『ハイ・ライズ』:2015、イギリス&ベルギー

不満はあるが、ロバート・ラングはタワーでの暮らしに満足していた。多くの住人がいなくなり、彼は落ち着きを感じた。自分と向き合い、人生を楽しもうとしていた。タワーは荒廃し、廊下にはコスグローヴの遺体が放置されていた。その3ヶ月前、精神科医のラングはタワーに引っ越した。タワーは40階建ての高層マンションで、スーパーやジムなど様々な施設が整っている。バルコニーで日光浴をしていた彼は、気持ち良くて転寝した。すると上の階で酒を飲んでいたシャーロットが、わざと酒瓶を落としてロングを脅かした。ロングが目を覚ますとシャーロットは笑いながら謝罪し、午後7時からのパーティーに誘った。
シャーロットは住人のワイルダーと酒を飲んでおり、彼から口説かれる。ワイルダーにはヘレンという妻や子供たちがいるが、まるで気にしていなかった。シャーロットはワイルダーを相手にせず、部屋から追い出した。ラングは30階のスパへ行き、マッサージ嬢から「負のエネルギーが溜まってる」と言われて「姉が死んだばかりだ」と告げた。彼は大学の生理学部で行き、検体の頭部を研修医たちに見せる。研修医のマンローは検体を馬鹿にするが、ラングが検体を解剖すると失神してしまった。
パーティーに参加したラングは、ワイルダーの妻であるヘレンに「こういうのは苦手だ」と話す。妊娠中のヘレンは娘たちを伴って参加しており、ラングに「みんな隣接している階のことしか気にしないわ。私はかなり下に住んでる。家族持ちが多い」と語る。歯科矯正医のスティールは子供を嫌っており、悪態をつく。妻がコスグローヴとトイレへ向かったのを見て、スティールは慌てて後を追った。ヘレンはラングに、「夫はドキュメンタリーを撮っていたけど、飽きたみたい」と話した。
ラングは二日酔いで、翌日のマッサージに行かなかった。するとマッサージ嬢が部屋を訪ねて来て、ラングをプールへ連れ出した。そこへシモンズという男が現れ、タワー設計者であるロイヤルの元へ案内する。ロイヤルは最上階のペントハウスに住んでおり、「まだ完成には遠い。5棟のタワーが池を囲む予定だ。庭園は妻のために作った」と語る。彼はラングに、シモンズは自分の仲介人だと紹介した。彼は妻のアンが2日後にパーティーを開くことを話し、住人しきたりを知るために参加するよう促した。
ラングはシャーロットとセックスし、ロイヤルは事故で足を悪くしてからタワーを出ないこと、タワーには厳しい階層社会があることを聞く。シャーロットの息子のトビーが来たため、ラングは慌てて彼女から離れた。スーパーへ買い物に出掛けたラングは、1人の女性から「サイン?」と誤解される。ラングはレジ係のフェイに質問し、それが女優のジェーンだと知った。フェイはジェーンについて、「独り暮らしの孤独な女優を演じてる」と冷淡に評した。
ラングがアンの主催するパーティーへ行くと、参加者のパングボーンやスティールたちは全員が中世貴族に扮していた。仮装パーティーと知らずスーツで参加したラングは、他の面々から嘲笑される。シモンズは彼を連れ出し、エレベーターに押し込んだ。エレベーターが故障したため、ラングはしばらく閉じ込められた。翌朝、そのことをラングがロイヤルに話すと、彼は「初期不良は仕方ない」と軽く言う。1階から12階は数時間に渡って停電したが、それもロイヤルは全く気にしていなかった。
ロイヤルが「一部の住人、金持ちの先駆者は、ここでの地位にしがみついている。そのせいで逃げ場を失ってる」と語ると、ラングは貴方が作った地位だ」と指摘した。それを認めたロイヤルは、「私はタワーを変化のるつぼにしたかったが、何か見失っていたようだ」と口にした。下層階の住人たちは電力供給が中断したことに激しい不満を抱き、管理人のロパートに詰め寄った。ロバートは「下層階の電力使用量が超過したからだ」と言い、非難するワイルダーに対しては設備費の滞納を指摘した。
大学へ赴いたラングは、秘書のジーンから失神したマンローの検査結果を聞かされる。何も異常は無かったが、ラングは生意気なマンローの花をへし折ってやろうと考えた。マンローはタワーでラングより上の階に住んでいた。マンローはラングに呼び出されて「残念だが、見つかった」と深刻に言われ、顔を強張らせた。ラングはワイルダーとヘレンに誘われ、夫婦の娘であるヴィッキーの誕生日パーティーにトビーを伴って参加した。下層階に住む大勢の子供たちが集まり、部屋は散らかし放題となった。
ラングはワイルダーとヘレンから、上層階への不満を聞かされる。ヘレンはラングと2人になると、「みんな借金まみれ。隠してるだけ」と打ち明けた。ワイルダーは子供たちを引き連れ、上層階のプールへ繰り出した。プールではジェーンやマンローたちがパーティーを開催していたが、ワイルダーは構わずに乱入した。上層階の住人たちが迷惑そうに去った後、ワイルダーはジェーンの愛犬をプールに沈めて殺害した。タワーが停電になったため、ラングは階段でトビーをシャーロットの元へ送り届けた。
上層階のダンス・パーティーに乗り込んだワイルダーは、シモンズを挑発して殴り倒した。ラングはワイルダーをなだめ、狂ったように踊った。同じ頃、マンローは39階から身投げして死んだ。翌朝、ラングはシャーロットから、「住人が急に一線を越え始めたとタルボットが言ってる」と告げられる。ワイルダーはドアを激しくノックして「ロイヤルを紹介してくれ。ドキュメンタリー作品を撮る。マンローが死んだのに警察が来ないのは変だと思わないか」と言うが、ラングは無視した。
ロイヤルはアンから「ここを出て行く」と言われ、憤慨して殴り付けた。タワーにはゴミが大量に溜まり、スーパーからは商品が次々に無くなっていく。上層階の住人たちがワイルダーが扇動者だと考え、捕まえて暴行する。ロイヤルの部屋には上層階の住人たちが勝手に上がり込み、アンは姿を消す。シモンズはロイヤルに仕えることを放棄し、「奥さんを助けたければ下りろ」と突き放した。ラングは部屋にヘレンを呼んでセックスし、ロイヤルはスーパーで下層階の住人たちから嫌がらせを受けていたアンを救出する。ワイルダーはリリアン夫人と話してトビーがロイヤルの息子だと知り、拳銃を渡される…。

