『ホーリーマン』:1998、アメリカ
リッキー・ヘイマンがディレクターを務める通販専門テレビ局のGBSNは、新社長を迎えることになった。リッキーは新社長から気に入ってもらえるかどうか不安を抱きつつ、テレビ局へ出社した。美女が通り掛かったので彼は軽い態度で口説くが、あっさりと受け流された。銀行の残高が無いことを部下のバリーから知らされたリッキーは、昇給してもらおうと考えてマクベインブリッジ社長の元へ赴いた。マクベインブリッジが27ヶ月も売り上げが伸びていないことを指摘すると、リッキーは品揃えが良くないからだと言い訳した。するとマクベインブリッジは「問題は売り方にある」と声を荒らげ、2週間で結果を出さないとクビにすると通達した。
そこへ先程の美女が来て、「ケイト・ニューウェルよ」とリッキーに自己紹介する。マクベインブリッジは彼女がアナリストだと説明し、コンビを組んで売り上げを8パーセント伸ばすようリッキーに命じた。ケイトはGBSNに特色が無いことを指摘し、プランナーのスコットと会うようリッキーに告げた。リッキーとケイトは車で移動するが、タイヤがパンクしてしまう。携帯は圏外で助けも呼べず、リッキーはタイヤ交換を始める。そこへ不審な男が歩いて来たので、ケイトはリッキーに知らせた。リッキーは不審人物だと感じて無視しようとするが、男が手を振るとケイトは手を振り返した。
男は「困ってるんだろ、手を貸すよ」と言い、道路を平然と横断した。何台もの車が走行していたが、男はぶつからなかった。「Gだ」と男は自己紹介し、ケイトの心配性な性格を見抜いた。ケイトが車で送ると持ち掛けると、Gは「巡礼の旅だから」と遠慮した。リッキーはケイトの態度に呆れ果て、車をバックで発進させる。車はGと激突寸前で停止するが、彼は気を失って倒れた。リッキーは仕方なくGを病院へ運び、看護婦から治療費を請求される。「赤の他人だ」と拒否するとケイトが支払おうとするので、リッキーは「僕が出すよ」と告げた。医師のサイモンはリッキーたちに、暑さで倒れただけだが不整脈なので検査入院が必要だと説明した。
後日、リッキーがテレビ局にいると、Gが生放送中のスタジオへ勝手に入り込んだ。リッキーは警備員を呼び、合図で捕まえるよう指示して待機させる。Gが洗剤を宣伝中の女性タレント2人と楽しく絡む中、リッキーはバリーに指示してCMに切り替えさせた。リッキーはGを自分のオフィスへ連れて行き、用件を尋ねる。するとGは治療費を払ってくれた礼を述べ、「代わりに何でもするよ」と言う。「旅を続けてくれ」とリッキーは追い払おうとするが、ケイトは「検査結果は?」と質問した。
「再検査で異常がが無ければ旅を続けていいらしい」とGは答え、日中はショッピング・モールで休むつもりだと言う。行く当てが無いことを知ったケイトは「私たちには責任があるわ」と言い、自分の家で泊まるよう促した。そこでリッキーは「責任は僕にある」と言い、Gを自分の家へ泊めることにした。リッキーはマクベインブリッジに自信のある企画書を提出するが、ケイトから「滑稽で気に入ったと言ってたわ。早く本物を出せって」と告げられた。
リッキーはGに部屋から出ないよう頼み、接待のためのパーティーを開いた。ケイトはスコットを伴って現れ、リッキーに「人格は最低だけど、仕事は出来るわ」と囁いた。Gがパーティー会場に来たので、リッキーは慌てて部屋へ戻るよう促す。しかしGは勝手にテレビを付けたりケイトに話し掛けたりして、リッキーを困らせる。招待客のニノ・セルッティーが「飛行機嫌いを克服したい」と語ると、Gは催眠術を掛けようと提案する。ニノが興味を示すとGは招待客を呼び集め、催眠術を披露した。スコットが「他にも何かできるのか」と挑発するように言うので、Gはロレックスの腕時計を消す手品を披露した。
