『ハードコアの夜』:1979、アメリカ

クリスマス。ミシガン州のグランド・ラピッズで家具工場の社長を務めるジェイク・ヴァンドーンは義弟のウェスなど多くの親族を招待し、パーティーを開いた。ジェイクは熱心なカルビン派キリスト教徒で、周りにも大勢の信者仲間がいた。彼の長女のクリステンとウェスの娘のマーシャは、青少年カルビン教徒大会に参加するためバスで町を出発した。会場に着いた2人は退屈し、恋人のいるマーシャは性的な遊びをクリステンに教えた。
ミサから戻ったジェイクが昼食を取ろうとしていると、引率の教師から電話が入った。クリステンがナッツベリー・ファームへ行ったまま姿を消したと聞かされ、ジェイクはウェスと共に会場へ向かった。マーシャは2人に、ローラー・コースターでクリステンを見たのが最後であること、若い男性が一緒だったことを説明した。警察の調べによって、その男性が遊園地とは無関係だと判明した。警官はジェイクに、私立探偵を雇ってはどうかと勧めた。
ジェイクとウェスと共に、私立探偵のアンディー・マストと会った。マストの態度に不快感を覚えたジェイクだが、娘を見つけ出すために雇うことにした。しばらくするとマストから連絡が入り、ジェイクは会いに行く。するとマストは1時間だけ借り切った映画館へジェイクを連れて行きし、クリステンが出演している『愛の奴隷』というハードコア映画を見せた。マストは彼に、「フィルムはロスで入手した。誰でも作れるし、どこの店でも買える。クリステンの居場所は不明だし、映画の作り手も不明だ」と告げた。
ビリーという男は女優のテリーとニキを起用し、モーテルで仲間のカートたちと共にハードコア映画を撮影していた。彼は他の事業で失敗し、ハードコア映画の製作に乗り出していた。マストは旧知の仲であるビリーを訪ね、クリステンの写真を見せる。ビリーは「まだ小娘じゃないか。使ったら罪に問われる」と言い、何も知らないと告げる。マストは有名人のテリーが出演していると聞き、撮影を見学した。ロスに出て来たジェイクがマストのアパートへ行くと、彼はテリーを連れ込んでセックスを始めようとしていた。ジェイクが憤慨すると、マストは「これも仕事だ。情報を聞き出そうとしていた」と説明する。しかしジェイクは納得せず、マストのアパートなのに「出て行け」と怒鳴った。マストは呆れ果て、「自分で捜せ」と吐き捨てた。
ジェイクは夜の街を車で移動し、ポルノショップに入った。彼は店員に娘の写真を見せるが、知らないと言われる。彼は風俗店に入って同じ行動を取るが、やはり何の情報も得られない。次の風俗店でジェイクは激しく喚き散らしたため、店員に追い出された。次の日、彼はハードコア映画製作者のラマダを訪ねた。ジェイクはカートと話していたラマダにデトロイトの実業家だと偽り、出資したいと持ち掛けた。既に大儲けしているラマダは「もうパートナーは要らない。短編から始めろ」と助言した。
ジェイクはハードコア製作者を詐称し、新聞に男優の求人広告を出した。彼はラマダが製作する映画の撮影現場を見学し、ニキと出会った。ウェスは会社を休んでいるジェイクを心配して捜し回り、ようやく見つけ出した。ジェイクは「私だけでクリステンを見つけ出す」と言い、帰るよう要求した。ジェイクはポルノ男優を面接し、『愛の奴隷』に出演していたジムを見つけ出した。彼はジムを暴行して問い詰め、トッドという男がクリステンを連れて来たこと、ニキがトッドの居場所を知ってることを聞き出した。
ジェイクは風俗店『レ・ガールズ』へ行き、ニキにクリステンの写真を見せて質問する。クリステンが映画出演時にジョアンと名乗っていたこと、トッドがサンディエゴへ行ったことを聞いたジェイクは、報酬を約束してニキに協力を依頼した。ウェスはマストの元へ行き、クリステンの捜索とジェイクの保護を要請した。ジェイクはニキに、失踪した娘を捜していることを打ち明けた。2人はサンディエゴへ行き、トッドを捜索する…。