監督はベン・ウィートリー、原作はJ・G・バラード、脚本はエイミー・ジャンプ、製作はジェレミー・トーマス、製作総指揮はピーター・ワトソン&トーステン・シューマッハー&リジー・フランク&サム・ラヴェンダー&アンナ・ヒッグス&ガブリエラ・マルチネリ&クリストファー・サイモン&ジュヌヴィエーヴ・ルマル、共同製作はニック・オヘイガン&アレイニー・ケント、撮影はローリー・ローズ、美術はマーク・ティルデスリー、編集はエイミー・ジャンプ&ベン・ウィートリー、衣装はオディール・ディックス=ミロー、音楽はクリント・マンセル。
出演はトム・ヒドルストン、ジェレミー・アイアンズ、シエナ・ミラー、ルーク・エヴァンス、ビル・パターソン、エリザベス・モス、ジェームズ・ピュアフォイ、キーリー・ホーズ、ピーター・フェルディナンド、シエナ・ギルロイ、リース・シェアスミス、エンゾ・シレンティー、オーガスタス・プリュー、ダン・スキナー、ステイシー・マーティン、トニー・ウェイ、レイラ・ミマック、ルイス・サック、ニール・マスケル、アイリーン・デイヴィス、アレクサンドラ・ウィーヴァー、ジュリア・ディーキン、ヴィクトリア・ウィックス、ジョセフ・ハーモン他。


J・G・バラードによる同名SF小説を基にした作品。
監督は『キル・リスト』『サイトシアーズ 〜殺人者のための英国観光ガイド〜』のベン・ウィートリー。
脚本は監督の妻で、これまでの作品でもコンビを組んでいるエイミー・ジャンプが担当。
ラングをトム・ヒドルストン、ロイヤルをジェレミー・アイアンズ、シャーロットをシエナ・ミラー、ワイルダーをルーク・エヴァンス、マーサーをビル・パターソン、ヘレンをエリザベス・モス、パングボーンをジェームズ・ピュアフォイ、アンをキーリー・ホーズ、コスグローヴをピーター・フェルディナンド、ジェーンをシエナ・ギルロイ、スティールをリース・シェアスミスが演じている。

オープニングで荒廃しているタワーの様子が描かれ、そこから3ヶ月前の回想に入るという形式だ。
つまり、「なぜタワーは荒廃し、多くの住人が去ったのか」という事情や経緯を説明する内容が描かれるわけだ。
3ヶ月前のタワーは多くの施設が整っている立派なマンションであり、ちゃんと統治されている。わずか3ヶ月でスラム化してしまうのは、余程のことが無いと有り得ない。
で、そんな「余程のこと」が描かれているのかというと、そうは感じない。まるで説得力は感じない。

実のところ、そこに「現実的な出来事」としての説得力は要らない。なぜなら、これはタワーを1つの国や町と捉える寓話だからだ。
だが、「これは寓話ですよ」というアピールが上手く出来ておらず、その世界へ観客を取り込むことに失敗している。
そのため、リアリティーの欠如した無理のある展開であり、ツッコミ所が満載だという印象になってしまうのだ。
っていうか強引に寓話として受け入れたとしても、やはり粗いと感じるのだが。

