『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』:1998、アメリカ

1969年、ハリファックス病院の神経科に、自殺癖のあるハンター・アダムスがやって来た。本人の意思で入院することにしたのだ。入院患者の老人は、いきなり4本の指を突き出して「何本だ?」と問い掛けた。ハンターが「4本」と答えると、彼は「イカれてる」と呆れたように告げて立ち去った。ハンターと同室のルディーは、3週間もベッドから離れていないという。個室を望んだハンターだが、それは認められなかった。ルディーがリスの幻覚を見て喚き始めたので、アダムスは慌ててスタッフを呼んだ。
プラック医師の面談を受けたハンターは、饒舌に喋る。しかしプラックは無表情のまま事務的にメモを取るだけで軽く受け流し、「順調に介抱へ向かっている。次はグループ療法に参加したまえ」と言うだけだった。ハンターは病院のスタッフから、自分に「何本だ?」と声を掛けて来たのが大物実業家のアーサー・メンデルソンだと知らされた。ハンターはアーサーの病室へ行き、「指の質問、正解は?」と質問する。ハンターがコップの穴に気付いてシールで塞ぐと、アーサーは彼の腕を掴んで4本の指を広げさせた。
アーサーはハンターに、「問題ばかり見ていたら解決できないぞ。目の前にある物じゃなく、私を見ろ。指の向こうに焦点を合わせろ」と告げる。ハンターの視界がぼやけると、指は8本に見えた。「8本」とハンターが答えると、アーサーは「誰もが見えないと決めている物を見るんだ。世界を見直せば毎日が発見だ。君ならそれが出来る」と言う。そして紙コップのシールから、「パッチ」というニックネームを彼に与えた。
深夜、パッチはルディーはリスの幻覚に怯え、なかなかトイレに行けずに困っているのを目にした。そこでパッチは自分もリスが見える芝居をして空想の銃やバズーカで撃ち、ルディーは無事にトイレへ行くことが出来た。「ちゃんと勉強して、心に問題を抱えている人を助けたい」と考えたパッチは、「退院は許可できない。まだ君には幾つかの問題点がある」と言うプラックの診療方法を批判し、勝手に退院することにした。
2年後、パッチはヴァージニア医科大学に入学し、ミッチ・ローマンという男とルームメイトになった。ジョージタウン大学で最優秀科学技術賞を獲得したミッチは、パッチを見下すような態度を取った。最初の講義でウォルコット学部長は、「患者を傷付けてはならない。ただし医者の使命は、冷酷かつ無情に人間性を排除することだ。そして、より良い物を取り込むことだ」などと話す。しかしパッチは彼の演説よりも、女子学生のカリンが気になっていた。
講義の後、パッチは「3年生になるまで患者と接触できないなんて変だと思わない?」とカリンに声を掛けるが、「デートならお断りよ。ここへは勉強に来てるの」と冷たく告げられた。その様子を見ていたトルーマンという学生と、パッチは仲良くなった。パッチは「人間性を捨てろ」というウォルコットの演説や3年生になるまで患者と接触できない学校の規則に対する不満を、トルーマンに熱く語った。
人間の精神構造に興味があるというトルーマンに、パッチは「刺激を与えると人間は同じ反応を示さない」ということを証明する実験を見せる。そして「大切なのは、どうやって病気を治すかではなく、患者を治すかだ。それには人間を学ぶ必要がある」と述べた。パッチは会員に成り済まし、トルーマンを引き連れて精肉協会のパーティーに参加した。壇上に立ったパッチは、巧みな弁舌で会員の気持ちを掴む。会員は喝采を送り、パッチに白衣を着せる。その時、パッチは「白衣を着れば3年生に成り済ますことが出来る」と確信した。
白衣を着たパッチとトルーマンは3年生に紛れ込み、イートン医師の回診に同行した。トルーマンと別れて病院に残ったパッチは、看護婦のジョレッタたちと話す。ジョレッタはパッチの前で、医者の傲慢な態度に対する不満を口にした。305号室が気になったパッチに、彼女は末期のすい臓癌患者であるビル・デイヴィスがいることを告げて「入ったらアンタが先に死ぬわよ」と警告した。小児病棟へ赴いたパッチは、ベッドにいる子供に話し掛けた。赤い浣腸用バルブを鼻に付けたパッチは、器具を使った芸で子供たちを楽しませた。だが、病室を出たところでウォルコットに見つかり、「夢や理想だけでは医者にはなれない。私に従うんだ」と告げられる。
パッチがトルーマンやミッチ、女学生のアデレインと勉強会を開いていると、アデレインのルームメイトであるカリンも参加した。しかしパッチが本を読まずに自分の疑問や意見について喋り続けるので、カリンはすぐに立ち去った。バッチはウォルコットの注意に従わず、その後も内緒で病院に出入りした。子供たちは喜び、ジョレッタたちも彼に好感を抱いた。成績が発表されると、カリンは79点、パッチは98点だった。パッチは彼女の前で浣腸用バルブを鼻に付け、「これで全ての患者が笑ってくれた。患者と同じ夢や幻想に生きるんだ。それが成功した時、患者は命の炎を燃やす。その瞬間、痛みを忘れる」と語った。
