『パーティ★モンスター』:2003、アメリカ&オランダ

暴露本を執筆したジェイムズ・セント・ジェイムズは、取材を受けた。彼はマイケル・アリグとの関係について語り始める。最初のシーンは、マイケルが主催したパーティー会場だ。ジェイムズは小説家志望だが、執筆は一向に進んでいない。クラブのトイレで、彼はマイケルに「一度しか言わないわ。薬のやり過ぎよ」と忠告した。するとマイケル軽く笑って、「鏡を見てごらん。君こそボロボロだよ」と言う。それにはジェイムズも反論できなかった。
ジェイムズはマイケルの部屋を訪れ、一緒にヘロインをやることにした。マイケルが「何か欠けていると思わない?同居してる売人とか」と口にしたので、しばらく考えたジェイムズはエンジェルがいないことに気付く。「どこへ?」と彼が訊くと、マイケルは「僕が殺した」と答えた。冗談だと思って軽く受け流したジェイムズだが、マイケルの靴に付着している血に気付く。マイケルは悪びれる様子も無く、「正当防衛さ」と軽く言う。
マイケルは中西部出身で、幼い頃はイジメられっ子だった。しかし仕返しはせず、高額で菓子を売り付けて金を稼いでいた。当時から商売上手だったことは、母親のエルクも認めている。10歳の頃、日曜学校の教師がマイケルを自宅に招き、ディープ・キスを教えた。それが普通だとマイケルは思っていた。成長した彼はニューヨークへ出たが、毎日の仕事に虚しさを感じる。普通の生活が退屈に思えたのだ。みんなで楽しくゴージャスに遊べる世界を作りたい、終わりの無いパーティーを開きたいと、彼は考えるようになった。
ジェイムズもマイケルと同様、子供の頃はイジメられっ子だった。しかし夢を大きく抱き、マイケルより先にニューヨークへ出て来た。彼は「私こそが元祖クラブ・キッズ」という強い自負を抱いている。1980年代、ニューヨークのクラブシーンでは、とにかく目立たなければ無意味だった。まずクラブに入る前から注目を浴びることが求められた。そのためにジェイムズは、白黒写真でも際立つような派手な格好を心掛けていた。
ある時、ジェイムズはマンハッタンのナイトクラブ『ライムライト』で、ボーイをしていたマイケルから声を掛けられた。ジェイムズは無職で、当時からドラッグをやっていた。マイケルは「母が薬はダメだと言っていた」と告げ、彼に勧められても薬には手を出さなかった。マイケルはジェイムズに、「僕をファビュラスにして」と頼んだ。最初は冷たく断ろうとしたジェイムズだが、おだてられたので協力してやることにした。
ジェイムズは「写真に撮られる時は必ずグループの右端に立つ」「何事も活字になれば真実」「メディアで人を批判しない」「飲み物はシャンパンだけ」といった注意事項に加えて、パーティーでの正しい振る舞い方をマイケルに教える。彼は基本から始めるよう助言するが、マイケルはそれを無視し、いきなり『ライムライト』でパーティーを開いた。ジェイムズが行ってみると、クリスティーナというクラブ・キッズが歌っているだけで、客は誰もいなかった。
ジェイムズは呆れるが、マイケルは自信満々で「ここはクラブじゃなく、イジメられっ子の家なんだせ」と説明した。スプリンクラーを作動させて店を水浸しにしたマイケルは、オーナーであるピーター・ガティエンの元へ連行される。ピーターに「どうやって弁償する?」と訊かれたマイケルは、「店をファビュラスに変えて宣伝するよ」と告げた。ピーターが鼻で笑うと、「酷いのは僕じゃなくて店の方だ。集客力が全く無い」と言う。
ピーターは請求書を渡し、「今夜も含めて3つのパーティーの収益から金を払ってもらう」と告げた。つまり、2回のパーティー主催をマイケルに任せたということだ。マイケルはクラブでパーティーのチケットを配っている最中、キオキという男と出会った。マイケルは唐突に、「僕のボーイフレンドになって」と告げた。困惑したキオキが「僕はゲイじゃないし、女たちと来てるんだ」と言うと、マイケルは微笑して「ドリンクでも飲んで」とドリンク券を渡した。真っ直ぐに見つめるマイケルの誘いに、キオキは乗った。
マイケルは店でジェイムズを見つけ、「街の王&女王コンテストをやるんだ。親友だから来てほしい」とパーティーに誘った。ジェイムズは断るが、渡されたチケットにはMCとして自分の名前が印刷されていた。マイケルは空港の荷物係をしているというキオキに、「その仕事は辞めて。今日からスーパースターDJのキオキだ」と告げた。第1回街の王&女王コンテストが開催され、マイケルはクイーンにクリスティーナ、キングにはキオキを選んだ。
クリスマス・イヴ、ジェイムズはマイケルからディナーに誘われ、彼とキオキが同棲生活を送る6階の部屋を訪れた。マイケルが「特別ゲストを呼んでいる」と言うので、ジェイムズはクリスティーナだろうと考えるが、そこに現れたのはピーターだった。「店のメイン・フロアでパーティーを開きたい」と持ち掛けるマイケルに、ピーターは「君のパーティーは赤字寸前だ。入場料も飲み物も無料だからな」と言う。マイケルは全く気にせず、「前向きに考えて。最近、店の評判がいいんだ」と告げる。
マイケルは「ディスコ2000」と名付けたパーティーのアイデアをピーターに語り、自信たっぷりに「絶対に成功する」と述べた。4人はシャンパンを掲げ、乾杯した。「ディスコ2000」は大成功し、マスコミにも取り上げられた。クラブ・キッズの王者になったマイケルは、店にやって来たエルクと共に取材を受けた。マイケルを取り上げた番組をテレビで見ていたエンジェルは、強い興味を抱いた。その後もマイケルは様々なパーティーを企画し、次々に成功させていった。
