『ハロウィン レザレクション』:2002、アメリカ

3年前、必死の思いでマイケル・マイヤーズを抹殺したローリー・ストロードは、精神病院の閉鎖病棟に隔離されていた。ローリーが殺害したのはマイケルではなく、マスクを被らされた救急隊員だった。彼はマイケルに喉を潰されていたため、助けを呼ぶことも出来なかった。ローリーは重い多重人格症を患い、看護婦が話し掛けても全く反応しなかった。だが、それは芝居だった。マイケルが警備員2名を殺害して病院へ乗り込んだ時、待ち受けていたローリーは反撃する。しかしマイケルに心の隙を突かれ、殺されてしまった。
ハドンフィールド大学に通うサラは、友人のジェナからインターネットのリアリティー番組『デンジャーテインメント』への出演が決定しことを知らされる。ジェナは番組の参加募集に申し込んでおり、メールで合格の通知が来たのだ。ジェナはサラと男友達のルディーの3人で応募していた。番組の内容は、選抜された6名の若者がマイケル・マイヤーズの生家でハロウィンの一晩を過ごし、その様子をインターネットで中継するというものだ。
サラは乗り気ではなかったが、サラとルディーは合格通知に大喜びした。風変わりな同級生のアーロンは、サラたちに不気味な態度で警告した。サラはネットで知り合ったマイルスにメールを送り、相談を持ち掛けた。マイルスは高校生だが、サラには大学院生を詐称していた。マイルスは友人のスコットに呆れられながらも、サラとメールの交換をした。番組のプロモーターを務めるフレディーと同僚のノラは、選抜した6名を集合させた。サラたちの他には、ビル、ドナ、ジムという3人が合格していた。乗り気な他の面々とは違うサラは、出演を辞退しようとする。しかしフレディーは適当な弁舌で、彼女を丸め込んだ。
翌日、マイルスはスコットから、パーティーに行く約束を確認される。マイルスはサラの出演する番組を見るつもりだったが、スコットに説得されてパーティーへ出掛けることにした。フレディーは参加者6名に、小型カメラを手渡した。番組では設置されたカメラの他に、それらの映像も使われる。視聴者は好きなカメラを選択して視聴し、本番中に切り替える。一人でも多くの視聴者を獲得した者が勝ちだと言われ、有名になりたいジェナたちは意欲を燃やす。
ノラは先にマイヤーズ家へ行き、番組スタッフのチャーリーにカメラを取り付けさせる。マイケルはチャーリーを殺して死体を運び出すが、モニターから目を離していたノラは気付かなかった。フレディーの合図で6人がマイヤーズ家に入り、番組がスタートした。6人は邸内を探索し、肉切り包丁や幼児用の椅子を発見する。一方、パーティー会場に赴いたマイルスは、書斎で番組を見るにことにした。
日が暮れたので、サラたちは食堂のキャンドルを灯して懐中電灯を用意した。ビルとジェナは2階へ行き、マイケルの姉であるジュディスの寝室を調べる。ドナとジムは物置部屋、サラとルディーは台所を探索する。ジェナの悲鳴が聞こえたので、サラとルディーは慌てて2階へ向かう。すると廊下を走って来たビルが、「いつの間にか居なくなってた」と言う。3人は手分けして捜索するが、その悲鳴はジェナのイタズラだった。
鏡を眺めていたビルは、マイケルに襲われて絶命した。ビルのカメラが故障したため、フレディーやノラは殺人に気付かなかった。同じ頃、パーティー会場の書斎には、マイルスの他にもネット中継を視聴する客が増えていた。ドナとジムは地下室へ行き、監視カメラが1台も無いのをいいことにセックスを始めようとする。しかし壁が崩れ、骸骨が倒れて来た。それはフレディーとノラの仕掛けた物だった。ジムは転がっている腕を拾い上げ、作り物だと気付いた。
マイケルに化けたフレディーは食堂に忍び込むが、そこへ本物が現れた。フレディーはチャーリーの変装だと思い込み、怒鳴り付けた。「ガレージへ行ってノラを手伝え」と命じられたマイケルは、おとなしく食堂を去る。ジムが地下室を去った後、ドナは崩れた壁の向こうに地下道を発見した。マイケルを目にした彼女は、慌てて逃げ出した。しかし鉄柵によって行く手を遮られ、マイケルに殺害された。中継の映像を見ていたマイルスは「彼女は本当に殺されたんだ」と言うが、一緒にいるパーティー客は誰も相手にしなかった…。

