『フライト・オブ・フェニックス』:2004、アメリカ

モンゴル。アマコア社の油田採掘場に、操縦士フランクと副操縦士A・Jの乗る貨物機が現われた。採掘場の閉鎖が決まり、作業員を北京 まで撤退させるために来たのだ。主任のケリーはフランクに文句をぶつけるが、軽くいなされる。所長のイアンとケリー、作業員のロドニー やコックのサミーら全てのスタッフを乗せて出発しようとした時、エリオットという男が現われて「北京まで乗せて欲しい」と言ってきた。 スタッフに反対する者はおらず、フランクはエリオットも搭乗させて出発する。
ゴビ砂漠を横断する途中、貨物機は激しい砂嵐に遭遇した。フランクはエリオットから重量オーヴァーを指摘されるが、引き返さずに 突っ込むことを選択する。その結果、貨物機は乱気流に翻弄され、砂漠の真ん中に不時着した。後部ハッチにいた作業員のカイルは貨物機 から転落し、死亡した。医師のカーバーは乱気流で負傷し、命を落とした。
フランクは救難信号を打ったが応答は無く、無線も通じない。A・Jはケリーにエリオットのことを尋ね、彼が世界旅行の途中で採掘場に 居ついたことを知る。フランク達は、約30日分の水と数日分の食料があることを確認する。地図を調べたところ、コースを西に300キロ ほど外れていた。作業員のジェレミーが「歩いて砂漠を脱出する」と言い出すが、他の面々から止められる。
作業員のデイヴィスは、出発前に不吉なことを口にしたせいで墜落したのだと思い悩み、夜の間に姿を消した。ロドニーが探しに行こうと するが、フランクやケリーに制止される。機体を調べたエリオットは、貨物機の部品を使って新しい機体を作り、脱出しようと提案する。 他の面々がバカにした態度を取ると、エリオットは「自分は設計士だ」と言い出した。飛行機作りに賛同する者もいたが、フランクは 「無駄に体力を使うだけだ。何もせずに捜索隊を待つべきだ」と反対した。
作業員リドルが姿を消した。ケリーが探しに行こうとするが、フランクが制止して「俺が行く」と告げる。リドル捜索に向かったフランク は、カイルの死体を発見する。死体の周囲には、カイルを標的にして試し撃ちをしたと思われる薬莢が散らばっていた。リドルと会った フランクは「飛行機を作ろう」と持ち掛けられ、彼を連れ戻すために承諾した。
エリオットが指揮官となり、飛行機作りが始まった。そんな中、燃料タンクが爆発するという事故が発生した。残った燃料を飛行用に回す ため、明るい昼間に作業を進めることになった。嵐が来たため、落雷によって燃料に引火して爆発が起きる危険性が生じるが、何とか回避 した。フランクは、エリオットがアースのことさえ知らなかったことに疑問を抱いた。他の者に内緒で、エリオットが水を余分に飲んで いたことが判明した。しかし「僕の代わりはいない」と言われると、フランクたちは引き下がるしかなかった。
近くで部族がキャンプを張っていることが分かり、フランクたちは水や食料を分けてもらえるかどうか交渉することにした。語学堪能な イアン、ロドニー、A・Jが部族と面会し、背後から密かにフランクとリドルが様子を伺う。だが、その部族はカイルを試し撃ちの標的に した連中だった。ロドニーが射殺されたため、フランクが反撃して他の面々と共に脱出する。フランクたちは作業に汗を流し、ようやく 「フェニックス」と名付けた新しい飛行機が完成した…。

監督はジョン・ムーア、オリジナル版脚本はルーカス・ヘラー、脚本はスコット・フランク&エドワード・バーンズ、製作はウィリアム・ アルドリッチ&アレックス・ブラム&ジョン・デイヴィス&ウィック・ゴッドフレイ、製作総指揮はリック・キドニー、撮影はブレンダン ・ガルヴィン、編集はドン・ジマーマン、美術はパトリック・ラム、衣装はジョージ・L・リトル、音楽はマルコ・ベルトラミ。
出演はデニス・クエイド、ジョヴァンニ・リビシ、タイリース・ギブソン、ミランダ・オットー、ヒュー・ローリー、 トニー・カラン、カーク・ジョーンズ、ジェイコブ・バルガス、スコット・マイケル・キャンベル、ケヴォーク・マリキャン、ジャレッド ・パダレッキ、ポール・ディッチフィールド、マーティン・“マコ”・ヒンディー、ボブ・ブラウン他。


