『フォー・クリスマス』:2008、アメリカ&ドイツ

ブラッドとケイトはラブラブのカップルだが、結婚する気は全く無い。2人とも結婚に対して、否定的な考えしか抱いていない。また、2人とも両親が離婚して嫌な思いをしていることが影響し、子供を作るつもりも無い。ブラッドが勤めている法律事務所のクリスマス・パーティーが開かれ、2人は参加した。2人はブラッドの同僚であるスタンとエリックから、クリスマスに親族と付き合うことの気苦労を聞かされる。それが嫌なブラッドとケイトは家族と過ごさず、2人だけでフィジーへ行くと決めていた。
本当のことを明かすと家族の怒りを買うので、ブラッドとケイトはボランティア活動に出掛けると嘘をついた。2人は浮かれた気分で空港へ向かうが、濃霧で飛行機が全便が欠航になってしまった。おまけにテレビの生中継でリポーターから取材を受けたため、嘘が露呈して両親から電話が掛かって来た。仕方なくブラッドとケイトは、双方の両親を訪ねることにした。そのせいで言い争いになってしまった2人だが、すぐに仲直りした。
ブラッドとケイトの両親は離婚しているため、合計4つの家庭を1日で巡る羽目になった。2人は帰りたくなった時の合言葉を決めて、まずはブラッドの父であるハワードを訪ねた。ブラッドは会う前に、「ウチの父親は強烈だ。遠慮せず、帰りたくなったら言ってくれ」とケイトに告げた。ブラッドの兄であるデンヴァーとダラスは、それぞれの家族を連れて帰郷していた。デンヴァーとダラスはブラッドを見つけると、いきなりプロレス技を掛けた。デンヴァーの妻であるスーザンは、それを見ながら笑った。
デンヴァーのと挨拶を交わしたケイトは、ブラッドがオーランドという本名だと初めて知った。交際して3年間も嘘をつかれていたことにケイトが腹を立てると、ブラッドは「嫌だから変えた、それだけだ」と説明した。ケイトがプロレス技を掛けられても反撃しないことについて「どうして?」と訊くと、ブラッドは「あいつらは総合格闘技の訓練を受けたセミプロだ。僕の子供時代は刑務所だった」と話す。「だけど貴方は成長した。もう恐れずにビシッと言うべきよ」と、ケイトはブラッドに促した。ブラッドは2人の兄たちに、「もう暴力はやめないか。大人の距離を保とう」と告げる。しかしデンヴァーとダラスは無視し、プロレス技でブラッドを痛め付けた。それどころか、ダラスの子供たちもブラッドに襲い掛かった。
プレゼントを開ける時間になり、ハワードはブラッドに配るよう命じた。ブラッドはダラスの長男であるコナーに、最新のゲーム機を渡す。しかし家族は10ドルの商品以内と決めていたため、途端に不機嫌な表情を浮かべる。「誰も教えてくれなかった」とブラッドが釈明すると、ハワードは「お前が家に帰らないからだ」と責めた。「目くじら立てるなよ。子供たちを喜ばせたかっただけだ」とブラッドは言い、ダラスが次男のコーディーに買ったプレゼントを配る。中身が懐中電灯だったので、コーディーはダラスに文句を付けた。
ブラッドは「僕がルールを知らなかっただけだ」と取り成そうとするが、コーディーは不満そうに「サンタは高い物をくれるよね」と言う。ブラッドが「いや、サンタの予算も10ドル程度だろう」と告げると、コーディーは「どうして?サンタはケチなの?」と訊く。ブラッドが無神経に「サンタの正体はパパだ」と明かしたため、場の空気が一気に悪くなった。ブラッドは既にサンタがパパだと思って軽く口にしたのだが、子供たちは初めて知ったのだ。
ブラッドとケイトはハワードへのプレゼントに、テレビの衛星アンテナを用意していた。しかしハワードは喜ばず、「毎月の視聴料は?」と尋ねる。ブラッドは「こっちで払うよ」と言うが、ハワードは「ウチは農家だが、弁護士の息子の世話になるつもりはない」と告げる。設置業者の予約も既に入れていたが、ハワードは「断れ、自分でやる。そいつが変態だったらどうする?」と口にした。彼は息子たちに命じて屋根に登り、ブラッドはアンテナ取り付けを担当する羽目になった。
ハワードはコナーから一緒に遊ぼうと誘われ、「忙しいから後でな」と告げる。コナーが「おばあちゃんの恋人は断らない」と告げると、ハワードは「あいつは最低のゴキブリ野郎だ」と口にした。ブラッドが「母さんとの仲は良好みたいだね」と言うと、ハワードは「あいつは淫乱だ。キャリアも子供も捨てて男に走った」と語る。ブラッドは「母さんはレジ係だった。キャリアとは呼べない。それに父さんも悪い。母さんは寂しかったんだ」と言うと、ハワードは「甘やかし過ぎたんだ。女房なんて騙してナンボだ」と反論した。
ケイトはスーザンの幼い娘に興味を抱き、次々に質問を投げ掛けた。彼女はスーザンから赤ん坊を渡され、困惑しながら抱いた。赤ん坊が大泣きするのでケイトは狼狽するが、スーザンは「慣れれば泣き止むわ」と軽く言う。ブラッドはアンテナの方向を調整するが、なかなかテレビの映りが良くならない。ハワードから「衛星なんか要らん、取り外せ」と言われたブラッドはアンテナを引き抜くが、勢い余って屋根から転落しそうになる。コードが外れて室内の物が次々に落ちると、赤ん坊は泣き止んだ。ブラッドは地面に落下し、テレビは壁に激突して炎に包まれた。驚いたケイトは赤ん坊の頭をクローゼットにぶつけてしまい、大泣きされてしまった。
