『パラノーマル・アクティビティ』:2007、アメリカ
2006年9月18日、サンディエゴ。ケイティーが車で帰宅すると、同棲している恋人のミカが新しく購入したビデオカメラを回していた。ミカはケイティーの周囲で起きている超常現象を解き明かすため、そのカメラで撮影しようと考えたのだ。ミカはストーカーの仕業という可能性も示唆するが、ケイティーは「8歳の頃から続いているの。絶対にストーカーじゃないわ」と否定した。ミカは寝室にカメラを設置し、ケイティーと共にベッドで就寝した。
翌朝、目を覚ましたケイティーは、カウンターに置いてあった鍵が床に落ちているのを発見した。超常現象の専門家であるフレドリクス博士は、2人から連絡を受けて家を訪れた。ケイティーはフレドリクスの質問を受け、「8歳の頃、5歳の妹と一緒に妙な息遣いで目を覚まし、影のような黒い固まりを見た。しばらく祈っていると固まりは消えた」と子供の頃の体験を語った。原因不明の火事が起きたので引っ越したが、13歳になってからは定期的に同じような体験があるのだと彼女は話す。
具体的な現象について、数週間前から勝手に天井のライトが点滅したり、蛇口から水が出たり、壁を引っ掻く音が聞こえたりすることが続いているとケイティーは説明した。フレドリクスは自分の専門が幽霊であり、悪魔は別物だと告げる。そして彼は、悪魔を専門とする同業者のエイブラムス博士に相談するよう助言した。ミカがウィジャ・ボード(降霊盤)での解決を提案すると、フレドリクスは「それは相手を受け入れることになる」と反対した。
フレドリクスが帰った後、ケイティーが「明日、エイブラムス博士に連絡するわ」と言うと、ミカはとウンザリしたように「バカバカしい、今日の男だけで充分だ」告げた。3日目の夜、ミカとケイティーの就寝中に寝室のドアが動いた。翌朝、目を覚ました2人は、その映像を確認した。ミカは「珍しい現象を撮影できて良かった」と言うが、ケイティーは「私は自分のことだから喜べない」と口にした。
5日目の夜、ケイティーは不気味な夢で目を覚まし、彼女の絶叫でミカも起きた。大きな物音がしたので、ミカはケイティーにカメラを渡して寝室を出る。2人は1階を調べるが、特に変化は無かった。翌日、ミカはケイティーと友人のアンバーに、寝室に設置した録音装置の音声を聴かせた。奇妙な音声が入っていることを確かめさせた後、ミカは「こいつは交信を求めている。ウィジャ・ボードを使おう」と持ち掛けるケイティーは嫌がり、アンバーも「相手を刺激するだけよ」と反対する。ケイティーが「撮影は許したけどウィジャ・ボードは嫌よ」と拒否するので、ミカは使わないと約束した。
13日目の夜、ミカは「何も起きないな。どうした?」と悪魔を挑発し、ベッドに入った。ケイティーは物音で深夜に目を覚まし、ミカは眠そうに「どうした?」と尋ねる。ケイティーが「1階で音がした」と説明した直後、1階から唸るような声と大きな物音が聞こえて来た。ケイティーは怯えるが、ミカがカメラを持って1階へ向かうので後を追った。隅々まで調べても誰もいなかったが、2人が寝室に戻ると1階から物音が聞こえて来た。
翌朝、ミカが「もっと色々とやってくれたらいいのに」と呑気に言うので、ケイティーは「ふざけた態度はやめて」と苛立つ。「トイレでカメラは回さないで」とケイティーが頼んでも、ミカは無視して撮影を続けた。「撮影を始める前は、こんなことは起きなかったわ」とケイティーが言うので、ミカは「物音と撮影は無関係だろ」と反論する。ミカはマイクを構え、見えない相手に対して次々に質問した。何の返答も無かったが、彼は勝手に「相手がウィジャ・ボードを使いたがっている」と解釈しようとする。
15日目の深夜、ケイティーはベッドから起き上がり、2時間ほどミカを見つめてから寝室を出て行った。目を覚ましたミカが捜しに行くと、ケイティーは庭のブランコで座っていた。ミカが「寒いだろ。中に入ろう」と言うと、ケイティーは「入りたくない。独りになりたい」と告げる。ミカが毛布を取りに行こうとすると、大きな物音がした。彼が寝室へ行くと、テレビが付いていた。そこへケイティーが入って来て、ベッドに潜り込んだ。
翌朝、目を覚ましたケイティーは、自分の行動を全く覚えていなかった。不安そうなケイティーに、ミカは「悪魔祓いを呼んでも無駄だ。状況が悪化するだけだ」と告げる。ミカがウィジャ・ボードを借りて来たので、ケイティーは激昂して家を出て行く。慌ててミカが後を追い掛け、無人になった室内では、ポルターガイスト現象が起きていた。ミカの説得でケイティーは家に戻るが、「もう限界よ、カメラも捨てるわ」と声を荒らげた。
ミカはウィジャ・ボードにメッセージらしき物が残されているのに気付き、ケイティーに「一緒に解読しよう」と持ち掛ける。しかし、ケイティーは「見たくない」と激怒し、カメラを切るよう要求した。ミカは寝室の固定カメラに向かい、「カメラを回してケイティーを刺激しない」と約束した。翌朝、昨晩の映像を確認したミカは、炎によってウィジャ・ボードにメッセージが残されたことを知った。ミカは解読作業を開始するが、ケイティーは「そんな物は早く捨てて来て」と頼む。
