『フラットライナーズ』:2017、アメリカ&カナダ

コートニーは妹のテッサを乗せて車を運転していた時、携帯電話が気になって余所見をしてしまった。テッサが叫んだので彼女は慌て前方を見るが、衝突事故を起こして橋から川へ転落してしまった。9年後、医学生になったコートニーは、大学病院の研修医としてローレンという患者のベッドへ行く。発作を起こして運ばれてきたローレンは、心停止から蘇生していた。「何か覚えてることはある?」と問われたコートニーにローレンは、「貴方、親しい人を亡くしたの?」と問い掛けた。
臨死体験について研究しているコートニーは、勉強の大変さで泣いている同級生のソフィアを見つけて声を掛けた。ソフィアに「先々週は同じ2年生が自殺を図った。貴方は立派な医者になるわ」と言われたコートニーは、プロジェクトの手伝いを持ち掛けた。しかしソフィアは10日後に迫った神経学のテスト勉強で精一杯になっており、その誘いを断った。しかしコートニーが簡単な暗記法を教えると、ソフィアは「考えておく」と告げた。
次の日、コートニーは医学生のレイやマーロー、ジェイミーたちと共に、バリー・ウォルフソン学部長の指揮する会議に出席する。所見を問われた医学生たちが自身の意見を述べると、バリーは全員が間違っていると指摘した。彼は「最小限の努力で医者になれると思っている学生に時間は費やさない」と述べ、新しい発見に辿り着ける者を必要としているのだと説いた。診断について質問されたマーローは慌ててノートを開くが、「答えは書いてないぞ」と叱責される。レイが「ベーチェット病です」と正解を出し、会議は続けられた。
ソフィアとジェイミーと共に、ケータリングのバイトで稼いでいた。ジェイミーは母の言い付けに従っているソフィアと違い、「あくせく働くつもりは無い。ロサンゼルスでセレブ専用の美容整形外科医になる」という考えを持っていた。コートニーは昼食の時、ジェイミーに声を掛けた。女好きのジェイミーを騙すため、彼女は「今夜、私と一緒に楽しまない?」と口にする。ジェイミーが快諾すると、彼女は「12時にサブレベルCで。監視カメラの付いていない業務用エレベーターで」と告げた。
その夜、コートニーはソフィアを伴って5年前に作られたサブレベルCへ行き、ジェイミーと合流した。コートニーは2人に、臨死体験を司っている脳の領域がどこか調べていることを話す。彼女は病院で亡くなった患者の脳のスキャン画像を見せ、「死んだ後の体験を記録し、何かが起きると証明できれば引っ張り凧になる」と話し、2人で自分の心臓を止めてほしいと頼む。コートニーは「私が装置に入るから、1分が経ったら蘇生させて」と言い、手順を説明する。
ソフィアが反対すると、コートニーは「じゃあドアの前で誰も来ないか見てて」と告げた。コートニーは装置に寝転び、ジェイミーに薬を投与してもらって意識を失う。1分が経過したのでジェイミーとソフィアが蘇生措置に入るが、コートニーの意識は戻らない。ソフィアは慌ててレイに連絡を入れ、サブレベルCへ来てもらう。レイは2人に指示を出して対処に当たり、コートニーは無事に蘇生した。そこにマーローが駆け付け、説明を要求した。
コートニーは「とても穏やかな死だった」と言い、蘇生する前に見た光景をソフィアとマーローに語った。彼女が「行ったことの無い病院の屋上が見えた」と話すと、マーローはさらに詳しい内容を聞きたがった。コートニーたちが脳の画像を確認していると、レイは呆れた様子で立ち去る。残った4人は、蘇生直前の画像を見て興奮した。脳内化学物質が出たコートニーは、祖母のレシピを思い出したと言ってパンを6斤も焼き、20キロも走った。
翌日の会議では高度な知識で見事な所見を出し、12年ぶりに触れたピアノでドビュッシーの『月の光』を華麗に演奏した。その様子を見たジェイミーは、自分も臨死体験をしようと決めた。帰宅したコートニーは、開けたはずのシャワーカーテンが閉じているのを見て不審を抱いた。彼女はカーテンを開けるが、目を離すと再び閉まった。コートニーは重しを乗せて洗面所を出るが、音がしたので戻ってみるとカーテンが落ちていた。濡れたカーテンに顔が浮かび上がったので、彼女は悲鳴を上げる。しかしバスタブに視線を向けると、何も起きていなかった。