次に2人が訪れたのは、ケイトの母であるマリリンの家だ。庭に大きなキリスト像が飾ってあるのを見たケイトは、恋人が出来たのだと悟った。マリリンはブラッドにハグを求め、抱き締められると気持ち良さそうな表情を浮かべた。ケイトの伯母であるサラとドナ、それに祖母たちも、たくましい体をしたブラッドに興味津々だった。ケイトの姉コートニーと夫のジムも、娘のキャシーと赤ん坊のジャクソンを連れて来ていた。コートニーの言葉で、ブラッドはケイトが子供時代に「シラミが移る」と7年間もイジメを受けていたことを知った。コートニーやマリリンが、からかうように「シラミは消えた?」と言うので、ケイトは顔を引きつらせた。
マリリンは交際しているフィル牧師の意見を受け入れ、クリスマスの装飾を今年は中止していた。そして彼女は賑やかに騒ぐのではなく、誰に何をしてあげたいかを1人ずつ発表していくよう促した。マリリンは「教会とフィルに、もっと身を捧げたい」と発表し、祖母は「お爺ちゃんに、もっと手と口でサービスしてあげたい」と述べた。指名されたブラッドは「ケイトとバカンスで色んなことをやりたい」と告げ、次のコートニーは「3人目を作るわ」と述べた。
コートニーはケイトにジャクソンを預け、ウンチしていないか確かめるよう頼んだ。ケイトがオムツを覗いていると、ジャクソンは彼女の胸に嘔吐した。それを見たブラッドは吐き気を催し、「愛してるけど近付かないでくれ」とケイトに告げた。洗面所でゲロを拭いたケイトは、着替えを持って来たコートニーに「シラミのことを話すなんて」と文句を言う。「ブラッドには話してると思ったのよ」とコートニーが悪びれずに言うので、ケイトは「自分ならジムに話す?」と責める。するとコートニーは、「全て話してるわ。私の男性遍歴も、彼が男と関係を持ったことも。良く知らない人を本当に好きになれる?」と語った。
マリリンやコートニーたちは、ブラッドにケイトの子供時代の写真を見せた。彼女たちは、ケイトにジョーという唯一の友達がいたこと、幼い頃は太っていたことを話した。ケイトはコートニーの妊娠検査キットを見つけて使ってみるが、キャシーに見つかって「それは私の特別なマジックペンなの」と嘘をついた。キャシーは妊娠検査キットを持ち去り、オモチャのお城に入ってしまう。お城に強いトラウマがあるケイトだが、仕方なく足を踏み入れる。しかしキャシーと仲間たちはキットを投げ合い、ケイトを押し潰した。蹴り飛ばされたケイトは激怒し、子供たちを次々に投げ飛ばしてキットを奪い返した。
ブラッドはマリリンたちから、少女時代のケイトがダイエットキャンプに通っていたことを聞かされた。ブラッドに「ダイエットキャンプだって?君が並外れた巨大児でも、レズっ気があっても、全ては僕に続く旅だったんだ」と言われたケイトは、「レズっ気って?」と訊く。ジョーのことを指摘されたケイトは「彼女はゲイじゃないわ」と否定するが、ブラッドは「ゲイの髪型だ」と言う。ケイトは否定するために子供の頃の遊びを語るが、それはジョーがゲイであることを証明する内容だった。ブラッドはケイトに、「これで僕の気持ちが分かっただろう?本名を隠していたことを責める資格は無いよ。秘密があるのはお互い様」と告げた。
ケイトはマリリンと話そうとするが、「教会へ行くから後にして」と言われる。ブラッドとケイトが教会へ行くと、まるでクラブのような盛り上がりを見せていた。ノリのいい音楽が大音量で流される中、フィルはロックスターのような歓声を浴びてステージに現れた。フィルはマリアとヨセフ役の信者が急病で来られなくなったことを明かし、代役を募った。マリリンが「ケイトかやります」と挙手したため、ケイトは引き受けざるを得なくなった。
ブラッドも巻き込まれ、2人は『聖母受胎』の寸劇を演じる羽目になった。赤ん坊を渡されたケイトは、緊張した面持ちで舞台に出た。しかし用意されているはずの布が見当たらないため、ケイトは困り果てる。舞台に出ると自信満々になったブラッドは、2人分の台詞を喋って調子に乗った。ブラッドが腰に布を巻いているのに気付いたケイトは、彼に知らせる。するとブラッドは「出来の悪い母親め。私がこの子を守ろうと」と言い、自分が赤ん坊に布を巻いて信者たちの喝采を浴びた。
マリリンの家を後にしたブラッドは車を運転しながら、「セリーヌ・ディオンの気持ちが分かった。観客が力をくれる」と興奮した様子で話す。ケイトは「貴方は私を笑い者にして自分のことばっかり」と責めるが、ブラッドは「僕は芝居を救ったんだ」と主張する。2人はブラッドの母であるポーラの家に到着するまで、口喧嘩を続けた。「隣にいても通じ合っていない」とケイトが不満を述べると、ブラッドは「家族のことで僕に当たるな」と告げた。
ブラッドとケイトはポーラの歓迎を受け、家に招き入れられる。ポーラはケイトに、「デンヴァーやダラスと違って、この子は繊細で。5歳になるまで乳離れしなかったわ」とブラッドのことを語る。そこへポーラの若い恋人であるダリルが姿を現した。ダリルはブラッドの元親友だった。「僕は君の父親になるつもりはない。友達になりたいだけだ」と言うダリルに、ブラッドは「お袋と寝てる男と友達になるつもりはない」と怒りをぶつける…。