何よりもマズいのは、序盤で「タワーがどういう施設なのか」という紹介を充分にやっていないことだ。
ガイドブックをチラッと写したり、スーパーやジムの映像を少し挟んだりする程度。
「あらゆる施設が整っており、多くのセレブが暮らしており、その中だけでも何不自由なく生活できる満ち足りた空間」という上層階だけのイメージ、つまり「最初にラングが感じるであろうイメージを、まずは見せておくべきだろう。
そこが薄いまま、さっさと話を先に進めてしまうのだ。
タワーが特殊な生活環境なんだから、そこのディティールは丁寧に説明する必要があるはずでしょ。そういう作業が、寓話に引き込むことにも繋がるはずだし。

「近未来の世界観で格差社会の問題を暴き出す」という仕掛けは、原作小説が執筆された頃ならともかく、公開された2016年となっては何の目新しさも無い。
既に様々な媒体で使われている設定だ。
しかも、「原作が書かれた当時における近未来」の設定なので、2016年になると、その仕掛けさえ失われる。
もちろん「2016年から見て近未来」に時代設定を変更することも可能だが、原作に合わせたらしく、むしろ「1970年代っぽいイメージ」にしてある。

時代を「2016年における近未来」に変更しなかったのは、SNSが普及したことが理由らしい。
もしもタワーで異変が起きたら、その情報が簡単に外の世界へ発信される。それだと話が成立しなくなるため、近未来を避けたという事情があるらしい。
なるほど、確かにSNSが普及した世界だと、「それでもタワーの情報が外部に拡散されない」という状況を作るのは困難だろう。
ただ、それ以外の部分でも色々と無理を感じる箇所があるので、「そこを気にするなら、他も繊細に注意して世界観を構築しようよ」と言いたくなるぞ。

1970年代っぽいイメージの時代設定にしたことで、プロダクション・デザインの方面では興味をそそるビジュアルもあるだろう。
しかし物語の方では、何の面白味にも繋がっていない。
それはともかく、これは格差社会を描く作品であり、「最初は中立的な立場を取っていた主人公が、醜い人間模様の中で上層階の意識に浸食されていく」という展開になっている。
その地位にしがみつこうとして、完全に荒廃してしまった中でもタワーに留まるというラングの姿を通じて、人間の愚かしさが暴き出されるわけだ。

だが、その前提となる「タワーにおける格差社会」の描写が、あまりにも雑だ。
ラングがシャーロットから「タワーには厳しい階層社会がある」と聞いた後、そんな厳しい階層社会を実際に彼が目撃するシーンは、なかなか訪れない。ワイルダーたちがロバートに詰め寄る様子を目撃するシーンはあるが、「上層階と下層階の生活の大きな差」を感じさせるような描写は、ほとんど見当たらない。
ヴィッキーの誕生パーティーでは子供たちが暴れて部屋を散らかしているが、それは「元気な子供が大勢いるか否か」の違いであって、「セレブと貧乏人の違い」という描写からは少しズレているんだよね。
っていうか、それを含めたとしても、描写としては全く足りないし。

ラングの「姉を亡くしたばかり」という設定は、まるで物語に活きていると思えない。マンローが自殺する出来事も、やはりラングに影響を与えているようには見えない。
マンローの自殺に関しては、ひょっとすると「それによってラングが精神的に疲労して」ということを描いているつもりなのかもしれない。
ただ、そうだとしても他の余計な問題が邪魔をしているため、ものすごく分かりにくい。
そもそも、この映画における2つの「死」は、格差社会を描く本筋から完全に外れている。

シャーロットはラングに、「住人が急に一線を越え始めたとタルボットが言っている」と話す。
「タルボットって誰だよ」というのが気になるが(この映画、名前の分からない登場人物が少なくない)、それは置いておくとしよう。
ともかく、そのタルボットとやらの発言は事実だ。タワーは少しずつ荒れていくのではなく、急激に変貌する。
プールの一件があった翌朝の様子を描いた後、コラージュのような断片的な短いシーンが並べられ、その中で「いつの間にか急激に荒廃する」という感じなのだ。

タワーの崩壊に至る過程を丁寧にドラマとして描く作業を、この映画は完全に放棄している。サイケでシュールな映像によって、ドラッグ的なシーンとして消化している。
私は未読だが、ひょっとすると「J・G・バラードの原作にあるテイストを映像化しようとしたら、そういう状態になりました」ってことなのかもしれない。ただ、そうだとしても、手抜きしているようにしか感じない。
あとラングが急に焦りの色を見せるのも、どういうことかサッパリ分からない。そもそも前半から散漫ではあるのだが、後半に入ると完全に混沌の世界へと突入し、もはや何を描こうとしているのか、どこに中心軸があるのか、全く見えなくなる。
そして最後は、「J・G・バラードだから仕方が無い」と諦めることになるのであった。

(観賞日:2018年3月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会