脚本&監督はポール・シュレイダー、製作はバズ・フェイトシャンズ、製作総指揮はジョン・ミリアス、撮影はマイケル・チャップマン、美術はポール・シルバート、編集はトム・ロルフ、音楽はジャック・ニッチェ。
主演はジョージ・C・スコット、共演はピーター・ボイル、シーズン・ヒューブリー、ディック・サージェント、レナード・ゲインズ、デヴィッド・ニコルズ、ゲイリー・ランド・グレアム、ラリー・ブロック、マーク・アライモ、レスリー・アッカーマン、シャーロット・マクギネス、アイラー・デイヴィス、ポール・マリン、ウィル・ウォーカー、ハル・ウィリアムズ、マイケル・フラン・ヘリー、ティム・ダイアル、ロイ・ロンドン、ビビ・ベッシュ、トレイシー・ウォルター、ボビー・コッサー、スティーヴン・P・ダン、ジーン・アリソン、レブ・ブラウン、ジェームズ・ヘルダー、デイヴ・トンプソン他。


『ザ・ヤクザ』『タクシードライバー』の脚本家であるポール・シュレイダーが、1978年の『Blue Collar』に続く2本目の監督を務めた作品。
ジェイクをジョージ・C・スコット、マストをピーター・ボイル、ニキをシーズン・ヒューブリー、ウェスをディック・サージェント、ラマダをレナード・ゲインズ、カートをデヴィッド・ニコルズ、トッドをゲイリー・ランド・グレアム、バロウズ刑事をラリー・ブロック、クリステンをアイラー・デイヴィスが演じている。

マストはジェイクから依頼を受けると、クリステンが出演しているハードコア映画を見つけ出す。
でも、そんなに簡単に、そこに辿り着くかね。
最初から「ハードコア映画に出ているに違いない」と狙い撃ちで調べたのならともかく、依頼を受けた時点では何の手掛かりも無いわけで。
っていうかハードコア映画に限定して捜索したとしても、そう簡単ではないだろうし。クリステンが何作も出ている人気女優ならともかく、まだデビュー間もないはずだし。

ジェイクという男の見せ方を、冒頭から間違えていると感じる。
終盤の展開を考えれば、ジェイクは「敬虔なクリスチャンで、家族にも厳しい教義を順守することを求める」という父親であるべきだ。彼のせいでクリステンは家庭で閉塞感や窮屈さを感じ、自由になることを欲していたという形にしておくべきだ。
クリステンがジェイクに不満を抱いていることや、今の状況から逃げたがっていることは、序盤で見えなくても構わない。むしろ、そこは後から「実はそうだった」と分かる形にしておいた方がいい。
でも、ジェイクが頑固で厳格な父親であることは、明確に示しておくべきだ。

ところが実際のところ、冒頭のパーティーでジェイクが娘にストレスを与えるような父親であることを感じさせるような様子は、全く無い。
子供たちがテレビを見ている時、「こんな番組は見るに堪えない」と腹を立てて電源を切り、「ここに住めない連中が、西海岸へ行ってテレビを作る」と吐き捨てる男がいるが、これはジェイクではない。
こいつを「クリスマスなんだから」と穏やかに諭すのがジェイクだ。
彼は子供たちのために七面鳥を切り、おどけて楽しませるような男として描かれている。

クリステンが失踪するまでのシーンで、ジェイクの「クリスチャンとしての厳格さ」が感じられる様子など、まるで見当たらない。
それはクリステンが失踪した後でも、やはり同様だ。
マストに激怒するシーンはあるが、それは娘を見つけたい父親の必死さが出ているだけであり、「すぐにカッカする性格」というわけでもない。
日曜日にミサへ行くとか、食事の前に祈りを捧げるという様子は描かれているけど、そんなのはアメリカなら珍しくもないし、それだけで「家出したくなるストレス」になるとは思えない。

