『フューチャーワールド』:2018、アメリカ

科学の発展によりロボットが未来を築き、人工知能は新しい宗教を生み出した。未熟な者が権力を得たことによって戦争が勃発し、暗黒時代が訪れた。赤熱病という病気が生まれ、国家は崩壊した。ロボットは戦争で武器として使用され、アッシュだけが生き残った。彼女は全ての記憶を消去し、休止状態に入った。崩壊後の地球では、ウォーロードという男が率いるレイダースが略奪を繰り返していた。彼らはバイクで砂漠を疾走し、生き残った人々が暮らす工場を襲撃した。ウォーロードは工場を統率するポピを殺し、仲間のラットキャッチャーやタトゥード・フェイスたちと共に工場を調べた。彼はアッシュを発見し、起動して呼び掛けた。
オアシスと呼ばれる集落で暮らすプリンスは、友人のリコに母を救うためパラダイス・ビーチにある命の寺へ向かう決意を語る。プリンスの母であるクイーンはオアシスを統括する女性だが、赤熱病を患っていた。クイーンは「パラダイス・ビーチに薬は無い」と言い、自分の代わりにオアシスを守るようプリンスに説いた。ウォーロードはレイダースにアッシュを「俺の花嫁だ」と紹介し、命令を下して1人を殺害させた。
プリンスは老いた旅人にパラダイス・ビーチの場所を訪ね、「死の海の岸辺だ」と聞かされた。旅人は「どんな病気も治せて、永遠の命も与えられる。だが、お前の思うような場所じゃない」と言い、「北極星の方向に3日進むとネオンの森に着く。そこには人が住んでいるが注意しろ」と警告した。プリンスは協力を申し出たガッターとリコを伴い、バイクでオアシスを出発した。ラブ・ロードという男が仕切る歓楽街のラブ・タウンでは、レイダースがストリップを見物して楽しんでいた。ストリッパーを見たアッシュが「私と同じロボット?」と訊くと、ウォーロードは「本物の人間だ。年を取り、醜くなって死ぬ。君は永遠に完璧だ」と答えた。
プリンスたちは情報を得るため、ラブ・タウンに立ち寄った。リコはバーテンダーのロージーに金を渡し、パラダイス・ビーチのことを尋ねる。ロージーは「知らないわ。ビッグ・ダディーに聞いてみる」と言い、ラブ・ロードに報告した。ラブ・ロードは手下のスキニーとファッティーに、「新顔を可愛がってやれ」と指示した。スキニーとファッティーはプリンスたちの元へ行き、ナイフで脅した。リコが怯まずに拳銃を突き付けると、スキニーは弾丸が入っていないと決め付けて余裕を見せた。しかし拳銃には弾が装填されており、リコはスキニーを射殺した。
ラブ・ロードはプリンスからパラダイス・ビーチへ行く方法を問われ、見返りを求めた。取引は成立し、ラブ・ロードは「案内人を紹介してやろう」と言ってプリンスをアッシュに会わせた。プリンスはアッシュに誘惑され、セックスに及ぼうとした。するとアッシュは拳銃を奪ってリコとガッターを射殺し、プリンスをウォーロードたちの元へ連行した。ウォーロードはプリンスを拷問し、オアシスには弾丸があることを聞き出した。
ウォーロードはプリンスにオアシスへの案内を承諾させ、レイダースを率いてラブ・タウンを出発した。アッシュはレイダースを裏切り、ダメージを負いながらもプリンスを助けて逃亡した。「なぜ助けた?」と問われたアッシュは、「分からない。誤作動かも」と返答した。レイダースの追跡を逃れた2人は荒野を放浪し、廃墟と化した教会に辿り着いた。プリンスが「人は神と話すために教会へ来て、自分の罪を償った」と語ると、アッシュは「罪って何?」と問い掛ける。ブリンスに「相手に対して悪いことをするのが罪だ」と言われた彼女は、「私がしたのも悪いこと?もうやりたくないわ」と述べた。
アッシュは神と対話する方法をプリンスに尋ねるが、損傷の影響で動かなくなってしまった。次の朝、プリンスは担架を作ってアッシュを乗せ、引きずりながらパラダイス・ビーチへ向かう。ようやく到着した直後、プリンスは武装した一団に襲撃されて昏倒した。襲ったのは、ドラッグ・タウンを支配するドラッグ・ロードの手下たちだった。意識を取り戻したプリンスは、ドラッグ・ロードの尋問を受ける。プリンスがパラダイス・ビーチと思っている場所は、彼女たちにとってはドラッグ・タウンだった。
「母の赤熱病を治療するための薬が欲しい」とプリンスが話すと、ドラッグ・ロードは奥の小部屋に案内して「ここにあるわ」と告げる。「まずは私たちの仲間になって。薬が欲しければ従って」と言われ、プリンスはドラッグ・ロードのドラッグを受け入れた。アッシュはメカニックのレイに修理されて起動し、ドラッグ・ロードは彼女の両手を鎖で拘束した。ドラッグ・ロードはアッシュに、「悲しまないで。力になってあげる。私たちは互いに力を高め合える」と述べた。
ドラッグで気持ち良くなっていたプリンスは、ドラッグ・ロードから巨漢との戦いを要求された。「貴方の望む物は、彼の腹の中にある。殺せば勝ち、死んだら負けよ」と言われたプリンスは巨漢に襲われ、剣を手に取った。プリンスは巨漢を殺して腹を裂き、赤熱病の薬を手に入れた。プリンスがアッシュに「ここを出よう」と言うと、ドラッグ・ロードは「望みは薬でしょ。この子には残ってもらう」と告げる。アッシュに「行って。時間が無いわ」と促されたプリンスは、1人でドラッグ・タウンを後にした…。