マイケルが大型トラックの荷台で踊るパーティーを開いた際、ジェイムズは運転席のクリスティーナがLSDをやっていることに気付く。彼は慌ててマイケルに知らせようとするが、「後にして警察が来る」と言われる。エンジェルが現れると、マイケルは「外からドアを閉めてくれたら次のパーティーでVIP待遇にしてあげる」と持ち掛け、荷台のドアを閉めてもらう。しかし出発しようとした直後にパトカーが駆け付け、パーティーは中止になった。
高級アパートメントに引っ越したマイケルは、誕生日パーティーを開く。だが、薬のことがきっかけで、彼はキオキと言い争いになってしまう。キオキは愛想を尽かし、出て行ってしまった。翌朝、薬を飲んで眠り込んでいたマイケルは、起こしに来たジェイムズに、「愛が欲しい」と漏らした。「どれだけ愛を求めるの」とジェイムズが言うと、彼は「キオキだけでいい」と口にする。ジェイムズが「今のアンタに必要なのはホットチョコよ」と告げると、マイケルはエクスタシーを入れるよう頼んだ。
マイケルはジェイムズに「引っ越してきて」と持ち掛け、彼の了解を待たずに荷物を運び込むことを決めた。しばらくして、マイケルの執筆した記事が掲載されている雑誌が発売された。それは「ジェイムズが奴隷市場で12歳の少年を売る」という記事だった。ジェイムズが 「どうして?」と責めると、マイケルは悪びれずに「面白いと思ったんだ」と言う。ジェイムズが「パパはカンカンよ。アンタが雑誌を送ったから読んだのよ。おかげで勘当されたわ。パパの財産も入らなきゃ、ゴルティエの服も着られない」と声を荒らげると、マイケルは「僕が君の父親と話すよ。誓いを立てよう。君が困ったら僕が助ける。僕が困ったら君が助けて。これは降りられないシーソーだ」と言い、音楽を掛けてダンスに誘った。
住宅ローンの未払いで督促状が届く中、マイケルとジェイムズは一緒に薬をやる。ジェイムズは「気晴らしに新しい企画を立てたら?次のスーパースターを作るのよ。売人ならオシャレだし、薬もタダで手に入る」と勧めた。電話が鳴ったので、マイケルはキオキからだと思って受話器を取った。しかし相手は警察で、マイケルはクリスティーナが死んだことを知らされた。ジェイムズはショックを受けるが、マイケルは「死んだら関係ない。パーティーに出掛けよう」と告げた。
マイケルとジェイムズはメイクを施し、仲間のフリーズたちと共に夜の街へ繰り出した。マイケルはダイナーでハンバーガーを大量に購入し、「クリスティーナを偲んで」と言いながらバラ撒いた。マイケルとジェイムズはトークショーにゲスト出演するが、その時に連れて行った仲間の中にはエンジェルの姿もあった。番組を視聴したギッツィーという女は、クラブ・キッズに強い興味を抱いた。ジェイムズはマイケルが嘘ばかり並べ立てて自分を侮辱したので、その番組が終わってから抗議した。マイケルがヘロインの禁断症状を示したので、エンジェルが薬を手渡した。
クラブ・キッズをスカウトするために全米を回る計画を立てたマイケルだが、ピーターは「そんな予算は無い」と反対する。マイケルは「宣伝になる」と主張するが、ピーターは「資金が莫大すぎる。住宅ローンに雑誌制作、光熱費も出してるんだぞ。それと、君は薬のやり過ぎだ」と注意する。それでもマイケルが軽く受け流すので、ピーターはFBIが自分を監視していることを教える。「店をドラッグ市場だと考えている」と彼が話すと、マイケルは軽い口調で「気にしすぎだよ」と述べた。ピーターは「ゲームは終わりだ。遊びたければ街を離れろ。私も休暇を取る予定だ」と告げ、小切手を渡した。
マイケルたちがスカウトでダラスを訪れると、ブルックという女が楽屋へ来て特製ドラッグを作った。「番組を見て感銘を受けた。努力しなくても有名になれる。これこそ私の生きる道と思ったわ」と語った彼女は、友達のギッツィーも呼び込んだ。「2人でニューヨークに来て。ウチに泊まって」とマイケルが誘うと、ジェイムズは「あの家はもう満員よ。アンタに私にフリーズにエンジェル」と反対した。するとマイケルは、「家賃を払ってるのは僕だよ」と告げた。
ニューヨークに戻ったマイケルはギッツィーを伴って『ライムライト』へ行き、自身の誕生日企画として流血パーティーをピーターに提案した。ピーターの妻であるナターシャは、「まずはドラッグの更生プログラムを受けなさい」と忠告する。ピーターは「金は私が出す。更生プログラムを受けたら、褒美として流血パーティーを認める」とマイケルに語った。しかしマイケルはドラッグの摂取を続けて、代金の支払いを求めるエンジェルの前で意識を失った。一緒にいたギッツィーが病院に連絡し、マイケルはERに担ぎ込まれた。
すぐに退院したマイケルは、ERをコンセプトにしたパーティーの企画を思い付く。ジェイムズが見舞いに訪れると、彼は元気な様子で「ショーを続けなきゃ」と告げた。退院したマイケルは、『ライムライト』で流血パーティーを開いたパーティーは盛り上がったが、彼はナターシャから解雇を通告された。マイケルが「ピーターは?」と訊くと、ナターシャは「ピーターは最善を尽くしたけど、貴方の父親じゃないわ」と告げた。マイケルが「僕はファビュラスだ」と言うと、彼女は「貴方は怖くて現実から逃げてるのよ」と告げた…。

