『ハービー/機械じかけのキューピッド』:2005、アメリカ

フォルクスワーゲンのハービーはラリーの世界で大活躍し、絶大な人気を誇った。しかし負けが続いて引退し、人々の前から姿を消した。時が過ぎ、すっかり老朽化したハービーは、クレイジー・デイヴのスクラップ工場に運び込まれた。そこがスクラップ工場だと知った彼は、トラックから降りることを拒否した。ハービーは出口を見つけて逃亡を図ったが、タイヤがパンクして動けなくなってしまった。
大学を卒業したマギー・ペイトンは、パリ旅行へ出掛けるルームメイトのカリスマを見送った。マギーは1ヶ月後にニューヨークへ移り、TVプロデューサーのアシスタントとして働くことが決まっている。マギーは父と共に、兄であるレイが出場するレースの予選を会場へ赴いた。レイはクラッシュばかりで、芳しい成績を残せていない。チームの成績が上がらないのでスポンサーも離れていき、現在では熱心に観戦してくれているサリーの会社を含めた数社が残っているだけだ。
マギーは10年前に母を亡くし、レースチームの監督を務める父、そのチームでレーサーをしているレイの3人で暮らしている。ペイトン家は三代続いてNASCARドライバーで、マギーの祖父は偉大なレーサーだった。父はマギーをスクラップ工場へ連れて行き、「卒業祝いに車を買うぞ」と告げる。マギーはレース用の車を見つけて気に入るが、父には「気に入った車は無かったわ」と嘘をついた。父はハービーを勧めるが、マギーは興味を示さなかった。
マギーは一台の車を見つけ、購入しようとする。しかしスクラップにされそうになったハービーが抵抗してクレーンから落下し、その車を押し潰した。マギーは仕方なく、ハービーを75ドルで購入した。マギーが運転席に座ってキーを差し込むと、ハービーは勝手に暴走してガレージに突っ込んだ。そこはマギーの高校時代の同級生、ケヴィンが営む小さなカスタムショップだった。マギーが「やっぱり車を返してくるわ」と言うと、ケヴィンは「修理するよ。テスト走行しよう」と持ち掛けた。
マギーはケヴィンを助手席に乗せ、ハービーを走らせる。車体が激しく揺れるのでマギーが「これを直す部品は無いの?」と尋ねると、ケヴィンは展示会場へ行こうと誘う。マギーは嫌がるが、ハービーが勝手に走って改造車の展示会場に到着した。レースのシリーズ王者であるトリップ・マーフィーがマネージャーのクラッシュたちを引き連れて会場に現れ、自分のゲームを宣伝した。マギーはハービーを会場に放置し、立ち去ろうとする。しかしハービーがクラクションを激しく鳴らしたので、マギーは配線を切って音を消した。するとハービーは、ブレーキオイルを浴びせてマギーの服を汚した。
ケヴィンがハービーのボンネットを開けると、マックスという名前が書かれたヘルメットとレース用のツナギが入っていた。マギーは車に入り、ツナギに着替えた。彼女が外に出ようとするとハービーはドアを閉め、倒れ込んだマギーの頭がヘルメットに突っ込んだ。起き上がったマギーは、ちょうど歩いて来たトリップとぶつかった。トリップはファンだと誤解し、マギーのヘルメットにサインした。
トリップからハービーのオンボロぶりを見て、馬鹿にする言葉を口にした。ハービーはマギーとケヴィンを乗せたまま移動し、ミラーを使ってトリップの車に傷を付けた。それを見ていた野次馬たちは、レースをしろと囃し立てた。マギーはケヴィンに、謝罪して来るよう頼んだ。しかしハービーはマギーを車内に閉じ込め、レースのスタート地点に付いた。レースがスタートすると、ハービーは勝手に走った。トリップの幅寄せでスピンすると、マギーの闘争心にも火が付いた。
結局、ハービーはわずかな差でトリップの車に勝利した。ケヴィンはマギーに、「久しぶりのレースだろ、凄いじゃないか」と興奮した様子で言う。マギーは「ハービーに私の意思が伝わったのよ」と語るが、ケヴィンは信じなかった。帰宅したマギーは、またスポンサーが離れたことで父と兄が言い争っている様子を目撃した。サリーがやって来ると、ハービーは彼女の車に好意を寄せた。サリーはニュースを録画したビデオをマギーの父に見せた。それはトリップがストリートレースで負けたことを伝えるニュースだった。
父から「ストリートレースはやめると約束したはずだろ。お前は一度、死に掛けたんだぞ」と責められたマギーは、「私は乗ってないわ。ケヴィンの友人のマックスって子に貸したの」と嘘をついた。トリップは弟であるラリーの前で負けたことへの苛立ちを見せ、「もう一度、レースをする。俺の名前で2日間のレースを開催するんだ。あのワーゲンを含めて、あらゆる挑戦者を倒す」と告げた。トリップの指示を受け、ラリーは「勝てば1万ドル」というレース大会の宣伝を大々的に打った。
ケヴィンはマギーにハービーをカスタムする図面を見せ、「最高の車になる。もうすぐランカスターでレースもあるし」と言う。マギーは「レースはやめるってパパに約束したのに、嘘をついた。前に嘘をついた時は大怪我をして、2週間も入院した。もうパパを傷付けたくないの。アパートの部屋代も稼がなきゃいけないし」と、レースに出る気が無いことを話す。するとハービーは、トリップの主催する『サドンデス・ショーダウン』の新聞広告を2人に見せた。ケヴィンから「たった1度のレースで、君のアパート代と、ここの改装費が支払える」と持ち掛けられたマギーは、そのレースに参加することを決めた。
ケヴィンはハービーをカスタムし、マギーと共に塗装を塗り直した。レースが近付く中、マギーはサリーが父に「会社がスポンサーから降りる」と打ち明けている様子を目にした。父が「レイはどうなる?酷く傷付く」と告げると、サリーは「傷付くのは貴方よ。いつになったら気付くの?レイにレースは向いてないのよ」と言う。マギーの父は、「次のレースまで待つよう会社を説得してくれ。レイの順位が上がらなかったら、チームは解散する」と告げた。
サドンデス・ショーダウンの当日、マギーはエントリーの時にトリップと遭遇し、マックスのマネージャーだと称した。レースには200人が参加し、1日目の予選で勝ち残った1人が2日目にトリップと対戦する形式だ。マギーはマックスとして予選を勝ち抜き、トリップとの対戦に駒を進める。映像を分析したトリップは、マックスの正体に気付いた。夜、彼はマギーと会い、「君のお爺さんは偉大なレーサーだった。君のDNAにはレースへの情熱が組み込まれている。本物のレースカーに乗って見ないか」と自分の車を試乗するよう持ち掛ける。マギーはレースカーを走らせ、興奮を覚えた。
マギーが試乗している間に、トリップはハービーのエンジンルームを調べた。トリップは何の変哲も無いと感じるが、ハービーの攻撃を受けて腹を立てた。彼は戻って来たマギーに、「明日のレースで互いの車を賭けないか。勝った方が車を貰うんだ」と提案する。マギーが難色を示すと、トリップは「あんなのに乗ってちゃ相手にされない。でも俺の車に乗って戻れば、親父さんだって君をチームに入れざるを得ない」と言う。マギーは甘い言葉に乗せられ、その取引を承諾した。そんな会話を聞いていたハービーは、不機嫌になった。
翌日、ハービーはゴール直前で減速し、わざとトリップに負ける。トリップの挑発を受けたマギーは、観客の前でヘルメットを脱いだ。会場に来ていた父は、「嘘をつくなと教えて来たが、お前にはガッカリだ」と告げて立ち去る。パリから戻ってレースを観戦していたカリスマは、マギーに「ニューヨークへ行くより、レースカーを運転してるアンタの方が素敵」と言う。マギーはトリップの元へ行き、ハービーを買い戻したいと告げる。するとトリップは「もう手遅れだ」と言い、ハービーを売ったことを明かした。
ハービーは車のショーを主催するジミーDに売却され、車同士が潰し合う『デモリッション・ダービー』に使われていた。マギーは会場へ乗り込み、「あれは私の車なの」とジミーに言う。ジミーは「最後まで無事に走り終えたら、タダで返そう」と告げた。ハービーが他の車と激突して損傷した後、マギーは彼に謝った。ハービーはマギーを許し、車内に招き入れた。マギーとハービーはモンスタートラックの攻撃を軽くかわし、無事に帰還した…。

