『パッション』:2012、ドイツ&フランス

大手広告代理店のベルリン支社長を務めるクリスティーンは、部長のイザベルと組んで新作スマートフォン“オムニフォン”の広告手法を練っている。イザベルはクリスティーンと親密に付き合っており、彼女の家に招かれて酒を酌み交わす。そこへクリスティーンの部下で彼女と交際中のダークが来たので、イザベルは立ち去ることにした。クリスティーンは「外は寒いから」と自分のスカーフを彼女に巻いてやり、「いいチームになれる。愛してるわ」と頬にキスをする。
イザベルは深夜にアイデアを思い付き、助手のダニと共と連絡を取る。クリスティーンはダークと体を重ね、激しい情事にふける。翌朝、クリスティーンの元へ赴いたイザベルは、ダニと一緒に作成したプロモーション映像を見せる。クリスティーンは少し映像を見ただけで、自分が行く予定だったロンドンのプレゼンをイザベルに任せることにした。イザベルはダークやダニと共にロンドンへ出張し、プレゼンを成功させた。
ダニから「高級レストランでお祝いしましょう」と誘われたイザベルは、「今日は疲れたからルームサービスを頼むわ」と断った。街に出たダニは、イザベルがダークとレストランで楽しそうに食事を取る様子を目撃した。イザベルはダークとホテルへ行き、関係を持った。ロンドンへ戻ったイザベルは、クリスティーンと共にコッチ社長からの連絡を受ける。「素晴らしい案だった。海外展開も考えている」という社長の言葉を受けたクリスティーンは、「夜中にひらめいたんです」と自分がアイデアを思い付いたように話した。ニューヨーク本社に復帰するよう誘われた彼女は、前向きに考える意思を示した。
顔を引きつらせているイザベルに、クリスティーンは「横取りされたと思ってる?この席に座ったら、貴方も同じようにすればいい。以前から本社に戻りたかった。そのチャンスを掴んだだけで、裏切りじゃないわ」と悪びれずに語った。クリスティーンはイザベルを誘い、ファッション・ショーのリハーサルを見学する。彼女はイザベルに赤い靴をプレゼントし、「昔は憧れてほしかった。今は愛してほしい」と告げて唇にキスをした。
クリスティーンはイザベルを連れてパーティーに出掛け、「貴方の出番よ。あそこにいる髪の薄い男性は会社の大事な顧客なの。落とせば貴方の客になる」と告げる。困惑するイザベルだが、クリスティーンに促されて男性に話し掛ける。その間にクリスティーンは、ダークとは別の恋人であるロルフから声を掛けられる。男性に相手にしてもらえなかったイザベルは、ベタベタしてくるロルフに困っているクリスティーンを見た後、会場にやって来るダークに気付いた。
イザベルはクリスティーンに「体調が悪いので帰ります」と嘘をつき、ダークの車で彼の家へ赴いた。ダークとセックスしたイザベルは、クリスティーンとの情事について尋ねる。ダークはクリスティーンとの情事で使っている小道具の仮面やセックス用品を見せ、「要望には全て応じている」と話す。イザベルがスカーフのことを言うと、彼は「あれは俺の物だ」と告げた。翌日、クスティーンはイザベルに、「まだ怒ってるの?私は貴方を愛してるわ」と言う。それから彼女は、クラリッサという双子の姉がいたこと、6歳の時にトラックにひかれそうになった自分を助けて死んだことを語った。彼女が泣きながら「それ以来、家族から愛してると言われなくなった」と漏らすと、イザベルは同情して「愛してるわ」と告げた。
クリスティーンはダークと2人になり、会社の金を横領している問題を解決するよう求めた。数ヶ月の猶予を求めるダークに、彼女は「1週間で収支を合わせて。本社の監査が入るわ」と通告して不正を暴露する予算書を見せた。イザベルはダニから、本社が広告をプロの俳優で取り直すと決めたという極秘情報を知らされる。軽く受け流すイザベルに対し、ダニは憤慨した様子で「私ならネットに流して、あの広告の効果を証明します」と主張した。
