『パーフェクト ストーム』:2000、アメリカ
1991年10月、マサチューセッツ州の港町グロスター。ビリー・タインが船長を務めるアンドレア・ゲイル号が帰港した。ここ最近、アンドレア・ゲイル号は芳しくない水揚げが続いている。一方、女船長リンダ・グリーンロウのハンナ・ボーデン号では、大漁が続いている。船主のボブから嫌味を言われたビリーは、2日後に再び漁に出ることにした。
アンドレア・ゲイル号の船員はビリーの他、ボビー、マーフ、サリー、バグジー、アルフレッドの5人だ。ボビーは恋人クリスティーナとの新生活を始めようとしており、そのための金を必要としている。バグジーは酒場でアイリーンという女に声を掛け、一緒に酒を飲んだ。マーフとサリーは仲が悪く、つまらないことで言い争いになってしまう。
アンドレア・ゲイル号は出港したが、思ったほど漁獲量が上がらない。ビリーは遠洋に船を向かわせ、見事に大漁という結果を得た。だが、その頃、テレビ局の気象予報士トッドは、付近でハリケーンが発生しており、進路にある爆弾低気圧と寒冷高気圧に衝突すれば、観測史上例のない大嵐が発生することに気付いた。
ビリー達は嵐の接近を知っていたが、製氷器が壊れたため、嵐の通過を待っていると魚が腐ってしまう。彼らは嵐を突っ切って港へ向かうことにした。リンダは無線で嵐の通過を待つよう告げようとするが、アンドレア・ゲイル号のアンテナが折れて通信が不可能となった。リンダは、沿岸警備隊に連絡を入れ、出動を要請した。
一方、ヨットでレジャーを楽しんでいた人々が、嵐に巻き込まれた。メリッサは船長の指示に逆らって、救助を要請した。空軍の救助ヘリが現場に駆け付け、軍曹のジェレミー達がヨットのクルーを救助した。救助ヘリはメリッサ達を巡視船に下ろした。
救助ヘリはアンドレア・ゲイル号の救助に向かおうとするが、燃料が乏しいため、空中給油を行おうとした。だが、激しい嵐の中での空中給油は失敗に終わる。救助隊員は燃料の切れたヘリから海に飛び込み、巡視船の救助を待つことにした…。監督はウォルフガング・ペーターゼン、原作はセバスチャン・ユンガー、脚本はビル・ウィットリフ、製作はポーラ・ウェインスタイン&ウォルフガング・ペーターゼン&ゲイル・カッツ、製作協力はアラン・B・カーティス&ブライアン・マクナルティー、製作総指揮はバリー・レヴィンソン&ダンカン・ヘンダーソン、撮影はジョン・シール、編集はリチャード・フランシス=ブルース、美術はウィリアム・サンデル、衣装はエリカ・エデル・フィリップス、視覚効果監修はステファン・ファングマイヤー、音楽はジェームズ・ホーナー。
出演はジョージ・クルーニー、マーク・ウォールバーグ、メアリー・エリザベス・マストラントニオ、ジョン・C・ライリー、ダイアン・レイン、ウィリアム・フィクトナー、ジョン・ホークス、アレン・ペイン、カレン・アレン、ボブ・ガントン、クリストファー・マクドナルド、ダッシュ・ミホック、ジョシュ・ホプキンス、マイケル・アイアンサイド、チェリー・ジョーンズ、ラスティー・シュワイマー、ジャネット・ライト他。
実際に起こった海難事故を基にした災害映画。
ビリーをジョージ・クルーニー、ボビーをマーク・ウォールバーグ、リンダをメアリー・エリザベス・マストラントニオ、マーフをジョン・C・ライリー、クリスティーナをダイアン・レイン、サリーをウィリアム・フィクトナー、バグジーをジョン・ホークス、アルフレッドをアレン・ペイン、メリッサをカレン・アレンが演じている。序盤、出航前の漁師達の様子が描かれる。そこでは、マーフに別れた妻と息子がいるが今も関係は良好であること、ボビーには母親や結婚を約束した相手がいること、バグジーはアイリーンと出会って悪くない関係になったことなどか示される。