ジェイミーはコートニー、マーロー、ソフィアに協力してもらって臨死体験し、バイクを走らせている映像を見た。ジェイミーから蘇生させてほしいと頼まれていたレイも、後から駆け付けた。ジェイミーはバイクの後ろに女性を乗せていたが、途中で姿を消してしまった。蘇生したジェイミーは、コートニーたちと酒を飲んで盛り上がった。コートニーとジェイミーは意気投合して壁を破壊し、キスを交わした。コートニーはジェイミーと2人になると、臨死の時の映像について「もっと人がいると思っていた。普通は死んだ家族とかに会うものだと」と言う。「嫌な物を見たりしなかった?」と問われたジェイミーは、「無かったけど」と答えた。
ジェイミーは臨死を体験して勘が鋭くなり、自身の判断で患者を救った。彼は病院の外に目をやり、臨死体験でバイクに乗せていた女性の姿に気付いた。彼は動揺するが、視線を外して再び戻すと女性は消えていた。マーローが臨死を体験する夜、ソフィアは母に止められて外出できなかった。マーローは2分の経過を待って蘇生措置に入ったジェイミーへの対抗心を燃やし、3分を指定した。臨死状態に入った彼女は、クラゲだらけのプールに浮かぶ自分の姿や「人殺し」という血文字を目にした。場面は廃墟の工場に移り、マーローは白い布を被せられた人間を寝かせている手術台を見た。
マーローが蘇生した後、ソフィアが来て「私も今すぐやる」と言い出した。レイは反対するが、ソフィアは「どんなに危険でも構わない」と訴える。臨死状態に入ったソフィアは、母から「生物の成績がBクラスなんて有り得ない。これじゃあトップ10の医大には入れない」と叱責される映像を見る。清掃員が来たので、コートニーたちは慌てて蘇生装置に入った。ソフィアは大学で同級生のイリーナに嫉妬し、彼女のヌード画像をネットに流出させて仲間と嘲笑する自分の姿を目にした。
ジェイミーは火災報知機を鳴らして清掃員の気を逸らし、コートニーたちがソフィアを蘇生させた。レイはソフィアを抱き上げて車に運び、コートニーたちと共に逃走した。5人はクラブへ繰り出し、酒を飲んで踊る。コートニーはテッサを目撃し、後を追って駐車場へ向かう。事故車の中にいた溺死体のテッサが起き上がる幻覚を見て、彼女は我に返った。ソフィアは強烈な性欲を感じ、ジェイミーを自宅に連れ帰って激しいセックスに及ぶ。母から注意された彼女は、強気な態度で「出て行く。1人で暮らす。脅しても無駄」と宣言した。
レイはマーローを家まで送って去ろうとするが、「大事な話があるの」と引き留められる。マーローはレイを家に招き入れ、2ヶ月前に人を殺したと告白する。ERの当直だったマーローは、クラゲに顔を刺されたサイラスという患者を担当した。サイラスはショック死したことになっていたが、マーローは自分の医療ミスが原因だと明かす。彼女は怯えた様子で、「臨死体験でサイラスを見た。きっと何か意味があるのよ」と言う。レイは「ミスは誰にでもある」と励まし、マーローと関係を持った。彼はマーローに、以前から惹かれていたことを打ち明けた。
ジェイミーは住まいにしているクルーザーへ戻り、すすり泣く女性の幻覚を見た。直後に赤ん坊の泣き声が聞こえるが、誰もいなかった。そこへコートニーから電話が入り、ジェイミーは「死んだ妹を見た」と告げられる。コートニーか帰宅したことを話すと、ジェイミーは「待ってて、そっちへ行くから」と言って電話を切った。コートニーは勝手に付いたラジオから流れる『月の光』を耳にした後、スマホで録画しながら「ただ妹に会いたかった。ちゃんと話すべきだった。実験の目的は科学とか発見じゃない」と話す。
「私のせいなの。こめんなさい」と泣きながら喋っていたコートニーは、気配を感じて隣の部屋に行く。するとテッサが座って絵を描いており、コートニーが声を掛けると鋭く睨み付けた。慌てて逃げ出そうとしたコートニーは転倒し、見えない力に引っ張られた。テッサに追われた彼女は非常階段を使って逃走を図るが、突き落とされて死亡した。翌朝、コートニーの死を知ったレイたちは、バリーから何か知っているかと問われる。彼らは退学処分を恐れ、真実を隠した…。

