『フリー・ウィリー』:1993、アメリカ&フランス

孤児院を逃げ出した少年ジェシーは、仲間のペリーやグウェニー、ヴェクターと共に、通り掛かった人々に金をせびったり食べ物を 盗んだりして過ごしていた。警官に発見されたジェシーは、ペリーと共にマリーン・パークに逃げ込んだ。施設にペンキで落書きしていた ジェシーは、水槽に入っているシャチを発見した。そのシャチは、海で仲間と共に泳いでいたところを船に追い込まれ、ネットで囲まれて 捕まえられたのだった。 警官に捕まったジェシーは、孤児院へ連れ戻された。マリーン・パークの一件は、孤児院の職員ドワイトのおかげで裁判沙汰にはならず、 落書きを掃除するだけで済むことになった。ジェシーの元には、里親の話が舞い込んでいた。だが、ジェシーは「いつか母が迎えに来て くれる」と信じており、乗り気ではない。その母からは、6年前から何の連絡も無い。 ジェシーはドワイトに連れられ、里親であるグレンとアニーのグリーンウッド夫妻の元を訪れた。ジェシーは彼らの家で暮らし始めるが、 全く馴染もうとはしない。ジェシーはマリーン・パークへ行き、監督係ランドルフの指示で掃除を始める。ジェシーは、あの時のシャチと 再会した。それはウィリーという名のシャチだ。ランドルフや調教師レイは、危険だから近付くなと告げた。 ジェシーはウィリーを怖がらず、積極的に近付こうとする。彼がハーモニカを吹くと、ウィリー近寄ってきた。夜中にプールへ転落した ジェシーは、ウィリーに助けられた。掃除は終わったが、ジェシーはウィリーと別れることを寂しがった。それを知ったランドルフは、 グリーンウッド夫妻に「夏の間、ジェシーをバイトで使いたい」と申し入れた。 マリーン・パークの経営者ダイアルと支配人ウェイドは、ウィリーに芸を教え込んでショーを開催しようと考えていた。レイはプールの 狭さを問題視するが、ダイアルは改装に消極的だ。ジェシーがウィリーに指示を出すと、簡単に言うことを聞いた。それを見ていた ランドルフとレイは、ジェシーにウィリーの調教を任せることにした。 ウィリーはジェシーの指示を良く聞き、順調に芸を覚えていく。ダイアルはプールの改装を承諾し、ウィリーのショーが開催されることに なった。ショーの当日、大勢の子供達にプールの壁を激しく叩かれて神経質になったウィリーは、ジェシーの指示に全く従わなかった。 ジェシーはペリーに誘われていた別の土地へ行こうと考え、ウィリーに別れを告げようとする。 深夜にマリーン・パークを訪れたジェシーは、ダイアルやウェイドが水槽のボルトを緩めているのを目撃する。彼らは事故に見せ掛けて ウィリーを殺害し、多額の保険金を手に入れようと企んでいたのだ。ジェシーはランドルフとレイに協力してもらい、ウィリーを海へ 帰してやろうと考える。ジェシーたちはウィリーを車で運び出すが、気付いたダイアルたちが追ってくる・・・。

監督はサイモン・ウィンサー、原案はキース・ウォーカー、脚本はキース・ウォーカー&コーリー・ブレックマン、製作はジェニー・ ルー・トゥジェンド&ローレン・シュラー=ドナー、製作総指揮はリチャード・ドナー&アーノン・ミルチャン、撮影はロビー・ グリーンバーグ、編集はO・ニコラス・ブラウン、美術はチャールズ・ローゼン、衣装はエイプリル・フェリー、音楽はベイジル・ ポールドゥリス、主題歌「Will You Be There」はマイケル・ジャクソン。
出演はジェイソン・ジェームズ・リクター、ロリ・ペティー、ジェイン・アトキンソン、オーガスト・シェレンバーグ、マイケル・ マドセン、マイケル・アイアンサイド、リチャード・リール、ミケルティー・ウィリアムソン、マイケル・バコール、ダニエル・ハリス、 イザイヤ・マローン、ベッツィ・トール、ロブ・サンプル、マリリン・ジョーンズ他。