パッチは「僕の計画を手伝ってほしい」と持ち掛け、カリンは同意した。その夜、パッチ、カリン、トルーマンの3人はジャック老人の病室へ侵入し、風船で作った動物を飛ばした。サファリが好きなジャックは、風船をゴム鉄砲で撃って充実感に包まれた。同室のマギーにも、パッチは夢を尋ねた。するとマギーは、「子供の頃、ママがスパゲッティーを作る時にボール一杯の麺を置いて、自由に遊びなさいと言ったわ。それ以来、水の代わりにヌードルを入れたプールで泳ぎたいと思っていたの」と語った。
別の日、パッチはビルの病室へ入り、何か力になれることはないかと問い掛けた。ビルは「お前の自己満足に利用されるのは御免だ」と声を荒らげ、パッチを追い出した。パッチは病院への出入りを続けていることをウォルコットに知られ、「ピエロやお節介な友達は、患者には必要ない。必要なのは医者だ。病院には立ち入り禁止だ」と告げられる。「プライベートな見舞いはどうなるんです?」とパッチが反発すると、ウォルコットは「プライベートと言えば、君の成績は疑わしいという噂がある。成績はトップなのに勉強している様子が無いと」と述べた。
ミッチが密告したと確信したパッチは、彼を激しく非難した。ミッチが笑って受け流すと、パッチは「どこまで横柄なんだ。そんな奴が、なぜ医者になった?父親や祖父が医者だったから、医者の血が流れてるとでも言いたいのか」と責める。ミッチは「その通りだ。そういう環境で育った。来る日も来る日も病院で人の死と直面する。それがどれだけ大変なことが僕は知ってる。君には分からない。これはゲームじゃない。人生を賭けたビジネスだ。僕は絶対に医者にならなければいけない」と述べた。
パッチは3年生まで患者に接することが出来ないというルールを変えるため、州の医学委員会に掛け合ってみようと考える。トルーマンが「従った方がいいよ」と諭しても、パッチの考えは変わらなかった。彼はウォルコットの指示に従わず、また病院へ赴いてデイヴィスの元へ行く。天使の格好をしたパッチが「死」を意味する言葉を立て続けに喋ると、ビルも乗って来た。ビルは笑みを浮かべ、パッチは彼を病室から連れ出した。
研究セミナーが大学で開催されることになり、ウォルコットは産婦人科の権威たちを迎える代表にパッチを指名した。参加者を馬鹿にするような歓迎のアイデアを提案したパッチに、カリンもトルーマンもアデレインも協力を拒んだ。しかしパッチは構わず、大股を開いた女のオブジェで講堂の入り口を飾った。腹を立てたウォルコットは放校処分を通達するが、パッチはアンダーソン学長に直談判した。パッチの療法で患者の生活態度が向上したという報告が来ていたこともあり、学校に残すことにした。アンダーソンはパッチに、「今後、病院に入るのは授業の一環として許された時だけだ。管理責任者の許可を貰え」と告げた。
カリンの誕生日、パッチは彼女のためにパーティーを開いた。カリンは感激し、彼にキスをした。浮かれた気分で病院へ赴いたパッチは、ビルが死の間際にあることをジョレッタから知らされた。パッチはビルに頼まれて歌を歌い、彼を看取った。病院を去ろうとしたパッチは、ある女性が受付でパニックになっている様子を目にした。彼女は交通事故で夫を亡くし、娘は意識不明の重体に陥っている。看護婦は「書類に記入しなければ面会できないんです」と説明するが、錯乱している彼女の耳には入っていなかった。
パッチはトルーマンと一緒にダイナーへ行き、病院で見た出来事を語る。「娘が死にそうなのに、なぜ母親が受付にいなきゃならない?」とパッチが苛立ちを語ると、ウェイトレスや常連客も病院のシステムに対する不満を口にした。あるアイデアを思い付いたパッチはカリンの元へ走り、「今までに無い新しい病院を作るんだ」と告げる。「ユーモアで患者の心を和らげる無料の病院」に関する具体的な案を説明したパッチに、カリンは「実現できない妄想よ。貴方の生き方はロマンティックだけど、みんなが貴方のように強いわけじゃない」と言う。心の傷を抱えている様子を示すカリンだが、それをパッチが聞き出そうとすると、彼女は無言で立ち去った。
3年生になったパッチは、アンダーソンの問診に同行する。アンダーソンが患者に「何本に見える?」と指を見せているのを目にした彼は、アーサーのことを思い出した。パッチはカリンを車に乗せて自然が広がる場所へ連れて行き、そこに病院を建てる計画を語る。その辺りは全て、アーサーの土地だった。購入できるようになるまで、アーサーが無料で貸してくれるのだとパッチはカリンに説明した。敷地内の小屋を改装したパッチは、トルーマンとカリンにも手伝ってもらい、学生の身分でありながら診療を開始した…。

