『パラノーマル・アクティビティ3』:2011、アメリカ

2005年3月、カリフォルニア州カールズバッド。ダニエルはビデオカメラを回し、ベビールームを撮影して産まれてくる男児に語り掛ける。妻のクリスティーは妊娠中で、ベビールームの壁にペンキを塗っている。クリスティーの姉であるケイティーが遊びに来て、ベビールームを見学した。彼女はクリスティーとダニエルに、恋人のミカと同棲するまで荷物を少し地下室に置かせてもらえないかと頼む。ケイティーは車に荷物を積んで持って来ており、クリスティーとダニエルの承諾を得て地下室へ運び込んだ。最後に運び込んだダンボール箱には、大量のビデオテープが入っていた。祖母であるロイスの遺品だが、中身は見たことが無いとケイティーは語る。2006年8月、クリスティーとダニエルの家が荒らされ、ビデオテープだけが盗み出された。
1988年9月3日、カリフォルニア州サンタローザ。ジュリー・フェザーストンは娘のケイティーとクリスティー、再婚相手のデニスと4人で暮らしていた。娘たちはデニスに懐いており、一家は幸せに暮らしている。デニスはビデオカメラを回し、下の前歯が抜けたクリスティーを撮影した。クリスティーはトビーという友達がいると言っているが、家族の誰も彼を見たことが無かった。ケイティーは「トビーなんていない」と告げるが、クリスティーは「いるもん」と主張した。
デニスは物音を聞いて、ジュリーの仕業だろうと考える。しかしカメラを回しながら屋内を調べても、ジュリーの姿は見当たらなかった。2階の子供部屋へ移動した彼は、熊のヌイグルミが棚から落ちているのを見つけて元の場所に戻した。収納室の扉が開いていたのでデニスは中を覗き込むが、特に異常は無かった。夜、デニスがセックスの様子を撮影したいと持ち掛けると、ジュリーは承知した。しかし2人がセックスを始めようとすると、妙な物音が聞こえた。大きな揺れに見舞われたため、ジュリーとデニスは慌てて避難した。
次の日、ビデオカメラの映像を確認したデニスは、部屋の隅に何かが写っていると主張する。しかしジュリーは埃が舞っているだけだと言い、相手にしなかった。結婚式のカメラマンとして働くデニスは、自宅に仕事部屋を作っていた。助手のランディーを呼んだ彼は、映像を見せて「何か動いただろ」と言う。ランディーも同調しなかったが、彼は「最近、子供部屋で物音がする。何か妙なことが起きている気がする」と語る。デニスはジュリーの了解を得て、子供部屋と夫婦の寝室に監視カメラを設置した。
第1夜 1988年9月10日。深夜に目を覚ましたクリスティーはベッドから起き上がり、カメラの前で誰かと話す。朝になって映像を確認したデニスは、誰と喋っていたのかクリスティーに質問した。クリスティーはトビーだと答え、ロイスと同じくらいの年齢だと説明した。彼女はデニスに、「もし秘密を話したらトビーが怒って私が大変なことになる」と語った。デニスは深刻に考えるが、話を聞いたジュリーはイマジナリー・フレンドだろうと軽く捉えて笑い飛ばした。
第5夜 1988年9月14日。ケイティーとクリスティーは庭にテントを張って就寝したため、子供部屋は無人になった。深夜に廊下のライトが付き、すぐに消えた。ジュリーは足音を耳にしたので、娘たちが戻ったのではないかと考える。デニスが様子を見に行くと、子供部屋には誰もいなかった。また廊下のライトが付き、すぐに消えた。ジュリーが玄関へ行くとドアは施錠されており、庭に出ると子供たちはテントで眠っていた。
翌朝、ジュリーは母であるロイスの訪問を受け、デニスの経済的な不安を指摘されて反論した。ロイスはデニスとの間に子供を作ってはどうかと促すが、ジュリーは「もう妊娠はしない」と嫌がる。デニスはランディーから「あれは本物だ。前に兄貴も見たって」と言われ、トイレの鏡にブラッディー・マリーと3回唱えると幽霊が現れる伝説について聞く。デニスはカメラで部屋全体を見渡せるようにするため、扇風機と組み合わせた。彼はジュリーにカメラを見せ、キッチンとリビングを撮影できるようになったことを告げる。
