『微笑みをもう一度』:1998、アメリカ
バーディーは高校時代に“学園の女王”に選ばれ、アメフト部でクォーターバックだったモテモテ男ビルと結婚し、娘バニースに恵まれた。シカゴで幸せな生活を送っていたバーディーに、突然のショックが待っていた。トニ・ポストが司会を務めるテレビの視聴者参加番組に呼ばれたバーディーは、親友コニーとビルから不倫関係にあることを聞かされたのだ。
バーディーはバニースを連れて、テキサスにある故郷の田舎町スミスヴィルに戻った。実家では、母ラモーナと姉の息子トラヴィスが出迎えた。部屋に閉じこもっていたバーディは、ようやく職業斡旋所へ行くが、所長を務める高校時代の同級生ドットに皮肉を言われる。
バーディーは斡旋所の紹介で、写真の現像ショップで働くことになった。高校時代の同級生ジャスティンから積極的なアプローチを受けたバーディーは、最初は嫌がっていたものの、やがて心を動かされるようになる。だが、そんな2人の接近にバニースは激しく反発する。そんな中、家族の大切さをバーディーに説いたラモーナが発作で倒れた…。監督はフォレスト・ウィテカー、脚本はスティーヴン・ロジャース、製作はリンダ・オブスト、製作協力はエリザベス・ジョーン・フーパー、製作総指揮はメアリー・マクラグレン&サンドラ・ブロック、撮影はカレブ・デシャネル、編集はリチャード・チュー、美術はラリー・フルトン、衣装はスージー・デサント、音楽はデイヴ・グルーシン、エグゼクティヴ・サウンドトラック・プロデューサーはドン・ウォズ&フォレスト・ウィテカー。
主演はサンドラ・ブロック、共演はハリー・コニックJr.、ジーナ・ローランズ、メイ・ホイットマン、マイケル・パレ、キャメロン・フィンレイ、キャシー・ナジミー、ビル・コッブス、コニー・レイ、モナ・リー・フルツ、シドニー・ベリー、キャシー・ラムキン、レイチェル・スノー、クリスティーナ・ストヤノヴィッチ、アリッサ・アルバン、ディー・ヘニガン、マーサ・ロング、ノーマン・ベネット他。
サンドラ・ブロックが、初めて長編映画のプロデュースに携わった作品。
バーディーをサンドラ・ブロック、ジャスティンをハリー・コニックJr.、ラモーナをジーナ・ローランズ、バニースをメイ・ホイットマン、ビルをマイケル・パレが演じている。また、アンクレジットだが、コニー役でロザンヌ・アークエットが出演している。メガホンを執ったのは俳優のフォレスト・ウィテカーで、これが2本目の劇場映画監督作品。1本目の『ため息つかせて』は黒人俳優を集めて撮った作品だったが、今回は「黒人映画」という体裁を取っていない、ごく普通のロマンス映画だ。
『ため息つかせて』は、「口当たりは優しいが各エピソードが浅い」という印象の作品だった。そして今回も、似たような印象を受けた。
フォレスト・ウィテカーという人は、優しすぎるのかもしれない。
だから、キャラクターの心の奥に踏み込んでいけないのだろう。
というか、そもそもシナリオが甘すぎて、どうしようもないという問題はあるのだが。この作品、「全面的にハッピーだったはずのヒロインが、突然に激しいショックを受け、さらにイヤなことが重なって打ちひしがれ、精神的にドン底まで落ちてしまい、そこから新しい恋人や子供の存在もあって、少しずつ前向きに生きていく気持ちを取り戻していく」という「山から谷、そして再び山を登り始める」という展開であるべきだと思う。
しかし、実際には「ヒロインが辛い思いをする」という部分の描写が、落雁に蜂蜜を塗ってチョコをまぶしたように甘いのだ。「辛い思いをしている」という前提が弱いから、「辛くても希望を持って人生を歩めば、きっと本当の愛を見つけられる」という話にならない。まず冒頭、テレビ番組でヒロインが夫と親友の不倫を知らされる。
ここでは、もっと彼女の動揺する表情をじっくりと見せるか、ショックから喋りまくる様子を示した方がいい。また、観客席で見ているバニースの姿や、それを見たヒロインの反応も、もっとアピールすべきだろう。
しかし実際には、簡単に次の場面に移行してしまう。
それと、その番組の場面より前に、ヒロインのハッピーな生活を見せておくべきだろう。
親友とも仲良くしており、夫と娘に囲まれて幸せに暮らしている。そういう幸せな前提が描かれていることで、それが崩れることのショックの大きさも伝わりやすいはず。
「実家にジャスティンが来る→家に閉じこもる→外出する」という流れは、どうかと思う。それよりも、「実家に番組を見た連中が来て冷やかす→そこへジャスティンが来るが、ヒロインは先程の連中と同じように捉える→外出する」という流れの方がいいと思う。
というのも、ヒロインをヘコませるためには、最初のショックを受けた所へ新たなショックという「泣きっ面に蜂」で畳み掛けた方がいいと思うからだ。しかし前者の場合、最初のショックの後にジャスティンとの再会などで、一息ついてしまうのだ。外出したヒロインだが、せいぜい職業斡旋所で2人の同級生に会う程度で、大勢の連中から冷やかされたりイヤミを言われたりすることは無い。そして、ヒロインを傷付ける描写が薄い所へ、痴呆の父親とダンスをするような和みのシーンを持って来てしまう。
これでは、ちっともヒロインが谷底へ落ちて行ってくれない。
現像ショップで働き始めても、1人の客がイヤミを言う程度で、やはりヒロインを傷付ける描写は薄い。で、ジャスティンとの関係が描かれる。
ヒロインが打ちひしがれてこそ、優しいジャスティンに惹かれる展開も生きると思うのだが。で、終盤に入って皮肉を言われても余裕で言い返す場面でも入れれば、ヒロインが強くなったと示すことが出来る。後半にヒロインが「ビルがいないと何も出来ない」と泣き出す場面があるが、違和感を抱く。そこまで落ち込むほどヘコまされていないってのもあるし。それと、まるでビルとの結婚生活に未練があるように受け取れるが、そこまでに、そういう描写は無かったし。
ラモーナはヒロインとジャスティンを結び付けようとするのだが、イヤな女に見えてしまう。というのも、バニースはパパが戻ってくると信じているのだ。そんな彼女の前で、他の男とママを近付けようとするのは、祖母としてどうなのかと。
しかもラモーナは、バニースが「パパが出て行ったのも、みんなママのせい」とヒロインを批判し、親子関係が悪化した時には、何のフォローもしない。終盤に入ってラモーナが家族の絆をバニースに説くが、それならヒロインとバニースがケンカした時にやれよ。前半はヒロインとジャスティンの関係が接近していく様子が描かれ、後半に入るとヒロインとバニースの関係が描かれる。つまり、恋愛と家族愛が前半と後半で分断されている状態なのだ。
その2つは、並行して描かれるべきだろうと思うのだが。
最後までバニースがパパ寄りで、ヒロインを批判してパパの元へ向かおうとするのは、どう考えても違うだろう。その前の段階でヒロインとバニースに仲直りの気配があるのだし、そこまでに2人の絆を深めておき、バニースはママの元に残るべきでしょ。
パパは身勝手な男なんだし、むしろバニースがヒロインを擁護すべきでしょ。
第21回スティンカーズ最悪映画賞
ノミネート:【最悪のインチキな言葉づかい】部門[サンドラ・ブロック]