監督はトム・シャドヤック、原作はハンター・ドハーティー・アダムス&モーリーン・マイランダー、脚本はスティーヴ・オーデカーク、製作はバリー・ケンプ&マイク・ファレル&マーヴィン・ミノフ&チャールズ・ニューワース、共同製作はスティーヴ・オーデカーク&デボラ・ムース=ハンキン、製作総指揮はマーシャ・ガーセス・ウィリアムズ&トム・シャドヤック、製作協力はアラン・B・カーティス&アレグラ・クレッグ、撮影はフェドン・パパマイケル、編集はドン・ジマーマン、美術はリンダ・デシーナ、美術はジム・ネッザ、衣装はジュディー・ラスキン・ハウエル、音楽はマーク・シェイマン、音楽監修はジェフ・カーソン。
主演はロビン・ウィリアムズ、共演はモニカ・ポッター、ダニエル・ロンドン、フィリップ・シーモア・ホフマン、ボブ・ガントン、イルマ・P・ホール、ジョセフ・ソマー、ピーター・コヨーテ、マイケル・ジェッター、ハーヴ・プレスネル、リチャード・カイリー、ハロルド・グールド、ジェームズ・グリーン、フランシス・リー・マッケイン、ダニエラ・クーン、ブルース・ボーン、ハリー・グローナー、バリー・“シャバカ”・ヘンリー、ダグラス・ロバーツ、エレン・アルベルティーニ・ダウ、アラン・テュディック、ライアン・ハースト他。


クラウンドクターのハンター・キャンベル・アダムスが医科大学を卒業するまでの実話を基にした作品。
DVDでは『パッチ・アダムス』というタイトルになる。
監督のトム・シャドヤックと脚本のスティーヴ・オーデカークは、『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』に続いて2度目のコンビ。
パッチをロビン・ウィリアムズ、カリンをモニカ・ポッター、トルーマンをダニエル・ロンドン、ミッチをフィリップ・シーモア・ホフマン、ウォルコットをボブ・ガントン、ジョレッタをイルマ・P・ホール、イートンをジョセフ・ソマー、ビルをピーター・コヨーテ、ルディーをマイケル・ジェッター、アンダーソンをハーヴ・プレスネル、アーサーをハロルド・グールドが演じている。

パッチは「刺激を与えると、人間は同じ反応を示さない」ということを証明するための実験を見せるが、それは「こんにちは」と街を歩く人々に呼び掛けて反応を見るとう内容だ。
その最初にパッチは、鉄柱にぶら下がって逆さまの状態で老女に「こんにちは」と言う。老女は驚いて「こんにちは」と言い、歩き去ってから10秒後に振り返って笑顔で「こんにちは」と言う。
それはパッチ曰く、実験の成功らしい。
だけど、それは不可解だわ。
あんな風に挨拶されたら、普通は「危ない奴」と思うんじゃないかと。で、そんな危ない奴に、わざわざ振り返って笑顔で「こんにちは」と言うかなあ。