監督はニールス・アルデン・オプレヴ、原案はピーター・フィラルディー、脚本はベン・リプリー、製作はローレンス・マーク&マイケル・ダグラス&ピーター・サフラン、製作総指揮はマイケル・ベダーマン&ロバート・ミタス&デヴィッド・ブラックマン&ブライアン・オリヴァー&ハッサン・タヘル、共同製作総指揮はジャスティン・アーダラン=レイクス&サイモン・ファーセット、撮影はエリック・クレス、美術はニールス・セイエ、編集はトム・エルキンズ、衣装はジェニー・ゲーリング、音楽はネイサン・バー。
出演はエレン・ペイジ、ディエゴ・ルナ、ニーナ・ドブレフ、ジェームズ・ノートン、カーシー・クレモンズ、ボー・マーショフ、ウェンディー・ラクエル・ロビンソン、キーファー・サザーランド、マディソン・ブリッジス、ジェイコブ・ソーレイ、アンナ・アーデン、ミゲル・アンソニー、ジェニー・レイヴン、シャーロット・マッキニー、スティーヴ・バイヤーズ、リサ・コドリントン、エミリー・ピッグフォード、マーサ・ガーヴィン、テイラー・トローブリッジ、ナディーン・ローデン、リチャード・ヤング他。


1990年の同名映画のリメイク。
監督は『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』『デッドマン・ダウン』のニールス・アルデン・オプレヴ。
脚本は『ミッション:8ミニッツ』『ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声』のベン・リプリー。
コートニーをエレン・ペイジ、レイをディエゴ・ルナ、マーローをニーナ・ドブレフ、ジェイミーをジェームズ・ノートン、ソフィアをカーシー・クレモンズ、ブラッドをボー・マーショフ、ソフィアの母親をウェンディー・ラクエル・ロビンソンが演じている。
オリジナル版で主演を務めていたキーファー・サザーランドが、バリー役で出演している。

リメイク映画を製作する際、オリジナル版の主要キャストに出演してもらうケースは良くある。それはオリジナル版へのリスペクトになるし、オリジナル版を見ている人へのサービスにもなる。大抵はチョイ役での出演だが、「顔を見せる」ということに意味があるので、それで何の問題も無い。
ただ、今回の場合、キーファー・サザーランドは医学生たちを指導する医師の役で、重要な役目を担当しそうな雰囲気があるんだよね。
でも実際は全く存在意義の無いキャラなので、ちょっとガッカリさせられる。
どうせなら、「28年後のネルソン」として登場させても良かったんじゃないかなと。

このリメイク版では、「蘇生によって能力が覚醒する」という設定が用意されている。
なぜ蘇生によって能力が覚醒するのか、その理由については何も説明されていない。誰かが「こうじゃないか」と推測することさえ無い。
それはいいとして、「その能力が暴走するようになる」とか、「最初は能力か覚醒していたが、やがて減退に変化して」とか、そういう風に活用することも無いのだ。
なので、ハッキリ言って、能力が覚醒する設定は何の意味も無いと言い切ってしまってもいい。

そんな設定を持ち込んだ理由として考えられるのは、「医学生たちが積極的に実験に参加する理由として使いたかった」ってことだ。
最初に蘇生実験への積極的な姿勢を見せていたのはコートニーだけだが、能力が覚醒すると知って他の面々も前向きになる。そういう風に実験に参加する動機として使っているだけだ。
でも、「別に無くても良くねえか?」と言いたくなってしまう。
そんな仕掛けが無くても、そこまで大きな支障が生じるようには思えないんだよな。「能力の覚醒に何の意味も無い」というデメリットと天秤に掛けた時に、無くした方が良かったんじゃないかと。

そもそも私はオリジナル版からして、高く評価しているわけではない。実際、ポンコツ映画愛護協会で取り上げているぐらいだからね。
なので「素晴らしいオリジナル版を改悪した」という観点から批評する気は無い。むしろ、「なぜリメイクしようと思ったのか」と疑問を抱くほどだ。
オリジナル版が傑作じゃなくても、「素材としては面白いので、手を加えれば傑作になる可能性が充分に考えられる」というケースはあるだろう。
でも『フラットライナーズ』の場合、そういう可能性を全く感じないんだよね。

これはオリジナル版でも感じたことだが、臨死体験をした医学生たちは過去の出来事を思い出すだけであり、そこで感じる恐怖は個人的な罪悪感か来ている。
だから、観客が医学生の恐怖に同調することは難しい。
それじゃあマズいと思ったのか、コートニーが怪奇現象を体験するシーンを用意しているが、それもバカバカしいだけだ。
その時点では明らかにされないが、所詮は幻覚なのだ。
それはオリジナル版を見ていれば、怪奇現象のシーンが訪れた時点で分かる。