ミカはケイティーに、粉を撒いて悪魔の足跡を残させる作戦を提案する。ケイティーは「効果が無ければエイブラムス博士に連絡する」という条件で、それを承諾した。17日目の深夜、2人は物音で目を覚ました。ミカが電気を付けると、寝室の床には何者かが入って来た足跡が残されていた。足跡を辿ったミカは、天井の点検口が開いているのを発見した。屋根裏を調べたミカは、ケイティーが幼い頃の写真を発見した。写真の周囲は燃えて欠損しており、ケイティーは「これが屋根裏にあるなんて有り得ない」と驚愕した…。監督&脚本&撮影&編集はオーレン・ペリ、製作はジェイソン・ブラム&オーレン・ペリ、製作総指揮はスティーヴン・シュナイダー。
出演はケイティー・フェザーストン、ミカ・スロート、マーク・フレドリックス、アンバー・アームストロング、アシュリー・パーマー。
ゲームデザイナーのオーレン・ペリが監督&脚本&撮影&編集を務め、1万5千ドルという超低額の予算で自主制作した作品。
撮影は全てオーレン・ペリの自宅で行われ、7日間で終了した。
出演者も監督も無名の超低予算映画であり、当然ながら封切り時点での上映館数は少なかった。しかし口コミで人気が高まり、メジャー会社の大作に匹敵するほどの公開規模にまで拡大した。
公開5週目にして週末興行収入で1位を記録し、興行収入でも1億ドルを超える大ヒットとなった。POV方式を使ったモキュメンタリー・ホラーの大きなブームを生み出したのは、6万ドルという低予算で製作され、全米興行収入1億4000万ドルの大ヒットを記録した1999年の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』である。あの映画の影響により、「低予算でも大ヒットの可能性が持てる手法&ジャンル」として、POV方式を使ったモキュメンタリー・ホラーが世界中で何本も作られた。
この作品も、そんな流れの上にある1本と捉えていいだろう。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の場合、公開前の巧妙な(と言っていいのかどうかは微妙なんだけど)宣伝方法が、作品のヒットに結び付いた。製作したダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスは、町に伝わる呪いの伝説を創作し、Webサイトやテレビ番組、雑誌などのメディアミックス展開によって魔女伝説や学生たちに触れ、「取材に訪れて失踪した学生たちの残した映像を編集した」という映画の体裁が事実であるかのように偽装したのだ。
そんな陳腐な偽装で、アメリカでは多くの観客が「ドキュメンタリー・フィルムだ」と簡単に信じたってのは、どんだけアンポンタンが揃っているのかと思ってしまうけど、ともかく『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』では宣伝方法に力を入れていたわけだ。しかし本作品の場合、そういう戦略は取っていない。そもそも、そこに力を入れるほどの予算さえ無かっただろう。
だけど口コミによって大ヒットに結び付いたわけだから、ポンコツな中身だった『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』と違ってホントに優れた出来栄えなのかという期待が少しだけあった。
しかし残念ながらというか、ある意味では期待通りというか、ボンクラな仕上がりだった。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』にしろ、それ以降に公開された同類の作品にしろ、モキュメンタリー・ホラーの大きな欠点は、ドキュメンタリーという偽装に頼り過ぎているってことだ。
「ドキュメンタリー・フィルム」として受け止めるから怖いのであって、最初から「低予算&短時間で作られたフィクション」という事実が分かった上で鑑賞すると、単にシナリオが粗くて中身が薄く、映像演出も乏しいチープな作品でしかないのだ。POV方式ってのは、怖がらせるための1つのギミックとしては有りだけど、そこには大きな問題が1つある。
1つは、ブレまくる主観映像が続くことで、集中して観賞していると悪酔いしてしまうってことだ。
この映画の場合、屋内に設置された固定カメラの映像も使っているので、ずっとPOVが続くわけではないけど、やはりブレまくる主観映像のシーンは見ていて疲れる。
それと固定カメラの映像に関しては、「早送りが終わったところで何かが起きるのが分かってしまう」ってのが欠点になっている。POV方式に関する2つ目の問題は、こちらの方が大きいのだが、「どんな状況でも登場人物がカメラを手放さず回し続けるのは不自然」ってことだ。
例えば、ミカが60年前にケイティーと同じ体験をした少女のことを突き止めた後、「いい解決方法を思い付いた」と相談を持ち掛ける時までカメラを回しているのは、ものすごく不自然だ。