イザベルは焦っている様子のダークとエレベーターで遭遇し、「彼女に見捨てられた」と聞かされる。「私が何とかするわ」とイザベルが言うと、ダークは「君には無理だ」と述べた。さらに彼は「君との関係も終わりにしよう」と告げ、別れを嫌がるイザベルに苛立った口調で「彼女は俺たちなんか眼中に無いんだ。電話も掛けるな」と話した。イザベルは改めてキャンペーン広告の修正案を確認し、ダニを呼んでオリジナルの広告をネットに流すことを告げた。同じ頃、クリスティーンは交際相手のマークを呼んで楽しんでいた。
イザベルがネットで公開した動画は大きな反響を呼び、彼女はコッチから称賛された。ベルリン支社を訪れたコッチは、クリスティーンに「君の才能発掘と育成の腕は素晴らしい。本社には戻さない方が良さそうだ」と告げた。コッチが去った後、クリスティーンに「なぜ?」と問われたイザベルは、勝ち誇ったような顔で「貴方から学んで、真似をしただけです。裏切ったわけではありません」と述べた。
イザベルはダークからの電話で、「クリスティーンが原因だ。君と別れるよう強制された。あいつは危険な女だ」と弁明される。「彼女の性格は双子の姉の事故が原因よ」とイザベルが言うと、ダークは「彼女に姉なんかいない。同情を誘うための嘘だ」と告げた。「辛いんだ。君が欲しい。謝るから」という弱々しいダークの言葉を聞いたイザベルは、8時に会社へ迎えに行くという彼の求めを受け入れた。
イザベルが会社で仕事をしていると、ダークから動画が添付されたメールが届いた。しかし彼女が動画を開けるとクリスティーンが現れ、「ダークなら、ここにいるわよ」と酔っ払っているダークが隣にいることを見せ付けた。さらにクリスティーンは、ある映像を観賞していることもイザベルに教える。それはダークがロンドンでイザベルとセックスした時に撮影した映像だった。イザベルは大きなショックを受け、地下駐車場で事故を起こした。
イザベルはダニから、ダークの横領をクリスティーンが暴露したことを聞かされる。クリスティーンはイザベルの事故を撮った防犯カメラの映像を社内パーティーで流し、彼女を笑い者にした。さらに彼女は、イザベルが自分に対して「私を侮辱させたことを後悔させる」というメールを送ったように偽装した。彼女は自分が捏造したメールをイザベルに突き付け、「私じゃありません」という弁明を無視した。イザベルはダニや同僚の前で、精神安定剤に頼る様子を露呈するようになった。
ダニはイザベルが席を外している隙に薬を調べ、机の引き出しに仮面が入れてあるのを発見する。クリスティーンはダニと2人になり、「貴方はイザベルが欲しいんでしょ。レズビアンの考えなんてお見通しよ」と告げた。ダニはクリスティーンから辞職を迫られるが、断固として拒否した。するとクリスティーンは性的暴力を受けた芝居をして、「どっちの話を周囲が信じるかしら?」と脅しを掛けた。
クリスティーンは悪酔いして自宅に来たダークを立ち去らせた後、「鍵は掛けないで」というメモが貼ってあるのに気付いた。彼女は鍵を掛けずにシャワーを浴びている間に、何者かが屋内へ侵入した。目隠しで来訪者を迎えたクリスティーンだが、ナイフで刺殺されてしまう。翌朝、睡眠薬で意識が朦朧としているイザベルはバッハ警部の訪問で起こされ、事件のことを知らされた。クリスティーンがスカーフを握っていたこともあり、イザベルは容疑者として追及される。イザベルは犯行を自白するが、拘留された後で無実を主張する…。

