『博士と狂人』:2019、アメリカ

1872年、イギリスのロンドン。元軍医のウィリアム・チェスター・マイナーは殺人の罪で起訴され、裁判に掛けられた。弁護士はマイナーについて、「デクラン・ライリーという男に命を狙われてアメリカから逃亡してきた」と説明した。ある夜、マイナーはライリーに居場所を突き止められたと思い、外に出た。人影を見た彼は、拳銃を構えて後を追った。追われた男は妻のイライザと6人の子供がいる家に着き、助けを求めた。しかし彼はマイナーに撃たれ、イライザの眼前で命を落とした。その男はジョージ・メレットで、デクランではなかった。心を病んでいるという理由で無罪判決を受けたマイナーは、「私は正気だ」と主張した。判事は彼に、ブロードムーア刑事犯精神病院で拘禁することを通告した。
ジェームズ・マレーは妻のエイダを伴い、息子のハロルドが出場したホッケーの試合を見に行った。助言を受けたハロルドは得点を決めるが、興奮しすぎて退場処分を受けた。エイダはイライザが夫を殺されて悲しんでいるという新聞記事を読み、マレーに「貴方を失ったら耐えられない」と口にした。マレーはオックスフォード大学へ行き、出版局理事会の面々と会った。理事会は20年前から辞典の編纂に取り組んでいるが、一向に成果が出ていなかった。そこでフレデリック・ジェームズ・ファーニヴァル教授は型破りな方法で状況を打破してくれる人材として、出版局長のフィリップ・リッテルトン・ジェルたちにマレーを推薦したのだ。
マレーは博士号を取得しておらず、それどころか14歳で生活のために学校を辞めていた。そういった経歴を知ったマックス・ミュラーたちは懐疑的な態度を取るが、マレーは世界中の様々な言語について詳しい知識を持っていた。彼は難問を投げ掛けられても詳しい答えを出し、編纂の責任者として採用された。帰宅したマレーが「採用されるとは思わなかった。英語の全てを任された」と話すと、エイダは「反対はしないけど、あまりにも唐突だわ。子供たちを転校させて、安定した生活を捨てるの?」と口にする。マレーは「チャンスが訪れたんだ。今までと同様に協力してほしい」と頼み、エイダは承諾した。
1872年4月17日、マイナーはブロードムーア刑事犯精神病院の第2病棟に収容され、院長のリチャード・ブレインは観察して詳細な記録を付け始めた。マイナーは3日も眠らず、何度もベッドの下を調べて「襲って来る敵を探すためだ」と主張した。マレーは出版局の会食に参加し、ファーニヴァルの「全ての言語を掲載する。あらゆる言語のニュアンス、意味の変化や引用を収録する。でなければ無意味だ」という説明を聞く。「膨大な作業が必要だ。不可能だ」とジェルが言うと、マレーは「大勢なら可能です」と述べた。
ファーニヴァルが「ボランティアに頼んだが、無理だった」と告げると、マレーは「千人いれば数年で完成できる」と語る。彼は学者だけでなく一般市民にも依頼する考えを明かし、「必要な言葉を探してカードに書いてもらう。それを編纂室へ郵送してもらう。長くても7年で完成する」と説明した。マレーはイギリスとアメリカの英語を話す人に向けて協力を依頼する声明文を記し、あらゆる書籍に挟んだ。これを受けて各地からカードが送られ、マレーは引っ越し先の庭に辞典編纂室を設置した。
ブロードムーア精神病院では門の落下事故により、看守が挟まれて重傷を負う事故が発生した。それを目撃したマイナーは、戦場の出来事を思い出した。彼は看守のマンシーやコールマンに必要な道具を用意するよう頼み、被害者に応急処置を施して命を救った。ブレインが面会して礼を述べると、マイナーは殺しに来る男を監視させてほしいと要請して「顔の左側に焼印がある男だ」と告げた。「他に出来ることは?」とブレインが訊くと、彼はアメリカ軍から貰っている年金をイライザに渡してほしいと頼む。マンシーが「任せてください」と名乗り出たので、ブレインは承諾した。マンシーはイライザの元を訪ねるが受け取りを拒否され、マイナーに伝えた。