後日、飛行機嫌いを克服したニノとの契約が決まり、リッキーは特別な才能を持つGと手を組もうと考える。「テレビを使えば多くの人々を幸せにできる」と番組出演を持ち掛けるリッキーに、Gは「それで君は幸せになるのか?そこが重要なポイントだ」と尋ねる。「ああ、やってくれると助かる」とリッキーが答えると、Gは出演快諾した。収録当日、リッキーはスタジオ入りしたGに「カメラを友達だと思って商品を勧めろ」と指示した。
Gは生放送が始まっても、なかなか喋り出さなかった。リッキーの指示で口を開くが、彼は台本と全く違うことを喋り始める。彼は美容器具を宣伝している別のスタジオへ移動し、出演者に話し掛ける。Gは器具を勝手に操作した上、商品を否定するようなことを口にした。さらに彼は別のスタジオへ行き、商品のチェーンソーでセットのテーブルやベンチを切断した。彼はチェーンソーを使う暮らしも否定し、生き方を改めるべきだと視聴者に訴えた。
リッキーは激怒したマクベインブリッジから、クビを宣告される。しかしGが出演してから電話が一気に増えたというデータが出たため、ケイトはマクベインブリッジを説得する。リッキーが深夜枠を使わせてほしいと頼むと、マクベインブリッジは「もしも失敗したら君たちの責任だ」と通達した上で了承した。スコットはマクベインブリッジと会い、「自分に局を任せてくれれば1年半で結果を出す」と告げる。「ケイトやヘイマンの処遇は?」と問われた彼は、「ケイト残すが、ヘイマンは視聴者になってもらいます」と述べた。
リッキーとケイトは、Gに金のペンダントを宣伝させた。するとGはペンダントについて全く話さず、幼少時の人助けについて語った。さらに彼は、いつの間にか用意していたリッキーの写真を持ち出し、「彼は自分を嫌ってるんだ。どこかで会ったら、褒めてあげてほしい。彼は愛に飢えてる。抱き締めてあげてほしい」と視聴者に告げた。リッキーは頭を抱えるが、注文の電話は殺到した。その後もGの出演番組で取り扱われた商品は、注文が殺到した。Gの人気や評判は広まり、数々のメディアで特集を組まれるようになった…。監督はスティーヴン・ヘレク、脚本はトム・シュルマン、製作はロジャー・バーンバウム&スティーヴン・ヘレク、共同製作はレイ・マーフィー&レベッカ・ラッド、製作総指揮はジェフリー・チャーノフ&ジョナサン・グリックマン、撮影はエイドリアン・ビドル、編集はトルーディー・シップ、美術はアンドリュー・マッカルパイン、衣装はアギー・ゲラード・ロジャース、音楽はアラン・シルヴェストリ。
主演はエディー・マーフィー、共演はジェフ・ゴールドブラム、ケリー・プレストン、ロバート・ロッジア、ジョン・クライヤー、エリック・マコーマック、サム・キッチン、ロバート・スモール、マーク・マコーレイ、エディー・マックラーグ、キム・スタウントン、モーガン・フェアチャイルド、ベティー・ホワイト、フローレンス・ヘンダーソン、ジェームス・ブラウン、スーピー・セイルズ、ダン・マリーノ、ウィラード・スコット、ニノ・セルッティー、キム・アレクシス、ヴェロニカ・ウェブ、バーバラ・バロン、クリスティーナ・ウィルコックス他。
『陽のあたる教室』『101』のスティーヴン・ヘレクが監督を務めた作品。
『ホーリーマン/エディ・マーフィはカリスマ救世主』というタイトルでテレビ放送されたこともある。
脚本は『ミクロキッズ』『いまを生きる』のトム・シュルマン。
Gをエディー・マーフィー、リッキーをジェフ・ゴールドブラム、ケイトをケリー・プレストン、マクベインブリッジをロバート・ロッジア、バリーをジョン・クライヤー、スコットをエリック・マコーマックが演じている。