監督はジェームズ・フランコ&ブルース・ティエリー・チャン、脚本はブルース・ティエリー・チャン&ジェレミー・チャン&ジェイ・デイヴィス、製作はスコット・リード&アンドレア・イェルヴォリーノ&モニカ・バカルディー&ヴィンス・ジョリヴェット&ジェイ・デイヴィス、製作総指揮はルカ・マトンルンドーラ&バリー・ブルッカー&スタン・ワートリーブ&ウェイン・マーク・ゴッドフリー&ロバート・ジョーンズ&ジュリアン・ファーヴル&ジャン=アレクサンドル・ルチャーニ、共同製作はローレン・ベイツ、製作協力はアルノー・ラニック&ババク・エフテカリ&キャサリン・フリーマン&ゾーイ・モーガン・チスウィック&ジャスミン・モリソン&アニカ・ラニン、撮影はペーター・ツァイトリンガー、美術はイヴ・マッカーニー、編集はアレックス・フレイタス、衣装はデヴィッド・ペイジ、視覚効果監修はピーター・ナッリ、音楽はトイドラム。
出演はジェームズ・フランコ、スーキー・ウォーターハウス、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ルーシー・リュー、ジェフリー・ウォールバーグ、マルガリータ・レヴィエヴァ、スヌープ・ドッグ、ジョージ・ルイスJr.、クリフフォード・“メソッド・マン”・スミス、カーメン・アルジェンツィアーノ、スコット・ヘイズ、ルーマー・ウィリス、ベン・ユーセフ、ウィルマー・カルデロン、エリウド・カサス・“リー・コック”、エリーシャ・ヘニッグ、デヴィッド・バチェラー、タムジン・ブラウン、クレイグ・クライン、トム・マッコマス他。


俳優のジェームズ・フランコが、『スパークリング・デイズ』の一篇を撮ったブルース・ティエリー・チャンと共同で監督を務めた作品。
ジェームズ・フランコは複数の大学に通っていたが、ブルース・ティエリー・チャンとはニューヨーク大学映画学科で知り合ったそうだ。
ウォーロードをジェームズ・フランコ、アッシュをスーキー・ウォーターハウス、ドラッグ・ロードをミラ・ジョヴォヴィッチ、クイーンをルーシー・リュー、プリンスをジェフリー・ウォールバーグ、レイをマルガリータ・レヴィエヴァ、ラブ・ロードをスヌープ・ドッグ、ラットキャッチャーをジョージ・ルイスJr.、タトゥード・フェイスをクリフフォード・“メソッド・マン”・スミス、祖父をカーメン・アルジェンツィアーノ、ガッターをスコット・ヘイズ、ロージーをルーマー・ウィリス、リコをベン・ユーセフが演じている。
ちなみにジェフリー・ウォールバーグはドニー・ウォルバーグ&マーク・ウォールバーグの甥で、ルーマー・ウィリスはブルース・ウィリスとデミ・ムーアの娘だ。