助手のヘンリー・ブラッドリーとチャールズ・ホールはマレーの作業を手伝うが、17世紀と18世紀の引用が見つからずに焦った。マレーはミルトンの『失楽園』を調べるよう穏やかに指示するが、ようやく他の書物での引用が見つかった。夜中に精神病院の囚人が暴れて騒ぎが発生し、目を覚ましたマイナーは上官に命じられて脱走兵のデクランに焼印を押した出来事を思い出した。彼は背後に出現したデクランの幻影に襲われ、苦悶して倒れ込んだ。
翌朝、マイナーはブレインに、デクランが侵入して襲って来たと話す。ブレインは静かに話を聞き、愛用品を病室に持ち込むよう提案した。マイナーは同意し、イーゼルを用意してもらって絵を描くことにした。ブレインが他に必要な物を訊くと、マイナーは本が欲しいと言う。マンシーは仲間を助けてもらった礼として、マイナーに本を渡した。そこに挟んであった声明文を見つけたマイナーは、大量のインクと紙を用意するようコールマンに頼んだ。
イライザは子供たちにマッチの箱詰めを手伝ってもらい、体を売って金を稼ごうとするが、生活は困窮していた。クリスマスにマンシーが塩漬け肉をプレゼントとして持参すると、イライザは子供たちのために受け取った。マンシーが年金の援助を受け入れてほしいと説得すると、彼女はマイナーとの面会を要求した。マレーはクリスマスも家に戻らず仕事に没頭し、エイダは窓に雪玉を投げた。マレーが気付くと、エイダは彼を子供たちの雪合戦に参加させた。マレーが「留守が多くて済まない。でも、いい方向に変わるはずだ」と告げると、エイダは「それはどうかしら」と静かに述べた。
マイナーはブレインに声明文のことを話し、「この仕事できっと立ち直れる。もっと本が必要だ」と訴えた。ブレインは彼に、イライザが面会を求めていることを知らせた。イライザは精神病院を訪れ、ブレインが同席する中でマイナーと面会した。彼女は「受け取るわ。でも許さない」と言い、その場を後にした。早急に必要なのが17世紀と18世紀の引用だと知ったマイナーは、カード作りに没頭した。マレーはジェルに呼び出され、編纂を早く完了させるために掲載する言語を絞り込むよう要求された。マレーは「増員が必要だと訴えても、貴方は1人も雇ってくれなかった」とジェルを批判し、その要求を拒否した。
辞典編纂室にマイナーから千枚のカードと協力を申し出る手紙が届き、マレーと助手たちは喜んだ。編纂作業は一気に進み、マレーたちは第一部を完成させた。イライザはマイナーの面会に訪れ、本をプレゼントした。ブレインは散歩を勧め、2人に同行した。イライザは援助の礼をマイナーに述べ、「これ以上は受け取れない。夫に申し訳ない」と言う。マイナーが「私も苦しんでる。彼の命を奪ってから、私の命は貴方の手中にある」と話すと、イライザは「混乱してるの。来るんじゃなかった」と告げて立ち去った。マレーはマイナーの面会に行き、第一部を渡した。2人は様々な言語について意見を交わし、一緒に謎を解き明かそうと誓った。
イライザはマイナーの面会に訪れ、また本をプレゼントした。マイナーは彼女が文字を読めないと気付き、「私が教える。それを貴方が子供に教えれば自由を与えられる」と語った。マレーはマイナーの面会に赴いて部屋に通された時、イライザの肖像画に目を留めた。彼が「彼女は誰だ?」と質問すると、マイナーは「手の届かない人」と答えた。「叶わぬ恋ほど燃え上がる」とマレーが口にすると、マイナーは「彼女は大切な友人だ。酷い喪失に苦しんでいる」と語った。
またイライザが面会に行くと、マイナーは文字の読み方を教えた。ブレインはイライザに、マイナーは驚くほどの回復を見せていると話す。辞典の第一巻が完成し、マレーは博士号を授与された。しかしジェルは快く思わず、彼を編纂作業から排除しようと目論む。イライザは子供たちを精神病院に連れて行き、マイナーを紹介した。すると長女のクレアは我慢できず、マイナーに平手打ちを浴びせた。イライザはマイナーに謝罪し、「もう憎んでない」と告げて頬にキスをした。部屋に戻ったマイナーは、「恐ろしい罪だ。許されるとでも思ったか」と呟いた。後日、イライザは「後で読んで」とマイナーに手紙を渡し、キスをする。マイナーは部屋に戻り、「愛があれば、その先は?」という文面を読む。彼はデクランの幻影に「また彼を殺した」と責められ、自身の性器を切り落とした…。

