『ハリー・ポッターと賢者の石』:2001、アメリカ
両親を亡くした少年ハリー・ポッターは、母の妹ペチュニアと夫ヴァーノンのダーズリー家に引き取られた。だが、ヴァーノン達は息子ダドリーを可愛がる一方で、ハリーを階段の下の物置に住まわせる。ダドリーも、ハリーに対して酷い扱いを見せる。
ハリーの11歳の誕生日が近付いた頃、フクロウが手紙を届けに来た。しかし、ヴァーノンは手紙を取り上げてしまう。その後も何度もフクロウが来るが、その度にヴァーノンが手紙を捨ててしまい、ついには引っ越しまでする。そこへハグリッドという男が現れ、ハリーにホグワーツ魔法魔術学校への入学許可証を持ってきたことを告げた。
実はハリーの両親は有名な魔法使いで、悪の魔法使いヴォルデモートとの戦いで命を落としていた。ハリーはダイアゴン横丁へ行き、グリンゴッツ魔法銀行で両親が残した大金を手に入れた。そしてハリーは、オリバンダーという男から杖を購入した。
ハリーはロンドンのキングズ・クロス駅に行き、壁を通り抜けて、隠された9と3/4番線ホームを見つけた。ホグワーツ特急に乗ったハリーは、同じく魔法学校に入学するロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの2人と親しくなった。
魔法学校に到着したハリーは、入学生の1人ドラコ・マルフォイから仲間になるよう迫られるが、断った。ハリーは、魔法学校の先生達に会った。アルバス・ダンブルドア校長、ミネルヴァ・マクゴナガル先生、フリットウィック先生、クイレル先生、スネイプ先生、フーチ先生といった面々だ。寮の管理人をしているフィルチにも会った。
新入生は皆、寮で生活することになる。ハリーと、ロン、ハーマイオニーはグリフィンドール寮、ドラコはスリザリン寮に入ることになった。ハリーら新入生は、暗黒の森と3階へは行くなと警告される。新入生歓迎の宴では、ほとんど首なしニックが現れた。
ハリーはホウキでの飛行能力を評価され、クィディッチという競技の選手に抜擢された。ハリーは上級生オリヴァー・ウッドからルールの説明を受け、競技に参加する。だが、何者かの妨害を受けて上手く飛ぶことが出来ない。スネイプが呪文を唱えているのに気付いたハーマイオニーが彼の服に火を付け、呪文が解けたハリーは勝利した。
3階に登ってしまったハリー達は、3つの頭を持つ巨大な犬フラッツィーと遭遇し、慌てて逃げ出した。やがてハリーは、ヴォルデモートを復活させる“賢者の石”をフラッツィーが守っていることを知る。ヴォルデモートは森に住むユニコーンを餌食にして、今も生き延びていた。ハリー達は、スネイプが賢者の石を狙っていると確信する…。監督はクリス・コロンバス、原作はJ・K・ローリング、脚本はスティーヴ・クローヴス、製作はデヴィッド・ヘイマン、共同製作はターニャ・セガッチアン、製作協力はポーラ・デュプレ=ペスマン&トッド・アーナウ、製作総指揮はクリス・コロンバス&マーク・ラドクリフ&マイケル・バーナサン&ダンカン・ヘンダーソン、撮影はジョン・シール、編集はリチャード・フランシス=ブルース、美術はスチュアート・クレイグ、衣装はジュディアナ・マコフスキー、視覚効果監修はロバート・リガート、音楽はジョン・ウィリアムズ。
出演はダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン、ジョン・クリーズ、ロビー・コルトレーン、リチャード・グリフィス、リチャード・ハリス、イアン・ハート、ジョン・ハート、アラン・リックマン、フィオナ・ショウ、マギー・スミス、ショーン・ビッガースタッフ、ワーウィック・デイヴィス、ジュリー・ウォルターズ、ゾーイ・ワナメイカー、デヴィッド・ブラッドリー、トム・フェルトン他。
世界中でベストセラーとなったファンタジー小説を映画化した作品。最初からシリーズ化が確定した形で1作目が作られている。
主役のハリーには、BBCのTV番組『デビッド・コパーフィールド』に出演していたダニエル・ラドクリフが選ばれた。ロン役のルパート・グリントとハーマイオニー役のエマ・ワトソンはオーディションで選ばれ、これが映画デビュー。ほとんど首なしニックをジョン・クリーズ、ハグリッドをロビー・コルトレーン、ヴァーノンをリチャード・グリフィス、ダンブルドアをリチャード・ハリス、クイレルをイアン・ハート、オリヴァンダーをジョン・ハート、スネイプをアラン・リックマン、ペチュニアをフィオナ・ショウ、マクゴナガルをマギー・スミス、オリヴァーをショーン・ビッガースタッフが演じている。