監督はアンジェラ・ロビンソン、キャラクター創作はゴードン・ビュフォード、原案はトーマス・レノン&ロバート・ベン・ガラント&マーク・ペレズ、脚本はトーマス・レノン&ロバート・ベン・ガラント&アルフレッド・ガフ&マイルズ・ミラー、製作はロバート・シモンズ、共同製作はリサ・スチュワート、製作総指揮はチャールズ・ハーシュホーン&トレイシー・トレンチ&マイケル・フォトレル、製作協力はサラ・E・ホワイト&ジョン・スコッティー、撮影はグレッグ・ガーディナー、編集はウェンディー・グリーン・ブリックモント、美術はダニエル・ブラッドフォード、衣装はフランク・ヘルマー、視覚効果監修はジョン・ヴァン・フリート、音楽はマーク・マザースボウ、音楽監修はハワード・パール。
主演はリンジー・ローハン、共演はマイケル・キートン、マット・ディロン、ジャスティン・ロング、ブレッキン・メイヤー、シェリル・ハインズ、ジミ・シンプソン、ジル・リッチー、トーマス・レノン、ジェレミー・ロバーツ、E・E・ベル、ピーター・パスコ、マリオ・ララーザ、パトリック・クランショー、スコット・マクナイリー、エイミー・ヒル、ジム・コーディー・ウィリアムズ、アレン・ベストウィック、ベニー・パーソンズ、ジェフ・ゴードン、ジミー・ジョンソン、デイル・ジャレット、トニー・スチュワート、スチュワート・スコット他。


