『プロヴァンスの贈りもの』:2006、アメリカ&イギリス

少年時代のマックス・スキナーは、夏休みを南仏のプロヴァンスで過ごしていた。プロヴァンスにはワイン造りをしている叔父のヘンリーが住んでおり、夏休みの最終日にはマックスのために新しいワインを開けた。ヘンリーはブドウ畑の地主であり、実際にワイン造りの作業を担当しているのはフランシス・デュフロという小作人だった。ヘンリーはチェスをしながら、ワイン造りの魅力を饒舌に語った。
時は過ぎ、マックスはロンドンで金融トレーダーとして働くようになっていた。彼は凄腕だが節操の無い手口で、大きな儲けを生み出していた。市場を混乱させて批判の対象になっても、マックスは全く気にしなかった。ある日、マックスの元にヘンリーの死を知らせる手紙が届いた。ヘンリーは近親者がいなかったため、マックスが遺産を相続し、家やブドウ農園も維持するよう求められた。秘書のジェマは公証人と会って書類にサインするよう促すがが、マックスはフランス行きを渋った。
マックスは家と農園の価値について、不動産業者のチャーリー・ウィリスに尋ねる。100万ドルはくだらないと聞かされ、マックスは売却することを約束した。翌日、フランスはフランスへ飛ぶが、用意されていた車はカーナビが故障しているポンコツだった。苛立ちながら車を走らせたマックスは、ヘンリーの農園に到着した。農園を歩いたマックスは、少年時代の出来事を思い出す。テニスで負けて悔しがっていた時、ヘンリーは「勝利から学ぶ物は何も無い。しかし敗北は知恵を生み出す。大切なのは負け続けないことだ」と説いた。
フランシスと再会したマックスは、叔父の面倒を見てくれたことに礼を述べた。マックスは農園で生産しているシャトー・ラ・シロックを試飲するが、すぐに吐き出すほど不味かった。翌朝、フランシスの妻であるリュディヴィーヌが家を訪れ、朝食を用意した。マックスはジェマからの電話で、会社に査問調査が入ることを知らされる。「大丈夫だ、二重の防御網を張ってある」とマックスが言うと、ジェマはボスのナイジェル卿が話したがっていることを告げた。
公証人との事務所へ向かう途中、マックスは車内からチャーリーに電話を掛ける。チャーリーはマックスに、ワインの鑑定家に土壌を調べてもらい、客が飛び付く写真を撮るよう助言した。落とした携帯を拾うために脇見したマックスは、自転車で走って来たファニー・シュナルをひきそうになった。衝突を避けたファニーは土手で転倒するが、マックスは気付かずに走り去った。公証人のナタリー・オーゼと会ったマックスは、「ワイン生産者になるつもりはありません。なるべく早く売却したい」と告げた。
農園に戻ったマックスはフランシスから「ヘンリーはアンタが引き継ぐのを望んでた」と批判されるが、「それなら遺言を残すはずだ」と軽く受け流す。「俺の生き甲斐を奪うのか」とフランシスが声を荒らげると、マックスは冷淡に「そうだ」と答えた。農園の写真を撮っていたマックスは、飛び込み台が折れて水の無いプールに落下してしまった。地面に置いた携帯電話が鳴るが、マックスはプールから脱出できない。マックスの車を見つけたファニーが農園に入り、脱出しようと苦労している彼を見つけた。マックスは助けを求めるが、彼女はプールに水を注入して立ち去った。
ある程度まで水が入り、ようやくマックスは脱出できた。しかしナイジェル卿との電話会談に間に合わず、マックスは停職1週間と通告があったことをジェマから知らされた。マックスは彼女に、「部下のケニー名義でトレードする。彼には内緒にしろ、ナイジェルの承諾を得ろ」と指示した。プロヴァンスでの滞在期間を延長する羽目になったマックスは、地下にあるワイン蔵を確認する。彼はチャーリーと電話で話し、「ここのワインは、お世辞にも一級品とは言えない。頭痛がするほど不味い」と告げる。チャーリーは「ワインを知らないアメリカ人に売ろう。72時間で化粧直しをしろ」と指示した。