監督はセス・ゴードン、原案はマット・R・アレン&ケイレブ・ウィルソン、脚本はマット・R・アレン&ケイレブ・ウィルソン&ジョン・ルーカス&スコット・ムーア、製作はロジャー・バーンバウム&ゲイリー・バーバー&ジョナサン・グリックマン、共同製作はデレク・エヴァンス&ウディー・ネディヴィ&メアリー・ローリッチ、製作総指揮はトビー・エメリッヒ&マイケル・ディスコ&リチャード・ブレナー&マーク・カウフマン&ガイ・リーデル&ピーター・ビリングスリー、撮影はジェフリー・L・キンボール、編集はマーク・ヘルフリッチ&メリッサ・ケント、美術はシェパード・フランケル、衣装はソフィー・デ・ラコフ、音楽はアレックス・ワーマン、追加音楽はジョン・オブライエン、音楽監修はボブ・ボーウェン。
出演はヴィンス・ヴォーン、リース・ウィザースプーン、ロバート・デュヴァル、シシー・スペイセク、ジョン・ヴォイト、ジョン・ファヴロー、メアリー・スティーンバージェン、ドワイト・ヨーカム、ティム・マッグロウ、クリスティン・チェノウェス、ケイティー・ミクソン、コリーン・キャンプ、ジャネット・ミラー、ジャック・ドナー、スティーヴ・ウィービー、ザック・ボギャン、スカイラー・ギソンド、トゥルー・ベラ、パトリック・ヴァン・ホーン他。