そこは怪奇現象を解き明かすために全く必要性の無い場面だし、それを撮影して何の意味があるのかと。
ケイティーが悪魔に襲われて負傷する現場を目撃し、「もう限界だ」と激昂した後も彼はカメラを回し続けるが、これまた不自然だ。映像を編集して、どこかに売り込もうという野心でも抱いているのか。冒頭で「この映像をパラマウント・ピクチャーズに提供してくれたミカとケイティーの家族、及びサンディエゴ警察に感謝する」という文字が表示され、それによって「これは実在する人物が撮影したドキュメンタリー・フィルムである」ということをアピールしているけど、そんなわけないからね。ミカとケイティーの家族はともかく、商業ベースで公開される映画のために、警察が事件の証拠物件である映像を提供するなんてことは絶対に有り得ないからね。
別に私は、「フィクションなのにドキュメンタリーを装うことが許せない」と言っているわけじゃないのよ。
問題にしているのは、まずモキュメンタリーとしての作り込みが甘いってのが1点。
もう1点は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の批評でも書いたけど、「どんなに頑張って作り込んだところで、モキュメンタリーがドキュメンタリーじゃないことはバレバレなんだから、何をどういう風に怖がればいいのか良く分からん」ってことだ。作り込みの甘さは幾つもあって、例えば「8歳の頃から悩まされている」というのなら、なぜケイティーは今まで霊媒師とか、その筋の専門家に相談しなかったのか。
それと、ずっと怪奇現象に悩まされているにしては、普通に明るく過ごしている雰囲気がある。
超常現象を解き明かす目的でミカがカメラを回し始めても、それを楽しんでいる様子が見える。鍵が落ちているのを見つけても、まるで怯えない。
「もう何年も続いているから慣れてしまった」ということでは説明が付かない。あれだけ怯えているのに寝室のドアを絶対に閉めようとしないとか、寝る時に必ず電気を消すっってのも不可解。
カメラを嫌っているはずのケイティーが、どんな時でもミカに頼まれると撮影を受け持つのも不可解。
悪魔がウィジャ・ボードに残したメッセージや、屋根裏に置いた写真が、まるで伏線として機能していないのも粗さを感じる。
2シーンだけ登場するアンバーに、まるで存在意義が無いのも粗さの1つだと感じる。
伏線として機能する要素がゼロだとか、存在意義が無い登場人物がいるってのを「ドキュメンタリーだから」という言い訳で済ませちゃうのは、ただの手抜きに思えちゃうし。「ドキュメンタリー」という仮面を剥がしてしまえば、これは「ちょっとした怪奇現象がチラホラと差し込まれる程度で、何も起きない退屈な時間帯が大半を占めるダラダラとした映像」でしかない。
この映画でビビらされる箇所がゼロというわけではないが、ビビッたのは「急にデカい音がする」というシーンだけ。
そりゃあ不意に大きな物音がすれば誰だってビックリする。
そう、つまり「驚いた」のである。
それは俗にいう「コケ脅し」に過ぎない。ジワジワと忍び寄る恐怖とか、体の芯まで震えさせる恐怖とか、そういうのは皆無だ。それと、これは日本人とアメリカ人の感性の違いが関係しているから仕方の無い部分もあるんだろうけど、「怪奇現象を引き起こしている犯人は悪魔」ってことが簡単が判明しちゃうのは、すんげえ冷めるわ。
まず日本はキリスト教国家じゃないから「悪魔」に対する恐怖心の強い国民が少ないってこともあるんだろど、それ以上に引っ掛かるのは、怪奇現象の正体を簡単に断定しちゃうこと。
アメリカ人って、恐怖の対象を明らかにしたがるよね。しかも、ご丁寧にもミカが開いている文献で悪魔の姿まで見せちゃうんだよな。
そうなると、悪魔が画面に登場しなくても、「そいつが怪奇現象を起こしている」ってのは脳内に植え付けられるので、恐怖心は一気に減退するんだよね。
日本人って「得体の知れない存在」に対して恐怖を感じるんだけど、そこは全く感性が異なるんだろうなあ。それにしても、『世界残酷物語』や『食人族』なんかが公開されていた時代ならいざ知らず、インターネットの普及した現代において、これを「本物のドキュメンタリー・フィルム」だと信じて観賞する人って、そんなに多くないと思うんだよね。ローティーンならともかく、それなりの年齢を重ねた観客で、これを本物のドキュメンタリーと信じて観賞するのは、よっぽどのボンクラか、お人好しか、どっちかじゃないか。
しかも、北米の状況は知らないが、日本の場合、まだ『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が公開されるより前から、テレビの深夜枠やビデオ作品として数多くのモキュメンタリー・ホラーが製作されてきたわけで。
つまりモキュメンタリー・ホラーってのは、そんなに新鮮味や珍しさのあるジャンルではないんだよね。
ただ、こういうのが大ヒットするってことは、アメリカ合衆国という国は、ある意味で平和なんだなあとは思ったけどね。(観賞日:2014年12月11日)
2010年度 HIHOはくさいアワード:4位