脚本&監督はブライアン・デ・パルマ、オリジナル版監督はアラン・コルノー、オリジナル版脚本はアラン・コルノー&ナタリー・カルテール、追加脚本はナタリー・カルテール、製作はサイド・ベン・サイド、共同製作はアルフレッド・ハーマー、撮影はホセ・ルイス・アルカイネ、編集はフランソワ・ジェディジエ、美術はコーネリア・オット、衣装はカラン・ミューレル=セロー、音楽はピノ・ドナッジオ。
出演はレイチェル・マクアダムス、ノオミ・ラパス、カロリーネ・ヘルフルト、ポール・アンダーソン、ドミニク・ラーケ、ライナー・ボック、ベンヤミン・サドラー、ミヒャエル・ロチョフ、マックス・ウルラヒャー、ヨーク・ピンチュ、トリスタン・パター、パトリック・ヘイン、カルロ・カストロ、メリッサ・ホルロイド、イアン・ディッキンソン、ゲルノート・クーネルト、カトリン・ポリット、フランク・ウィッター、ポリーナ・セミオノワ、イブラヒム・オイク・オナル他。


2010年のフランス映画『ラブ・クライム 偽りの愛に溺れて』をリメイクした作品。
『ファム・ファタール』『ブラック・ダリア』のブライアン・デ・パルマが脚本&監督を務めている。
クリスティーンをレイチェル・マクアダムス、イザベルをノオミ・ラパス、ダニをカロリーネ・ヘルフルト、ダークをポール・アンダーソン、コッチをドミニク・ラーケ、バッハをライナー・ボック、検事をベンヤミン・サドラー、弁護士をミヒャエル・ロチョフが演じている。

まず導入部で感じるのは、「随分と慌ただしくないか」ってことだ。
映画が始まった段階で、クリスティーンとイザベルは飲んでいる。2人がスマートフォンの宣伝について話していること、クリスティーンとイザベルが上司と部下の関係だけど親友のように仲良くしていること、それどころか同性愛の匂いさえすることが描かれる。さらに、クリスティーンがダークと付き合っていること、彼女が会社のボスであることが明らかになるのが、映画開始から7分辺り。
一応、最低限の情報は示しているし、大きな手落ちがあるわけではない。しかし、キャラクター紹介や人間関係の描写は、かなり薄い。
そのことが、後の展開に影響を及ぼすことになる。

大きな問題は、ロンドンへ出張したイザベルがダークと外食し、さらに肉体関係を持つ辺りで露呈する。
まずイザベルはクリスティーンと会っているところへダークが来た際、早々に立ち去るが、それは「2人の邪魔になっちゃ悪いから」という感じだったし、特別な感情があるとすれば、それは「クリスティーンに密かな好意を寄せている」という匂いだ。というのも、そこまでの様子を見る限り、2人の距離は単なる親友にしては少し違和感があるほど近かったからだ。
しかしながら、イザベルはロンドンでダークと関係を持つ。そして、そこには何の迷いも見えない。「自分を信頼し、親友のように仲良くしている上司の恋人を寝取る」という行為に対して、全くブレーキが掛かっていない。
イザベルとダーク、どちらが誘ったのかもハッキリしない。ダークと寝た時のイザベルがどういう心情だったのか、クリスティーンに対する罪悪感はゼロなのか、そういうことは全く分からない。
イザベルというキャラクターを理解しかねる形になっている。

これが例えば、後から「実はイザベルがクリスティーンに恨みを抱いていて、策略としてダークを寝取った」という事実が明らかになるとか、そういう展開でもあるのなら、そこで彼女の心情を隠しておくのも有りだろう。
しかし本作品には、そういうミステリーが用意されているわけではない。イザベルがダークと関係を持った出来事には、何の裏も秘められていないのだ。
だから、単純に心情描写が不足しているか、もしくはイザベルが何も考えていない薄っぺらの尻軽女ってことになってしまう。
どっちにしろ、何も得は無い。

ここでイザベルを「何の葛藤もせず、仲良く付き合っている上司の恋人を寝取るような女」にしておくことは、後の展開を考えると明らかにマイナスだ。
なぜなら、その後には「イザベルがクリスティーンに手柄を横取りされ、パーティー会場でも操り人形のように使われたと誤解して腹を立てる」という展開が待ち受けているからだ。
つまり、その段階では、イザベルは「上司に利用される被害者」の色が濃くなっているべきなのだ。
しかしクリスティーンに裏切られる前にテメエの方が裏切っているので、「どっちもどっち」という印象になってしまう。そんな形にしておくことに、何の意味も無いでしょ。