そこから「医学生たちが次々に怪奇現象に見舞われ、精神を狂わされて次々に無残な死を遂げる」という風にでも展開がエスカレートしていくのなら、それが幻覚であっても、心理スリラーとしては面白くなったかもしれない。
しかしオリジナル版と同じく「医学生たちが過去の罪と向き合う」ってのが話の軸になっているので、そんな展開は無い。
だから、オリジナル版と同じく「過去の罪を思い出す目的だけなら、臨死体験である必要性は無い」という問題がある。
そして、「臨死体験しなきゃ思い出せないぐらい、過去に犯した罪をすっかり忘れているのか」という指摘も入れたくなる。
だとすれば、その時点で全く罪悪感を抱いてないってことにならんかね。

あとさ、シャワーカーテンが閉じたり落ちたりする幻覚って、コートニーの過去と何の関係も無いよね。
彼女の罪は、「テッサを事故死させた」ってことにあるわけで。その出来事に、シャワーカーテンなんて1ミリたりとも関係してないでしょ。
そもそもコケ脅しとしても失敗していると思うけど、そこを置いておくとしても、ちゃんとテッサの事故と関連性のある幻覚にしておくべきだわ。
そこのルールも守らなかったら、何でも有りになっちゃうでしょ。

コートニーの場合、テッサを事故死させた出来事が冒頭で描かれている。だからシャワーカーテンはともかくテッサの登場する幻覚は、それがコートニーの過去に関係していることが分かる。
でも他の面々に関しては、臨死の映像を見た時点では、それが何を意味するのかは分からない。もちろん後から説明があるのだが、その時点では「良く分からない映像」でしかないわけで。
それでも観客の恐怖を煽る効果があればいいんだろうけど、そんなモノは無い。
しかも厄介なのは、それが何を意味する映像なのか明らかにされても、やっぱり恐怖には繋がらないってことなんだよね。

この映画、実はアンフェア極まりないことをやらかしている。
例えば、クルーザーに戻ったジェイミーの様子を描くシーン。
最初に彼は、すすり泣く女性の姿を見る。しかし女性はすぐに消え、今度は赤ん坊の泣き声が聞こえる。ジェイミーは声の聞こえた場所にある布を取るが、そこには誰もいない。
つまり、「全ては幻覚や幻聴だった」ってことになる。
そこまでは何の問題も無い。
ところが布を取って困惑しているジェイミーをカメラが捉える時、その背後に女の悪霊が一瞬だけ出現するのだ。

わざわざ説明しなくても分かるだろうけど、これは明らかに整合性が取れていない。
何しろ、それはジェイミーが見ておらず、観客だけに見える悪霊なのだ。
そうなると、「臨死体験による幻覚ではなく、実際に悪霊が現れるようになった」ということになってしまう。
だけど実際は違うわけだから、それは完全にアウトなのである。
ただし皮肉なことに、この映画で最も怖いのは(そしてダントツで怖いのは)、その悪霊が出現するシーンだったりするのである。

ちなみに、アンフェアな描写は、そこだけではない。コートニーが死に至るシーンでも、不可思議な現象は起きている。
転倒した彼女は見えない力で引きずられるが、これは「コートニーが見ている幻覚」だとすると絶対に有り得ない現象だ。
また、マーローが遺体安置室で作業するシーンでも、まだ彼女が見ていない段階でサイラスの遺体が起き上がるという描写がある。
それ以外にも幾つか整合性の取れないシーンがあるが、そんな卑怯な手でも使わなきゃ観客を怖がらせることが出来ないのだ。
あと、「幻覚じゃなくて、罪の報いで悪霊が出現したのかも」とジェイミーに言わせているけど、その意見に乗っかれってのは無理な相談だぞ。

さて終盤、コートニーの死を知ったレイを除く面々は恐ろしい幻覚に見舞われ、罪と向き合って責任を取るための行動に移る。ソフィアはイリーナの元へ行き、写真を送ったのは自分だと打ち明けて謝罪する。ジェイミーは妊娠させて捨てたアリシアに謝罪し、埋め合わせをさせてくれと頼む。
でも、こいつらのやらかした罪の重さを考えると、「謝って済むなら警察は要らない」と言いたくなる。
マーローに関しては、自殺を図るがコートニーの「自分を許して」という声で蘇生するけど、そんなに簡単に許してもいいのかと言いたくなるぞ。
彼女は検視報告書まで改竄しているのに、そんな自分を許しちゃダメだろ。

(観賞日:2019年6月1日)

 

*ポンコツ映画愛護協会