『プロフェシー』:2002、アメリカ

ワシントン・ポスト紙の記者ジョン・クラインは、妻メアリーと共に新居の物件を見学に出掛けた。気に入ったジョンは、その家を購入することに決めた。その帰り、車を運転していたメアリーは急に何かに驚き、事故を起こす。病院に運ばれたメアリーは、ジョンに「あれを見なかった?」と尋ねた。しかしジョンには、何のことだか全く分からなかった。
検査の結果、メアリーには60万人に1人という特殊な腫瘍が発見された。完全な除去は不可能で、治療法も無い病気だった。やがてメアリーは、息を引き取った。ジョンは、メアリーがノートに書き残した何枚もの絵を目にした。そこには、羽を広げたような、黒くて不気味な生物の絵が描かれていた。
2年後、ジョンは夜遅くに仕事の都合でリッチモンドへ出掛けようとした。ところが車を運転していた彼は、気が付くと見知らぬ場所にいた。ジョンは近くの家を訪れ、電話を掛けさせてもらおうとする。ところが家の住人ゴードンはライフルを持ち出し、「お前を待っていたんだ。どういうつもりだ」と言ってジョンを殺そうとする。
ゴードンの妻デニスの通報で、警官のコニーがやって来た。ゴードンはコニーに、ジョンが3日連続で深夜の同じ時刻に来たストーカーだと証言する。身に覚えの無いジョンはコニーに身分証を見せ、解放してもらった。モーテルまで送ってもらったジョンは、その町がワシントンからは600キロも離れたウエスト・ヴァージニア州ポイントプレザントだと知った。
翌日、ジョンはコニーから町で起きている奇怪な出来事について聞いた。最近、得体の知れない何かを見たという人が大勢現れているのだという。その中には、赤い目をした大きな蛾のような生物を見たという証言もあった。そして、メアリーが描いたのと同じような黒い生物の絵を描いた人もいた。
ジョンはゴードンから、謎の男からの電話で「デンバー、99人が死ぬ」というメッセージを聞いたと教えられる。やがてジョンは、デンバー発の飛行機が事故を起こして乗客99人が死んだというニュースを知った。数日後、ゴードンはジョンに、イングリッド・コールドと名乗る男が現れて「赤道直下の場所で300人が死ぬ」と告げたことを語った。エクアドルでは、地震によって300人が死亡していた。
ジョン自身も、電話でイングリッド・コールドと話すことになった。イングリッド・コールドは、ジョンに関する情報を全て言い当ててみせた。ジョンはシカゴへ飛び、予言に関する著書のあるアレキサンダー・リーク博士に面会した。リークはジョンに、メアリーが描いた黒い生物“モスマン”は説明不能な存在だと告げる…。

監督はマーク・ペリントン、原作はジョン・A・キール、脚本はリチャード・ヘイテム、製作はトム・ローゼンバーグ&ゲイリー・ルチェッシ&ゲイリー・ゴールドスタイン、製作総指揮はテリー・A・マッケイ&テッド・タネンバウム&リチャード・S・ライト、撮影はフレッド・マーフィー、編集はブライアン・バーダン、美術はリチャード・フーヴァー、衣装はスーザン・ライアル、音楽はトマンダンディー。
出演はリチャード・ギア、ローラ・リニー、ウィル・パットン、デブラ・メッシング、ルシンダ・ジェニー、アラン・ベイツ、デヴィッド・エイゲンバーグ、アン・マクドノー、ネズビット・ブライスデル、ボブ・トレイシー、マーフィー・ダン、イヴォンヌ・エリクソン、シェーン・キャラハン、トム・タリー、ローン・トーマス、ダン・キャラハン、クリスティン・フレーム、ビリー・モット、マーク・ペリントン他。


1966年から1967年に掛けて実際に起きた怪奇現象を題材にしたオカルト映画。
監督は『隣人は静かに笑う』のマーク・ペリントン、脚本は『暴走特急』のリチャード・ヘイテム。
ジョンをリチャード・ギア、コニーをローラ・リニー、ゴードンをウィル・パットン、メアリーをデブラ・メッシング、デニスをルシンダ・ジェニー、リークをアラン・ベイツが演じている。

謎の一部が解決されないまま終わっても、それで納得できる作品もある。
不可思議な現象を説明しなくても、それで構わないと思える作品もある。
だけどね、せめて観客が謎を自分で噛み砕き、自分なりに答えを推理できるだけのヒントは与えておくべきだろう。
ただ不思議な現象を描きました、何一つ分かりませんでしたというのは、不親切にも程があるだろう。
「ゴキブリには人間のことは理解できない」という言い訳で、「だから何も分からないまま終わります」で観客が納得するとでも思ったのか。

この映画の場合、謎に対する答えは何一つとして用意されていない。
それは「用意してあるけど観客にはボカしたまま描く」のとは、全く違うことなのだ。
監督や脚本家が答えを持っており、しかし謎解きは途中で止めておくということなら、その続きを観客が考えることは出来るだろう。
しかし、答えの用意されていない謎の解読など、やる気が起きない。
ミステリアスなまま終わるのと、大風呂敷を広げたまま何も処理せず放り投げてしまうのは、全く違う。

科学的な説明、論理的な説明をしろということではない。科学では解明不能な怪奇現象、超常現象として描くのは構わない。
しかし、「Aという要素とBという出来事に、どういう関連があるのか」とか、「その数字は、何を示そうとしているのか」ということに関して、「不可思議な現象」の中での答えを表現することが出来るはずだろう。
ハッキリしたモノを示さなくても、Aという要素とBという出来事に何か関連性があると感じさせてくれば、それでいい。しかし、例えばメアリーの脳腫瘍とモスマンには、何の繋がりも感じない。モスマンを見た人が全て予言を受けているわけでもないし、予言の内容も本人に関わる出来事の場合もあれば、遠い出来事の場合もある。そこに関連性や共通性を持たせようとしていない。

そもそも、製作サイドがモスマンをどういう扱いにしたかったのか、映画をどういうテイストにしたかったのか、按配、スタンスというものがハッキリしない。
予言の意味を探るサスペンス、「現実」の危うさに怯えるサスペンスにしたかったのか。
それとも、化け物が人々を怖がらせるホラー映画にしたかったのか。
序盤の流れやリチャード・ギアという配役、さらには彼のワシントン・ポスト紙記者という設定からは、「モスマンが存在するのか否か」を探る話に思える。しかし、この映画は中盤辺りまでに「モスマンは確実に存在する」ということを明確にする。そして、モスマンが主人公と電話で会話を交わすシーンなどを用意して、かなり安い存在にモスマンを貶める。
だったら、いっそCGで描いたモスマンが大っぴらに出てくるような内容にすればいいのに、そこまでの開き直りは無い。

結局、モスマンが何をしたかったのかは分からない。
「なぜ予言するの?」「ジョンやゴードンが予言の相手に選ばれたのはなぜ?」など、幾つもの疑問は何も解明されない。
無理矢理に答えをひねり出すならば、「全てはモスマンのタチの悪すぎるイタズラでした」という推理が思い付くが、そんなことで納得できるはずもない。

 

*ポンコツ映画愛護協会