『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』のサイモン・ウィンサーが監督を務めたシャチ版『わんぱくフリッパー』のような作品。
ジェシーを演じるのは、オーディションで選ばれたジェイソン・ジェームズ・リクター。レイをロリ・ペティー、アニーをジェイン・ アトキンソン、ランドルフをオーガスト・シェレンバーグ、グレンをマイケル・マドセン、ダイアルをマイケル・アイアンサイド、 ウェイドをリチャード・リール、ドワイトをミケルティー・ウィリアムソンが演じている。
ウィリーとして登場するのは、ケイコという名前のシャチ。名前はケイコだが、雄だ。
映画では最後に海へ帰されたが、現実には本作品の 後もメキシコの曲芸用プールに入れられ、劣悪な環境での生活を余儀なくされていた。ようやく1997年になり、ケイコはポートランドの リハビリ用施設に移送された。すっかり衰弱していたケイコは次第に元気を取り戻し、1998年になってアイスランドの海に移されたが、 2003年の12月にノルウェーの海で急性肺炎のため死亡した。
結局、野生の群れに戻ることは出来なかったようだ。

ジェシーは最初からウィリーを手懐けている。彼のハーモニカで、すぐにウィリーは近寄ってくる。
ジェシーとウィリーに絆が芽生えるような出来事が会ったわけでもないので、「なぜジェシーにだけは懐くのか」という部分の説得力はゼロ。「互いに孤独な少年とシャチが 仲良くなる」というのは映画としての仕掛けであって、ジェシーが孤独なのをウィリーは知らないはずだしね。
たぶん「他の人間と違ってジェシーだけはウィリーを怖がらなかった」という部分を説得力にしたいんだろうけど、そこは弱いのよね。
というのも、他の人間が怖がっている様子は、ほとんど描かれていないのだ。ウィリーがなかなかレイやランドルフの言うことを聞かない とか、ジェシー以外の人間を怖がらせるとか、そういう様子を先に描写しておくべきじゃなかったのかな。

シェシーが里親の元へ行くという設定は、効果としてはイマイチ。本当ならば、「最初は反発していたジェシーが、少しずつ心を開いて いく」という流れがあるべきなんだろうが、前半は全く無い。
そもそも、グリーンウッド夫妻の出番がほとんど無い。後半に入り、不意に里親との関係を描くシーンが出てくるが、そこで一気にまとめて片付けてしまおうという感じ。 ホントはジェシーとウィリーの関係を描くドラマの中に、グリーンウッド夫妻も絡めていくべきだろうと思うんだよな。でも実際には、 完全に別々になっている。終盤、ジェシーがウィリーを逃がす際にはグリーンウッド夫妻に協力を求めるけれど、そこも「都合のいい時 だけ利用する」って感じで、心の距離が近付いているような印象は受けない。
あと、そこはジェシーが助けを求めるのではなく、窮地を知ったグリーンウッド夫妻が求められる前に助ける形の方が良かったんじゃないかな。
それと、「孤独な少年とシャチが通じ合う」という仕掛けなんだけど、ジェシーってホントは孤独じゃないのよね。グリーンウッド夫妻が 傲慢だったり冷酷だったりするならともかく、積極的に受け入れようと努力しているし。
そんで諸々を考えると、里親って要らないんじゃないか。孤児のままでもいいんじゃないか。ランドルフやレイという仲間は出来たし。
もしくは、ウィリーを海へ逃がした後、それまで嫌がっていた里親の元へ行くことを承諾するというところで話を締めるとか。

終盤、ダイアルたちが水槽の水を抜こうとしているのを知ったジェシーが、水槽を直そうとしたり警察に連絡したりせず、「ウィリーは ホームシックだから海へ帰そう」と言い出すのは、かなり唐突だ。ウィリーがホームシックになっている様子は、それまで全く無かったと 思うんだけどね。それまでジェシーはウィリーに曲芸を教えることに夢中だったのに、えらい急な変わりようだな。
というか、そこでの解放劇に長く時間を割くより、ジェシーとウィリーや里親との触れ合いに時間を割いた方が良かったんじゃないの。
あと、これって明らかに子供向けの映画でしょ。なのに、「無神経な子供たちが水槽を激しく叩いたせいでウィリーが曲芸を出来なくなって しまう」ということで、子供たちを悪役に仕立て上げているのはどうなのよ。その気は無かったかもしれんが、水槽を叩くガキどもには悪意 が感じられるぞ。そこは大人たちのせいにしておくべきなんじゃないの。

まあハッキリ言って、「シャチのウィリー(ケイコ)が愛らしい」という一点のみで成り立っているような作品だな。
ジェイソン・ジェームズ・リクターは、シャチの口に手を突っ込むなど頑張っているが、取り立てて可愛いわけでもないし。
ジェシーというキャラも、あまり魅力的な造形になっているとは感じなかったし。

 

*ポンコツ映画愛護協会