『ホワイト・プリンセス』:2004、アメリカ

マッケンジー米国大統領の一人娘であるサマンサは、常にシークレット・サービスの警護を受ける生活を送っている。時にはテレビ番組でファッションを酷評されることもあったが、海外で慈善活動を行うなど「大統領の娘」としての生活態度は崩さなかった。父親に反抗的な態度を示すようなことは無く、彼女はホワイトハウスで成長した。しかしレドモンド大学への進学が決まり、彼女は寮生活を始めることになった。サマンサは秘書官のリズ・パパスに、大学まで車で一人旅をする夢を語った。
サマンサは父に、「大学まで独りで行きたい」と告げた。「護衛を付けていたら目立つでしょ。みんなと同じでいたいの」と彼女が言うと、父は「お前は特別なんだ」と述べた。マッケンジーは娘を送り出す直前、記者会見を開く。妻のメラニーとサマンサも同席する中、記者から父親しての心境を問われてジョークを飛ばした。サマンサは「ワシントンを離れて最もホッとすることは?」と問われ、「何が最も恋しいかなら答えられるわ。友達と家族よ。でも普通の学生として、普通の生活がしてみたいの」と答えた。
サマンサは両親とともに黒塗りのリンカーンに乗り、大勢の護衛を従えて大学へ向かった。大学に到着すると多くのマスコミや野次馬が待ち受けており、楽隊が曲を演奏した。サマンサの同室はミア・トンプソンという生徒で、両親は離婚しているが2人ともマッケンジーの有力な支持者である。まだミアが到着していなかったため、マッケンジーとメラニーはサマンサに別れを告げて大学を去った。サマンサの護衛を担当するボックとディランは寮に残り、サマンサを部屋まで送り届けた。
ミアが予定より遅れて寮にやって来たので、サマンサは笑顔で挨拶する。ミアはシークレット・サービスがいることに不快感を示し、「私の夢は普通の大学生活を送ること」とサマンサに告げる。しかしサマンサの態度を見て早々に敵意を引っ込め、笑顔で彼女を受け入れた。ミアは「着替えてパーティーに行かない?いい男を見つけるの」と誘うが、サマンサには学長主催の歓迎パーティーに出席する予定があった。会場の外では、ミアと仲間たちが「一緒に来ない?」と誘うカードを広げてから立ち去った。
サマンサが歓迎パーティーから戻ると、ミアは「普通の学生生活を楽しんで。ルームメイトに締め出されるの」と告げる。彼女は男を連れ込んでいることを匂わせ、2時間は戻らないよう頼んでドアを閉めた。サマンサが寮の大部屋で時間を潰していると、テレビ司会者が彼女服装を酷評していた。友愛会の男子学生2人が大部屋に来てプール・パーティーへの招待状をサマンサに渡し、「出来ればビキニで参加してよ」と告げて去った。
次の日、サマンサが講義に出席すると、多くの生徒たちは授業よりも彼女に注目した。そんな中、男子生徒のジェームズが講師への質問でジョークを飛ばし、教室の雰囲気を変えた。講義の後、サマンサはジェームズに礼を告げた。サマンサはミアとプール・パーティーに参加するが、そこにもボックとディランは付いて来た。男子生徒が持っていた水鉄砲を本物の拳銃と誤解した彼らは即座に取り押さえ、車にサマンサを押し込んで避難させた。サマンサは父の選挙事務所へ行き、護衛を減らすようリズに要求した。
リズはマッケンジーにサマンサの要求を伝え、「4人を2人ずつの交替制にして、室内の警備を中止しては?」と提案した。会議を中座したマッケンジーに対し、サマンサは友達を作るためにはルール改正が必要だと訴えた。最初は却下したマッケンジーだが、結局は娘の要望を叶えることにした。学校に戻ったサマンサがミアと出掛けようとすると、校庭ではマッケンジーの対抗馬であるサミュエルズを推す学生が指示者たちの前でスピーチしていた。彼は挑発的な態度で討論を要求するが、サマンサは無視して立ち去った。
サマンサはミアに誘われ、ナイト・スライドのイベントに参加した。ジェームズと再会したサマンサは、一緒に滑った。大いに楽しんだサマンサだが、翌朝にリズから電話で叱責される。イベントに参加したことが写真付きで新聞に掲載されたからだ。「お父様は裏切られた思いで一杯よ。二度とこんな真似はしないで」とリズは注意した。マッケンジーが電話を交代すると、サマンサから受話器を受け取ったミアは「貴方は外交手腕は満点だけど、父親としては失格よ」と告げた。
マッケンジーを批判して抗議デモを行う連中が、サマンサを取り囲もうとした。慌てて部屋に戻ろうとするが、ノックしてもミアの返事は無い。咄嗟に寮長室へ飛び込むと、そこにいたのはジェームズだった。サマンサが困惑すると、ジェームズは寮長になったことを告げる。ジェームズはサマンサを匿うが、窓の外には大勢のマスコミが押し寄せていた。そこでジェームズは自分の服を貸してサマンサを変装させ、マスコミに気付かれずに2人で脱出した。
街に出たサマンサはジェームズとカフェで食事を取り、会話に花を咲かせる。パパラッチの集団に見つかったので、2人は逃げ出した。サマンサは初めて映画館に入り、チョコをまぶしたポップコーンを初めて口にした。寮に戻ったサマンサはジェームズと話し、楽しい時間を過ごした。ジェームズに好意を抱いたサマンサのために、ミアは寮長室のホワイトボードに「ボン・ファイヤー祭で待ってるわ」というメモを残した。
その夜、サマンサはミアと一緒に祭りへ行くが、ジェームズは現れない。ミアは高校時代から好きだった先輩を見掛け、「誘ったけど、来てくれるなんて」と笑顔になった。しかし近付いてきた彼がサマンサに挨拶すると、「いつも主役ね」と不機嫌になって走り去る。部屋に戻ったミアはサマンサの写真に落書きし、不満を呟く。そこへサマンサが戻ると、ミアは「やってられないわ。貴方は親の七光り」と嫌味っぽく告げる。サマンサはなだめようとするが、他にも大勢の生徒たちがいる前でミアは「ここでカタを付けましょ」と要求した。激しく悪口を浴びせるミアに、サマンサは「貴方の行動と私の七光りは関係ないわ」と反論した。
大部屋で一夜を過ごしたサマンサは翌朝、ジェームズに声を掛けられた。「普通の人生は無理ね。プライバシーは胎児の時だけ。独りになれないのに心はいつも孤独」とサマンサが漏らすと、ジェームズは自分の体験を語って笑いを誘った。「昨夜のことだけど」と彼が弁明しようとすると、サマンサは「父親への挨拶が大統領との面談だものね」と言う。「じゃあ君は僕のことを?」と問われ、サマンサはハッとした。それはジェームズを好きだと告白したようなものだった。
ジェームズはサマンサを非常梯子から外へ連れ出し、湖へ出掛けてボートに乗る。夜は遊園地へ遊びに行き、サマンサは「貴方といると私はただのサム。父親は関係ない」と口にする。2人は寮に戻り、サマンサの方からキスをした。部屋に戻ったサマンサは、ミアに「私は厄介なルームメイトよ。迷惑なのは分かるわ」と告げた。2人は仲直りし、ミアはサマンサを寮生であるリンダの部屋へ連れて行った。以前からサマンサを紹介してほしいとミアに頼んでいたリンダは感激し、練習していたトロンボーン演奏を披露した。
後日、サマンサはジェームズとミアを寮から連れ出し、大統領専用機で出発した。サマンサはチャールズという男をミアの世話係に付けた。彼女は2人をタキシードとドレスに着替えさせると、パーティー会場へ赴いた。そこにはマッケンジーとメラニーがいて、サマンサは2人を紹介した。ジェームズはサマンサに「どこかで話をしよう」と持ち掛けるが、彼女はダンスに誘った。最初は何か気掛かりがある様子だったジェームズも、すぐにダンスを楽しむようになった。
会場を出たサマンサは記者から大統領の政策に関する質問を受け、それに答えていると抗議のプラカードを掲げた反対派の連中から厳しい言葉を浴びる。そこへ猛スピードで車が突っ込むと、ジェームズはサマンサを抱えて会場に逃げ込んだ。ジェームズとサマンサはボックに導かれ、地下通路へ走る。到着した車に乗せられたサマンサは、ジェームズがシークレット・サービスだと知ってショックを受けた…。