マックスはペンキを塗り直そうとするが、ハケをフランシスに奪われる。農園が売却されてもワイン造りを続けたいと望むフランシスに、マックスは「それなら綺麗にするのを手伝え。新しいオーナーにアピールできる」と提案した。デュフロだけでなく彼の父親も協力し、農園の大掃除が開始された。マックスが壁を塗り直していると、クリスティー・ロバーツという女性がヘンリーを訪ねて来た。彼女はマックスに写真を見せ、ヘンリーの娘だと明かした。マックスはヘンリーが亡くなったことを教え、チャーリーに連絡する。チャーリーは「相続権を主張されると面倒だ。弁護士に相談しろ」と指示した。
マックスはナタリーと会って事情を説明し、「詐欺かもしれない」と言う。「もしも彼女が主張する前に土地を売ったら?」と質問すると、ナタリーは「名義が変更されても売却は無効に出来ます」と答える。手厚くもてなすのが賢明だと助言され、マックスは了解した。レストランを経営するファニーを発見したマックスは、プールでの行為を責めた。するとファニーはマックスにひき殺されそうになったことを語り、膝の痣を見せて激しく非難した。「殺す気なら受けて立つわよ」と怒りの形相で立ち去るファニーを見て、マックスは「気に入った」と微笑で呟いた。
農園に戻ったマックスは、フランシスにファニーのことを尋ねる。フランシスは、ヘンリーもファニーに好意を抱いていたこと、彼女がDV夫と別れてから男を寄せ付けないことをマックスに教えた。リュディヴィーヌはクリスティーのために豪勢な夕食を用意したが、食卓に置かれているワインはシャトー・ラ・シロックだった。所蔵庫で他のワインを探したマックスは、ラベルの無い瓶を見つけた。彼は少年時代を回想し、コメディアンになる夢を語ってヘンリーから「大事なのはタイミングだ」と言われたことを思い出した。
マックスはクリスティーのグラスにワインを注ぐが、「僕はコニャック党でワインは苦手だ」と告げる。彼は一口飲んで「まだマシだ」と言うが、クリスティーは「ボルドーっぽくて美味しい」と感想を述べた。マックスがファニーのレストランに行くと大勢の客が押し寄せており、彼女は忙しく動き回っていた。マックスが声を掛けると、ファニーは「忙しくて遊んでられないの」と冷たく告げた。マックスは「バイト経験がある」と勝手に給仕係の仕事を手伝い始め、ファニーは彼の見事な仕事ぶりに感心した。仕事の後でマックスがデートの約束を持ち掛けると、ファニーはOKした。
チャーリーはマックスに電話を掛け、「写真のおかげで問い合わせが殺到だ。僕も視察する。そっちへ行く」と告げた。リュディヴィーヌから夕食に誘われたマックスがデュフロ家へ行くと、フランシスがクリスティーも招待していた。フランシスはシャトー・ラ・シロックを注ごうとするが、マックスもクリスティーも遠慮した。するとデュフロの父は、地元のガレージ・ワインであるコワン・ペルデュを持って来た。生産量が少なくて高額だが、フランシスは「過大評価だ」と手厳しい評価を口にする。しかしクリスティーは、「ネット情報ではプロヴァンスの伝説になってる。だれも生産者を知らない」と言う。
マックスはクリスティーがヘンリーの娘だということについて、「彼女の主張を裏付ける話があるのか」と辛辣な口調で告げる。するとクリスティーは悲しそうな表情で「父のことを知りたいだけなの。疑われても平気よ」と述べ、その場を去った。悪酔いして農園に倒れ込んでいる彼女を見つけたマックスは、おんぶして家へ戻った。クリスティーをベッドで休ませたマックスは、「子供時代の部屋だ。叔父を愛してたが伝えなかった。後悔してる。あの頃は良かった」と口にした。翌日、ワイン学者が調査のため、農園を訪れた。ワインや土壌を確認した彼は、「この土地は救いようがない。話にならない」と酷評した…。