監督はP・B・シェムラン、原作はサイモン・ウィンチェスター、脚本はトッド・コマーニキ&P・B・シェムラン、製作はニコラス・シャルティエ&ガストン・パヴロヴィッチ、製作総指揮はゼヴ・フォアマン&マニュ・ガルギ&ピーター・マカリーズ&ドミニク・ラスタム、タイラー・ザカリア、共同製作総指揮はマクダラ・ケラハー、共同製作はジョナサン・デッカー&ジェニー・オブライエン、製作協力はアグスティン・コッペル&トニー・ダブドーブ、撮影はキャスパー・タクセン、美術はトム・コンロイ、編集はディノ・ヨンサーテル、衣装はエイマー・ニー・ウォルドウニグ、音楽はベアー・マクレアリー。
出演はメル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、スティーヴン・ディレイン、スティーヴ・クーガン、ヨアン・グリフィズ、エディー・マーサン、ジェニファー・イーリー、ジェレミー・アーヴァイン、デヴィッド・オハラ、アンソニー・アンドリュース、ローレンス・フォックス、ラース・ブリグマン、ショーン・ダガン、オリヴィア・マッケヴィット、エミリー・ダリー、ルーク・ハーマン、ティーガン・デヴリン、ネイサン・ハート、アリス・ケリー、イーファ・ケリー、フォンジー・ウォーデル、ロバート・マコーマック、アビゲイル・コバーン、ノラ・クーパー他。


サイモン・ウィンチェスターのノンフィクション書籍『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』を基にした作品。
TVドラマ『BOSS/ボス 〜権力の代償〜』の脚本を手掛けたファラド・サフィニアが、P・B・シェムランの変名で長編映画初監督を務めている。
脚本は『パーフェクト・ストレンジャー』『ハドソン川の奇跡』のトッド・コマーニキとP・B・シェムラン監督による共同。
マレーをメル・ギブソン、マイナーをショーン・ペン、イライザをナタリー・ドーマー、ブレインをスティーヴン・ディレイン、ファーニヴァルをスティーヴ・クーガン、ブラッドリーをヨアン・グリフィズ、ンシーをエディー・マーサン、エイダをジェニファー・イーリー、ホールをジェレミー・アーヴァイン、チャーチをデヴィッド・オハラ、ジョウェットをアンソニー・アンドリュースが演じている。

冒頭シーンで、マイナーが人違いでジョージ・メレットを家族の目の前で射殺した出来事が描かれる。この時点で、マイナーには全く同情できなくなる。
射殺した直後は「人違いだった」と後悔の念を口にするが、裁判のシーンでは「デクランが部屋に侵入する」と訴えるだけで、ジョージ殺害への罪悪感は全く見せない。イライザと子供たちに対し、謝罪することも無いのだ。
後で何度か苦悩を口にするシーンはあるけど、明確な形で謝罪することって無いよね。資金援助して、それで済ませる感じになってるよね。
それどころか、「私も苦しんでる。彼の命を奪ってから、私の命は貴方の手中にある」とか、イライザに言うんだよね。
なんで被害者遺族をさらに苦しめるような言葉を、平気で吐くのかと。

エイダはマレーから採用されたことを聞くと、「ダメとは言えないけど、唐突すぎる」と明らかに嫌がっている様子を見せる。
ところが、「チャンスだから協力してほしい」と頼まれると、すぐに笑顔を見せて受け入れる。そこには全く迷いが無い。「子供たちが前向きなので、仕方なく自分も承諾する」ってことでもない。
だったら、難色を示す手順なんて無くてもいいでしょ。そこには何の意味も無いでしょ。
「そういう時は最初に反対させるのがセオリー」ってことで、形式的にやらせているだけにしか思えないよ。