かつてディズニーが製作していた「ハービー」シリーズを久々に復活させた作品。
監督は『恋のミニスカ ウエポン』のアンジェラ・ロビンソン。
ちなみに「ハービー」シリーズは1969年の『ラブ・バッグ』に始まり、1973年に『続ラブ・バッグ』、1977年に『ラブバッグ/モンテカルロ大爆走』、1980年に『ビバ!ラブ・バッグ』が公開され、1997年にはテレビ映画『新ラブバッグ/ハービー絶体絶命!』が作られている。また、1982年にはTVシリーズも放送されていた。
マギーをリンジー・ローハン、父をマイケル・キートン、トリップをマット・ディロン、ケヴィンをジャスティン・ロング、レイをブレッキン・メイヤー、サリーをシェリル・ハインズ、クラッシュをジミ・シンプソン、カリスマをジル・リッチーが演じている。また、レースアナウンサーのアレン・ベストウィック、元レーサーのベニー・パーソンズ、NASCARドライバーのジェフ・ゴードン、NASCARドライバーのジミー・ジョンソン、当時はNASCARドライバーだったデイル・ジャレット、NASCARドライバーのトニー・スチュワート、ESPNキャスターのスチュワート・スコットが本人役で出演している。

劇場用作品としては1980年以来の復活なんだから、リメイクでいいんじゃないかと思うのだが、なぜか律儀に続編という扱いになっている。
で、続編だからってことなのか、最初から「ハービーは意思を持つ車」ってことが明らかにされている。スクラップ工場に運ばれた時点で、ハービー視点の映像が入り、そこがスクラップ工場だと知って驚く反応や、デイヴたちを攻撃する行動、逃げようとする行動などが描写されている。
そりゃあハービーは、少なくともアメリカ本国では有名なキャラクターだろうし、「意思を持つ車である」という設定を知っている人は多いかもしれない。
しかし前述したように久々の復活だということを考えても、最初は普通の車のように描いておいて、「実は意思を持つ車なのである」と明かす流れを用意した方がいいと思うんだよなあ。観客が予備知識として「ハービーは意思を持っている」と知っていたとしても、ドラマの作り方としては、そういう構成の方が面白味があるんじゃないかと。

「父親がマギーに卒業祝いのプレゼントとして車を買い与える」ということでスクラップ工場へ行くのは、流れとして無理を感じる。
マギー本人が言っている通り、あと1ヶ月で彼女はニューヨークへ行くんだよ。「あと1ヶ月もお前の運転手をさせられるのはゴメンだ」と父は言っているけど、説得力に欠ける理由だ。
そもそも、過去にマギーがストリートレースで死に掛けており、父親は二度とレースに参加するなと約束させているんでしょ。そういう娘に、レース用ではないにせよ、安易に車を買い与えるってのも引っ掛かるし。そのタイミングで、なぜ車を買い与えるのかと。
もちろん、スクラップ工場に行かないとマギーがハービーと出会えないことぐらいは分かるけど、その段取りを処理するためのシナリオが粗いのよ。