第8夜 1988年9月17日。クリスティーが深夜にリビングへ来るが、カメラが戻ると姿が消えていた。クリスティーは廊下で軽く笑い、子供部屋に戻った。翌日、ジュリーは子供部屋で絵を描くクリスティーを見つけ、「トビーに起こされたの?」と質問する。クリスティーは「トビーが話しちゃダメって。自分で訊いたら。すぐ近くに立ってるよ」と言うが、ジュリーにトビーの姿は見えなかった。ランディーは図書館から『邪悪なる霊体』という本を拝借し、デニスに渡した。本を読んだデニスは「子供は霊と接触しやすい」という解説文を見つけ、クリスティーがトビーのことを話し始めてから妙なことが起きるようになったと語った。ランディーは彼に、「霊は理由も無く、取り憑いたりしない。霊は人の恐怖心をエネルギーにするらしい」と教えた。
第10夜 1988年9月19日。深夜に目を覚ましたジュリーは、キッチンへ赴く。リビングのライトが割れる音がしたので、デニスとジュリーは慌てて駆け付けた。しかしライトは割れておらず、他に何の異変も無かった。翌朝、クリスティーが熊のヌイグルミと遊んでいたので、デニスはカメラを回しながら声を掛けた。彼が隣の椅子に座ろうとすると、クリスティーは「そこはトビーの席だよ」と止めた。デニスはトビーが何を話したか聞き出そうとするが、クリスティーは少し怯えた様子で「内緒」と告げた。
ケイティーから「トビーなんていない」と言われたクリスティーは腹を立て、「トビーはそこにいる」と子供部屋の収納室を指差した。ケイティーが物置に入ると、扉が閉まって閉じ込められた。その夜、デニスとジュリーはベビーシッターのリサに子供たちを預け、夫婦で外出した。リサが子供たちを寝かし付けてキッチンで過ごしていると、背後にシーツを被った子供のような物体が出現した。リサが振り向くとシーツは床に落ちるが、中には何も無かった。
シーツを片付けるためにリサが2階へ行くと、子供部屋の収納室から大きな物音がした。彼女は驚くが、子供たちは全く起きなかった。ジュリーとデニスが帰宅すると、バイト代を受け取ったリサは逃げるように去った。翌日、デニスはキッチンの映像をランディーに見せ、「幻覚じゃない。何かが起きてる」と告げる。ジュリーに見せたのかと訊かれた彼は、「まさか。見せたらカメラを外せと言われる」と言う。デニスは「この現象の真相を突き止める」と真剣に言うが、ランディーは面白がっている様子だった。
第13夜 1988年9月22日。深夜にクリスティーが起き上がり、子供部屋の入り口に1時間以上も立ち続けた。彼女はカメラの向こうに視線をやって「ダメよ、もうお話はしないからね」と言い、ベッドに戻った。翌日、デニスが収納室を調べると、壁や天井に落書きがあった。クリスティーが高熱を出したため、デニスはランディーにケイティーの世話を任せて夫婦で病院へ連れて行く。ケイティーはランディーに「ブラッディー・マリーで遊ぼう」と持ち掛け、嫌がる彼を2階へ連れて行く。
洗面所に入ったケイティーは、「ブラッディー・マリーと3回唱えて、ちょっと待って電気を付けると、マリーが鏡に映ってみんなを殺しに来るの」と説明した。その遊びをすると真っ暗な中で妙な物音を聞こえ、ランディーの腹部に何者かが傷を付けた。直後に激しい揺れが起き、ケイティーは怯えて泣き出した。揺れが止まってから子供部屋に行くと、室内は散らかされていた。ランディーは恐怖を感じて荷物をまとめ、帰宅したデニスに「何があったかはテープを見ろ」と告げて立ち去った。
デニスは『邪悪なる霊体』を読み、ジュリーを呼ぶ。彼は1930年代に撮影された女性たちの集合写真を見せ、「この首飾りだ。収納室に同じ印が付いていた」と告げる。「この女たちは魔女だったんだ」と彼は説明するが、ジュリーは呆れて「どうかしてる」と言う。「連中は儀式をしながら娘たちが妊娠できる年になるのを待って、男の子が産まれたら奪うんだ」と語るが、ジュリーは腹を立てて「もうカメラは終わりよ」と通告した…。