監督はフォレスト・ウィテカー、原案はジェシカ・ベンディンガー&ジェリー・オコンネル、脚本はジェシカ・ベンディンガー&ケイト・コンデル、製作はジョン・デイヴィス&マイク・カーツ&ウィク・ゴッドフリー、製作総指揮はジェリー・オコンネル&ジェフリー・ダウナー&アーノン・ミルチャン&フォレスト・ウィテカー、撮影は栗田豊通、編集はリチャード・チュー、美術はアレクサンダー・ハモンド、衣装はフランシン・ジェイミソン=タンチャック、音楽はマイケル・ケイメン&ブレイク・ニーリー、音楽監修はライザ・リチャードソン、歌曲&追加音楽はデイモン・エリオット。
主演はケイティー・ホームズ、共演はマーク・ブルカス、マイケル・キートン、エイメリー、マーガレット・コリン、レラ・ローション・フークア、マイケル・ミルホーン、ドウェイン・アドウェイ、ホーリス・ヒル、ケン・モレノ、アンドリュー・ケイプル=ショー、アレックス・アヴァント、バリー・リヴィングストン、パイパー・コクラン、アダム・ドンシク、デイモン・ウィテカー、スティーヴ・トム、ピーター・ホワイト、パリー・シェン、ジョニー・スニード、マリリン・マッキンタイア他。