女優のモーガン・フェアチャイルド、女優のベティー・ホワイト、女優で歌手のフローレンス・ヘンダーソン、歌手のジェームス・ブラウン、コメディアンのスーピー・セイルズ、当時は現役NFL選手のダン・マリーノ、マクドナルドのCMで初代ロナルドを演じていたウィラード・スコット、ファッション・ブランドの三代目社長であるニノ・セルッティーが、それぞれ本人役で登場している。この頃のエディー・マーフィーはマシンガン・トークに疲れていたのか、あるいは新境地を開拓しようと思ったのか、『ネゴシエーター』や『ドクター・ドリトル』など、それまでのイメージとは異なるキャラクターを演じる映画に出演している。この作品でも、エディーはマシンガン・トークを全く披露せず、「穏やかな笑みを浮かべ、ゆったりと話す柔和な男」を演じている。
その一方、「リッキーの頼みを無視し、自由気ままな行動で振り回す」というキャラクターでもあるのだが、この2つがエディー・マーフィーという役者を通して合体した時、それは「不快感を醸し出すキャラクター」と化している。
たぶん、今までのような「やたらと喋りまくるお調子者」として自由奔放な振る舞いを見せた方が、「まあ、そういう奴だろうね」と、ある意味では納得できたんじゃないかと思うのだ。
しかし、穏やかで争いを望まないタイプに見えて、リッキーの神経を逆撫でする行動ばかり取るので、それが逆に「疎ましい奴」としてのマイナスパワーをアップさせているように感じるのだ。あと、エディー・マーフィーのパーソナル・イメージに、「不思議な力を持つ聖人のような男」というキャラクターがミスマッチなんじゃないかと思うんだけどなあ。
ぶっちゃけ、彼が相手の心を見抜く言葉を口にしても、不思議な術を使っても、全てがウサン臭いんだよな。
例えば「聖人を偽る詐欺師」とか、そういうことならピッタリだと思うけど。
それと、「この役って別にエディー・マーフィーじゃなくてもいいんじゃねえか」と思っちゃうし。っていうか、いっそジェフ・ゴールドブラムと役を入れ替えた方が良くないかね。冒頭、リッキーは自宅で「僕は新社長から気に入ってもらえる」と自分に言い聞かせ、テレビ局へ赴く。チャラい態度で女性たちと会話を交わしているとケイトが通り掛かり、今度は彼女を口説く。
そういう流れだったら、「実はケイトが新社長」ってのがセオリーだよね。でも実際には、ケイトは新社長ではない。
で、本物の新社長はマクベインブリッジなのだが、銀行の残高が無いと知ったリッキーが「給料を上げてもらおう」と漏らした後、直談判している様子が写る。つまり、「リッキーが不安を抱きつつ新社長に会う」とか「新社長が紹介される」という手順を踏まないのだ。
だったら、何のために「リッキーが新社長のことで不安を抱く」という様子を最初に見せたのかと。普通に出向いて昇給を陳情できるんだったら、不安なんて無いんじゃないかと。リッキーはマクベインブリッジから27ヶ月も売り上げが伸びていないことを指摘され、2週間で結果を出さないとクビにすると宣告される。
社長が最後通牒を叩き付けるのは、冷酷な男だからではなく、リストラを進めているからでもなく、リッキーの仕事ぶりがダメだからだ。そういうことであるなら、最初に「いかにリッキーがダメ社員なのか」ってのをアピールしておくべきだろう。
バイヤーからの売り込みを受けた彼が、売れそうもない商品なのにOKしてしまうというシーンは用意されている。
だが、それでは全く不充分だ。それがリッキーのダメ社員ぶりを示すためのシーンってのは、下手をすると気付かれない可能性さえあるんじゃないか。車のタイヤがパンクした後、カットが切り替わるとGが登場する。彼は芝生にキスして笑顔を浮かべた後、トラックの若者たちにジュースを投げ付けられる。若者たちは馬鹿にする態度で走り去るが、Gは「缶じゃなくて良かった」と笑顔で見送る。
そんな様子の後、タイヤ交換をするリッキーたちが彼を見るシーンになる。
しかし、それならGの初登場は、リッキーたちが遭遇するシーンにした方がいいだろう。トラックの若者たちとの絡みで彼のキャラクターを示したかったのかもしれないが、かなり中途半端だ。