主人公のビリーに関しては、離婚した妻との間に生まれた2人の娘の写真が映るだけで、最初から待っている人間の存在は示されない。サリーに関しても、家族の姿は描かれない。アルフレッドに至っては、そもそもキャラクター設定が空っぽだ。出航までには30分ほどの時間が割かれており、ここでボビーやマーフやバグジーには待っている人がいることが示される。しかし、ここでの人間関係が、後半に「愛する人の元へ戻りたい」という“生への執着”に繋がっていくのかというと、全く繋がらない。
嵐が発生してしまうと、そこからはパニックの連続となり、その中で人間ドラマを描く余裕は残っていない。人間ドラマなんかに時間を割いている暇があったら、CGを見せるよ、ってな感じ。前半で描いた人間模様は、だから後半は何の役にも立っていない。出航してから嵐に襲われるまでには、かなりの時間がある。それまでの時間を利用して人間ドラマを描くのかと思いきや、せいぜいマーフとサリーの関係に触れる程度。途中でボブの母やクリスティーナの様子が挿入されるシーンは何度かあるものの、船の上でボブやマーフ達が愛する者について語ったり思い出したりする様子は見られない。
さすがにマーフとサリーのケンカだけでは、嵐まで時間が持たないと思ったのか、ボビーがサメに襲われるとか、マーフが海に落ちるとか、嵐とは無関係な部分でハプニングを用意する。それを使って漁師の絆を描きたいのかとも思ったが、そうでもないようだ。
途中で気象予報士のトッドが何度か登場し、嵐の危険について考える様子が描かれる。だが、彼をクローズアップする意味など全く無い。パーフェクト・ストームの接近を示したいのであれば、「クリスティーナやアイリーンがテレビで天気予報を見る」という形で済む。中盤辺りから、ヨットに乗っているメリッサ達が登場する。しかし、メリッサ達がアンドレア・ゲイル号と関わることは全く無い。彼女達の存在は、嵐の脅威を描くことと救助隊員の活躍を描くこと、この2つの意味においてのみ成立している。
救助隊員はヨットの面々を救出し、空中給油を試み、ヘリから脱出し、巡視船の救援を待つ。ここまでが、嵐に襲われるアンドレア・ゲイル号の様子と並行して長々と描かれる。救助隊員はヨットの面々と同じく、ビリー達と絡むことは全く無い。これは、「無謀な行動を取った漁師さん達が、愚かだったので全滅しました」という話だ。勇敢に自然に立ち向かった人間が、自然の脅威に敗れ去るのであれば、敗者の美学もあるだろうし、感動的にも思えたかもしれない。
しかし、ビリー達はバカなだけだから、同情も共感も全く出来ない。
自業自得だから、死んでも仕方ないとしか思えない。完全なネタバレだが、最後に「ビリー達は全滅しました」というオチが来る。必死に嵐と戦ったあげくに、誰も助からないのだ。嵐と戦った充実感も達成感も無く、徒労感だけが残される。実話を基にしていることが、大きなマイナスになっているのではないだろうか。
生存者がいないということは、実際に何が起こったのかを語った者は存在しないということだ。ならば、劇中で描く内容も、かなり自由に脚色できるはずだ。もし事実と違っていても、誰も指摘する者はいない。それにしては、嵐の場面でさえ単調で飽きてくる。しかし、どうやらペーターゼン監督、原作者に対して「あなたの書いた通りの内容にする」と約束してしまったらしい。バカな約束をしたもんだ。監督曰く、「決断」を描いた作品らしいが、最初の決断が間違ってるんだから(男のバカな見栄っ張り)、どうしようもない。漁師ではなく救助隊員が主人公なら、まだ何とかなったと思うのだが。
「欲にかられて無謀な行動を取った漁師が嵐に巻き込まれて全滅した」という話を、どうして映画化しようと思ったのかサッパリ分からない。嵐を見せたいというのなら、完全なフィクションの方がいいはずだし。ノンフィクションを描くにしても、無謀な漁師よりも勇敢なレスキュー隊員を主役に据えた方が、絶対に面白くなった。これは断言できる。
第23回スティンカーズ最悪映画賞
ノミネート:【最もでしゃばりなメジャー映画の音楽】部門