『ハッピー フィート』:2006、オーストラリア&アメリカ

南極大陸にある皇帝ペンギンの国、エンペラー帝国。メンフィスとノーマ・ジーンは互いの歌によって惹かれ合い、愛を育んだ。やがて ノーマが卵を産み、彼女が魚を取りに行く間、メンフィスがそれを温める役目を引き受けた。猛吹雪の中、オスペンギンは体を寄せ合い、 必死に耐え続ける。しかしメンフィスは誤って卵を落としてしまい、慌てて拾い上げた。やがて春が訪れ、卵が次々に孵り始めた。最後に なって、ようやくメンフィスの卵は孵化した。子供はくちばしからではなく、足から生まれてきた。先に誕生していたグローリアは、彼を 「マンブル」と呼んだ。とバタバタと足を動かす息子を見て、メンフィスは「ペンギンは踊ったりしないんだ」とたしなめた。
やがてメスのペンギンたちが海から帰って来た。ノーマもマンブルと対面した。マンブルは小学校へ行き、ヴァイオラ先生の授業を受ける 。ヴァイオラは「大人になるために大切なのは、心の歌です。それは先生が教えることは出来ない、自分で見つけるもの」と語った。他の 子供たちが心の歌を披露する中、マンブルだけはヒドい声を発してしまう。ヴァイオラから話を聞いたメンフィスとノーマは、マンブルが 音痴のせいで運命の人と出会えないのではと心配になった。
ヴァイオラはメンフィスとノーマに、歌の教師であるアストラカンに相談するよう持ち掛けた。アストラカンはマンブルに、感じたことを 自分らしく表現するよう促した。するとマンブルは歌わずに、軽快なタップを踏む。彼は「踊ってないで歌うんだ」とアストラカンに指示 されるが、やはり上手く歌えない。感情を表現しようとすると、どうしてもタップを踏んでしまうのだ。「個性的で可愛いじゃない」と ノーマは息子を擁護するが、メンフィスは「声帯を鍛えれば歌えるようになる」と努力するよう息子を諭した。
両親がエサを求めて遠い海へ行っている間、マンブルは周囲の白い目から逃れ、自分だけの場所でタップを踏んだ。そこへトウゾクカモメ のスクーアと仲間たちが現れ、マンブルを食べようとする。スクーアに足に付いている輪に気付いたマンブルは、「その黄色いのは何?」 と尋ねる。するとスクーアは、「エイリアンに拉致されて体中を調べられた」と説明した。追い詰められたマンブルだが、氷の裂け目に 落ちたために助かった。
マンブルは学校でもみんなの輪に入れず、氷の向こうにある世界に思いを馳せた。一人だけ卒業できなかったマンブルは、初めて海に入る 卒業生たちに付いて行き、滑り落ちて真っ先にダイブした。その夜、主席で卒業したグローリアと仲間たちが楽しそうに歌う中、興奮した マンブルは変な声を発して邪魔してしまう。マンブルは追い払われ、一人で佇んだ。いつの間にか眠り込んだ彼が目を覚ますと、陸地から 遠く離れていた。彼が立っていたのは流氷の上だったのだ。
アザラシに襲われたマンブルは、必死で逃亡する。陸地に飛び出したマンブルは、ラモンをリーダーとするアデリーペンギンの5人組・ アミーゴスと出会った。彼らはマンブルのタップダンスに感心し、それを教えてもらう。「一緒に行こうぜ」と誘われ、マンブルは彼らに 付いて行く。アデリーペンギンの群れがいる場所に辿り着くと、アミーゴスは「俺たちはパーティーが大好きだ」と口にした。他の面々は 小石を使って巣を作っている最中だったが、アミーゴスは「俺たちは愛があるから特別だ」とメスをナンパした。マンブルはラモンから、 「お前のダンスがあれば、女どもにモテモテだ」と告げられる。