監督はリドリー・スコット、原作はピーター・メイル、脚本はマーク・クライン、製作はリドリー・スコット、共同製作はエリン・アップソン、製作総指揮はブランコ・ラスティグ&ジュリー・ペイン&リサ・エルジー、撮影はフィリップ・ル・スール、編集はドディー・ドーン、共同編集はロブ・サリヴァン、美術はソーニャ・クラウス、衣装はキャサリン・レテリア、音楽はマルク・ストライテンフェルト。
出演はラッセル・クロウ、アルバート・フィニー、マリオン・コティヤール、フレディー・ハイモア、アビー・コーニッシュ、ディディエ・ブルドン、トム・ホランダー、イザベル・カンディエ、ケネス・クラナム、アーチー・パンジャビ、レイフ・スポール、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、リチャード・コイル、ジャック・ハーリン、ジル・ガストン=ドレフュス、ダニエル・メイズ、アリー・ローズ、マガリ・ヴォック、グレッグ・チリン、トニー・トゥティニ他。


ピーター・メイルの同名小説を基にした作品。
脚本は『セレンディピティ』のマーク・クライン、監督は『マッチスティック・メン』『キングダム・オブ・ヘブン』のリドリー・スコット。
そもそも、プロヴァンスにブドウ農園を持っているリドリー・スコット監督が、長年の友人であるピーター・メイルに語った希少ワインの噂が原作小説のモチーフとなっている。
マックスをラッセル・クロウ、ヘンリーをアルバート・フィニー、ファニーをマリオン・コティヤール、少年時代のマックスをフレディー・ハイモア、クリスティーをアビー・コーニッシュ、フランシスをディディエ・ブルドン、チャーリーをトム・ホランダーが演じている。

プロヴァンスにブドウ農園を持っているぐらいだし、しかも自分との会話が原作小説のきっかけになったんだから、そりゃあリドリー・スコットが映画化したいと思うのは理解できる。
しかし残念ながら、外には向き不向きというのがあるわけで。それまでのリドリー・スコットのフィルモグラフィーを見ても、これは彼が撮るべき素材ではなかったんじゃないかと。
もちろん、今までとは異なるタイプの映画に挑戦することで新しい可能性が見えるとか、意外な才能が発揮されるとか、そういうことも無いとは言い切れない。
しかし結果論になるが、「やっぱり違っていたみたいだね」という仕上がりだったわけで。

そもそも、冒頭シーンからして、この映画は惹き付ける力が弱いし、そもそも「何を使って、どんな感じで惹き付けようとしているのか」ってのがボンヤリしている。
たぶん、それ以降の展開から推測すると、冒頭シーンでは「少年時代のマックスがプロヴァンスで過ごした夏休みは楽しくて素晴らしい時間だった」という印象を観客に与えなきゃいけないはずなんだよね。
だけど、そういう雰囲気が物足りない。
マックスはチェスでチェックメイトして微笑は浮かべるけど、もっと楽しさが強く伝わるようにしておくべきだろう。

まず、冒頭で少年時代のマックスとヘンリーの様子が短く描かれ、そこから冷淡で勝利至上主のトレーダーになった現在のマックスへと移る。
それはオードックスな構成であり、特に大きな破綻があるわけではない。
ただし、この映画の場合、冒頭で描かれたマックスが、成長して「金以外に興味の無い冷淡な男であり、ヘンリーにも農園にも全く愛情を示さない」という大人へと変貌していることに大きな違和感を覚えてしまう。
何がどうなって、そういう大人に成長してしまったのかと。

もちろん、何年も経過して少年からオッサンに成長したわけだから、人間なんて性格が大きく変化するのは珍しいことじゃない。しかし映画としては、違和感を抱かせてしまうのは確かなわけで。
そこは「マックスが冷淡な男に変貌するきっかけ」でも用意しておかないと腑に落ちないぐらい、かなりの違和感があるのだ。
でも実際のところは、特に何か理由があって変貌したという設定ではないわけで。
そこの違和感を解消する方法は簡単で、それは「冒頭に少年時代の様子を見せない」ってことだ。マックスがヘンリーの死を知らされたり、プロヴァンスへ行ったりした時に、初めて少年時代の思い出を回想シーンとして挿入すればいい。そういう構成にするだけで、前述したような違和感は消えるはずだ。

っていうか本作品でも、農園に到着したマックスが少年時代を思い出すシーンは挿入されている。
だから、そこで初めて少年時代が描写される形にしておけば良かったのだ。
っていうか、そもそもマックスを「金にしか興味の無い冷淡な男」というキャラに設定していること自体が、物語の展開を苦しくしているように思えてならない。
例えば「上司や取引先からの圧力が激しかったり、大事な案件を抱えて多忙だったりして、どうしても仕事優先の考え方になっている」という設定にでもしておいて、農園を売却しようとする理由も「金目当て」ということじゃなくて「ワイン造りをしている余裕なんて無いし、ロンドンどの仕事が多忙でプロヴァンスに通うことなんて無理だから」ということにすれば、もうちょっと物語の構築が楽になったんじゃないかなと。