精肉協会のパーティーにおける演説なんかを見ていると、「ホントに2年前まで自殺未遂を繰り返していた男なのか」と思ってしまう。
まあ「躁」の状態と考えれば納得できないことはないけど、どうも「主演がロビン・ウィリアムズである」ということが強く出過ぎているような印象を受けるんだよな。
彼のショーケースとして、そういうシーンが用意されているんじゃないかと思ってしまうのだ。
それにクラウンドクターの資質って、そういうことじゃないような気がするんだよなあ。

実話が基盤になっているとは言え、たぶん事実と異なる部分は多いはずだ。
そもそも主演がロビン・ウィリアムズという時点で、多くの嘘をつかないと成立しなくなる。なぜなら、実際のハンター・キャンベル・アダムスがヴァージニア医科大学に入学したのは22歳の時だからだ。
ロビン・ウィリアムズは当時47歳だから、さすがに22歳の役を演じるというのは無理がある。
それと、実際のアダムスは18歳で退院した時に、既にクラウンの格好で人々に楽しんでもらう活動を開始しているらしい。
その辺りも映画での描写とは異なっている。

ただ、「そんなに無理をしてまでロビン・ウィリアムズを主演に据えたことは、果たして良かったのか」という部分には大いに疑問が残る。
「47歳で医科大学に入学した」ということになると、その部分が既に「医学の世界でも珍しいケース」ということになるのではないか。
だから、それだけで1つのドラマが出来上がるんじゃないかと思うのだ。
でも、どうやら劇中の描写からすると、そこまでオッサンの設定でもなさそうなんだよな。

ただし「ベーブ・ルースは39歳でヤンキースに入団した(正解は25歳)」と言っているので、アラフォーだと仮定しても、パッチが入学早々に若い女学生のコリンを口説くシーンなんかは違和感があるのよ。
っていうか、ちょっと気持ち悪い。
それに、そんなことをしている暇があったら、もっと医学に集中しろと言いたくなるし。
他の学生よりもスタートが遅いんだから、人一倍の努力が必要なはずでしょうに、ノホホンと恋にうつつを抜かしている場合じゃねえだろと言いたくなるぞ。
「デートならお断りよ。ここへは勉強に来てるの」というコリンの反応は正しいよ。決して冷たい女というわけではない。

「18歳で考えが変わり、新たな医療を目指すことにした」という話と「アラフォーで考えが変わり、新たな医療を目指すことにした」という話では、まるで違う内容になるはずだ。
若者であれば、「まだ人生経験が浅くて世間知らずな部分も多く、青臭い理想主義ゆえに問題にぶち当たることもあるが、情熱で立ち向かっていく」という筋書きでもいいだろう。
しかし主人公がオッサンなのに同じことをやると、「もう人生経験も豊富だろうに、もっと賢明な行動を取れよ」と言いたくなってしまう。

この映画を見て感じたのは、パッチの行動が軽率で思慮深さに欠けているということだ。
これが若者であれば、「未熟さゆえに仕方の無い部分もある」と捉えられたかもしれない。
だが、「生経験が豊富なオッサンが思慮深さに欠ける行動ばかり取っていると考えたら、そこに不快感を抱いてしまう。
そういう意味でも、やはりロビン・ウィリアムズがアダムスを演じているというのは大きなマイナスなのだ。

ただし、もしも若い俳優がアダムスを演じたとしても、それで全てが解決するわけではない。この映画には、他にも大きな問題がある。
それは、アダムスの軽率な行動や愚かしい行動が、糾弾も否定もされないということだ。むしろ、まるで素晴らしい行動であるかのように描写されている。
そこは全く賛同できない。
たまたまルール違反の行動がプラスに作用してばかりで、特に何の問題も生まなかったからと言って、それを優れた行為として全面的に称賛するのは納得しかねる。