マイナーが精神病院に収容されると、記録を付けるブレインのナレーションが入る。それによると、マイナーが収容されたのは4月17日。
しかし、その直後に「3月17日。患者は3日間、一睡もしていない」とブレインが語る。
どういうことなのか、サッパリ分からない。なぜ1ヶ月前に戻っているのか。
そんなはずはないけど、ってことは1年ぐらい経過した後の出来事ってことなのか。
それにしては時間経過が全く伝わらないし、ここはワケが分からないままだ。

「書物に挟まれた声明文により、英語を話す多くの一般市民が協力してくれて大量のカードが郵送されてくる」ってのは、「一般市民に協力を求める」というアイデアが画期的だし、大勢の市民が協力してカードを郵送してくれるのは素晴らしい出来事のはずだ。
でも、そこを超が付くぐらい淡白に片付けているんだよね。
「マレーはマイナーのおかげで辞典を完成させた」ってのを描く物語なので、それ以前の段階を簡単に片付けるのも分からんではないのよ。ただ、もちろんマイナーの仕事が重要だったのは確かだろうけど、それよりも「大勢の市民の協力」の方が、遥かに大きな力になったんじゃないかと思ってしまうんだよね。
だってマレーも言ってたでしょ、「千人いれば」と。
なので1人の専門家の力よりも、大勢の一般市民の力の方が、重要なんじゃないかと思ってしまうのよね。

「マレーとマイナーの関係」を重視する物語にしたいのなら、2人が接点を持つまでの出来事は、大幅にカットした方が良かったんじゃないか。
どうやら原作だと、むしろ映画版よりも遥かに2人が接点を持つまでの内容が多いらしいのよね。でも「それはそれ」ってことで。
この映画では、既にマレーが編纂作業に取り掛かり、なかなか引用が見つからず壁にぶつかっている状態から始めてもいいんじゃないか。
マイナーに関しては、既に収容されている状態から始めればいいんじゃないかと。

ブレインがマイナーを観察し、分析して治療に当たる様子は、かなり大きな扱いになっている。
それだけでなく、マイナーのパートではマンシーやコールマンとの関係もあるし、もちろんイライザとの関係もある。
そういう諸々の要素を見た時に、「こっちだけで話を作ればいいんじゃないか」と思ってしまう。
「精神を病んだマイナーが周囲の面々との交流や尽力によって少しずつ変化していく」みたいな物語だけでまとめた方が良かったんじゃないかと。マレーとの関係って、邪魔じゃないかと。

呆れたことに、この映画は途中からマイナーとイライザの間で恋愛劇を描き始める。だけど、イライザがマイナーのどういうトコに、いつ頃から惹かれるようになったのか、それがサッパリ分からないよ。
自分の夫を殺した狂人に、なぜ惚れちゃうのかと。サッパリ分からんよ。
そして分かるか否かを抜きにしても、そこで恋愛劇を作ろうとするセンスには全く賛同できないよ。
そういうのが描きたいのなら、そこだけで1本の映画にすればいいでしょ。「殺人事件の加害者と、被害者遺族の許されぬ恋」の物語にすればいいでしょ。

この映画ってタイトルにもなっているように、「博士と狂人」の関係が重要なはずでしょ(原題も「The Professor and the Madman」)。
それなのに、マイナーとイライザの恋愛劇を大きく取り扱うってのは、明らかに欲張りすぎなのよ。
一方で、マレーとマイナーは辞典編纂を通じて仲良くなるけど、そこで終わっちゃってるのよ。
マイナーがマレー側の物語に深く絡んで来ないのは仕方がないとして、マレーがマイナーの心の闇に切り込んでいくとか、治療や回復のために尽力するとか、そういうことは皆無に等しい。ただ「言語の探究者として意気投合しました」というだけなのよ。
ここの関係性が一向に進展せず、変化も乏しいのよ。

そしてマレー側の物語に目を向けると、ジェルとの敵対関係とか、妻との夫婦関係とか、そういうのは物語が佳境に入るまでは弱い描写になっている。
終盤に入ると大きな要素になるし、マレーがマイナーを救うために尽力する展開も強くなる。
ただ、そうなると今度は「2人が手を組んで辞典を作る」という要素が完全に消えるんだよね。
マイナーは完全に精神をやられて使い物にならなくなるし、マレーは編纂の仕事を離れてマイナーを助けることだけに集中するし。

(観賞日:2022年5月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会