『光をくれた人』:2016、アメリカ&オーストラリア&ニュージーランド

1918年12月。過酷な西部戦線から戻ったトム・シェアボーンは連邦灯台保安局へ赴き、ヤヌス島の臨時灯台守の仕事を志願した。彼は局長のカフランに、しばらく静かに過ごしたいのだと説明した。カフランは渡航費用は自分持ちであること、臨時要員なので休暇は無いことを告げ、僻地であるヤヌス島行きを承認した。2日後、トムはパルタジョウズ港に到着し、港長を務めるパーシー・ハスラックの家を訪れた。ハスラックはトムに、チッパー夫妻や小学校の校長を務めるビル・グレイスマーク、彼の妻であるヴァイオレットと娘のイザベルを紹介した。トムは会食に参加し、ハスラックたちと話すことになった。
ビルは前任の灯台守であるトリンブルについて、6年近く働いていたが孤独による情緒不安定で亡き妻の幻覚を見るようになったこと、今は入院しているが半年後の復帰が見込まれていることを語った。トムはビルたちに、「孤独については覚悟が出来ています。フランス戦線の後なので、むしろ独りでいたい」と述べた。彼は船でヤヌス島へ渡り、灯台守の仕事を始めた。他に誰もいない孤独な生活が続くが、トムは特に寂しさを感じることも無く、粛々と仕事をこなした。
3ヶ月後、トムはハスラックに呼ばれてパルタジョウズに戻り、トリンブルが自殺したことを知らされた。ハスラックは「正式に3年契約を結びたい」と言い、トムは承諾した。トムはグレイスマーク家を訪ね、一家と会食を取る。イザベルは彼をピクニックに連れ出し、2人の兄が大戦で死んだことを話す。彼女はトムに、「両親は戸惑ったはず。夫を亡くした妻は寡婦と呼ばれるけど、子供を亡くした親を呼ぶ言葉は無い。私はどうなのかしら。今でも妹かしら」と語った。
トムはイザベルの質問を受け、4年近く戦地にいたこと、母は死んでいること、父は連絡も無いことを話す。「灯台へ連れて行って。見てみたい」とイザベルが言うと、トムは「規定に反する。上陸できる女性は灯台守の妻だけだ」と告げる。イザベルが「じゃあ結婚して」と口にすると、トムは「僕と結婚なんて、気が変だ」と述べた。イザベルが手紙を送ってほしいと頼むと、彼は快諾した。トムは手紙の中でイザベルを愛する気持ちを素直に綴り、2人は結婚式を挙げてパルタジョウズの人々に祝福された。
トムはイザベルを連れてヤヌス島へ戻り、新婚生活をスタートさせた。やがてイザベルは妊娠し、夫婦は赤ん坊の誕生を心待ちにする。嵐の日、トムはイザベルを家に残し、灯台へ仕事に出向く。夜になり、激しい腹痛に見舞われたイザベルは、ずぶ濡れになりながらも灯台へ行く。彼女は灯台のドアを激しく叩くが、トムの耳には届かなかった。翌朝になって、トムは倒れているイザベルを発見した。イザベルは無事だったが赤ん坊は助からず、トムは墓を作った。1921年、5月31日の出来事だった。
イザベルはトムから「君のせいじゃない」と励まされても、失意の日々から抜け出すことが出来なかった。トムが医者を呼ぶと、イザベルは激しい怒りを示した。トムが調律師を呼んでピアノを調律してもらうと、ようやくイザベルは笑顔を見せた。トムは「また試そう」と告げ、イザベルと肌を重ねた。やがてイザベルは妊娠するが、今度はトムと家にいる時に具合が悪くなった。早すぎる陣痛に襲われた彼女が2度目の流産ほ体験したのは、1923年4月25日のことだった。
イザベルが2つの墓の前で悲しみに暮れている時、トムは漂流するボートを発見した。彼はイザベルに「ボートに誰か乗ってる」と叫び、浜辺に急ぐ。漂着したボートには、男性の遺体と泣いている赤ん坊が乗っていた。イザベルはトムから赤ん坊を家に連れて行くよう頼まれ、服を着替えさせて優しく話し掛けた。トムが信号を送って保安局へ報告しようとすると、イザベルは「この子を少し休ませてあげて」と言う。トムは彼女の様子を見て、翌朝まで待つことにした。