シナリオの粗さは他にもあって、例えば「オイルで服が汚れたからマギーがツナギに着替える」ってのも強引だと感じる。
どうせ会場から去ろうとしていたんだし、とりあえずは汚れたままでもいいだろうに。
しかも着替える服がツナギなんだから、余計に「だったら、そのままでもいいや」という考えにならないものかと。
ドアにぶつかってマギーが倒れ込み、ヘルメットを被るってのも、やりたいことは理解できるけど、強引さが過ぎるわ。

ケヴィンがトリップの持っていた写真にペンで線を引いて、それに腹を立てたトリップがハービーを扱き下ろすという流れがあるんだけど、なぜケヴィンがトリップの写真に落書きしたのか、その理由がサッパリ分からない。
ケヴィンはアクシデントを装っているけど、その時の動き方や表情からすると、どう見ても意図的だ。
しかし、トリップに腹を立てるような出来事があったわけでもないので、理由が良く分からないのだ。

ハービーがトリップの車を傷付けた後、野次馬がいきなり「レース、レース」と囃し立てるのは、自然な流れを無視し、段取りのためにキャラを動かしていることが露骨だ。
そのレースにトリップが軽く乗るのも同様だ。
マギーが「トリップに謝って来て」と告げてケヴィンを車から出すのは、「ハービーがマギーを閉じ込める」という展開に繋げるための下手な段取りであることがバレバレ。
話に段取りがあるのは当然なんだけど、「それは後の展開のための段取り」ってことが露骨に分かるのは、処理が下手だってことよ。

「昔からそういう設定だから仕方が無い」ということかもしれないけど、ハービーに意思があるだけじゃなく、自走能力も備わっているという設定は大失敗だと思うのよ。
だって、それならドライバーは要らないってことになるでしょ。
実際、トリップとのストリートレースでも、マギーが何もしなくてもハービーが勝手に走っている。
一応、「あのガードレールに乗る」というのをマギーがイメージし、それを感じ取ったハービーが実際にそれをやってレースに勝つ、という展開はあるけど、基本的にマギーは飾りでしかない。途中で彼女が闘争心を燃やしてハンドルやレバーを握っているけど、別に何もしなくたってハービーは勝手に走るのよね。

ハービーに自走能力があり、本人だけでもレースに勝てるのなら、ドライバーは誰でも構わないってことになる。
ドライバーとしての能力が低くても、とんでもないポンコツ野郎だったとしても、車が大嫌いな奴でも、別にいいってことになる。
そりゃあ、ハービーが不満を抱いたら走らないだろうけど、ようするに「全てはハービー次第」ってことなのだ。
そうじゃなくて、「その人がハンドルを握る意味」「その人がドライバーでなきゃいけない存在意義」ってのを持たせる形にすべきじゃないかと思うのよ。

ドライバーに存在意義を持たせるためには、舞台をレースにしない方がいい。
「レースでの勝利」というところに目的を設定しなければ、ハービーが勝手に走ろうとも、ドライバーには運転技術と違う部分で存在意義を持たせることが出来るからだ。
マギーとハービーの絆を描きさえすれば、それで成立する。例えば珍道中物でもいいし、何かしらの事件に巻き込まれるアクション・コメディーでもいいだろう。
「ハービーに自走能力がある」という設定を使うのであれば、実はレース物との相性って最悪と言ってもいいんじゃないか(まあシリーズ第1作はレース物なんだけどね)。

マギーが賞金レースに向けて練習を積むシーンがあるけど、「そんなことしなくてもハービーが勝手に走ってくれるし」と思ってしまう。
もはやケヴィンのカスタムさえ無くてもいいんじゃないかと思ってしまうぐらいなのだ。
なんせポンコツの状態でも、トリップとの対決で勝利しているんだし。
そういう意味も含めて、続編ではなくリメイクという扱いにして、ハービーの設定も少し変更した方が良かったんじゃないかと思うんだよなあ。