3年生まで患者に接触できないのは、そんなに悪いことだとも思えない。それまでに、色んなことを学習すればいいだけだ。それから患者と接するようになっても、決して遅くは無いはずだ。
それと、「そんなルールは間違っている」と感じたとしても、ルールはルールとして存在するのだから、それを破ったら何かしらのペナルティーを受けるべきだろう。
特に、病院で勝手に患者たちと触れ合うのは、結果的には何も無かったからいいけど、もしも何かトラブルが起きていたら責任を取れないだろうに。
ようするに、彼の行為は無責任で身勝手な行為でしかないのだ。

「君は頭脳明晰で自分は世間一般のルールや慣習に従う必要は無いと思っているらしいね」というウォルコットの言葉に対して、パッチは「でも自分がしてもらいたいことは人にもしてあげるという神のルールにはみんなが従っています」と口にする。
だが、それは思い上がりにしか感じられない。
自分がしてもらいたいことを、他人もしてほしいとは限らない。
例えば、自分がキリスト教を信じていたとして、ヒンズー教徒にキリスト教の教えを説くのは、正しい行いとは言えないでしょ。

勉強会でふざけた態度を取るのも、カリンたちの邪魔をしているだけだから、単純に不愉快だ。
その後もパッチは「なぜ患者を名前で呼ばないのか。誰がそんなルールを作った」といった勉強会に無関係なことをベラベラと喋り続けるのだが、それも「別の時にやれよ」と言いたくなる。
そこは勉強会の場所であり、他の学生たちは落第しないために頑張ろうとしているんだから、それを邪魔するなよ。

授業のシーンでも、他の生徒たちが真面目に取り組んでいるのに、パッチは骸骨でふざけてカリンの邪魔をする。そうやって邪魔しておいて、テメエは成績優秀なんだから、やっぱり嫌な奴でしかないだろ。
で、そのくせ、「成績が優秀だった」というだけでカリンがパッチを受け入れ、好感を抱くんだから、なんだそりゃと思ってしまうよ。
成績が良ければ、それまでの行為が全て許されるわけじゃないだろ。
むしろ「自分は成績優秀だから授業を真面目に受けず、他人の邪魔をする」って、サイテーな奴じゃねえか。

あと、なぜ勉強していないのにパッチの成績がトップクラスなのかという部分については、答えが用意されていないんだよな。
「実は密かに勉強していた」という描写を入れるだけで済むことなのに。
ただし、その説明を入れたとしても、パッチが勉強会や授業で他の生徒を妨害する行為が正当化されるわけではないけどね。
どっちにしろ、「テメエさえ良ければ他の奴の邪魔をしてもいいのかよ」という部分の不快感は消えない。

なんで、そういう不快感の強い身勝手なキャラクターにしちゃったのかなあ。
クラウンドクターとして、普通の医者とは異なるアプローチで患者と接することを選択するってのは一向に構わないし、そこに笑いを取り入れようってのも理解できるのよ。
ただし、患者と接する時に医者らしからぬ砕けた態度を取るのと、授業中にふざけた態度を取るのは、まるで別だからね。
あと、自分が「医者はこうあるべきだ」と考えたからって、それを周囲に押し付けたるのは単なるエゴイズムに過ぎないからね。

パッチはミッチを「横柄なクソ野郎」と批判するが、それに対してミッチは「人が救えない患者を救うためには、何かを犠牲にしなければならない。君のように幼稚園の先生気取りで楽しむことだって出来る。でも僕は勉強する。それは、あらゆる状況で正しい判断を下し、患者を救うためだ。僕は横柄なクソ野郎かもしれないが、みんなに訊いてみろ。死にそうになった時、傍にいてもらいたいのは幼稚園の先生じゃなく、クソ野郎の医者なんだよ」と反論する。
その言葉は、どうやらパッチの心には全く響いていない。完全に否定的な考えのようだ。
しかし私は、ミッチの全面的に賛同する。
それは本作品が抱えている、致命的な欠陥だと思う。

パッチ・アダムスの抱えている問題点は、「自分の考え方は全面的に正しく、ミッチのような医者は全面的に間違っている」という頑固な考えを持っているということだ。
だが実際には、我々が病院の世話になる大抵のケースで求めているのは、ミッチのように「ちゃんと勉強して医学を学び、怪我や病気を医術によって治療してくれる」というタイプの医者なのだ。
クラウンドクターが必要なのは、心のケアが必要な一部の患者に限られるだろう。
「世界中の全ての医者がクラウンドクター」なんて状況は、誰も望まないはずだ。