他に、フリットウィックをワーウィック・デイヴィス、ロンの母をジュリー・ウォルターズ、フーチをゾーイ・ワナメイカー、フィルチをデヴィッド・ブラッドリー、ドラコをトム・フェルトン、銀行の受付係をヴァーン・トロイヤー、ダメな生徒ネヴィルをマシュー・ルイスが演じている。私は原作を読んでいないのだが、原作者J・K・ローリングの要請によって、かなり原作に忠実に映画化されているようだ。非常に忙しい展開のように感じたのは、原作のハイライトだけを集めて急ぎ足で処理したダイジェストになっているからだろう。1つ1つのエピソードを膨らませているような時間の余裕は無かったのだ。
ボリュームたっぷりの原作を全て放り込むためには、細かい部分は削ぎ落とし、表面上をなぞるだけになるのも仕方が無い。そうやってエピソードを羅列し、消化するだけで精一杯になったのだろう。バタバタと駆け足で進めて行くことになったのだろう。
ただ、駆け足のはずなのに途中で眠たくなってしまうというのは、どうなのかと思うが。そういう事情があるために、登場するキャラクターの描写は非常に薄い。ステレオタイプの設定だけを用意して、そこで終わっている。脇役に関しては、配役の段階で泊まっている。主人公のハリー・ポッターでさえ、存在感が埋没してしまっている。
そもそも、ハリーが活躍するシーンというのは少ない。多くの魔法を使うのはハーマイオニーだし(ハリーはほとんど使わない)、トロールを倒すのはロン。終盤のチェスで活躍するのもロンだ。ハリーは凄い才能を持っているらしいが、まだ目覚めていないようだ。しかしながら、脚本家や監督に同情すべき点はある。なぜなら、この映画が作られた時点で、原作は完結していない。だから、削ってしまった要素が、原作で後から重要な意味を持ってきた場合に、取り返しが付かなくなってしまうのだ。
そういう事態を防ぐためには、なるべく多くの情報を詰め込んでおく必要があったということだ。
しかし、ある程度の時間内に話を収める必要はある。前述した理由で情報は削ることが出来ないので、盛り上げるための演出を削るハメになったのだろう。これは間違いなく、子供向けの映画である。
ただし、それは「子供を楽しませるためのファンタジー」という意味ではない。
むしろ、ここにあるのは「人生は甘いものではない」ということを教えるための、ファンタジーという殻をかぶったリアリズムである。
ハリーは、特別な子供である。何しろ大金持ちなので、列車では菓子を1人で買い占める。先生達からも、特別な目で見てもらえる。
真面目な勉強家ハーマイオニーも、どうやら家柄が良くないらしいロンも、親の七光りを一心に浴びているハリーには敵わない。ハリーは先生の言い付けを守らずにホウキで飛んだのに、お咎めが無いどころかクィディッチの選手に抜擢される。しかも、1人だけ、ケタ違いに才能の優れた最新式のホウキを与えられる。
ハリーはクィディッチで勝利に貢献するが、そりゃあ道具がズバ抜けているのだから当然だ。ランバ・ラルなら、「自分の力で勝ったのではないぞ。そのホウキの性能のおかげだということを忘れるな」とでも言うだろう。このクィディッチという競技は、メチャクチャなルールである。最初に大きな球をゴールに入れると、1ゴールに付き10ポイントずつ加算されていく。両チームは、必死に戦っている。
しかし、ハリーが小さな球をキャッチすると150ポイントが入り、その時点でゲームが終了するのである。
それなら、それまでの戦いは全く意味が無い。魔法魔術学校では、何でも得点に換算していくという偏差値重視の教育方針がある。この学校は、生徒に対する差別的な待遇をモットーにしている。
前半で、なぜグリフィンドール寮に決まった生徒が喜んでいるのか理解できなかったのだが、後になって分かった。
ようするに、グリフィンドール寮に入れば先生から優遇されるのだ。終盤、最後の得点発表で、最初はスリザリンのマークが飾られ、スリザリンが優秀したと校長が発表する。ところが、スリザリンが大喜びした後で、「でも最近の成果でポイントを加算したので、やっぱりグリフィンドールが優勝」と校長は告げる。
逆転の10ポイントがグリフィンドールに入る理由は、「ネヴィルが友達のハリー達に立ち向かったから」などという、良く分からないモノだ。魔法とは何の関係も無い。
校長は、グリフィンドールを優勝させるために無理矢理にポイントを付け加えたのである。
それなら最初から「グリフィンドールが優勝した」と言えばいいのである。スリザリンをぬか喜びさせる意味が全く無い。完全にスリザリンに対する嫌がらせだ。
前半、「悪い魔法使いになった奴は全てスリザリンの出身」というセリフがあるが、あんな酷い扱いを受けたら、そりゃあグレて悪の道に入るのも仕方が無いだろう。これは「血筋のいいエリートは特別待遇を受け、努力している奴らはバカを見る」という、見事なぐらい「えこひいき万歳」の映画である。
「教師は一部の生徒を優遇する」という、見事なぐらい「えこひいき万歳」の映画である。
そう、この映画は子供達に、「人間は生まれた時から不平等だし、学校や先生も差別するものだ」という現実を教えているのだ。
第24回スティンカーズ最悪映画賞
ノミネート:【最もでしゃばりな音楽】部門