一言で表現するなら、これは「徹底してベタなロハス映画」である。
幼少時代は叔父の田舎で夏休みを過ごしていた主人公が、成長すると金にしか興味の無い冷淡な凄腕トレーダーになっている。ヘンリーへの愛もプロヴァンスに対する思い入れも皆無で、物件を売却しようと目論む。プロヴァンスに到着しても冷淡な感情だったが、そこで暮らしたりヒロインと触れ合ったりする内に気持ちが変化し、都会での暮らしを捨ててプロヴァンスで暮らそうと決める。
そういう大まかな筋書きを記述しただけでも、いかにベタベタな話かってのが良く分かるだろう。
そして、もっと細かい枝葉までも、やはりベタベタなのである。

ベタにやることが、必ずしもダメというわけではない。ベタってのは、古くから使われ続けてきたからこそ「ベタ」になったわけで。なぜ使われ続けて来たかっていうと、それは観客に受けるからだ。
つまりベタってのは言い換えれば、「多くの人に愛されやすい展開や内容」ってことになる。だから、それを上手く使えば、そして繊細に心情を表現したり、丁寧にドラマを構築したりすれば、「ベタベタだけど、とても質が高い」という仕上がりになる可能性は充分に考えられる。
すなわち、この映画の問題点は「中身がベタベタだから」ってことではなく、「ベタな話を雑に描いているから」ってことにある。
「ベタが必ずしもダメなわけじゃない」と前述したけど、「都会の人間が田舎で過ごすことになり、やがて気持ちが変化し、終盤には選択を迫られる展開があって、最終的には田舎暮らしを選ぶ」ってのは、さすがに「大勢の人々に愛されやすいプロット」とは言えないんじゃないかという気がする。
そのプロットは、あまりにも多く使われ過ぎて「もう飽きたよ」と思う人も少なくないんじゃないかと。

「都会の人間が田舎へ移り住むことを決める」というプロットも、細かく分けると「恋愛や結婚のために田舎暮らしを決める」「子供や家族のために田舎暮らしを決める」など幾つかのパターンがあるが、大抵は都会が仕事とイコール、田舎が家族や恋人とイコールになっている。この映画では、都会は仕事とイコールと捉えてもいいだろう。一方、彼に家族も恋人もいないが、プロヴァンスでファニーに惚れて、「惚れた女」と田舎がイコールになる。
しかし、この映画の場合、それでは困るのだ。
この映画の場合、マックスにはプロヴァンスを愛し、農園を引き継ぎたいという意欲を抱き、ワイン造りに情熱を抱いてもらう必要がある。
「ファニーに惚れたからプロヴァンスに移り住む」ってことだと、ワイン造りを始めたり農園を引き継いだりするのは「目的」ではなく「手段」になってしまう。それでは絶対にダメなのだ。
それ自体がプロヴァンスに移り住む目的でなければ困る。そこは必須だ。

前述したように、マックスは農園で少年時代の出来事を思い出すんだけど、それによって彼の気持ちが揺らいだり、変化したりする様子は皆無なんだよね。
そりゃあ、冷淡だった奴が、ちょっと少年時代の出来事を思い出しただけで急変するのは不自然だけど、せめて揺らぎは生じてもいいだろう。しかし、その回想シーンは、彼に何の影響も与えていないのだ。
マックスは農園への愛もワイン造りへの情熱も、全く抱かない。少年時代の回想によって、「農園を守りたい」という気持ちが少しずつ高まって行くような心情の変化は全く無い。
後半には「叔父を愛してたが伝えなかった。後悔してる。あの頃は良かった」と口にするシーンがあるが、取って付けたような印象しか無いし、その台詞によって彼のヘンリーに対する愛が伝わってくることも皆無だ。
百万歩譲って(っていうか譲るつもりなんて毛頭無いが)、彼がヘンリーへの愛情を持っているとしても、それが農園やワイン造りに対する愛情には繋がっていない。