次の朝、トムが報告を入れようとすると、イザベルは「この子が来たのは偶然じゃない」と強く反対する。トムが「僕たちの子じゃない。返さなくては」と告げると、彼女は「誰も知らないわ。私たちの子だと思うわよ」と言う。イザベルが「何も悪いことはしていない。あの子を救うのよ」と主張すると、トムは「報告して養子縁組をすれば、正式に僕たちの子だ」と諭す。しかしイザベルが「無理よ。何も無い灯台だもの。認めてくれないわ」と泣いて懇願すると、トムは彼女の訴えを受け入れた。
トムは男の遺体を埋葬してボートを海に流し、赤ん坊が誕生したと報告した。船長のラルフと船員のブルーイが物資を届けに来て、赤ん坊の誕生を祝福した。イザベルは赤ん坊にルーシーと名付け、彼らに紹介した。トムとイザベルは洗礼を受けさせるため、ルーシーを連れてパルタジョウズへ戻った。教会へ赴いたトムは、墓参りに来ている喪服の女性を目撃した。女性が去った後でトムが墓石を見ると、そこに「フランツ・J・レンフェルドと娘グレースの思い出に 海に消え 神の身許へ 1923年4月26日」と刻まれていた。すぐにトムは、埋葬した男性とルーシーの正体が墓石に刻まれた2人だと悟った。
トムはノーケルズ司祭に、墓参りに来ていた女性のことを尋ねる。ノーケルズは彼に、ハナ・ポッツという町一番の金持ちの娘だと教える。ハナは父親の反対を押し切り、ドイツ人のフランクと結婚した。フランクは地元の連中に絡まれて危険を感じ、グレースを連れてボートに乗った。しかし弱かった心臓が限界に達し、ボートは海に流されたのだ。トムは島に戻ってから、匿名でハナに手紙を出した。その手紙には、「娘さんは愛され、大切にされています。夫君は神の身許で平安に」と綴られていた。
ハナは手紙を読み、妹のグウェンと共に警察署へ行く。しかし捜査してもらえず、父のセプティマスは賞金を倍額にしようと告げて慰めた。ハナは改めて手紙を読みながら、フランクと書店で出会ったこと、父に反対されたこと、赤ん坊が産まれて幸せだったことを思い出す。トムは誰にも真実を明かさず、ルーシーはヤヌス島で元気に成長した。灯台40周年を祝う式典に出席するため、トムはイザベルとルーシーを伴ってパルタジョウズへ赴いた。模型の出資者であるセプティマスがハナとグウェンを伴って出席しているのを知ったトムは、動揺を隠すことが出来なかった。
式典の後、トムはイザベルがヴァイオレットに紹介され、ハナ&グウェンと話している様子を目にした。トムはイザベルに歩み寄り、姉妹を紹介された。ハナから「ボートが流された話を聞いたことがありますか」と問われたトムは、「海では何事も有り得ます」と口にした。ハナが去った後、グウェンはトムとイザベルに、「数年前、姉は夫と娘を海で亡くしたんです。ちょうど、娘さんと同じぐらいの年」と言う。イザベルは顔を強張らせ、気分が悪くなって嘔吐した。
イザベルが実家で寝込むと、トムは「打ち明けるべきだ。正しいことをすべきだ」と諭す。イザベルが「ルーシーにとって正しいことを」と反対すると、トムは「彼女は母親だ」と告げる。しかしイザベルは「ルーシーにとっては私が母親よ」と述べ、トムの意見を拒絶した。トムはフランクの持っていたガラガラをハナの家の郵便受けに入れ、ヤヌス島に戻った。ガラガラを見つけたハナはナッキー巡査部長の元へ行き、捜査を要請した。
ガラガラの情報提供を求める懸賞金付きのチラシが貼り出され、ブルーイはヤヌス島で見た物だと気付いた。船が島に近付くのを見たトムは、イザベルに「僕の言う通りにすれば大丈夫だ。僕が無理に従わせたことにする。君を必ず守ると約束する」と語る。イザベルが「何をしたの?」と問い掛けると、彼は「仕方が無かった」と言う。イザベルは全てを悟り、「私を愛してないの?」と激しく抗議した。島に上陸したナッキーの尋問を受けたトムは全ての罪を被り、妻は何も知らないと証言した。
トムはパルタジョウズ署へ連行され、イザベルはルーシーと引き離された。ナッキーからフランク殺しの容疑を掛けられたトムは、「既に死んでいた。妻に聞いてくれ」と言う。しかしイザベルはトムへの強い憎しみを抱き、彼がフランクを殺したと嘘をついた。それを知ったトムはイザベルを責めず、殺人罪で収監されることを受け入れた。拘留されたトムは、イザベルに一通の手紙を送った。しかしトムへの怒りを抱いているイザベルは、手紙を読もうとしなかった…。