監督はヘンリー・ジュースト&アリエル・シュルマン、脚本はクリストファー・ランドン、製作はジェイソン・ブラム&オーレン・ペリ&スティーヴン・シュナイダー、製作総指揮はアキヴァ・ゴールズマン、共同製作はクリストファー・ランドン&グレゴリー・プロトキン&ジャネット・ヴォルトゥーノ=ブリル、撮影はマグダレーナ・ゴルカ、美術はジェニファー・スペンス、編集はグレゴリー・プロトキン、衣装はリア・バトラー。
出演はローレン・ビットナー、クリス・スミス、クロエ・チェンゲリー、ジェシカ・ブラウン、ケイティー・フェザーストン、ホーリー・フート、ダスティン・イングラム、ジョハンナ・ブラッディー、ブライアン・ボーランド、スプレイグ・グレイデン、ウィリアム・プリエト、ジャクソン・プリエト、ペイトゥーン・チェン、エディー・メドラノ、レベッカ・デルガド・スミス、バイリー・ブラウン、タッカー・ブラウン、ジェシカ・バーガー、ヘイデン・ソーサ、アッシャー・ローランド、セイジュ・ゲルンハウザー他。


シリーズ第3作。
監督はドキュメンタリー映画『キャットフィッシュ』を手掛けたヘンリー・ジュースト&アリエル・シュルマン。
脚本は前作に参加していたクリストファー・ランドンが単独で務めている。
成長したケイティー役のケイティー・フェザーストンは、1作目からのレギュラー出演者。
ジュリーをローレン・ビットナー、デニスをクリス・スミス、幼少期のケイティーをクロエ・チェンゲリー、幼少期のクリスティーをジェシカ・ブラウンが演じている。

シリーズ2作目は、1作目の前日譚になっていた。
そして今回の3作目は、さらに遡った内容になっている。1988年まで遡っても、やたらとビデオカメラを回したがる面目の話になっている。
ただ、1作目ではミカ、今回はデニスが主にカメラを回しているので、それは別に「フェザーストン家の血筋から来る行動」ってわけでもないのね。
まあ今さらPOV方式は外せないので、どうにかして「誰かがカメラを回したり監視カメラを設置したりする」という設定を守らなきゃいけないからね。

ただ、デニスが「妙なことが起きている。何かある」と主張して監視カメラを取り付けるのは、かなり無理があるけどね。
その時点では、まだ「何か本気で心配して監視しなきゃいけないことが起きている」という予兆なんて微塵も感じられないからね。
しかも本気で心配しているにしては、子供たちを残して平気で出掛けちゃったりするしね。
本を読んで「霊が子供に憑依したかもしれない」と思ったはずなのに、それにしては不用心な行動だ。その前には、ケイティーが収納室に閉じ込められる出来事も起きているのに。
それがクリスティーの仕業じゃないことは、映像を確認すれば分かることだし。