それと、パッチが「医者になって人を救いたい」と考えて医大に入学したはずなのに、ウォルコットの命令に逆らってばかりいるのも納得しかねる。
そんなことを繰り返していたら、処分を受けるのは当然のことだ。
厳重な処分が下れば、退学になることだって考えられる。
それは「医者になる道を断たれる」ということを意味するわけで、トルーマンたちがルールに従うよう諭し、セミナー参加者を不愉快にするようなアイデアに乗らないのは当たり前だ。

セミナーのアイデアに関しては、パッチ本人は「ユーモア」と言っているけど、ウォルコットの「君のしたことに弁解の余地は無い。大事なゲストを馬鹿にする無礼な行為だった」という意見が正しいしね。
たまたま参加した医者たちが好意的だったから助かっただけで、そこは御都合主義しか感じないし。
パッチはアンダーソン学長に「僕は卒業したいんです」と言うけど、だったらルールには従うべきでしょ。
「僕の成績は平均以上です」というのを学校に残るべき根拠として挙げるけど、成績で判断してくれというのは、さんざん学校のシステムを批判してきた奴の主張とは思えないぞ。

パッチが「夢に溢れた無料の病院」のアイデアを説明した時、カリンは「実現できない妄想よ」と批評する。
何よりも、「無料で診察が受けられる」というのは、あまりにも非現実的だ。
それに対してパッチは「絶対に実現できる」と自信たっぷりに言うが、じゃあ実際にどうやって実現したのかというと、アーサーに資金と土地を提供してもらうのだ。
「たまたま金持ちのパトロンがいたから資金面の問題は全て解決した」ってのは、あまりにも都合が良すぎるでしょ。

実際のパッチは、数年間は他の仕事で稼いで資金を捻出し、その後は寄付で賄うという運営をしていたらしいから、それなら理解できる。
でも映画で描かれるニセモノのパッチ・アダムスは、夢を実現するための苦労を全く経験していない。
ルールに逆らっても理解ある学長に守ってもらい、その医療方法を続けることが認められる。病院を建てる金は無いけど、すぐに資産家のアーサーが助けてくれる。
ちっとも壁にぶち当たらないのだ。

まだ学生の身分なのにパッチが医者としての診療を開始するってのは、やはり無責任な行動にしか思えない。「なぜ医師の資格を取るまで待てないのか」と言いたくなる。
医療品を大学病院から盗み出しているけど、そんなことをしなきゃ運営できない病院なんて、マトモな病院じゃないし。鬱病患者のラリーがカリンを殺害して自害するという事件が起きるのも、責任の一端はパッチにある。
だが、「カリンの死」という悲劇に直面したパッチが反省するのかと思ったら、まるで反省しない。それどころか、一匹の蝶を見ただけで「これはカリンの生まれ変わりだ。彼女は僕が医療の道を続けることを望んでいるんだ」と自分に都合のいい妄想を膨らませる。
カリンの死は「無駄死に」にしか思えないほど、ものすごく軽く扱われる。

学生の身分で勝手に病院を運営し、大学病院の医療品を盗み、スタッフが患者に殺されるという事件まで起こしているんだから、そりゃあパッチの元に退学処分の通知書が届くのは当然と言えよう。
しかしパッチは、自分が正しいと思い込んでいる。だからウォルコットを糾弾し、許可も無いのに勝手に自分の記録を持ち出す。
パッチは「ウォルコットが自分を嫌っているから退学にされるだけで、本当ならば退学にならない」と信じているけど、そんなことは無い。
彼の行為は法律違反であり、明らかに退学に値する。

またパッチは「成績がトップだから退学は間違っている」という考えに凝り固まり、医学委員会に訴え出る。
すると、なぜか審査員たちはパッチの弁舌に丸め込まれ、無免許医の彼が医療行為をやったことを認めてしまう。
いやいや、アホかと。それを認めたら、医療の信頼に関わるだろうに。
そこは「熱意は認めるけど、やり方が間違ってる」という形に収めるべきなのよ。
「それだとパッチ・アダムスの実話に反する」ということになるかもしれないけど、それ以外の部分でも事実とは大いに食い違っているからね。

(観賞日:2014年7月6日)


第21回スティンカーズ最悪映画賞(1998年)

ノミネート:【最悪な総収益1億ドル以上の作品の脚本】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会