ある映画が大ヒットした時、それに便乗して二匹目のドジョウを狙おうとする作品が雨後の筍のように世界中で次々に作られるケースがある。
最も分かりやすい例が、スティーヴン・スピルバーグが監督を務めた『ジョーズ』だろう。この作品に関しては、今でもサメ映画がコンスタントに作られ続けているぐらいだ。
ジョージ・A・ロメロ監督が撮った『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』に関しても、やはり二匹目のドジョウを狙う映画が次々に作られた。
そして、もはや今では「ゾンビ映画」が1つのジャンルとして定着するほどになっている。

ただし『ジョーズ』や『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド/ゾンビの誕生』は例外中の例外であり、大抵の映画の場合、本家がヒットしてから数年が経てば便乗を狙う動きも沈静化してしまう。
ブームが過ぎ去ってしまえば、便乗することは難しくなるからだ。
ジョージ・ミラー監督が手掛けた『マッドマックス2』の時も、そういう動きが見られた。世界的な大ヒットを受け、『マッド・ファイター』や『マッドライダー』など数多くの亜流映画が作られた。
しかし本家のシリーズ第3作『マッドマックス/サンダードーム』が大コケした後、便乗する動きは沈静化した。

かなり前置きが長くなってしまったが、これは「ものすごく遅れてきた『マッドマックス2』の亜流」みたいな映画である。
ジャンルを「ディストピア映画」という括りにすれば、2000年代以降も数多くの作品が登場して来た。
「大きな戦争によって文明が崩壊した地球」という世界観の映画も色々とあった。
ただ、さすがに2018年にもなって、まだ『マッドマックス2』の亜流を感じさせるほどの映画が公開されるとは思っていなかった。

ただ、ちょっと考えてみれば、本家のシリーズ第4作である『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が2015年に公開されているんだよね。なので『マッドマックス2』じゃなくて、そっちを意識して製作された映画なのかもしれない。
ただ、そうだとしても、本家は2015年の公開で、こっちは2018年だから、便乗するのなら少しタイミングが遅いかなと。
それより何より、こういうのって完全なるB級映画の仕事だと思うんだよね。ブルース・ティエリー・チャンは無名の人だから別にいいとして、ジェームズ・フランコやミラ・ジョヴォヴィッチ、ルーシー・リューといった面々が、こんな映画に関わるのはどうなのかなと。ジェームズ・フランコに至っては共同監督まで務めているし。
これがパロディー映画なら「そのセンスは嫌いじゃない」と言えるかもしれないけど、ただのバッタモンだからねえ。

仮にバッタモンでも出来が良ければ救いはあるし、上手く行けば「二番煎じどころか三番煎じ以上だけど面白い」という評価になったかもしれない。
しかし残念ながら、っていうか当然のことながら、出来栄えは芳しくない。
先に言っておくと、ジェームズ・フランコは残忍で卑劣な悪役を楽しそうに演じている。何しろ自分が望んで撮った映画なのだから、嬉々として演じるのは当然っちゃあ当然だろう。
でも、どうにか褒められるポイントを探しても、それぐらいしか見当たらない。

善玉サイドの連中は、まるで魅力を感じさせない。
プリンスは「母を救うため」という強い思いでオアシスを出発したはずなのに、ラブ・タウンではリコたちに頼りまくっている。そしてアッシュの虜になり、すっかり本来の目的を忘れてしまうというボンクラっぷり。
そのせいでリコを殺されて捕まるんだから、そんな奴を応援したくなる気持ちなど湧くはずも無い。
あと、同行したのはリコとガッターの2人なのに、彼らが殺された時にプリンスがリコのことしか気にしていないのはガッターが不憫だろ。
こいつ、一度も名前を呼ばれないまま死ぬんだぜ。だったら最初から、同行するのはリコだけにしておけばいいだろ。