俳優のフォレスト・ウィテカーが『ため息つかせて』と『微笑みをもう一度』に続いて3度目の監督を務めた作品。
サマンサをケイティー・ホームズ、ジェームズをマーク・ブルカス、マッケンジーをマイケル・キートン、マイアをエイメリー、メラニーをマーガレット・コリン、リズをレラ・ローション・フークア、ボックをマイケル・ミルホーン、ディランをドウェイン・アドウェイが演じている。
ファッション・デザイナーのヴェラ・ウォン、テレビ番組『ファッション・ポリス』の毒舌司会者として有名だったジョーン・リヴァース、その娘メリッサ、テレビ司会者のジェイ・レノが本人役で出演している。
ナレーターは監督のフォレスト・ウィテカー。

まず導入部の描写に失敗している。一言で表現するなら、慌ただしいのだ。
フォレスト・ウィテカーのナレーション・ベースで、サマンサが少女から成長する過程をザックリと説明し、その中で州知事だった父親が大統領になる経緯、サマンサは普通の女の子のように暮らそうとするけど注目を浴び、護衛が付いて回ったりテレビ番組でファッションを酷評されたりする様子などが描かれる。
そしてオープニング・クレジットが終わるとパーティーのシーンになり、メラニーが娘を見て「何か変よ、疲れているみたい」と夫に告げる様子が写る。
その台詞の意味も、何が描きたいのかも分かるけど、「段取りが雑すぎる」と感じるのだ。

前述したように、「サマンサが普通の女の子と同じように暮らしており、少女時代は何も感じなかったけど、父親の出世と自身の成長に伴って、生活に息苦しさを感じるようになった」ということはナレーション・ベースで提示されている。
しかし、その直後に「大学には独りで行きたい」と父に要求するという流れへ移るには、あまりにもサマンサの心情描写が不足している。
そこは、現在進行形で彼女が息苦しさを感じるエピソードを幾つか重ねるか、もしくは回想シーンであってもナレーション・ベースではない形で描くか、そういった作業が欲しいのだ。

ただし、そもそも「ナレーション・ベースか否か」「現在進行形のエピソードか否か」というだけの問題ではない。
もっと大きな問題は、あまりにもサマンサの行儀が良すぎるということだ。
前述したように、ナレーション・ベースの処理中でも、サマンサが常に護衛を従えていることは描かれている。それ以外の描写に関しても、「息苦しい、ウンザリする」という態度をサマンサが示そうと思えば、幾らでも出来る。
しかし、「彼女は幸せに成長したのだ」という語りが入り、サマンサの穏やかな笑顔で締められてしまう。

「車で一人旅をしたい」という夢をリズに語る時だって、父に一人旅を志願する時だって、やはりサマンサは穏やかな笑顔を浮かべている。ささやかな夢さえ実現できないことに対して、それほど大きな不満を抱いているようには見えない。
いや、もちろん心の中に不満が無いわけではないんだろうけど、「無理だと言われたら素直に受け入れる」という感じなのだ。
サマンサが「おとなしくて貞淑な令嬢」というキャラ設定になっているため、映画自体もおとなしいテイストになっている。
もっとお転婆キャラにして、サマンサに弾けた行動を取らせた方が良かったんじゃないか。

いや、序盤からメチャクチャに弾けまくれとは言わない。
それに大統領の娘だから、公式の場では「何の不満も無く幸せに暮らしています」というアピールをさせておいた方がいい。
ただ、表向きは穏やかな令嬢を装っているけど、裏では弾けたくて仕方が無いという設定にでもしておけば、映画自体の面白さがグッと変わったように思うのだ。
「普通の女の子になりたい」という部分で話を作ろうとしているのは分かるんだけど、その「普通の女の子になりたい」というサマンサの渇望が控え目で、「普通の女の子の暮らし」に対する認識も控え目なのよね。