脚本&監督はデレク・シアンフランス、原作はM・L・ステッドマン、製作はデヴィッド・ハイマン&ジェフリー・クリフォード、製作総指揮はトム・カーノウスキー&ロージー・アリソン&ジェフ・スコール&ジョナサン・キング、共同製作はホリー・バリオ、撮影はアダム・アーカポー、美術はカレン・マーフィー、編集はロン・パテイン&ジム・ヘルトン、衣装はエリン・ベナッチ、音楽はアレクサンドル・デスプラ。
出演はマイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィカンダー、レイチェル・ワイズ、ブライアン・ブラウン、ジャック・トンプソン、ギャリー・マクドナルド、ジェーン・メネラウス、アンソニー・ヘイズ、レオン・フォード、フローレンス・クレリー、トーマス・アンガー、ジェラルド・ブライアン、ベネディクト・ハーディー、エミリー・バークレイ、スティーヴン・ウレ、ピーター・マコーレー、ジョナサン・ワグスタッフ、エリザベス・ホーソーン、ロゼッラ・ハート、マイケル・ウォレス、ピーター・ヘイデン、ゲイリー・ブラックマン、カーメル・マッグローン、ジェフリー・トーマス他。


M・L・ステッドマンの小説『海を照らす光』を基にした作品。
脚本&監督は『ブルーバレンタイン』『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』のデレク・シアンフランス。
トムをマイケル・ファスベンダー、イザベルをアリシア・ヴィカンダー、ハナをレイチェル・ワイズ、セプティマスをブライアン・ブラウン、ラルフをジャック・トンプソン、ビルをギャリー・マクドナルド、ヴァイオレットをジェーン・メネラウス、ヴァーノンをアンソニー・ヘイズ、フランクをレオン・フォード、ルーシーをフローレンス・クレブルーイをトーマス・アンガー、ハスラックをジェラルド・ブライアンが演じている。

詳細は語られないが、トムは戦争体験によって心に深い傷を追っている。独りになりたい気持ちが強くなり、彼はヤヌス島の灯台守に志願する。
そんなトムと出会ったイザベルは最初から恋心を抱き、3ヶ月後に再会するとピクニックに誘う。積極的にアプローチし、ついには逆プロポーズまでする。
トムの心を開かせるには、それぐらい大胆な行動が必要だったのかもしれない。
ただ、イザベルは行動は大胆だが、決して強引さは感じないし、下品でもない。とても健全で、純真で、瑞々しささえ感じさせる。

逆プロポーズを受けたトムは、その場では「僕と結婚なんて気が変だ」と言うが、既に心のドアをノックされている。
だからこそ、手紙を書いてほしいと頼まれると迷わず快諾するのだ。
そして彼は最初の手紙で、早くも「貴方の強さに惹かれる」と綴る。そしてイザベルの「失う辛さは良く分かります。でも歩み続けなくては」という励ましを受け、今度は「島に来てほしい」と自分からプロポーズする。
こうして2人は結婚式を挙げ、大勢に祝福される。

そこまでの「ハッピーエンドのラブストーリー」は、心が穏やかになる美しい物語だ。ただ、結婚式のシーンが映画開始から約25分後であり、まだまだ時間はたっぷりと残っている。
なので、そのまま幸せな日々が続かないことは、きっと多くの人が予想するだろう。そして残念ながら、その予想は見事に的中できてしまう。
何しろ脚本&監督はデレク・シアンフランスだ。
オリジナル脚本ではなく原作付きの作品ではあるが、デレク・シアンフランスは男女の不幸を描くのが真骨頂なのだ。

結婚式から10分ほど経過すると、もう「イザベルの流産」という不幸が襲い掛かってくる。
そして、ひとたび不幸が舞い込むと、そこからは落ちて行く一方になる。
しかも、この映画には悲劇のカタルシスなど用意されていない。ただ嫌な気持ちにさせられるだけだ。
それも、不幸に見舞われたトムとイザベルに対する同情心をバッサリと奪い取り、代わりに嫌悪感を抱かせるという、恐るべき展開が待ち受けているのである。