まるで手掛かりが得られない中で、ジェイクは愚かにもマストを追い出す。なので、ますます彼はクリステンを捜索することが難しくなる。
ではジェイクが次にどんな手に出るかというと、「車で夜の街を移動する」ってだけ。もちろん、ただ車で街を移動しても、何の進展もあろうはずがない。
次に彼はポルノショップや風俗店を訪ねるが、ただ娘の写真を見せて「知らないか」と訊くだけなので、やはり情報は得られない。
この「何も進展が無い」ってのを描くだけで、10分以上も使っている。
「性風俗の世界はこんな感じですよ」ってのを描こうとしたのかもしれないけど、「だから何なのか」としか思えない。

翌日になると、ジェイクはラマダを訪ねて出資者になろうとする。撮影現場を見学させてもらい、クリステンを捜そうという考えだ。
これも前日に比べればマシだが、「かなり遠い道のりだなあ」と感じる。マストを諦めたにしても、他の探偵を雇う考えは無いのか。そっちの方が、素人が闇雲に動くよりはマシだろうに。
あとさ、警察がクリステンを捜索している専従捜査員を派遣しているんだから、そっちの進捗状況を確認するのが先じゃないかと。
それを聞いた上で「警察はまるで役に立たない」と感じ、自ら動き始めるなら分かるけど、そこを飛ばすのは手落ちじゃないか。

ジェイクという男のキャラクター描写が、ちゃんと定まっていないように感じる。
ウェスはマストに仕事を依頼する時、「ジェイクは怒りで何をするか分からない」と心配している。実際、ジェイクはマストに憤慨して有無を言わさずクビにしているし、ジムが娘を罵った時に激昂してボコボコにしている。
なので、「周りが見えなくなっている狂気の捜索者」として暴走させるなら、それはそれでいいと思うのだ。
ところが、風俗店を巡っている時にはオタオタした様子も見えるし、冷静に策を練って行動するシーンもある。カツラと付け髭で変装して面接する様子は滑稽だし、ニキと組んでからはノンビリした雰囲気も漂う。
「失踪した娘を見つけるための必死の捜索劇」としては、かなりユルさやヌルさが見えちゃってるんだよね。

ジェイクがポルノの仕事を堂々と話すニキに対し、「中流の中西部人は神の救済を信じてる。君には理解できん」と告げるシーンがある。
だが、そんな彼の「カルビン派キリスト教徒としての熱心な信仰心」をアピールする言動が、全くと言っていいほど出て来ない。
娘が失踪してからのジェイクは、ただ「クリステンを見つけようと必死になって焦っている」という父親でしかない。
その行動理念に、信仰の影響は全く見えない。

もしもジェイクが熱心なカルビン派キリスト教徒じゃなかったとしても、娘が失踪してポルノ映画に出ていると知ったら、必死になって捜し回るだろう。
それなりの金があれば、探偵を雇ったり、素性を偽ってポルノ業界から情報を得ようとしたりもするだろう。
娘のことで苛立って、簡単に探偵を解雇したり、情報を聞き出すために関係者を暴行して脅したりもするだろう。
信仰の要素を排除したとしても、ほぼ同じ内容の映画が出来上がっちゃうんだよね。

映画のラスト、クリステンはジェイクを拒絶し、「さらわれたんじゃない。自分の意思よ。私に構ったことなんか無いくせに。住む世界が違ったのよ」と反発する。
でも、そこに向けての伏線が何も無いので、ただ唐突なだけになっている。
クリステンは「私のことを分かろうとせず、友達を追い返した」と話すが、そんなシーンなんて無かったし。
だから「拉致されたと思っていたが本人の意思だった」というドンデン返しが、綺麗に決まらないのよ。

(観賞日:2021年5月2日)


第2回スティンカーズ最悪映画賞(1979年)

ノミネート:作品賞


1979年スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の主演男優】部門[ジョージ・C・スコット]
ノミネート:【最悪の助演女優】部門[アイラー・デイヴィス]

 

*ポンコツ映画愛護協会