サマンサを大学まで送って立ち去る時、両親は寂しそうな表情を浮かべ、泣きそうになって別れを惜しんでいる。それに対してサマンサも、寂しそうな様子を見せる。そしてBGMも、そういう雰囲気を出している。
で、そうやって「仲良し親子の寂しい別れ」を演出した後、「部屋に戻って独りになったサマンサが、ようやく解放された喜びで浮かれる」という展開にでもすれば落差が付いただろうが、そんな流れは全く無い。
ようするに、ホントにサマンサは「両親と別れるのは寂しいわ」と感じていたってな感じなのだ。
その1つを取っても分かるように、あまりにもサマンサを「良い子」として描きすぎているのだ。

そこで「ようやく両親が去ってホッとした。ようやく一人になれた」という喜びを弾けさせたとしても、それで「両親への愛が無い」なんて印象を受けることは無い。
それどころか、例えば「過保護な両親にウンザリしている」というぐらいの態度を示したとしても、何の問題も無い。
後で両親への愛を表現するためのエピソードを用意すれば、幾らでもリカバリーは可能なのだ。
むしろ、そうすれば「両親に辟易して一度は反発したけど、自分への強い愛情を感じて反省し、態度を改める」というドラマ展開が作れるメリットもある。

サマンサとジェームズの出会いのシーンは、ちょっとボンヤリした内容になっている。
大勢の生徒がサマンサに注目する中、講師が「私に注目してくれないか」と生徒たちに促し、サマンサを見て「君ほど美人じゃないが、一緒に学ぼう」と告げる。ここでジェームズが講師に質問してジョークを飛ばし、生徒たちが笑う。
だけど、そこで教室が笑いに包まれたからって、生徒たちの関心がサマンサから離れるわけではないはずなんだよね。
だから、その行動に関してサマンサがジェームズに「さっきは助かったわ」と礼を言うという流れには、違和感を抱くのだ。
そもそも、「ジェームズがそれで助け舟を出した」という形になっていることからして違和感があるし。「ジェームズが困っているサマンサを救う」という出会いのシーンを演出したいのなら、もっと鮮明で分かりやすい内容にした方がいい。

プール・パーティーのエピソードも、やはり描写がおとなしい。
まず、サマンサがプール・パーティーを楽しんでいるという様子が控え目プールサイドの椅子に座っていると男子生徒4人が現れ、バンド演奏に合わせてノリノリで歌い踊るのだが、それを笑顔で見ているし、椅子を持ち上げられても受け入れてるんだから、それなりに楽しんでいるんだろう。しかし、おとなしいという印象は否めない。
その後、ボックたちの行動に腹を立てて事務所に乗り込む際は、初めてサマンサが明確な形で不満を示している。そこまでの展開の中では、最も感情を強く示している。
しかし、そこでさえ、まだ物足りなさを感じるぐらいなのだ。

どこに物足りなさを感じるかというと、サマンサはリズには「護衛を減らしいほしい」と要求を語っているけど、会議中の父を邪魔しようとはしないのだ。
そこはキッチリと一線を引いている。
でも、「大事な会議なんてお構いなしで、勝手に乗り込んで怒りを示す」というぐらいの行動を取らせてもいいんじゃないかと思うのだ。
ただし、そこだけ急に大胆で荒っぽい行動を取ると、それはそれで違和感を覚えるだろうから、その前から遡ってサマンサの感情表現を強めにしておく必要はあるけどね。

ミアがサマンサに腹を立てて2人が険悪になるシーンは、やりたいことは分かるけど強引すぎる。ミアを見つけた先輩がサマンサに挨拶するのは、そんなに腹を立てることでもないだろうと思うのよ。
それって相手が大統領の娘じゃなくても、普通に見られる光景でしょ。
「そこまでにミアが不満を溜め込んでいたから、些細なことで爆発した」という流れがあるなら、まだ何とか受け入れないこともない。
だけど、そこまでのミアは、「いつもサマンサが主役で自分は仲介役」ということに不満があるような様子は皆無だったのだ。