脚本&監督はフェントン・ベイリー、ランディー・バルバート、原作はジェイムズ・セント・ジェイムズ、製作はジョン・マーカス&ブラッドフォード・シンプソン&クリスティーン・ヴェイコン&フェントン・ベイリー&ランディー・バルバート、製作協力はタイリン・スマザース、製作総指揮はヴァウター・バレンドレクト&マイケル・J・ワーナー&エドワード・R・プレスマン&ジョン・シュミット&ソフィア・ソンダーヴァン&ジョン・ウェルズ、撮影はテオドロ・マニアチ、編集はジェレミー・シモンズ、美術はアンドレア・スタンリー、衣装はマイケル・ウィルキンソン、音楽はジミー・ハリー、音楽監修はハワード・パー、音楽監修協力はビル・コールマン。
出演はマコーレー・カルキン、セス・グリーン、クロエ・セヴィニー、マリリン・マンソン、ディラン・マクダーモット、ダイアナ・スカーウィッド、ナターシャ・リオン、ウィルマー・バルデラマ、ウィルソン・クルーズ、ミア・カーシュナー、ジャスティン・ヘイガン、ジョン・ステイモス、ジョン・サマーラー、ダニエル・フランゼーゼ、マイケル・ケイチェック、スティーヴン・マーカス、ジャニス・ダーダリス、マニー・ペレス他。