「それが終わってからの物語こそが重要」ってことで、2度の流産を体験するまでの物語に多くの時間を掛けられないのは分からなくもない。
ただ、そのせいで、最初の流産から「イザベルが憔悴するがトムの励ましを受けて元気になり、再び妊娠するが2度目も流産する」という展開に突入するまでが、あまりにも慌ただしくなっている。
こんなことになるぐらいなら、いっそルーシーを拾うシーンや育てているシーンから入り、回想として「過去にこんなことがあった」と触れる構成にでもした方がいいんじゃないか。
先に恋愛から結婚に至り、2度の流産を体験するという流れを描くことで、トムとイザベルが抱える心の痛みを観客にアピールしようとしたんだろうとは思うのよ。でも慌ただしすぎるので、結果としては表面的なモノとしてしか感じられなくなっているわけで。

トムは洗礼のために教会を訪れた時、墓石の文字を見て驚愕する。その後で司祭に話を聞き、ハナの事情を知る。
この辺りはトムが真実を知るシーンなので、かなり重要なポイントと言っていいだろう。
ただ、細かいことかもしれないが、ちょっと引っ掛かる問題が生じている。
墓石には「フランツ」と書いているのに、司祭もハナも「フランク」って言うんだよね。どっちが正しいのかと。
ドイツ語のフランツをオーストラリアではフランクと読むってことなのかもしれないけど、そこは無駄な引っ掛かりになってるなあ。

匿名の手紙を読んだハナが、フランクとの思い出を回想するシーンがある。フランクと結婚したり、グレースが産まれたりして幸せだった頃を描くことによって、ハナが抱える悲しみの深さを観客に伝えようってことなんだろう。
その効果はそれなりに発揮されていると言っていいだろうが、それと同時に「フランクの遺体を隠蔽し、グレース(ルーシー)を奪ったトムとイザベルの罪の重さ」も強く印象付けることに繋がっている。
もちろん2度目の流産を体験したばかりだから、イザベルが辛い状況にあったことは理解できる。そんなイザベルの懇願を受けたトムが、妻の悲しみを癒やすために行動したことも良く分かる。
しかし、だからと言って「他人の娘を奪ってもいい」ってことにはならない。
トムが真実を知っても隠し続けるのはイザベルを思いやってのことなので、同情の余地が無いとは言わないが、でも罪は罪だ。

ただし、まだトムに関しては、罪悪感を抱いて苦悩しているだけマシだ。
トムも罪人だが、さらに罪が重いのはイザベルである。彼女はルーシーがハナの娘だと知ってもなお、「自分の娘だ」と主張する。
彼女は2度の流産を経験しており、「子供を失うことの辛さ」は良く分かっているはずだ。それなのにハナの気持ちを思いやることは皆無で、何の苦悩も無く「ルーシーは渡さない」と身勝手に主張するだけだ。
これにより、彼女は「卑劣な悪女」であることが確定する。
しかも彼女は、トムが全ての罪を被ってくれたのに、「自分からルーシーを奪った許し難い男」と憎んで、フランク殺しの罪まで被せるのだ。
この行動によって、わずかに残っていたイザベルへの同情心はキレイに消え失せる。

どうやら作品のテーマは「慈愛」のようだが、この作品で慈愛を求められるのってハナだけだよね。トムとイザベルは罪を犯した側だし。
そんでトムはハナに「妻に選択の余地は無かった。どうか慈悲を」と頼んでいるけど、トムとイザベルのせいで、ハナは実の娘から母親と思ってもらえず拒絶されるという、辛い日々が長く続くことになるわけで。
あと、ハナも辛いけど、グレース(ルーシー)だって辛いぞ。トムとイザベルが実の両親だと信じ込んでいたのに、急にハナの元へ戻されて、別の名前で呼ばれることになるんだから。
トムとイザベルはハナだけでなく、グレースの人生までメチャクチャにしているのだ。

トムがイザベルを不憫だと思うのは個人の自由だが、その慈悲をハナにも求めるのは、あまりにも身勝手だ。
ハナは夫の言葉を思い出してトムもイザベルも赦しているけど、それを素直に受け入れがたいんだよね。
ずっと「トムとイザベルの物語」として進めてきたもんだから、この2人に対する怒りや嫌悪感が、ハナの赦しによって余計に増してしまう。何の権限も無いけど、「お天道様が許しても、オレ様の目が黒い内は許さねえ」と言いたくなる。
慈愛の物語に見せ掛けているけど、ヘドが出そうになるわ。

(観賞日:2019年5月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会