『ドッジボール』『ブラザーサンタ』のヴィンス・ヴォーンと、『キューティ・ブロンド』『メラニーは行く!』のリース・ウィザースプーンが共演した作品。
監督のセス・ゴードンは、これが長編劇映画デビュー作。
ブラッドをヴィンス・ヴォーン、ケイトをリース・ウィザースプーン、ハワードをロバート・デュヴァル、ポーラをシシー・スペイセク、ケイトの父クレイトンをジョン・ヴォイト、デンヴァーをジョン・ファヴロー、マリリンをメアリー・スティーンバージェン、フィルをドワイト・ヨーカム、ダラスをティム・マッグロウ、コートニーをクリスティン・チェノウェスが演じている。

まず最も分かりやすい欠点としては、盛り込み過ぎているってことだ。
88分の上映時間で4つの家庭を巡るってのは、そうやって短い文章で説明しただけでも、欲張っちゃったなあという印象を受ける人が少なくないんじゃないか。
もちろん、それぞれの家庭におけるシーンを短く処理すればいいだけのことだし、それで済むような内容であれば全く問題は無い。
しかし本作品の場合、「軽く通過して、さっさと次へ移る」という処理では済まない。「それぞれの家庭と親密に触れ合うことで、ブラッド&ケイトの考えや関係性に変化が生じる」という部分が本作品の肝になっているわけだから、そこは丁寧に掘り下げた描写が必要なのだ。

双方の両親に会うという流れなんだから、普通なら2つの過程だけで済むはずだ。しかし双方が離婚している設定なので、4つに増えているわけだ。か。
「両親の離婚が原因で、2人は結婚や子供を持つことに否定的になった」ということなので、そこは必要なんだろう。か。
しかも1日に4軒を巡らなきゃいけないので、全てを消化しようとすると、かなり慌ただしい中身になってしまう。か。
クレイトンへの訪問シーンを極端に短くすることで他の3軒での消費時間を作り出しているけど、それはそれでバランスとしてどうなのよ。

「じゃあ上映時間を長くすればいいんじゃないのか」と思うかもしれないが、そんなに長くやるような話でもないんだよね、これって。せいぜい100分程度ってトコだろう。
それに、88分という上映時間は、そんなに短すぎるという印象も無いんだよね。
むしろ、コンパクトにまとめることは正解で、中身の構築に問題があるという印象が強い。
その中身にしても、「もっと描くべきことがあるんじゃないか」「描くべきポイントがズレているんじゃないか」という印象を抱いてしまう。

まずブラッドの実家を訪ねるエピソードでは、彼が兄たちからプロレス技で甚振られている様子が描かれる。ハワードもその関係性を容認しており、それが原因でブラッドが帰郷しなくなったのに、「(プレゼントのルールを知らないのは)お前が家に帰らないからだ」と非難する。
その辺りまではブラッドが可哀想に思えるし、そこから彼とケイトが「結婚したい、子供を持ちたい」という考えへと変化するのは難しいと感じる。
ただし、それはそれで統一感が取れているので、1軒目としては成立している。
最初は「やっぱり結婚や子供を持つなんてサイテー」と再確認するが、順番に訪問する中で変化していくという流れにすればいいだけだ。