アミーゴスと雪上を滑走したマンブルは、雪崩の発生で海にダイブした。その時、雪の中に埋まっていたブルドーザーが海に落ちた。それ が何か知らないマンブルは、「変だよ、きっとエイリアンの仕業だ」と告げた。「みんなであれが何か確かめようよ」と持ち掛けると、 アミーゴスは「だったらラブレイスに訊け」と言う。ラブレイスはアデリーペンギンの教祖様で、何でも知っているのだという。
アデリーペンギンは長い行列を作り、捧げ物として小石を持って行くことで、ラブレイスの託宣を聞いていた。順番が来たマンブルは、 「エイリアンに拉致されたことってある?その変なネックレスみたいに、変な輪をカモメが付けられたって」と質問した。ラブレイスは、 「これはカリスマパワーのネックレスだ。ミステリー・ギン様から授かった。」と言う。マンブルは欲しい答えを得られないまま、 ラブレイスの元を去った。
マンブルはアミーゴスに、グローリアへの恋心に悩んでいること、彼女のために上手く歌いたいと望んでいることを打ち明けた。すると アミーゴスは、「俺たちが言った通りに言え」と指示した。群れに戻ったマンブルは、アミーゴスをバックに従えて歌を披露する。だが、 それはラモンが隠れて歌い、マンブルが口パクしていただけだった。すぐに嘘はバレて、マンブルはグローリアに呆れられた。
マンブルはグローリアに、「これで歌ってみて」とタップを踏む。グローリアは溜息をつきながらも、マンブルのステップに合わせて 歌う。グローリアの歌とマンブルのタップが絡み合った後、続いて群れの面々楽しく歌い踊った。だが。それを見ていたノアは「若者たち の反乱」とみなし、マンブルに追放を命じる。魚が取れなくなったことを、ノアは「グレート・ギンへの反乱だ、だから魚を減らされた」 とマンブルのせいにする。
ノーマはマンブルを擁護するが、メンフィスは「よそ者との付き合いも変なダンスもやめろ」と強い口調で告げる。彼は「どう考えても マトモじゃない。俺が卵を落としたせいだ」と口にするが、マンブルは「僕は何も悪くないよ」と反発し、「ダンスはやめられない。これ が僕なんだ」と告げる。マンブルは「なぜ魚が消えたか突き止めたら、必ず戻る」と言い残し、アミーゴスと共に群れを去った。
マンブルは漁獲量の減少にエイリアンが絡んでいると推理しており、ラブレイスに答えを聞こうとする。しかしラブレイスの元へ行くと、 彼はネックレスに首を圧迫されていた。マンブルは、それがミステリー・ギンから貰ったものではなく、ラブレイスが泳いでいる時に体に 絡まったのだと気付く。マンブルは首輪の持ち主が魚のことも知っていると考え、山の向こうへ行くことにした。歩いているとグローリア がやって来た。マンブルを追い掛けて来たのだ。マンブルは群れに戻るよう説得するが、グローリアは「貴方がいればいい」と付いて 行こうとする。マンブルはグローリアに厳しい批判を浴びせることで、怒らせて追い帰した。
ゾウアザラシの縄張りに迷い込んだマンブルたちは、「ブリザードの国を越えて聖地へ行くなら、あそこには破壊者のエイリアンがいる。 出会ったら皆殺しにされる。生き物なら何でも殺す」と聞かされる。「誰かがやめさせなきゃ。話せば何とかなるよ」とマンブルは言う。 マンブルたちはブリザードの中でラブレイスを見失った。ブリザードが止んだ後、マンブルとアミーゴスはラブレイスを発見する。そこに シャチが現れ、マンブルたちは食べられそうになる。必死に戦ってシャチを追い払ったマンブルたちは、網で魚を捕獲するエイリアン (人間)の船団を発見する。マンブルは魚を取るのをやめさせるため、自分だけでエイリアンの元へ向かう…。