むしろミアは、自分が積極的にサマンサとジェームズの恋を応援するような行動を取ったりもしている。それなのに「いつも私が仲介役」と不満を爆発させるのは、「2人が仲違いする」という段取りを消化するために、無理に怒らせているように感じてしまう。
「ずっと好きだった先輩がサマンサに挨拶したから、急激に怒りカウンターが跳ね上がった」という風に解釈するとしても、その場面で初めてミアの先輩に対する思いが明かされるだけであり、前振りがゼロの状態なので、それで納得するのは難しい。
しかも、そこで強引に仲違いをさせておきながら、サマンサがジェームズとのデートから戻ると、あっさりとミアとの仲直りが成立する。仲直りまでの手順は何も無いのだ。
サマンサとミアが険悪な状態になる展開には、何の意味も無いと断言できる。だったら、そんな無駄な展開などバッサリと省き、ミアを「都合のいい親友」として利用し、もっとサマンサとジェームズの恋愛劇に時間を使った方がいい。

ただし、その最も重視すべきサマンサとジェームズの恋愛劇にも、ちょっと引っ掛かる部分がある。
何より気になるのは、「護衛の仕事を命じられていたジェームズが、サマンサとの恋愛に対して積極的にしか見えない」ってことだ。
本来なら、「素性を隠してサマンサを護衛している内に惚れてしまうけど、職務だから気持ちにブレーキを掛ける」という形であるべきだろう。
しかし、大統領専用機に乗って大統領の元へ行く流れになるまでは、何の迷いも葛藤も見えないのだ。普通にサマンサと恋をして、それを育もうとしているようにしか見えないのだ。

一応、ボン・ファイヤー祭に誘われたのに行かないってのは、ジェームズなりに「職務があるから遠慮した」ということなんだろうとは思う。しかし、その程度では全く足りていない。それ以外の部分の積極性が強すぎて、トータルで考えると完全にマイナスだ。
そもそも「素性を隠して護衛する必要があるのか」という問題は置いておくとしても、学生を装って護衛するなら、一緒にナイト・スライドで遊んだり、勝手に外へ連れ出したりするのは任務から外れているでしょ。
ナイト・スライドは大統領から叱られる行動だし、勝手に外へ連れ出す行為に至ってはサマンサを危険にさらすことになる。
そうではなく、あくまでも任務を忠実に遂行する中でサマンサに惚れさせ、任務と恋の狭間で葛藤させるべきでしょ。

ジェームズの素性が判明した後、「サマンサが彼を嫉妬させるために行動する」という展開になるのだが、この辺りは「それは違うなあ」と感じてしまう。
ジェームズの素性が判明してサマンサがショックを受けたら、もう後は「2人の関係が修復される」というエピソードをクライマックスに配置し、それでラストまで雪崩れ込んだ方がテンポがいい。
ジェームズが任務じゃなくて本気で惚れていることは観客からすると明らかだし、サマンサが嫉妬心を煽るためにクラブで遊ぶのって、実は恋愛劇においての効果は著しく薄いんだよね。

サマンサが遊び歩く展開は、表面上は「ジェームズの嫉妬心を煽るため」なんだけど、実は「ストリップまがいの行為がマスコミに報道され、マッケンジーの再選が危うくなる」という展開に繋げるための仕掛けだ。
で、メラニーに「大統領一家としての協力が必要」と説き、サマンサはホワイトハウスへ戻ることになる。
つまり「父親を再選させるために戻れ」ということだ。そして、その要求をサマンサは受け入れ、父の選挙活動に協力する。
だけど、「全てサマンサが悪い」ということで片付けてしまうのは、まるで同意しかねる。

そりゃあ大統領の家族としては、色々と行動に制約を受けるのも仕方の無い部分はあるだろう。
だけど、そもそもサマンサがゴシップになるような行動を取ったのは、マッケンジーがジェームズの素性を偽らせて護衛に付けていたのが原因だ。
それに関してマッケンジーは何も謝罪しちゃいない。そして彼はサマンサを非難し、サマンサはホワイトハウスに戻って選挙活動に協力することを全面的に受け入れる。
サマンサが反省するのはヒロインの動かし方として正しいけど、マッケンジーにも謝罪させるべきでしょ。

『ローマの休日』なら、ヒロインは王女だから「何よりも国のための行動が優先され、恋は犠牲にせざるを得ない」ってのも納得できる。
だけど本作品の場合、サマンサは大統領令嬢でしかないので、恋を犠牲にするのは「国のため」じゃなくて「父親の再選のため」なのよね。
極端な話、別にマッケンジーが再選できなくてもアメリカという国に支障が出るわけではないし。対抗馬の人間が大統領になるだけだ。そいつがクソみたいな酷い奴だとか、そういうことへの言及があるわけでもないんだし(そもそもクソみたいな奴なら大統領選挙の対抗馬にならないだろう)。
だから「サマンサが大統領選挙や支持率のために恋を犠牲にする」ってのは、共感を誘わないのよ。

(観賞日:2015年1月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会