『フラッド』:1998、アメリカ

降り続く豪雨で町中が浸水したインディアナ州ハンティングバーグでは、住民の避難が始まっていた。保安官のマイクは、残っている住民に避難を呼びかけている。彼は長く保安官を務めてきたが、選挙で敗れてしまったために、もうすぐ辞職することになっている。
警備員のトムは、同じく警備員で自分の叔父でもあるチャーリーと共に、現金輸送車で300万ドルを運んでいた。その途中、輸送車が水の中で動かなくなってしまう。チャーリーが無線で助けを呼び、2人は救助隊が着くのを待つことになった。
だが、ジムが率いる強盗グループが彼らの前に姿を現し、輸送車を襲撃してくる。銃弾に倒れたチャーリーを残し、トムは現金の入った袋を持って逃亡。ジム達の追撃を振り切ったトムは、ポートマンという名を刻んだ墓に現金袋をくくり付けて隠す。
教会に忍び込んだトムは、そこに留まっていたカレンに背後から殴り付けられて気絶してしまう。保安官事務所の牢で目を覚ましたトムは、マイクにそれまでの経緯を話す。マイクはトムを牢に残したまま、部下を引き連れてポートマンの墓に向かう。
ダムの開放によって大量の水が町に流れ込み、保安官事務所も水没していく。トムは駆け付けたカレンに救出されるが、その姿をジムの仲間に目撃される。トムは町に残っていた老夫婦のヘンリーとドリーンにボートを借り、現金輸送車の立ち往生している場所に戻る。
そこへ、ヘンリーとドリーンを人質に取ったジム達が現れた。現金の隠し場所を明かすよう脅されたトムは、ジム達を墓へと案内するが、そこへマイク達がやって来た。ジムはトムを人質に取るが、マイクは構わず発砲してくる。マイクは300万ドルを奪い取るつもりだったのだ…。

監督はミカエル・ソロモン、脚本はグラハム・ヨスト、製作はマーク・ゴードン&ゲイリー・レヴィンソン&イアン・ブライス、共同製作はクリスチャン・スレーター、製作総指揮はアリソン・リオン・セーガン、撮影はピーター・メンジスJr.、編集はポール・ハーシュ、美術はJ・マイケル・リーヴァ、衣装はキャスリーン・デトロ、特殊効果監修はジョン・フレイザー、視覚効果監修はエド・ジョーンズ、音楽はクリストファー・ヤング。
出演はモーガン・フリーマン、クリスチャン・スレーター、ランディ・クエイド、ミニー・ドライヴァー、エドワード・アスナー、 リチャード・ダイサート、ベティ・ホワイト、マーク・ロルストン、ピーター・マーニック、マイケル・グールジャン、ダン・フローレック、リッキー・ハリス、ウェイン・デュヴァル、レイ・ベイカー、リサ・ファーマン他。


撮影監督出身のミカエル・ソロモンが初監督した作品。
巨大セットに水浸しの町を作り出し、災害パニック映画にアクションの要素を組み入れた結果、「水浸しの町で大人達が好き放題に暴れる」という作品が出来上がった。
体験型アトラクションにしたら面白そうな素材である。

マイク達があまりに人間臭い部分を見せるのは問題だろう。
確かに善人ぶっていた人物が大金を目の前にすると、欲に目が眩んで豹変することはあるだろう。しかし、そういう善悪の線引きの曖昧さが、ディザスター・ムーヴィーとしての醍醐味を完全に打ち消してしまっている。

後半は大金を巡る争いばかりが延々と続く。
洪水は何の意味も持たなくなってしまう。
人間vs洪水の戦いではなく、人間vs人間の戦いが描かれるのだ。
問題を引き起こすのは災害ではなく、人間の欲望になっているわけだ。
この映画が描くべきポイントは、そこには無いはずだ。

本来ならば、洪水が引き起こすトラブルが次第にエスカレートしていくという展開があるべきではないのか。
物語が次第に盛り上がって行くのではなく、同じような調子が続くのはイカンだろう。
盛り上がりそうになっては一休み、また盛り上がりそうになっては一休み。

別に最初は、トムと強盗グループの争いでも構わない。
ただし、洪水が脅威を増して行く中で、トムとジムが協力して災害に立ち向かうという展開にすべきではなかったか。
災害の恐ろしさを描き出すのが、ディザスター・ムーヴィーの本分ではないのか。

中盤辺りでダムの開放で、大水が流れ込む展開がある。
でも、ディザスター・ムーヴィーとしては、そこで完全に終わってるのよね。
後半は「ただ周囲に大水があるだけ」。
まさか町中でボートやジェットスキーを走らせたいという理由だけで、洪水という設定にしたんじゃあるまいな(その疑惑を完全に打ち消せない自分がいる)。

 

*ポンコツ映画愛護協会