1990年代にニューヨークのクラブシーンで時代の寵児としてもてはやされた伝説のクラブ・キッズ、マイケル・アリグを描いた作品。彼の盟友だったジェイムズ・セント・ジェイムズの著書を基にしている。
監督&脚本のフェントン・ベイリーとランディー・バルバートは主にドキュメンタリー作品を手掛けてきたコンビで、これが初めての商業映画。
ギャラを巡る両親の醜い争いがきっかけで役者を引退していたマコーレー・カルキンが、マイケル役で9年ぶりにスクリーン復帰している。
他に、ジェイムズをセス・グリーン、ギッツィーをクロエ・セヴィニー、クリスティーナをマリリン・マンソン、ピーターをディラン・マクダーモット、エルクをダイアナ・スカーウィッド、ブルックをナターシャ・リオン、キオキをウィルマー・バルデラマ、エンジェルをウィルソン・クルーズが演じている。他に、ナターシャ役でミア・カーシュナー、フリーズ役でジャスティン・ヘイガン、トークショーのホスト役でジョン・ステイモスが出演している。

フェントン・ベイリーとランディー・バルバートがどんな類のドキュメンタリー作品を手掛けてきたのかは知らないが、たぶん同じような手法で娯楽映画を撮ろうとしたんだろう。
しかし、それが成功しているとは言い難い。
本来なら、これは「1990年代のニューヨークにおけるクラブ・カルチャーを描き出す」という内容になるべき作品のはずだ。
しかし実際には、「1990年代のニューヨークにおけるドラッグ・カルチャーを描き出す」という内容になっている。
しかも、まるで面白味の無い形で。

最初に撮影されいるジェイムズのマイクテストから始まり、彼が撮影クルーと喋って「いいスタートよ。最初はショッキングに行きましょ。観客を不吉な気分にさせるの。それから場面は急転し、マイケル主催のパーティーに」と語り出す。
するとパーティーが開かれているクラブの様子が写し出され、トイレでマイケルとジェイムズが話すシーンになる。
それは、既にマイケルが薬に溺れている頃の出来事だ。
つまり、回想シーンに入っても、2人の出会いから始めるわけではないのだ。無駄に構成が複雑なのだ。
そうじゃなくて、回想シーンに入ったら、素直に出会いから順を追って描写していけばいいでしょうに。

マイケルがエンジェル殺害をジェイムズに話した後には、「自分の映画なのにイッちゃって。でも、これは僕の映画だ」と彼に言ったり、画面に向かって「ハーイ、僕はマイケル。出身は中西部。よく居るイジメられっ子だ」と告げたりする。
そこから本人が過去を回想するシーンが挿入され、それに続いて今度はジェイムズも過去を短く語る。さらに彼は1980代のニューヨークにおけるクラブのルール説明を始める。そのルール説明の流れで、ジェイムズがマイケルと出会った時の様子に入る。
その辺りは、たぶん「凝ったことをやろう」という狙いだったんだろうけど、完全に空回り。っていうか、ドラマに入り込むことを阻害している。
そういうことに力を入れるよりも、もっと「いかにマイケルたちが周囲からもてはやされたか、どういう風にパーティーを作り上げたか」という部分をグラマラスにすべきだわ。
そこはスッカスカなんだよな。そういうトコで空虚さを出してどうすんのよ。
そこは充実させて、でもマイケルの中身はスッカスカという図式に仕上げないとダメでしょ。