ところが、ブラッドが「サンタの正体はパパだ」とバラしてしまうところで、風向きが変わってしまう。
「既に子供たちは知っていると思っていた」というのがブラッドの釈明だが、それは全く言い訳にならない。そこに来て、ブラッドが不愉快な男になってしまう。
しかし、だからと言って「ブラッドの方も大概だ」という描写になっているわけではなく、やはり全体的には彼が被害者なのだ。
だったら、そこで中途半端に彼を嫌な奴にしている意味は何なのかと。

ただし「中途半端に」と書いたけど、実はブラッドって、それ以外の部分でも、あまり好感が持てないんだよな。なんか言葉や態度が、いちいち神経を逆撫でする感じなのだ。
それはマリリンの家を訪ねるシーンで顕著に示されており、ダイエットキャンプのことを知った彼がケイトに「さては子宮の中で双子の妹を食べたな。だから君は妹の分までパワフルなんだ」と語る言葉なんて、すんげえ無神経だ。
ケイトとジョーがレズっ気のある関係だったと決め付けるのも、どうやらジョーがゲイなのは事実っぽいけど、ブラッドの口ぶりや態度は、かなり不愉快だ。寸劇でを演じた際に、助けを求めているケイトを罵り、自分だけが目立って得意げになるのも、やはり不快感が強い。
そんな風に、ブラッドが全く好感の持てないキャラになっているもんだから、2人が最終的に結婚を決めても、あまり応援したい気分が沸かないんだよね。

ブラッドはデンヴァーから「赤ん坊をスーザンに」と頼まれ、渋々ながら赤ん坊を抱っこする。それを見ているケイトの表情をカメラが捉えるのだが、そこは明らかに「ブラッドが赤ん坊を抱く様子を見て、子供が欲しくないと思っていたケイトの気持ちに変化が生じる」ということを伝えようとするシーンになっている。
しかし、あまりにも唐突だし、無理があり過ぎる。そこまでの出来事をケイトは全て見ているわけで、それでもブラッドが赤ん坊を抱くのを見ただけで「結婚したい、子供が欲しい」という方向へ少しでも気持ちが傾くかね。
そもそも、そんなトコロへ気持ちが向くかね。「この家族は大変だ」ということを感じるんじゃないかと。
だけど実際には、そっち方面には全く気持ちが向かないんだよね。そんで赤ん坊のことばかり考える。
あの家族に会って、その中で「赤ん坊は可愛いなあ」ということだけに気持ちが行くってのは、違和感が否めない。

続くマリリンの家でも、やはり「結婚するって素晴らしい。家族を持つって素晴らしい」という印象をブラッド&ケイトに与えるような出来事は何も起きない。
そんな中でケイトが赤ん坊を預かるシーンがあるが、それはハワードの家と同じことの繰り返しでしかない。赤ん坊を預かる以外の方法で、ブラッド&ケイトの気持ちを「結婚しよう、子供を持とう」という方へ向けるエピソードを用意すべきだ。
しかも、そこではオムツのウンチを見たケイトが「気持ち悪い」と顔を歪めたり、ゲロを吐かれたりするわけで、ちっとも結婚や出産に前向きになれる要素は無い。
それだけでなく、キャシーと仲間たちに妊娠検査キットで弄ばれるんだから、むしろ子供を嫌いになるんじゃないかと。

教会の芝居では、またケイトが赤ん坊を抱かされる展開がある。
もうさ、そればっかりじゃねえか。
そんで結局、マリリンの家を訪れるエピソードでは、ブラッドもケイトも、結婚や子供を持つことに対して気持ちが変化するための出来事が何一つ起きていない。2人の心情が変化した様子は、全く見られない。
そこで生じるのは、「寸劇が原因でブラッドとケイトの関係が悪化する」ということだけだ。