マックスはファニーとのデートで「ここに来なくなって後悔してる。夢中だよ」と言うけど、それは単なる口説き文句だ。
そしてマックスは、一夜を共にした翌朝にファニーから「なぜ寝たか分かる?貴方が農園を売ったら二度と来なくなるからよ。後腐れが無くてもいいわ」と言われ、彼女にプロヴァンスを離れるつもりが無いことを聞かされて、そこで初めて「農園を売るべきじゃない」で考えるのだ。
しかも、もはや「迷いが生じる」というレベルではなくて、「恋をした」というチャーリーへの告白の後で「農園は売るべきじゃない」と断言しているのだ。
つまり、彼がトレーダーの仕事を辞めてプロヴァンスへ移り住むのは、完全にファニーが目当てなのだ。そして前述したように、それではダメなのだ。

しかも、開始から48分頃にはファニーのことを「気に入った」と言って興味津々になっているくせに、それから10分も経たない内にクリスティーのことでチャーリーに「フランスでは従妹と寝るのは犯罪か?」などと質問している。
ただの女好きじゃねえか。
おまけに、マックスとファニーに対する愛を「プロヴァンスへ移り住む理由」にしているのに、そこの恋愛劇は薄っぺらいんだよな。2人が初めてデートするのは、もう映画の残り時間が30分を過ぎてからだぜ。
それと、そのデートと同じタイミングでクリスティーとチャーリーを出会わせ、恋愛の雰囲気を醸し出しているけど、慌ただしいし、強引すぎるわ。
結局は全く恋愛関係に発展する可能性も無いまま放り出されるし、何がしたかったのかと。

そもそも、クリスティーのポジションに若い女性を配置していること自体に、疑問が拭えない。
そんなことをすれば、どうしてもマックスとの間に恋愛劇が予想されてしまうわけで。
実際に恋愛感情が生じないとしても、変な勘繰りを生むのは絶対に得策じゃない。この映画みたいにマックスにエロい気持ちだけが芽生えているのも、それはそれでメリットが何も無い。
そこは男性キャラにしておいた方が、何かと都合がいいはずでしょ。
っていうか、そもそも「ワイン農園の所有権を主張されるかもしれないヘンリーの身内」を登場させる意味さえ、あまり感じないんだよな。

「都会の仕事人間が、ノンビリした田舎暮らしを選ぶ」という展開に説得力を持たせ、その選択に観客が賛同できる形にするためには、それなりの作業が必要になる。
実のところ、それは二択ではあるのだが、実際には「都会生活を選ばない」という選択と、「田舎暮らしを選ぶ」という選択の、両方に納得させる必要があるのだ。
例えば、「まだ都会暮らしに未練はあるけど、仕方なく田舎暮らしを選ぶ」という形だと、その選択をハッピーエンドとして受け取ることが出来ないのだ。
また、「都会暮らしが嫌になったから田舎へ移り住む」という消去法による選択でも、「田舎暮らしが好きで選んだわけじゃない」ってことだから、ハッピーエンドとは受け取れない。

この映画は、そこに失敗している。
まずマックスは、都会での多忙な生活で精神的に参っている様子など皆無だ。むしろ充実感を抱いているし、仕事に失敗しているわけでもない。それどころか、終盤には共同経営者になるよう提案されている。
だから、彼が都会での生活を嫌になる理由なんて何一つとして存在しない。
都会生活やトレーダーの仕事に疲れ果てて限界に達したわけではなく、せいぜい「ちょっと飽きて田舎へ逃避したくなった」という程度にしか思えない。

一方で田舎暮らしを決めたのは「そこで出会った女に惚れたから」だが、こちらも「都会で暮らしている男が田舎のフランス女に新鮮味を感じ、女好きの血が騒いだ」という印象しか受けない。
そこに「本気の恋愛」を全く感じない。
だから、マックスがファニーのためにプロヴァンスへ移り住んでも、いずれはロンドンに戻るだろうと思ってしまう。
「プロヴァンス暮らしは長続きしない。今は全てが新鮮に見えても、やがて日常生活に飽きる。食って飲んで寝ての生活を続けても、その先には倦怠しか無い」というチャーリーの指摘は、その通りだと思うのよ。

(観賞日:2015年1月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会