マギーは「ハービーが意思を持っている」ということを事実として受け入れたんだから、彼の前で互いの車を賭ける約束を交わしたら機嫌を損ねることぐらい分かりそうなものでしょ。マギーがトリップのレースカーに夢中になっていることも、それを欲しがってハービーを賭ける約束をしていることも、全てハービーは見ているんだからさ。
それなのに翌朝、ハービーが不機嫌になっていると「どうしたの?何をスネてるの」と全く気付いていない様子なんだけど、どんだけボンクラなのかと。
あと、ハービーは前夜のマギーとトリップの約束を聞いて不機嫌になっているんだから、そもそも走らなきゃいいんじゃねえかと思ってしまうんだよな。
一応はレースに出場し、途中までは善戦して、マギーの「私はレースカーが欲しいのよ」という言葉で急に減速しているけど、それも「レースのシーンで、とりあえず盛り上がりは作っておく」という段取りのためにキャラを動かしていると感じる。

これってリンジー・ローハンのアイドル映画という側面もあるはずなんだけど、それにしてはマギーにヒロインとしての魅力が乏しい。ただの自己中心的な女にしか見えない。
後で反省の色は見せるけど、自分の欲を満たすためにハービーを裏切っているわけだし。
そのくせ、「わざと負けたのね」とハービーを非難しているし。
デモリッション・ダービーの会場へ乗り込んだ時には「アンタが必要なの。アンタがいないとダメなの」とハービーに言うけど、そんな気持ちになる経緯やきっかけもボンヤリしているし。

マギーはトリップとの賭けを知ったケヴィンから批判されて、それに対しては反省している様子を見せる。
だけど、それはケヴィンに対する罪悪感であって、ハービーに対する罪悪感や、「私にはハービーが必要だ」という感情には上手くリンクしていないんだよね。
彼女がハービー自身に対して「いなくなって初めて分かる大切さ」ってのを感じているような様子は、まるで見られないのだ。
だから、前述したハービーに訴え掛けるシーンも、ピンと来ないモノになっているのだ。

マギーは「プロのレーサーになりたい」という願望があり、それを終盤に実現させる。
だけど、それと「マギーとハービーの交流」という話が、上手く融合していない。
マギーがハービーをジミーの元から奪還したら、「マギーとハービーの交流」については、ひとまず区切りが付いてしまう。「ハービーがマギーを好きになる」「マギーがハービーに愛着を抱く」という、互いの絆が深まって行くドラマは薄いけど、そこでエンディングにしても一応は成立する。
その後、「レイが予選を通過するもののクラッシュして決勝はドクターストップが掛かり、彼がマギーを代役に推薦し、マギーも出たいと訴えるけど父親は反対して云々」という展開が用意されているけど、それってハービーは全く関係の無い話なんだよね。NASCARなんだから、レースにはレイが使っていた車で出場すればいいわけだし。 「レースに出たい」というマギーの願望と「ハービーに乗りたい」ってのは、まるで別物だしね。

マギーは様々な出来事を経た上で、やっぱりレーサーになりたいと強く思うようになる。
そういう話をやりたいのなら、実はハービーというキャラを排除しても成立するし、むしろ、そっちの方がスッキリしそうな気がするんだよな。
マギーは「ハービーじゃなきゃレースに出ない」と言い出すんだけど、まるで腑に落ちないわ。それは「ずっとレーサーになりたかった」という彼女の願望とは別物なんだから。
「ハービーにレースへの情熱を教えてもらった。だからハービーと一緒じゃなきゃ駄目だ」ということにしたいのなら、そのための描写が著しく不足しているし。

あと、レースに出場する展開にするにしても、NASCARは避けるべきだったと思うなあ。
まだ以前の作品のようにラリーが舞台なら、他の車との戦いというだけでなく自然環境との戦いという側面もあるし、運転技術とは別の部分でドライバーの存在意義を持たせることも出来る。
しかしNASCARの場合、ドライバーの存在意義は運転技術が全てと言ってもいいし、あと激しく車をぶつけ合う競技なので、「ハービーを大切に思っているなら、それを良しとするのはどうなのか」という部分で引っ掛かるし。
一応、マギーは「貴方を失うぐらならレースを諦める」とは言っているけど、結局は激しい車のぶつけ合いをやってるしね。

(観賞日:2015年3月12日)


第28回スティンカーズ最悪映画賞(2005年)

ノミネート:【チンケな“特別の”特殊効果】部門[リンジー・ローハンのデジタル式オッパイ修正]

 

*ポンコツ映画愛護協会