『プレンティ』:1985、イギリス&アメリカ

第二次世界大戦中のフランスで、イギリス女性スーザンはレジスタンス運動に参加し、伝言係として活動していた。ある日、彼女はイギリス人諜報員ラザールと出会った。2人は一夜を共にするが、翌日にはラザールがトゥールーズへ向かうよう指示を受ける。ラザールはカフスを残し、スーザンに別れの言葉も告げられぬまま去った。
戦後のブリュッセル。ダーウィン大使の下で働く三等書記官レイモンドは、トニーというイギリス人が心臓麻痺で死亡した事件の処理を担当した。トニーの妻としてレイモンドと面会したのは、スーザンだった。スーザンはレイモンドに、トニーは夫ではなくレジスタンス活動の元仲間であり、移動するために婚姻関係を装っただけだと告げた。
イギリスに戻ったスーザンは、レイモンドと交際を始めた。レイモンドは、週末ごとにスーザンの家を訪れた。やがてスーザンは、勤務先である海運会社で出会った小説家志望のアリスを自宅に同居させるようになった。やがてスーザンはレイモンドに否定的な感情を抱くようになり、冬の間は会わないでおこうと告げた。
広告の仕事を始めたスーザンは、子供が欲しいと考えるようになった。彼女はアリスの友人ミックに、結婚は望まないから子供を作る協力をしてほしいと頼んだ。しかし1年半にも渡る努力は報われず、スーザンは妊娠できなかった。
ミックから冷たい態度を非難されたスーザンは、彼に向かって銃を発砲した。ミックを負傷させることは無かったが、スーザンは精神を病んで入院した。アリスの連絡でブリュッセルからから病院に駆け付けたレイモンドは、スーザンに結婚を申し込んだ。
レイモンドの妻となったスーザンは、ダーウィンの前で彼を非難するような言葉を浴びせた。やがてレイモンドはヨルダンに赴任し、スーザンも同行した。しかしスーザンは、訪れたアリスから「今のままでいいのか」と問われる。ダーウィンの葬儀でロンドンを訪れたスーザンは、2度とヨルダンに戻らないとレイモンドに宣言する…。

監督はフレッド・スケピシ、原作&脚本はデヴィッド・ヘア、製作はエドワード・R・プレスマン&ジョセフ・パップ、撮影はイアン・ベイカー、編集はピーター・ホーネス、美術はリチャード・マクドナルド、衣装はルース・マイヤーズ、音楽はブルース・スミートン。
主演はメリル・ストリープ、共演はチャールズ・ダンス、トレイシー・ウルマン、サム・ニール、ジョン・ギールグッド、スティング、イアン・マッケラン、バート・クウォーク、アンドレ・マランヌ、リム・ピク・セン、イアン・ウォレス、リチャード・ホープ、アンドリュー・シーア、テリー・ライトフット、ヒュー・ローリー、ティム・シーリー、ミッチ・デイヴィース、クリストファー・フェアバンク、リンゼイ・イングラム他。


デヴィッド・ヘアの戯曲を、彼自身の脚本で映画化した作品。
スーザンをメリル・ストリープ、レイモンドをチャールズ・ダンス、アリスをトレイシー・ウルマン、ラザールをサム・ニール、ダーウィンをジョン・ギールグッド、ミックをスティングが演じている。

スーザンはラザールと出会ってチャッカマンのように燃え上がり、すぐにエッチに持ち込む。戦後はレイモンドと知り合い、これまた簡単に家に連れ込んで関係を持つ。スーザンは戦地で活動していたことに異常に高いプライドを持っているらしく、「イギリスにい人間は幼稚に見える」と、そういう人々を完全に見下した発言をする。
スーザンは、まだ知り合って間も無いアリスを簡単に同居させる。レイモンドとの交際の妨げになるという意識は、全く無いようだ。スーザンはレイモンドが喋らないでほしいと思っていたことをアリスの前でベラベラと喋り、彼が不機嫌になると逆ギレする。

スーザンは唐突に「フランスにいた頃が懐かしい」と言い出し、冬の間は会わずに過ごそうとレイモンドに告げる。相手の意見など聞く耳を持たない。一方的に突き放す。彼女は「全てを変えたい」というセリフを口にしているが、どう変えたいのかは不明。
きっかけは全く分からないが、スーザンは子供が欲しいと考える。目を付けたのは、アリスの友人(というより恋人に近い)であるミック。しかし妊娠せず、ミックに冷たい態度を批判されると逆ギレし、彼を非難した末に銃を持ち出して発砲する。

自分から突き放したレイモンドとヨリを戻して結婚するが、かなり後になってから愛の無い結婚だったことを告白する。レイモンドは優しく面倒を見るが、ノイローゼのスーザンは電波な行動で偉そうに降るまい、彼を困らせる。スーザンに罪悪感は無い。
やがてスーザンは、「ヨルダンには戻らない。ロンドンに留まる」とワガママを言う。ヨルダンの静かで落ち着いた生活はダメで、ロンドンのイカれた暮らしが良いということらしい。そそのかしたアリスが悪く描かれているわけではないので、すなわちスーザンの行動は間違っていないというのが製作者サイドの考え方だということになる。

自分のワガママが原因でレイモンドが窓際族になってしまったのに、スーザンは大使館の人間を非難する。さらには、「6日以内にレイモンドが出世しなければ自殺する」と脅迫する。スーザンは唐突に家財道具を全て捨てようと言い出し、15年間も優しく接してくれたレイモンドを負傷させ、彼を捨ててラザールの元へ行ってセックスする。

さて、ここまでの彼女の行動の中で、わずかでも共感できる部分はあっただろうか。私は残念ながら、彼女に全く共感も同情も出来なかった。いったい、スーザンという女性のどこに魅力を感じればいいのか、どこに共感を抱けばいいのかが、全く分からない。
スーザンは利己的で思いやりが無く、周囲の人々を苦しめて喜んでいるような女性だ。妥協するのが大嫌いで、常に「俺が俺が」の人。自分に非があると認識することは全く無い。俺様主義のエゴイストで、人を平気で傷付ける残酷な女性だ。

飽きっぽくて何事も長続きしないヒロインは、仕事も男も次々に乗り換える。男は適当に利用するが、退屈になったら追っ払うか、もしくは捨て去る。そこに愛は無い。スーザンがイカれた原因が他人や環境にあるのなら、同情も出来るだろう。しかし、彼女は自分で勝手にイカれただけなのだ。原因は、彼女の利己的な性格にある。
最終的に最悪な女スーザンが惨めに滅びて終わるのかというと、そうではない。まるで、「本音を語りつづけたスーザンは正しかった」とでも言いたそうに、スッキリした晴れやかなスーザンが最後に立っている。しかし、スッキリするのは彼女だけだ。

この映画がエモーションを刺激しないのかと問われると、そうではない。
確かに、ある種の感情は沸いてくる。
それは、スーザンに対する不快感と腹立たしさだ。
利己的な女が周囲の人々を傷付けるという話から、観客は何を汲み取れば良いのだろうか。「そんな女には引っ掛かるな」というメッセージでも受け取れば良いのだろうか。

 

*ポンコツ映画愛護協会