っていうか、パーティー会場の描写は、「イザベルが腹を立てる」という展開に持って行く目的があるはずなのに、ものすごくボンヤリしている。
そこは一応、「男性を落とすよう促されたイザベルが行動している間に、クリスティーンがロルフから口説かれて、それを見たイザベルは彼女が男とイチャイチャするために厄介払いしたと誤解して云々」という内容として描いているようだ。
クリスティーンの「誤解よ」という弁明からすると、そういう意味合いのはずだ。
しかし、クリスティーンの弁明が無かったら、そこでイザベルが「自分は利用された」と感じたことは、かなり分かりにくい。

クリスティーンは横領を大目に見るよう求めるダークから「俺だぞ」と言われると、「だから?イザベルじゃないのよ」と冷たく告げている。
つまりクリスティーンの中では、ダークよりもイザベルの方が重要な存在だったことだ。それは単に絆が云々ということではなくて、明らかに同性愛としての感情があるってことだろう。何度も「愛してる」と言ったり、キスをしたりするのは、そういうことの表れだと解釈するのが自然だ。
しかし、それなら同性愛の部分だけを使うべきであり、「ダークやロルフとも付き合っている」というのは、彼女のイザベルに対する執着の心情をボンヤリさせてしまう。
レズビアンじゃなくてバイセクシャルってことなんだろうけど、「バイセクシャルの恋愛劇」だけを描くならともかく、サスペンスの味付けとして恋愛関係を使う上でバイセクシャルという設定にするのは、ちょっと処理が難しくなってしまうんじゃないかと。
実際、この映画では上手く処理できていないし。

クリスティーンが双子の姉を幼少時代に失っていること、家族から自分が殺したと思われていることが語られるが、それが後の展開やイザベルとの関係性に何か影響を及ぼすのかと思ったら、何も繋がらない。
そもそも双子の姉ってのはクリスティーンの嘘であり、ただ単に「その場でイザベルの同情を誘うために喋った」というだけの要素に留まっている。
実は本作品って、デ・パルマが過去に撮った映画の要素が色々と持ち込まれていて、だから双子の設定は『悪魔のシスター』を意識したんだろう。
だけど、意味が薄くて消化不良のセルフ・パロディーに留まっている。

イザベルはダークから別れを切り出されたことがきっかけで、クリスティーンを出し抜いて広告をネット公開することを決意する。
だが、そもそもダークが「クリスティーンに見捨てられた」と荒れていたのは、「1週間以内に収支を合わせないと、横領の事実を公表する」と通告されていたからだ。つまり、本人に問題があるのだ。
だから、そんな奴から別れを切り出されたイザベルがクリスティーンに恨みを抱いて出し抜くという展開になっても、イザベルに全く共感できない。
むしろ、ホントは悪党であるはずのクリスティーンに対して、「少なくともダークへの対応は間違っちゃいないだろ」という感情が沸く。

その後、ダークからイザベルへの電話の中で、「クリスティーンから別れるよう強制された」という内容が語られる。実は横領が云々という問題よりも、そっちの方が遥かに重要なはずだ。
ところがクリスティーンがダークに横領問題の対処を迫るシーンでは、「イザベルと別れなさい」と強制する様子は描かれていなかった。
だから、それが本当なのかどうかさえハッキリしない。たぶん本当なんだろうけど、「なぜ別れるよう強制したのか」ってことは分からない。
そこを謎にしておく意味もメリットも無いんだから、ハッキリさせるべきだろう。
前述したように、とにかく「クリスティーンのイザベルに対する感情」の表現が不鮮明なのだ。

本来ならば、これは「恋愛感情のもつれから、仲良しだった2人が互いに憎み合うようになる」という大枠になっているべきだと思うのだ。
しかしながら、クリスティーンとダークの関係も、イザベルとダークの関係も、ものすごく薄っぺらい。
だから、例えば「ダークから別れを切り出されたイザベルがクリスティーンに相談せずに広告をネット公開する」という展開も、同様に薄っぺらい印象となる。
いっそのこと、最初からダークというキャラクターを排除し、「クリスティーンとイザベルの間にある恋愛感情」だけに絞り込んで話を作っても良かったんじゃないかと思うんだけどね。

