『ペット・セメタリー』:1989、アメリカ

外科医ルイス・クリードは、妻レイチェル、娘エリー、幼い息子ゲイジと共に、メイン州の田舎町ルドローに引っ越してきた。家の前を通る道路を、大型トラックが猛スピードで走り抜けていく。向かいに住む老人ジャドは、その道路がペットの墓場(ペット・セメタリー)に続いていることを教えてくれる。
ルイスは瀕死の重傷を負って病院に担ぎ込まれたヴィクター・パスコウという男を助けようとするが、既に手遅れの状態だった。しかしパスコウは急に息を吹き返し、なぜか知らないはずのルイスの名前を呼んだ後、「また、あんたの前に現れる」と言い残して絶命する。
その日の夜、眠っていたルイスの元にパスコウが現れた。彼はルイスをペット・セメタリーに連れて行き、その奥の方を指差して、「死者達が話す場所に行ってはいけない」と警告して姿を消す。目を覚ましたルイスは夢かと思ったが、彼の足元は土で汚れていた。
感謝祭の日、家族が実家に帰って一人で留守番をしていたルイスの元に、ジャドから電話が掛かって来た。エリーが大切に飼っていた猫チャーチの死骸を見つけたというのだ。エリーへの言い訳を考えるルイスに、ジャドはもっと良い方法があると告げる。
ジャドはルイスを、ペット・セメタリーを奥に入った場所にあるミクマク族の埋葬地があった。ジャドはルイスに指示して、そこにチャーチを埋めさせる。翌朝、ルイスは生き返ったチャーチの姿を発見する。しかし、チャーチは凶暴な性格になっていた。
ルイスはジャドに言われた通り、ミクマク族の埋葬地のことは家族には秘密にしていた。そんなある日、道路に飛び出したゲイジがトラックにひかれて死亡する。ジャドはルイスの考えていることを見透かし、ティミーという男のことを話し始める。
ティミーは若くして亡くなり、父親ビルは彼をミクマク族の埋葬地に埋めた。ティミーは生き返ったが、もはや以前のティミーではなく、凶暴な怪物と化していたのだ。その話をすることでジャドは警告したつもりだったが、ルイスはゲイジをミクマク族の埋葬地に埋めてしまう…。

監督はメアリー・ランバート、原作&脚本はスティーヴン・キング、製作はリチャード・P・ルビンスタイン、共同製作はミッチェル・ガリン、製作協力はラルフ・S・シングルトン、製作総指揮はティム・ジンネマン、撮影はピーター・スタイン、編集はマイク・ヒル&ダニエル・ハンリー、美術はマイケル・Z・ハナン、衣装はマーリン・スチュワート、音楽はエリオット・ゴールデンサル。
出演 デイル・ミッドキフ、フレッド・グウィン、デニス・クロスビー、ブラッド・グリーンクイスト、マイケル・ロンバード、マイコ・ヒューズ、ブレイズ・バーダール、スーザン・ブロマート、マーラ・クラーク、カヴィ・ラズ、メアリー・ルイーズ・ウィルソン、アンドリュー・ハバツェク、リズ・デイヴィス、カラ・ダルク他。


スティーヴン・キングが自身の原作を脚本化し、ミュージック・ビデオ出身のメアリー・ランバートがメガホンを執った作品。
キングは自ら出演もしている。メイドのミッシーが胃ガンを苦にして首吊り自殺をするが、彼女の葬儀の時に登場する牧師が彼である。

最初から怖がらせるようとする意図を持ったシーンが多く出てくる。
エリーが木から落ちる場面や、チャーチがいきなり現れたりする場面がそれだ。
しかし、チャーチの死骸が発見されるまでは、恐怖を示すような演出は避けた方が良かった。むしろ普通の生活風景を見せておくべきだ。

ビクター・パスコウは何度も現れて、謎めいた言葉を吐く。
だが、彼はいったい何者なのか。なぜ一瞬だけ復活したのか。
そういったことは明らかにされない。
助言する亡霊として登場させるなら、そんな見知らぬ男よりも、ティミーの方が良かったんじゃないのかと思ってしまう。

ジャドは、秘密の場所であるミクマク族の埋葬地のことをルイスに教える。
まだ会ってからそれほど経っていないのに、秘密の場所を教えるだろうか。
別に「チャーチを生き返らせたい」と頼まれたわけでもないのだし。
そこに大きな無理があるような気がするぞ。

ジャドはルイスがゲイジをミクマク族の埋葬地に埋めて生き返らせようと考えていることを知り、「あの土地は腐っている。あの土地は邪悪だ」などと忠告する。
だったら最初から教えるなよ。
チャーチが凶暴化することだって分かってたわけだし。
メチャクチャですな。

で、ジャドが恐ろしい体験を交えた忠告をしてくれたのに、それを無視してゲイジを生き返らせるルイス。おいおい、話を聞いてなかったのかよ。
しかも、ゲイジで失敗して懲りたかと思ったら、同じことを繰り返すし。
どうやらルイスには、学習能力が無いらしい。

心理的にジワジワ来るような恐怖は、ほとんど無い。
視覚的な効果、もっと分かりやすく言えば、死霊などのキャラクターの見た目で怖がらせようとしている部分が非常に大きい。
脊髄炎になったレイチェルの姉ゼルダなどが、その典型的な例だろう。

ゲイジが復活してからは、「殺人鬼が襲ってくる」という単純なホラー映画になる。
でも、残り時間30分ぐらいになってから、その手のホラーに持っていかれてもなあ。
もっと早く、そこへ持っていくべきじゃないの?
そこまでの展開は、ホラーという感じが薄いし。

本質的には「家族の死を受け入れられるか」というシリアスなテーマを持ったヒューマンドラマなんだろうけど、それをチープなホラー仕立てにしてしまったわけね。
そして本編が終わると、およそ似つかわしくない、お気楽な曲が流れてくる。
ま、スティーヴン・キングの原作そのものがB級テイストに溢れているのだから、それを映画化すればB級ムーヴィーになるのは当然のことかもしれない。


第10回ゴールデン・ラズベリー賞

ノミネート:最低オリジナル歌曲賞「(I Don't Wanna Be Buried In A) Pet Sematary」

 

*ポンコツ映画愛護協会