最初にマイケルが開くパーティーは、彼がアイデアを思い付く過程や、実際に開催するまでの作業工程は、まるで描かれない。
ジェイムズのナレーションベースで説明され、カットが切り替わると既にパーティーのシーンになっている。
それをナレーションベースで説明してしまうのは、ものすごく野暮ったい。
スムーズにドラマが流れて行かないのだ。ずっとブレーキに手を掛けたままで、話を強引に前へ進めようとしているかのような状態が続くのだ。

最初のパーティーで失敗したマイケルに、ピーターが次のパーティーを任せる理由は良く分からない。
その時点でマイケルに「人たらし」としての魅力は全く感じられないし、ピーターが集客の無かった今回のパーティーを評価しているようにも思えない。
たぶん自信満々のマイケルの態度に何かを感じたということなんだろうけど、こっちに何を感じさせるだけの力が、そのシーンの演出には無い。
っていうか、そこに限らず、この映画ってずーっと平坦なんだよな。メリハリや緩急が無い。
パーティーではバカみたいに賑やかに盛り上がり、一方でマイケルの私生活には虚しさが付きまとうといったような、陰陽の使い分けが無い。

キオキがマイケルの誘いに乗って簡単に彼氏になる展開には、「なんでだよ」と思ってしまう。
そこに説得力が足りない。
人気絶頂時のマコーレー・カルキンなら「だってマコーレー・カルキンだもの」ということで成立したかもしれないが、かつての輝きをすっかり失い、長いブランクを経て復活した彼には、そこまでのカリスマ性を放つことは出来ていない。
っていうか根本的な問題として、子役時代もそんなに演技力が高かったという印象は無いけど、そこにブランクが加わっているので、主役を担うには演技力が厳しいことになっているのよね。

パーティー関連の描写がペラペラなのに、一方でタクシーに無賃乗車してキオキと一緒に逃走するシーンを描いたりする。
そんなの全く要らない。バッサリでいいでしょ。そこで無駄に時間を使うぐらいなら、他に時間を使うべき箇所が幾らでもあるはず。
マイケルがキオキにゾッコンだったことを描き、だから別離がきっかけでドラッグに溺れて落ちて行く、という風に描きたいんじゃないかとは思うのよ。つまり、そこは重要なポイントだからキオキとの関係描写を充実させようってことなんだろうとは思うよ。
でも、それはパーティー・オーガナイザーとしてのマイケルを描く進行を完全にストップしてまで丁寧に描くほどのモノではない。
マイケルが没落していったのは、キオキとの別離だけが原因ではないように、本作品を見ていても感じるんだし。

クリスマス・イブにジェイムズがキオキを口説こうとしてマイケルが腹を立てるとか、その辺りも無駄にダラダラと時間を浪費しているようにしか思えない。
時間を使うべき箇所と省略、もしくは削除すべき箇所の取捨選択を間違えていると感じる。
で、その時にもピーターは、「マイケルのパーティーは赤字寸前」と否定的な見解を口にしているのに、新たなパーティーの企画をOKしてしまう。
その辺りの心境がサッパリだわ。

第1回・街の王&女王コンテストで、なぜ多くの客が来たのかも良く分からない。
っていうか、そんなに大勢という感じでもないけどね。少なくとも、「大成功」とは見えない。
「それなりに盛り上がっているんだろうけど、内輪だけの小さな盛り上がりに過ぎない」という程度に感じられる。
それは撮り方も悪いけど。会場がどれぐらいのキャパか、どれぐらいの人数が来ているのか、それが分からないような見せ方になっているんだよな。