監督はジョージ・ミラー、脚本はジョージ・ミラー&ジョン・コリー&ジュディー・モリス&ウォーレン・コールマン、製作はダグ・ ミッチェル&ジョージ・ミラー&ビル・ミラー、共同製作はジュディー・モリス&ウォーレン・コールマン、ライン・プロデューサーは マーティン・ウッド、製作協力はフィリップ・ハーンショウ&ハエル・コバヤシ&マイケル・トウィッグ&マット・フェロー、製作総指揮 はグレアム・バーク&エドワード・ジョーンズ&デイナ・ゴールドバーグ&ブルース・バーマン、編集はマーガレット・シクセル& クリスチャン・ガザル、アニメーション・ディレクターはダニエル・ジャネット、音楽はジョン・パウエル。
声の出演はイライジャ・ウッド、ロビン・ウィリアムズ、ブリタニー・マーフィー、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマン、 ヒューゴ・ウィーヴィング、アンソニー・ラパグリア、E・G・デイリー、マグダ・ズバンスキー、ミリアム・マーゴリーズ、カルロス・ アラズラキ、ロンバルド・ボイアー、ジェフ・ガルシア、ジョニー・サンチェス三世、ファット・ジョー、アリッサ・シェーファー、 シーザー・フローレス他。


『ロレンツォのオイル/命の詩』『ベイブ/都会へ行く』のジョージ・ミラーが手掛けた長編フルCCアニメーション映画。
マンブルの声をイライジャ・ウッド、ラモンとラブレイスをロビン・ウィリアムズ、グローリアをブリタニー・マーフィー、メンフィスをヒュー・ ジャックマン、ノーマをニコール・キッドマン、ノアをヒューゴ・ウィーヴィング、スクーアをアンソニー・ラパグリア、赤ん坊の マンブルをE・G・デイリー、ヴァイオラをマグダ・ズバンスキー、アストラカンをミリアム・マーゴリーズが担当している。
ダンスのシーンでは実際のダンサーの動きをモーション・キャプチャーで取り込んでおり、 マンブルのタップは“タップの神様”と呼ばれるセヴィアン・グローヴァーが担当している。

ペンギンのキャラクター造形は、かなりリアル志向になっている。
ジョージ・ミラー監督は当初、本物のペンギンに踊らせようとしていたらしく(どう考えても無理だろ)、そこから考えれば、リアルな 描写にするのは当然だろう。
ただ、本物のペンギンに近付けようとしたせいで、魅力的に感じないんだよね。
マンブルたちが生まれたばかりの頃は可愛いけど、大人のペンギンは、まるで可愛くない。
むしろ、特に目の辺りが、ちょっと怖い。

これは微妙な問題ではあるんだけど、仮に本物のペンギンが動いていても、それを怖いとは感じないのよ。
テレビ番組なんかでペンギンが出て来たら、それは可愛いと感じる。
でも、「限りなく本物に似せようとしたCG製のペンギン」だと、怖く見えてしまう。あと、リアルなアザラシも、すげえ怖いし。
なんで、もう少し誇張したキャラ造形にしなかったんだろう。
この映画で動物の見た目を徹底的にリアルに描写することのメリットって、あまり感じないんだけど。

「ペンギンは歌うけど踊らない」という最初の設定で、もう引っ掛かってしまった。
いや、もちろん「本物のペンギンは歌わないぞ」とか、そういう批判をしたいわけじゃないよ。
そうじゃなくて、「歌うけど踊らないのがペンギン」という設定に、引っ掛かったのよ。
本物は歌うことも踊ることもやらないけど、どっちかと言えば、「求愛のダンス」と呼ばれるモノがあるので、むしろ「踊る生物」という 設定の方が、しっくり来るんだよね。
だから、踊りを否定しておいて、でも「歌う動物」としていることに、しっくり来ないなあと。

それにさ、「ペンギンは踊らない」とか言っているんだけど、グローリアと仲間たちが歌うシーンでは、振り付けもあるのよね。
その場からあまり移動しないにしても、それは「踊り」の範疇に入るでしょうに。
たぶん、手の振り付けはOKで、足でステップを踏むのがアウトという設定なんだろうってのは分かる。
でも、それを「踊らない」と表現されちゃうと、そりゃあ違うんじゃないかと。

あと、お話が明るくないんだよなあ。
ジョージ・ミラーって『ベイブ/都会へ行く』でも、どことなく冷たい肌触りにしちゃってたけど、この映画でも、もっと明るいテイスト で作ればいいのに、変にシリアスなんだよな。
両親がエサを取りに出た後、マンブルが踊って軽快な音楽が流れても、それは「周囲から白い目で見られて孤独なマンブル」というシーン だから、楽しい気分になれないのよね。

それと、マンブルは差別されている設定なんだけど、そこの描写が、ちょっと中途半端なんだよね。
「音痴の上に踊るから、白い目で見られたり邪険にされたりする」という設定で、「マンブルは何も悪くないのに、マイノリティーだから 差別される」という形になっているべきなのよね。
でも、卒業式の夜、興奮したマンブルがキーキー声で叫んで歌を邪魔して追い払われるシーンがあるのよね。
そこに関しては、「迷惑がられて当然だろ」と言いたくなる。
そこで彼が冷たくされるのは、「みんなと違うから」「マイノリティーだから」ではない。
歌の邪魔をしたからだ。
そういうシーンを入れちゃダメでしょ。