監督はリック・ローゼンタール、キャラクター創作はデブラ・ヒル&ジョン・カーペンター、原案はラリー・ブランド、脚本はラリー・ブランド&ショーン・フッド、製作はポール・フリーマン、共同製作はマレク・アッカド、製作総指揮はムスタファ・アッカド、共同製作総指揮はボブ・ワインスタイン&ハーヴェイ・ワインスタイン&ルイス・スピーグラー&H・ダニエル・グロス、撮影はデヴィッド・ゲッデス、編集はロバート・A・フェレッティー、美術はトロイ・ハンセン、衣装はブラッド・ガフ、視覚効果監修はジェイミソン・ゴーイ、音楽はダニー・ラックス、テーマ音楽はジョン・カーペンター、音楽監修はジェン・ミラー。
出演はバスタ・ライムズ、ビアンカ・カジリッチ、トーマス・イアン・ニコラス、ライアン・メリマン、ジェイミー・リー・カーティス、タイラ・バンクス、ショーン・パトリック・トーマス、デイジー・マクラッキン、ケイティー・サッコフ、ビリー・ケイ、ルーク・カービー、ブラッド・ロリー、ガス・リンチ、ロレーナ・ゲイル、マリサ・ルディアク、ブレント・チャップマン、ダン・ジョフレ、ヘイグ・サザーランド、ブラッド・シフォン他。


シリーズ第8作。監督はシリーズ第2作『ブギーマン』のリック・ローゼンタール。
前作でシリーズ復帰したローリー役のジェイミー・リー・カーティスが、引き続いて登場する。
フレディーをバスタ・ライムズ、サラをビアンカ・カジリッチ、ビルをトーマス・イアン・ニコラス、マイルズをライアン・メリマン、ノラをタイラ・バンクス、ルディーをショーン・パトリック・トーマス、ドナをデイジー・マクラッキン、ジェナをケイティー・サッコフ、スコットをビリー・ケイ、ジムをルーク・カービーが演じている。

マイケル・マイヤーズは前作で死んでいるのだが、もちろんシリーズを続けるために復活する。
それは今に始まったことじゃなく、第1作のラストで銃弾を浴びたのに第2作で何事も無かったかのように復活し、第2作で両目を撃ち抜かれてガス爆発で焼け死んだはずなのに第4作では何事も無かったかのように復活していた。
ただ、今回の場合は少しだけ事情が違っていて、前作で首チョンパにされているのだ。
さすがに、それで何事も無かったかのように復活するってのは無理がある。

そこで製作サイドが用意したのは、「殺されたのは別人だった」という設定だ。
ってことはローリーが何の関係も無い人を誤って惨殺してしまったわけで、ちょっとヒドいことになっている。
で、そのせいでローリーが罪悪感から精神を病んでしまい、何度も自殺未遂をしているのかと思ったら、それは演技なんだよね。ローリーは投与されている薬も飲んでおらず、マイケルが来るのを待ち受けている。
まあタフな女ということは言えるけど、無関係の人間を殺しておきながら全く罪悪感に苛まれていないってのは、どうかと思うぞ。

「第7作『ハロウィンH20』では、第4作から第6作までを完全に「無かったこと」にしてしまい、「実はローリーが生きていた」という設定にしてジェイミー・リー・カーティスを復帰させた。
「死んだはずなのに生きていた」というのは強引な手口だが、そもそもマイケル・マイヤーズをその手口で復活させているので、何を今さらってことなんだろう。
ともかく、第4作から第6作までの存在を抹殺してまでジェイミー・リー・カーティスを復帰させたこともあってか、第6作よりは一般的な評価が上向きになった。

そんな『ハロウィンH20』から真っ直ぐに物語が繋がっている続編として作られたのが、この作品だ。
だからこそジェイミー・リー・カーティスが前作に引き続いて出演しているわけだが、本人の希望なのか製作サイドの都合なのか、なんとローリーを序盤でマイケルに殺害させてしまう。
「前作で相当に強引な手を使ってまで復活させたのに、たった1作と少しだけで御役御免なのかよ」と言いたくなる。
だったら、むしろ本作品には登場させない方がマシだわ。ローリーが殺された時のガッカリ感はハンパないわ。

そして、ローリーが殺されたところで、この映画は実質的に終わっている。つまり、約15分程度の寿命ってわけだ。
そもそも、マイケル・マイヤーズは血縁者の命を狙うモンスターだったわけで、だからローリーを始末した時点で目的は達成されてしまうのだ。
その段階で、本来のキャラクター設定からすると、マイケル・マイヤーズの活動する理由は失われてしまうはずなのだ。
それでも彼が行動し続けるのは、もはやキャラ設定が崩れてしまっているからなのだが、それについては後述する。