1965年のロバート・アルドリッチ監督作品『飛べ!フェニックス』をリメイクした映画。
フランクをデニス・クエイド、エリオットをジョヴァンニ・リビシ、A・Jをタイリース・ギブソン、ケリーをミランダ・オットー、 イアンをヒュー・ローリー、ロドニーをトニー・カラン、ジェレミーをカーク・ジョーンズ、サミーをジェイコブ・バルガス、リドルを スコット・マイケル・キャンベルが演じている。
監督は『エネミー・ライン』のジョン・ムーア。

企画を提案したプロデューサーのウィリアム・アルドリッチは、ロバート・アルドリッチの息子。
墜落する軍用貨物機C-119は、オリジナル版が製作された1965年当時は現役だったが、2004年には既に見つけることが困難な存在となって いた。それでも製作スタッフは世界中を飛び回って4台のC-119を発見したそうだ。
作品の舞台はゴビ砂漠(オリジナル版ではサハラ砂漠だった)だが、実際のゴビ砂漠では家屋や道路が多くてロケが難しかったそうで、ナミビアで撮影されている。

大まかな筋書きはオリジナル版と同じ。
キャストの名前は、フランク以外は変更されている。
わざわざオリジナル版から変更して女性キャラクターを登場させているのだが、その意味や効果があったのかというと、答えはノーだ。
主人公とロマンスが生じるわけでもないし(完全にそれが目的での改変だと思ったのだが)、トイレや着替えなど生活に問題が生じる シーンも無いし、女性差別主義者や欲情する奴がいてトラブルが発生することも無いし、もちろんお色気サービスも無い。

オープニング、お気楽ムードのカントリー・ミュージックが流れ、軽い雰囲気で採掘場でのシーンが描かれる。
貨物機が出発しても、陽気な音楽に乗せてジョークのやり取りがあったりとゴキゲンさんだ。
その後の不時着に向けての落差を付けるためかとも思ったが、それ以降の展開からすると、そういう意識で明るいMTV映画チックな 滑り出しにしたわけでもなさそうだ。
シリアスな場面のシリアスな音楽にしても、とにかく本作品のBGMは全て煩わしく感じられる。
いっそBGMゼロでもいいぐらいだ。

貨物機が砂嵐に巻き込まれる時点で「墜落して死んでしまうかも」というスリルに満ちているべきだろうに、緊張感の薄いこと。 どこか余裕が伺えて、危機感に乏しい。
その辺りでは、プロペラが外れて窓に目掛けて飛んで来たり、機体が大きく旋回したりという見栄えのする映像が出て来る。
ビッグ・バジェットらしい派手な映像や音響効果でアピールしたかったのかもしれんが、やや荒唐無稽に近いものを感じた。

不時着した後も、今一つ緊迫感に欠ける。
1つの要因に、皆が元気すぎるということが挙げられる。
一応は汗をかいたり荒い息を吐いたりという芝居をしているのだが、せいぜい日常生活レヴェルにしか見えない。
水や食料は乏しく、何も無い砂漠で救助も現われず、精神的にも肉体的にも参っているという疲弊や焦燥感、飢餓感や恐怖などは伝わってこない。
何しろ不時着したメンバーは、水も食料も少ない中で昼間にハードワークを続けても、笑ってジョークを飛ばせるぐらい元気が余っているのだ。
もちろん、ずっと疲労感に満ち溢れた状態を続けろというわけではない。
楽しそうなシーン、笑顔を見せるシーンがあってもいい。
ただ、全員がずっと元気で、フィルム全体が余裕に満ち溢れているという状態なのはマズいでしょ。

ちなみに彼らは、長く砂漠にいるのにヒゲは伸び放題にならないし、顔や服の汚れも適度な具合で止まるので、たぶん観客には分からない ところで、それなりに暮らしていけるだけの装備を持っていたんだろう。
決して、「役者をカッコ良く見せる、キレイに見せる」という目的のために、リアリティーを度外視しているわけではない。
たぶん。
もしかしたら。
万に一つは。

人間ドラマをオリジナル版と本作品で比較すると、向こうの監督がロバート・アルドリッチなので、それだけでも分が悪い。
それに加えて、無類の飛行機好きであるジョン・ムーア監督は飛行機にばかり興味があったようで、人間ドラマは二の次になっている印象。
対立や和解、不信や友情の人間模様に神経を使うぐらいなら、映像表現や音響効果に力を注ぎたいということだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会