プリンスはウォーロードに拷問され、あっさりと「オアシスには弾丸がある」という情報を吐き、案内役も承諾する。
そもそも「どうしてオアシスには弾丸があるのか」という疑問はあるが、それは置いておくとしよう。
プリンスは情報を吐いた後、何か状況を変えるための策を講じるのかと思ったが、アッシュが助けてくれるだけ。
つまりリコが死んだ後は、アッシュに頼りっ放しってことだ。
幾ら未熟な若者とは言え、あまりにも無力だ。

ドラッグ・タウンでも、プリンスの無能っぷりは変わらない。
ドラッグ・ロードに従うよう言われ、ドラッグを投与されてアッパーになる。
巨漢との戦いには勝利しているが、それを「主人公らしい活躍」とは到底言えない。プリンスだけが武器を持っているし、巨漢がそんなに強いわけでもないからね。
ひょっとすると「未熟な若者の成長を描く冒険物語」を意図していたのかもしれないが、そんなに成長の跡が見えるわけでもないし。

アッシュがプリンスを助ける理由は、サッパリ分からない。
「ウォーロードはオアシスを滅ぼす気だった。あの時、初めて自分は他者と違うと気付いた。まずは事態を改善しなければならない」というモノローグを語っているが、そんなことを唐突に考えた理由も不明だし。
「命令に従うだけだったロボットが自我に目覚めた」ってことかもしれないが、自我に目覚めるまでの変遷も、きっかけとなる出来事も、何も用意されていないのだ。
さらに根本的なことを言うと、アッシュが休止する前から自我に目覚めていたのか、そうじゃないのかも不明。
こいつがデタラメなだけなので、まるで魅力的ではない。

キャラ以外にも、問題は山積みだ。
レイダースが工場施設を襲撃する冒頭のシーンからして、物足りなさが半端無い。
ウォーロードはポピを始末するが、それで「襲撃」は終了してしまう。他の連中がどうなったのか、サッパリ分からない。
レイダースの目的はアッシュなので、他の面々には興味が無かったってことかもしれないが、それにしても描写が淡白だ。
そこはレイダースの極悪非道っぷりをアピールしておいた方が絶対にいいはずなのに、そのための作業が弱すぎる。

ウォーロードがアッシュを起動した後、オアシスのパートに移る。そして再びウォーロードが写り、彼がアッシュに命じて手下を殺させる様子が描かれる。
でも、ここでシーンを分割している意味は全く無い。ウォーロードがアッシュを起動させたら、すぐに「近くにいる手下を殺害させる」という手順を描いた方がスッキリする。
オアシスのパートにしても、プリンスが出発するまでにパートを3つに分割する必要性を全く感じない。
ウォーロードとプリンス、両方のパートを交互に描こうってのは分かるけど、それがテンポの悪さやモタ付きを生み出しているような印象を受ける。

終盤、アッシュは自分を逃がそうとしたレイと肉体関係を持ち、「あの時、繋がりを持てた。純粋な何かを感じる」とモノローグを語る。
さらに彼女は、レイに「こんな気持ちは初めてよ。味わったことが無い」と言う。
つまりアッシュは、自分を助けてくれたレイに特別な絆を感じ、そこで初めての気持ちに目覚めるのだ。
だけど。それってプリンスが担当すべき役割じゃないのか。プリンスとの交流によって、アッシュが変化しなきゃダメなんじゃないのか。
なんで終盤に出て来たレイに、そんなポジションを与えているのかと。
そんな形を取ることで、ますますプリンスの存在意義が怪しくなってるじゃねえか。

終盤、アッシュのことを諦め切れないプリンスは、密かにドラック・ダウンへ舞い戻る。
しかし彼が敵を倒してアッシュを救い出すような展開は、用意されていない。レイダースが乗り込んでドラッグ・ロードたちと戦っている隙に、アッシュを連れ出そうとするだけ。しかも、そこで連れ出すことにも成功しておらず、ウォーロードに見つかって捕まるのだ。
その後には「アッシュがウォーロードの命令に逆らい、プリンスとレイを連れて逃亡する」という展開があり、アッシュは追って来た ウォーロードと戦って殺す。
つまり、最後までプリンスは無力で役立たずなままなのだ。
これが最初から「アッシュが幼きプリンスを守って戦う物語」として描かれているなら、何の文句も無いよ。でも、そうじゃないので、プリンスが要らない奴にしか見えないのよ。

(観賞日:2019年7月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会