この映画では「4つの家庭を巡ったことで、結婚に否定的だったブラッド&ケイトの気持ちが変化する」という話が描かれているのだが、それと並行して「ブラッド&ケイトが互いの隠し事を知り、関係がギクシャクする」という話も盛り込まれている。
しかし、ただでさえ「結婚や子供を持つことに積極的になる」というドラマを充分に描写できていないのに、そうやって関係を不和に至らしめる要素なんて持ち込んじゃったら、余計に2人を結婚へ向かわせることが難しくなってしまう。
っていうか、だったら、そっちだけを描けばいいのだ。「結婚や子供を持つことに否定的」なんて要素を削って、「仲良しカップルが双方の両親に会って関係がギクシャクするけど、最終的には仲直りして結婚を決意する」という話にすればいい。ぶっちゃけ、「ブラッドとケイトは結婚や子供を持つことに否定的」という要素は、まるで上手く機能していないんだから。
前述のように、デンヴァーの家では出産に対するケイトの気持ちが変化する様子が描かれるが、かなり強引さが否めない。マリリンの家では、心情の変化に結び付くような出来事は起きない。

ところが、ポーラの家に到着した際、ケイトは「隣にいても通じ合っていない。私は何かを変えたい」とブラッドに告げる。
そこで彼女の言う「何かを変えたい」ってのは、明らかに結婚したり子供を持ったりすることだ。つまり、その時点で彼女の気持ちは、すっかり変化しているのだ。
だが、どこで彼女が「結婚したい、子供を産みたい」と強く思うようになったのか、その変化の経緯が全く分からない。スーザンの赤ん坊に興味を抱いたシーン以外に、何が彼女を大きく変えたのか。
ケイトはポーラの家を出た後、「妊娠検査キットを使った時、妊娠していたらと想像した。子供が出来たら不安が消えるんじゃないかと思った。私たちは責任や義務に自由を奪われないよう、必死に要塞を築いてた。でも、それは本当の愛じゃない」と語るけど、そもそも妊娠検査キットを使った時点で「なんで?」と思っていたぐらいだし、そういう気持ちを全てセリフで説明しないと全く伝わらないのは、ドラマが足りていないってことでしょ。

前述したように、ケイトはスーザンの子供だけでなく、マリリンの家と教会の寸劇でも赤ん坊を抱いている。
つまり合計3人の赤ん坊を抱いているわけだが、強引に解釈するならば、そこぐらいしか彼女の気持ちが変化した出来事は思い付かない。
ようするに、この映画って「何人もの赤ん坊を抱いている内に、ケイトの中で母性が目覚めて行く」という話でしかないんだよね。
ケイトの心情変化は、そこだけに頼っている。双方の家族との交流や、そこで体験する出来事は、まるで彼女に影響を与えていない。

そんで一方のブラッドは、ケイトがクレイトンの家へ向かう車内で「お互いを知りたい。結婚して妊娠するのも有りだわ」と話した時点で 、全く結婚や子供を持つことに乗り気じゃない。「ちょっといいかも」という迷いや揺らぎさえ、そこまでに一度も生じていない。
なのにケイトから別れを告げられた後、急に「今すぐじゃないけど、結婚して子供を作ろう」と言うので、口先三寸にしか思えない。それが本気の言葉には到底思えないのだ。
子供が産まれた1年後の様子を描くことで「ヨリを戻すための嘘じゃなかった」という形にしているけど、かなりのハードランディングに感じるぞ。
結婚に対して否定的なブラッドとケイトの心情に影響を与えないだけでなく、映画を見ている観客の立場からしても、双方の家族を見ていても「彼らを見ていたら結婚したいと思うだろうなあ、子供を持ちたいと思うだろうなあ」という印象は皆無だ。むしろ、結婚や出産に否定的な考えを持つだろう。
つまり、この映画が用意している着地点と、そこへ向けて進むべき筋道が、大きくズレているのである。

ブラッド&ケイトの近くにいる夫婦や家族が、型破りであっても別にいい。
しかし、「型破りだけど、微笑ましい夫婦、好感の持てる家族だよね」と感じるようになっているべきだ。
でも、この映画に登場する夫婦や家族は「周囲の迷惑なんかお構い無し、自分たちだけが幸せなら、それでいい」という奴らばかりで、ちっとも好感が持てないのである。
「そういう連中を反面教師にした上で、ブラッドとケイトが結婚して家族を持ちたいと考えるようになる」という内容に仕上げているわけでもないしね。

(観賞日:2014年12月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会