それに、リッキーたちと会ってからでも余裕で間に合う。「Gが道路を横断しても車にひかれない」ってのは、見せたいことは分かる。
ただ、本人が何食わぬ顔で道路を横断するのも、車と激突せずに済むのも受け入れられるが、「人が横断しているのに、どの車も普通に走り続ける」ってのは無理があるだろ。
どう考えたって、危ないと感じてブレーキを掛けたり運転を誤ったりする人が続出するはずだぞ。
これが「他の人には見えていない」ってことならともかく、その前のシーンで若者たちと絡んでいるから、「他の人にも見えている」ってことになるし。リッキーは序盤、新社長に気に入ってもらえるかどうか不安を抱いている。しかし、それ以降、リッキーが心配性だという描写は全く見られない。
また、売れそうもない商品をバイヤーから「他局では買ってもらえた」と言われると受け入れるリッキーだが、じゃあ意志の弱い人間だったり、小心者だったりするのかと思いきや、Gに対しては最初から拒否反応をハッキリとした形で示している。
そこはキャラの描き方にブレを感じてしまう。
あと、リッキーが小心者で断り切れないといった描写が無いので、バイヤーの商品をOKしてしまったシーンの意味が無くなる。単純に、センスが無いだけってことになってしまう。
それはダメでしょ。ケイトが最初からGを「いい人」と評し、やたらと親切にするのは、かなり違和感が強い。
登場した時の「冷静に指摘するアナリスト」というキャラ設定とも、ズレを感じる。
そりゃあ、「分析には人情を挟まないけど、それ以外では優しい」という奴もいるだろうけど、映画の登場人物としては、あまり上手い造形ではないかなと。
「リッキーが彼の面倒を見る」という展開にするためにケイトを使っているのは分かるけど、そのせいで彼女の言動が不自然極まりないことになっている。リッキーはマクベインブリッジから、ケイトと組んで仕事をするよう言われる。
そこからケイトの分析に伴う「こういう風に番組を作るべき」という指針が示され、それに従ってリッキーが番組を作ろうとする展開があるのかと思いきや、そういう手順は全く描かれない。
Gが登場した後は、彼とリッキーやケイトたちとの絡みが描かれるばかり。
「リッキーがケイトと組んで売り上げを伸ばすための行動を取る」という様子は皆無だ。で、そこの手順が何も描かれない内に、リッキーがGを番組に出演させる展開になる。
それだと、ケイトの存在意義が無くなってしまう。
少なくとも、アナリストという職業設定は無意味だ。彼女がアナリストらしい仕事をしているシーンなんて、まるで用意されていないし。
っていうか、それ以降の展開を見ても、やっぱりケイトって全く存在意義が無いのよね。「リッキーの恋愛劇の相手」として動かしているけど、そこの恋愛劇からして丸ごと要らないし。
そこの恋愛劇が発展しようとしまいと、Gは全く関係が無いしね。リッキーがGに「特別な才能がある。手を組めば視聴者を幸せに出来る」と番組出演をオファーする展開には、かなり苦しいモノを感じる。
催眠術や手品でパーティー客を引き付けたのは確かだが、それが「テレビショッピングで視聴者を引き付ける」ってのとイコールには思えないのよ。
むしろ、そこをスムーズに繋げるチャンスは、その前に用意されていた。洗剤の宣伝中にGが乱入し、2人のタレントと喋るシーンだ。
リッキーはCMに切り替えさせてGを連れ出すが、そこを「リッキーは慌てるが、Gが宣伝したことで洗剤がバカ売れする。社長に称賛されたこともあり、リッキーは別の商品の時もGを起用してみる」という流れにした方が、よっぽどスムーズだ。Gが便利な商品を否定し、生き方を変えるよう視聴者に促すと、電話注文が一気に増加する。
その展開はベタっちゃあベタだし、やりたいことは理解できる。「本音で喋ったから視聴者の心に響いた」とケイトは説明するが、そういう理由にするのは当然だ。
ただし、この映画は、「本音の言葉が視聴者の心を掴む」という部分の見せ方を大きく間違っている。