ローリーはショックで精神をやられて廃人状態になっており、マイケルに軽く始末されるのかと思いきや、実は芝居をしていただけでマイケルが来るのを待ち受けており、反撃して追い詰めてしまう。
それは裏を返せば、のっけからマイケルの弱さや情けなさが描かれるってことだ。ロープを足に括り付けられ、逆さ吊りにされてオロオロしちゃうのだ。
うろたえる芝居を見せることでローリーに救急隊員を殺害した時のことを思い出させ、それを利用して最終的には彼女を殺しているけど、そういう芝居をすること自体が萎えるし。
知恵を使って殺人を遂行するのは別にいいんだけど、演技で騙すってのは違うなあ。

マイケルはローリーを始末した後、ネット中継のために服を購入しているサラが見た鏡に映り込む。
もちろん、サラが振り返るとマイケルの姿は無いわけだが、そこに登場するってことは、もはやネット中継が始まる前からマイケルはサラたちの命を狙っているということだ。
どこかでネット中継のことを知ったんだろうか。他の人間と接触することは無いはずなのだが、情報には敏感なのね。
そして、もちろん番組が開始されると、それはマイケルの殺人劇のスタートでもあるわけだ。

ここで問題になるのは、前述した「マイケル・マイヤーズは血縁者の命を狙う」というキャラクター設定だ。設定としては、そういうことになっていたはずだ。
ただ、そのルールがキッチリと守られていたのは、実は第2作だけだ(第1作では、まだローリーが彼の妹であることが明かされていなかったので、血縁者を狙っているという図式が成立していない。それが分かるのは2作目になってからだ)。
既に第4作の段階で、マイケル・マイヤーズは血縁者でもなく、血縁者を守ろうとするわけでもなく、自分の行動を阻止しようとするわけでもない無関係の人間を何人も殺していた。
ただの無差別殺人鬼に成り下がったマイケルは、第5作ではアホな若い男女ばかりを標的にしていた。おまけに、パーティーの最中に納屋でセックスを始めたカップルが殺される展開なんぞもあって、すっかり『13日の金曜日』シリーズの模倣になっていた。

マイケルの行動に何かしらの理由を付けるなら、「生家を勝手に荒らしている連中がいるので殺した」ということになるだろう。
それは全く関係の無い連中を次々に殺すよりは、まだ動機としては「血縁者を殺す」という基本設定に繋がるモノを感じさせる。
ただ、もはや理由付けなんて、どうだっていいんだよね。マイケル・マイヤーズは、とっくの昔にジェイソン・ヴォーヒーズの物真似殺人者へと変貌しているんだから。
だから本作品が第5作と同様に「若い男女を次々に殺害する」「アホなカップルがセックスを始めようとしたら殺害される」といった『13日の金曜日』シリーズの模倣になっているのは、当然っちゃあ当然のことなのだ。
ジョン・“音楽もやるのよ”・カーペンター監督が生み出したオリジナルの殺人鬼であったはずのマイケル・マイヤーズは、いつの間にやらバッタモンになってしまったのである。

監視カメラの映像やPOVを使った演出を「他の映画でやったことを真似してるだけでしょ」と思うかもしれないが、どうせバッタモンだから別にいいのだ。
それが効果的に作用しているのかと問われたら答えはノーだし、ネットで生中継されているという仕掛けも効果的には思えない(むしろ野次馬が増えるわ、照明が明るすぎる映像が混じるわ、限定空間の醸し出す閉塞感が無くなるわでデメリットの方が大きい)。
だが、何もかもが上手く活用されず、雑で陳腐になっているということも含めて『13日の金曜日』シリーズの模倣なんだろう。
なぜかマイケルがフレディーの指示におとなしく従って立ち去るのも、カンフーの真似事をするフレディーの蹴りを食らって窓の外に吹き飛ばされるのも、ジェイソンがシリーズを重ねる中で滑稽さを醸し出すようになったのを真似しているんだろう。

第4作も第5作も第6作も、マイケル・マイヤーズは無関係な人間も惨殺していたが、最終的な目標としての「マイケルの血縁者」は存在していた。
だから、終盤には「マイケルが血縁者を殺そうとする」という展開が用意されていた。
しかし本作品の場合、前述したようにローリーが冒頭で退場してしまう。
そういう意味では、シリーズで最もジェイソン・ヴォーヒーズに酷似していると言ってもいいのではないか。
物真似のクオリティーとしては悪くないのかもしれないが、でも映画としてはポンコツだわな。

(観賞日:2014年5月23日)


第25回スティンカーズ最悪映画賞(2002年)

ノミネート:【最悪の続編】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会