あと、収納室に閉じ込められて怖い思いをしたはずのケイティーが、ランディーにブラッディー・マリーで遊ぼうと提案するのは不可解だ。
しかも、それは単純に「幽霊が出てくる」ってわけじゃなくて、「悪霊が殺しに来る」という遊びなんだぞ。
そこまで分かっているのに、なぜケイティーはブラッディー・マリーを呼び出そうとするのか。その目的がサッパリ分からないぞ。
既に悪霊に憑依されているならともかく、そうじゃないんだからさ。どういう神経なのよ。

POV方式を採用したことによって生じた問題点に関しては1作目と2作目でも指摘しているので、もう書かないでおこう。ただ、前2作には無かった疑問が1つ生じているので、そこには触れておこう。
それは、「劇中で使われる映像は、どこからどうやって流出したのか」ってことだ。
1作目と2作目は、それぞれ「警察や関係者の協力によって映像を手に入れた」という設定だった。そこには大いに無理があったが、それでも一応は説明の作業を持ち込んでいた。
しかし今回は、何の説明も無く「ケイティーがクリスティーたちに預けたビデオテープの映像」が流れ始めるのだ。それは手抜き作業にしか思えんぞ。
あと、画質が2005年や2006年の映像と大して変わらないのも変じゃないか。もっと劣化していてもおかしくないだろうに。

この作品の感想を短く書くとしたら、「まだ続けるんですか」ってことになる。
1作目が低予算でバカみたいにヒットしたから、続けたくなるのは分かる。どれだけ酷評されても、1作目に比べ興行収入が落ちても、まだ充分すぎる稼ぎを生み出せるだけのパワーはあるだろう。
ただ、バファリンの半分がお母さんの優しさで出来ているように、この映画の半分は惰性で出来ているんだよね。
いや半分どころか、下手をすると大半と言ってもいいかもしれない。
なので、もう打ち止めで良くないかと。

監督はバトンタッチしているけど、じゃあ新しい何かを持ち込めているのか、自分なりの色を出せているのかというと、そんなモノは全く感じない。
そもそも、この映画で監督が自身の作家性や持ち味を発揮することなんて、ほぼ不可能に近い作業だろう。
何しろ、「舞台は基本的に一軒の家の中」「登場人物が回すビデオカメラと設置された監視カメラの映像のみで構成される」「悪魔が怪奇現象を起こす」など、守るべき条件が幾つも用意されている。
つまり、やりたいことがあっても、それを封じる縛りが多いわけでね。

なので、どうしても「ほとんど前作と同じことの繰り返し」という仕上がりにならざるを得ない。
もう少し具体的に書くならば、1作目と2作目の批評でも触れたように最初の内は「ちょっとした怪奇現象が起きるだけ」という時間が続く。怪奇現象が少しずつエスカレートしていき、やがて人間を直接的に攻撃するようになる。そして最終的には悪魔の憑依したケイティーが登場し、誰かを殺す。
そういう流れが決まっている。
変化を加えられる余地が少ないため、おのずとワンパターンのマンリネズムになるわけだ。

登場人物が違うだけで、やってることは基本的に変わらない。しかも登場人物はそんなに個性が強いわけじゃないので、そこの変化なんて大した意味は無い。
頑張って本作品の見所を探すとすれば、それは「ケイティーとクリスティー姉妹の過去が明らかになる」ということに尽きる。
ただし、それが分かったところで「だから何なのか」と問われたら「いや別に」としか言いようがないぞ。
このシリーズの熱烈なファンでもなければ、そこで大いに高揚感を味わうことなんて不可能だ。

終盤に入るとロイスが本性を現し、仲間の魔女軍団と一緒にデニスたちを襲う。
魔女軍団ってのは新しく持ち込まれた設定だが、それが映画の面白さに繋がっているかというと、答えはノーだからね。
敵の正体が悪魔だと分かっている時点で「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の状態なのに、そこにババアの魔女軍団が参加することでバカバカしさが一気に増大しているからね。
それに、魔女軍団の動きを描くことによって、すっかりモキュメンタリーとしてのリアリティー・ラインを見失っているし。

(観賞日:2020年3月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会