これが「本音で喋って商品のダメなトコを指摘する」というだけなら、それで注文が殺到するのは分かる。あえて欠点を隠さず正直に話すってのは、宣伝の手法として有りだ。
しかしGは商品の欠点を指摘するのではなく、商品を使う生活そのものを否定しているのだ。
それだと、商品の宣伝に繋がらないでしょ。ヒトデ型ペンダントの宣伝を任されたGは、「嵐の後、大量のヒトデが浜に打ち上げられた。少女が必死でヒトデを海に戻す様子を見て、全部は救えないから無意味だと声を掛けた。
すると彼女は、このヒトデにとっては無意味じゃないわと言った。ヒトデを助けた時、彼女とヒトデの間には絆が生まれた。他の命と関わり合う時、人は本当の意味で生きるんだ。君も自身を解き放ち、旅に出るんだ」と語る。
それを聞いていたスタッフは「いい話だ」と漏らし、「感動的なシーンですよ」とアピールするBGMが流れる。
でも、そこに感動なんか全く無いよ。「急に何を言ってんの?」と言いたくなるだけだ。で、その後にリッキーのことをGが話し始めるのだが、なぜかペンダントの注文が殺到する。
でも、ペンダントについては何も話していないので、それで注文が殺到するという展開は全く腑に落ちないのよ。売り上げが伸びる根拠が 、どこにも見当たらないでしょ。
「Gは普通の出演者と全く異なる言動を取り、最初は全く宣伝にならないと思われるが、実際は視聴者の心を掴んで注文が殺到する」という展開にしたいのは良く分かるし、そういう展開にすることは間違っていない。この映画のプロットからすると、やり方自体が失敗しているわけではない。
しかし「どういう言動で視聴者の心を掴むのか」という部分の作り方で、この映画は大きな失敗をやらかしているのだ。
「含蓄のある高尚な言葉が視聴者を引き付ける」ということにしたいのは分かるけど、その言葉に視聴者が感銘を受けたとしても、「だから商品を買う」ってことには繋がらないはずでしょ。リッキーがGの発言に合わせて商品を選び、それを売り込もうとする様子は描かれている。
ただし、「Gの発言に商品の方を合わせるから売れる」という手口についても、納得できるものではない。
例えば、スタジオを出たGがカメラマンに芝生を撮影させ、「美しい地球の贈り物だ。さあ、緑を見に行こう」と視聴者に呼び掛けると、リッキーは序盤でバイヤーから紹介された芝生マットを宣伝させる。これによってマットがバカ売れするのだが、「んなわけねえじゃん」と言いたくなる。
なぜなら、それはマットに過ぎないからだ。Gの訴えるメッセージが本当に視聴者の心を動かしているからこそ、みんなは緑を見に行ったわけで。
だとしたら、所詮は偽物の芝生に過ぎないマットを買いたいという気持ちには繋がらないはずでしょ。
そこから「本当のメッセージが人々に伝わっていないと知ったGが落胆する」とか、そういう展開でもあればともかく、そうじゃないわけで。
「Gのメッセージが伝わった上で、人々が商品を次々に買う」という形なので、それは違うんじゃないのかと思うわけよ。終盤、リッキーはケイトから「Gの元気がどんどん無くなってる。もう解放して」と言われる。しかしマクベインブリッジから「Gと契約 してゴールデンタイムの番組が軌道に乗ったら、望みを叶えよう」と告げられると、Gを騙して契約を結ぶ。
それを知ったケイトは激怒し、リッキーに愛想を尽かして局を辞める。連絡を取ろうとしても無視されたリッキーは、Gに「番組を降りて旅に戻れ」と促す。
つまり野心と邪心に満ちていたリッキーの気持ちを変えさせたのは、「ケイトに失望されたから」であって、「Gの元気が無い、このままだと彼のためにならない」と感じたからではないのだ。
それはダメでしょ。
リッキーの心境が変化するきっかけは、Gじゃなきゃダメでしょ。ここの絆を使って物語を着地させないとダメでしょ。(観賞日:2015年12月11日)