クリスティーンとイザベルに対する恋愛感情をボンヤリさせてしまうぐらいなら、そこも最初からバッサリと削ぎ落として、もっと単純にクリスティーンを「身勝手で卑劣な上司」という造形にしてしまった方がスッキリしただろう。
キャラクターを単純化することで、ドラマが浅くなってしまう恐れはある。
でも、どうせ本作品も深みに欠ける仕上がりになっているのだ。
それならば、「イザベルがクリスティーンに騙されたり利用されたりして、最初は相手が上司ということもあって我慢していたけど、とうとう限界に達したので精神的に追い込まれたフリをして逆襲に出る」というシンプルな話にした方がいいんじゃないかと。

後半、イザベルがバレエ観賞をしている様子が写し出された後、悪酔いしたダークがクリスティーンを訪ねて嫌がられる様子に切り替わる。ここで画面が左右に分割され、左にはイザベルが観賞中のバレエ、右にはクリスティーンの様子が写し出される。
映像に凝るのはデ・パルマの得意技であり、分割画面も複数の作品で使用している。
だが、この映画における分割画面は、何の効果も生み出していない。
なぜなら、そこに連動性が無いからだ。
ひょっとすると、「クリスティーンの殺害はイザベルの犯行じゃない」ということを示すための仕掛けだったのかもしれない。しかし完全ネタバレだが、全てはイザベルの犯行なので、単にアンフェアな仕掛けでしかない。

イザベルはパーティーで笑い者にされた直後からクリスティーンの殺害を計画しており、追い詰められて薬に頼っている様子を同僚たちに見せ付けたのも芝居だ。
ってことは殺人容疑が掛かるのも想定内であり、絶対に無実が証明されるような対策を用意していたはずだ。
だが、それにしては、自白して逮捕された後の対処は、かなり運に頼っているように見える。
そもそも、「意識が朦朧としたように装って犯行を自白し、後から無罪を主張する」という手順を取る必要性が全く無い。「偽の証拠を刑事に入手させるため、わざと自白した」という設定なんだけど、リスクがデカすぎるだろ。

それと、「イザベルが精神安定剤や睡眠薬に頼っていたというのは全て偽装」ということが明らかになると、辻褄の合わない部分が生じる。
イザベルが「薬を飲んだせいでボンヤリして自白してしまった」と主張するのなら、警察は彼女の服用している薬を調べるはずだろう。
そして調べてみれば、それが精神安定剤や睡眠薬じゃないことは簡単に判明する。
そこは調べないくせに、イザベルの主張に従って証拠やアリバイだけはキッチリと捜査するってのは、都合が良すぎるだろう。

終盤、ダニはイザベルの犯行を全て知っていて証拠映像も撮影したことを明かし、自分の愛を拒絶した彼女を脅す。カットが切り替わるとクリスティーンの埋葬が行われており、そこに彼女と瓜二つの女性が現れるのでイザベルは驚く。
そうなると双子の話は嘘じゃなかったことになるが、そうだとしても物語として何の意味があるのか分からない。
その後、「イザベルはダニを絞め殺そうとするが、部屋に侵入したクリスティーンの姉にスカーフで絞殺される。でも、それは夢で、目を覚ますとダニの死体が転がっている」というシーンで映画は終わる。
つまり最後は「それは夢か現実か」という着地にしてあるのだが、「なんだ、そりゃ」と言いたくなる。

そもそもイザベルが薬に依存して精神がヤバくなっているというのは偽装なんだから、「彼女の中で現実と夢が混同してしまう」ってトコに説得力が無い。
だから、その着地は全く腑に落ちない。
デ・バルマが過去の作品で使って来た夢オチを、安易に持ち込んでいるだけにしか思えない。
結局、これはデ・パルマが過去の財産を寄せ集めて作った、出涸らしのようなシロモノになってしまっているのだ。

(観賞日:2015年1月26日)

 

*ポンコツ映画愛護協会