そこのシーンに限らず、全てのシーンが何となく安っぽい。どこにもファビュラスが見当たらないぞ。
それと、音楽は頻繁に流れるが、この映画には軽快なテンポや心地良いリズムが無い。
また、序盤の演出に凝ったりしている一方で、カメラワークは単調だし、最初から最後まで写しているサイズが狭い。街全体の様子とか、ロングショットとか、そういうのを全く入れようとせず、人物のアップを多用する。
それは明らかに、この映画を安っぽい作りにしている。

マイケルがクリスマス・イヴのディナーでディスコ2000を開くことを宣言し、ジェイムズたちと乾杯すると、詳しい説明も無く、開催までの経過も無く、「ディスコ2000は大成功」というジェイムズのナレーションでカットが切り替わり、そのパーティーの様子になっている。
そして、その成功を受けてマイケルはクラブ・キッズの王者になっているのだが、まるで説得力が無い。
「一夜にして時代の寵児に変貌した」という成り上がり感覚や絶頂感も伝わらない。そのパーティーが大成功した理由も良く分からない。
パーティーの高揚感も、それを成功させたマイケルの充実感も、それを受けてのピーターの反応も見えて来ない。

マイケルが企画した全てのパーティーを、準備を含めて丁寧に描けとは言わない。そんなことをしていたら時間が幾らあっても足りないからね。
ただ、一回目のディスコ2000については、マイケルが時代の寵児になるターニング・ポイントなんだから、そこを「成功した」というナレーションで済ませるのは、あまりにも雑で無神経だ。
しかも、そこで一気にマイケルが成り上がったはずなのに、そういう描写が全く見えない。
後で高級アパートでのパーティーが描かれる程度だし、そこが高級アパートには見えないし。

周囲からマイケルが大人気になっているということを、もっと強くアピールすべきだ。
そうやって「大勢の仲間、もしくはファンに囲まれるようになった。かつてはイジメられっ子だったのに、人気者になった」という風に見せて、「でも近付いて来たのは上辺だけの付き合いの連中ばかりで、王者になってからもマイケルは孤独」というところへ持って行くべきじゃないかと。
「刹那の栄光」がちゃんと描かれていないから、そこからの没落という展開もボンヤリしてしまう。

キオキが去った後でマイケルが「ここに引っ越してきて。僕は風船みたい。紐を持つ人がいないと飛んで行ってしまう」と漏らしても、彼の抱える孤独や悲しみは全く伝わらない。『ライムライト』がクラブ・キッズのおかげで連夜の超満員になっているのは、ピーターのセリフで軽く触れるだけでは弱い。描くべきポイント、見せるべきポイントってのを外している。
その一方で、トークショーにダラダラと時間を浪費する。そのシーンは「出演した」「ギッツィーが見ていた」というのを示せば事足りるのに、CM中の会話を挟み、さらに番組のシーンを続けるのだ。
「クラブ・キッズとは何ぞや」という質問に答えるとか、そんなのを丁寧に描いて何の意味があるのかと。
そこに時間を長く割いても、「マイケルやクラブ・キッズが世間で注目を集め、人気を呼んでいる」というアピールとしては薄弱だよ。

マイケル・アリグという人物の見せ方を、「奇抜なファッションに身を包んだクラブ・キッズが急に脚光を浴び、周囲から時代の寵児と呼ばれて有頂天になり、華々しい生活を過ごすけれども中身は空虚」という風に持って行くべきじゃないかと思うんだよね。
だけど、この映画を見ていても、「華やかさも輝きもイマイチ」にしか見えない。
つまり、「中身の空虚さ」を包み隠すべき外側の、ケバケバしい飾り付けが決定的に不足しているのだ。

(観賞日:2014年6月10日)


第26回スティンカーズ最悪映画賞(2003年)

ノミネート:【最悪の主演男優】部門[マコーレー・カルキン]

 

*ポンコツ映画愛護協会