マンブルのタップに合わせてグローリアが歌うシーンって、ホントはテンションの上がるシーン、盛り上がるシーンになっているべきなん だよな。
でも、ちっとも高揚感が無い。
なぜなら、タップの音と歌が全くフィットしていないからだ。むしろタップが歌の邪魔をしている。
そこは本来、タップがリズム楽器の役割を果たすべきだと思うんだよね。例えばボイス・パーカッションみたいな感じでさ。
ところが、あまりにもタップの自己主張が強すぎるのだ。
タップを際立たせようとしたことが、逆効果になっているんだよな。

それと、やたらと細かくて速いステップを刻んでいるのもマイナス。
グローリアが歌うのはバラードなので、まるで合わないんだよな。テンポの速い曲にしておけば良かったのに。
まあハッキリ言っちゃうと、ホントにタップがうるさいのよ。
続いてみんなで歌って踊る『ブギー・ワンダーランド』に入ると、タップがそれほど邪魔には感じなくなるのだが、それは「テンポの速い 曲だから」ってのと、「さっきよりタップの自己主張が少なくて、タップがソロを取る時は歌がストップする」ってのが大きい。

ただし、ここまで列挙した事柄は、この映画における大きな傷ではない。
この映画が抱える大きな欠点は、後半にある。
ブルドーザーが雪のカから出現したり、ラブレイスがゴミをネックレスとして掛けていたり、前半に伏線らしきモノがあったから悪い予感 はしていたが、やはり後半に入ると、環境問題へのメッセージが浮き彫りになってくる。
しかも、物語の中で何となく匂わせるとか、楽しい雰囲気の中で向こう側にチラッと見え隠れするとか、そういうやり方ではない。
真正面から環境問題を取り上げたストーリーの中で、メッセージを声高に訴えるのだ。

「エイリアン」ってのが人間のことだろうなあとは予想していたが、実際にマンブルが人間と会う展開になってしまうと、やはり脱力感は 否めない。
「やっちまったなあ」という感じだ。
で、人間が登場した時点で既にアウトと言ってもいいぐらいなんだけど、そのレベルでは済まない。船を追い掛けたマンブルは捕まって 動物園に移送され、そこで3ヶ月が経過して言葉を失い、抜け殻のようになってしまう。
で、ノーマたちの幻想を見たマンブルが落ち込んでいると、少女が水槽をコツコツと叩く。そこでマンブルがタップを踏み、大勢の客が 集まって来て話題となり、人間の発信機を付けられて群れの元へ戻る。
で、彼に促されてみんなでダンスを踊ると、それを見た人間の中から「人間が食物連鎖を崩している。すぐに手を打つべき。マンブルたち のいる場所を保護区域にすべきという意見が挙がり、国連が禁漁区にすることを決定する。
もうね、アホかと。

大体さ、ペンギンの集団ダンスを見ただけで人間たちが「人間が食物連鎖を崩している」というメッセージだと理解するのは、無理が ありすぎるでしょ。
ペンギンに諭されて「すぐに手を打つべき」と言い出すのも、無理がありすぎる。
それに、そこだけを禁漁区にしても、他の場所で魚の乱獲を続けていたら意味が、まるで無いんじゃないの。
そういう形だと、この映画で描いているのは結局、「ペンギンを保護しましょう」ということだけになるんだよね。

前半から楽しさや明るさに物足りなさのあった作品だが、後半に入ると、ますますシリアスな雰囲気が強くなってしまう。
終盤に用意されている集団舞踏も、マンブルは発信機を装着されているし、人間を呼び寄せるためのダンスってのが分かっているから、 ちっとも楽しめないんだよ。
もっとお気楽な話にしてくれりゃいいものを、なんでマジに環境問題を訴えちゃうかね。
取り上げ方が下手だから、すげえ説教臭さが鼻につく形になっちゃってるし。
監督は「ペンギンを描くなら環境問題は避けて通れない」ということで盛り込んだらしいけど、いやいや、幾らだって避けられるでしょ。
そこを避けたからって、「逃げやがったな」とは思わないよ。

考えてみれば、ジョージ・ミラーってオーストラリア人で、この映画はオーストラリアとアメリカの合作なんだよね。
オーストラリアと言えば、環境テロリスト集団を応援している国だよね。
お国柄が出ちゃったってことなのかな。
あと、この映画はアカデミー賞で長編アニメ賞を受賞しているけど、環境問題を声高に訴えた映画に賞を与えるのは、「いかにも アカデミー賞」と解釈すべきなのかもね。

(観賞日:2012年6月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会