないという事情はある。死後半年や1年が経過してから手紙が届くってのは、変なことになっちゃうからね。
ただし、死後半年や1年からじゃなくて葬儀のシーンから始めるにしても、後から「ジェリーが生きていた頃の夫婦生活」を何度か挟むってのは、普通に出来ることだと思うんだよな。そこにジェリーの手紙を絡めることも出来る。手紙に書かれている内容から、それに関連した思い出をホリーが振り返る形にすればいい。
思い出ばかり振り返っていたら、全く前を向いて生きていけないんじゃないかと思うかもしれないけど、そもそもジェリーの手紙が何度も届いている時点で、彼が生きていた頃のことばかり見て前を向けていないってことになっちゃうしね。
ただし、それを言い出すと、この話を根本的に否定することになっちゃうんだけど。

この映画には序盤で「手紙を投函しているのは誰なのか」という謎が生じているが、ホリーは全く気にしていない。そして観客からしても、どうでもいいことだ。
どうせ候補者は身内だけだし、たぶんパトリシアなんだろうってのは何となく分かる。そして終盤に彼女だと判明しても、サプライズ効果は無い。
「ジェリーを嫌っていたはずの彼女が協力していた」という意外性を狙ったのかもしれないが、むしろ「そういうネタ振りがあるからこそパトリシアだろう」と最初の時点で思ってしまうし。
そう考えると、終盤まで謎にしたまま引っ張っている意味が無い。
むしろ最初からパトリシアが投函していることを観客には明かして(匂わせる程度でもいいが)、その上で彼女の心情やホリーとのやり取りを描いた方が面白味が出たかもしれない。

ホリーはジェリーの死から全く立ち直れていないのだが、その一方でダニエルとは急速に仲良くなる。
そこに恋愛感情が無いことを彼女は説明しているが、他にも親友や身内がいる中で、わざわざ新しい男と仲良くなる意味を考えると、そこにどんな感情があるのか、ちょっと引っ掛かってしまうのだ。
だからと言って、そこに少なからず恋愛感情があると解釈すると、それはそれで「だったら立ち直ってるんじゃねえのか」ってことになってしまう。
だから、まあホントに恋愛感情は無いんだろうけど、スッキリしないモノがある。
あと、ダニエルの方はどう考えても下心があるわけで、だけど「旦那を亡くしたばかりで心が弱っている未亡人に接近して口説く」ってのは、あまり好感の持てる男ではない。

アイルランドに渡る展開は、もちろんジェリーが用意した旅行だから当然っちゃあ当然なんだけど、ストーリーとしての意味から考えると、あまり重要性の高さが感じられない。
特にシャロンとデニースが「どれぐらい御無沙汰なの」とホリーに言い、ウィリアムに声を掛けて親しくなるよう促すのは、どうにも違和感が強い。
どこに違和感を抱くのかっていうと、「ジェリーの死から立ち直るためには他の男とセックスすべき」という考え方が根底にあるように感じられることだ。それって完全に別物じゃないのかと。
そりゃあ、ずっと御無沙汰だとムラムラするってのは、現実としてあるかもしれんよ。ただ、そこに性欲という要素を持ち込んじゃったら、テーマがグチャグチャになってしまんじゃないかと。

そんでホリーはウィリアムに逆ナンのような態度で話し掛け、ホントにセックスしちゃうのだ。
いや、もうワケが分からんよ、その感覚。
「旅の恥はかき捨て」とか、そういうことなのか。
ひょっとすると、これって女性だったら共感できるんだろうか。ワシが男だから全く理解できないんだろうか。
「男とセックスすりゃあストレス発散して気持ちも晴れるんじゃねえの」という考えを「バカじゃねえのか」と思うのは、その方がバカなんだろうか。

ジェリーが事前に何通もの手紙を用意し、それをホリーに渡す方法や届ける人間を全て考えて手配してしているってのは、脳腫瘍で倒れた病身にしては、かなり驚異的な行動力と言えよう。
まあハッキリ言うと、かなり嘘臭い。まるで、脳腫瘍で倒れる前から倒れることを承知していて、元気な内に全て準備を整えていたかのようだ。
ただ、その嘘臭さを寛容な心で全て受け入れるにしても、それより気になる問題がある。それは、「何通もの手紙って、ホリーを立ち直らせるのに役立ってなくね?」ってことだ。
手紙を受け取って、その指示に従って行動する中で、ホリーが少しずつ立ち直って行く様子が描かれるべきだと思うのよ。でも見た限り、ホリーって最初の手紙が届いた頃と終盤で、ほとんど変化していないように見える。
ぶっちゃけ、最後の手紙だけでも、あまり大差が無いんじゃないかと。
むしろ、長期間に渡って手紙を届けることで、立ち直りを遅らせているようにも思えてしまうぞ。

(観賞日:2015年7月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会