『ファイナル・デッドサーキット 3D』:2009、アメリカ

大学生のニックと恋人のローリは、友人のジャネット、ハントの4人でサーキット場を訪れていた。レースを観戦している最中、ニックの脳内に恐ろしい映像が飛び込んで来た。それは事故が起きて次々に人が死ぬ内容だった。自分が死ぬ場面で我に返ったニックの眼前では、今見たばかりの映像と同じ現象が次々に起きる。間もなく事故が起きて大勢が犠牲になると感じた彼は、逃げ出すようローリたちに告げる。レイシストのカーターや警備員のジョージ、自動車整備士のアンディーと恋人のナディアも、一緒にサーキット場を出た。
外に出たところでニックが「大きなクラッシュが起きる」と告げた直後、サーキット場で激しい爆発が起きた。大勢の人々がパニック状態で逃げ出そうとする中、カーターは残してきた恋人を助けに行こうとするが、ジョージが制止した。ナディアは飛んできたタイヤに頭を直撃され、命を落とした。追悼式に参加したニックは、サーキット場から逃げ出して無事だった主婦のサマンサに礼を言われる。カーターはジョージに対し、強い憎しみを示した。
その夜、眠っていたニックは、蹄鉄や鎖、赤いドアや炎などの断片的な映像を見て目を覚ました。同じ夜、カーターはジョージをの家を訪れて嫌がらせしようとするが、乗っていたレッカー車の不可解な事故で死亡した。翌朝、ニックとローリはテレビのニュースでカーターの事故死を知った。映像を見たニックは、「赤いドアに見覚えがある」と口にした。直後、彼の脳内には、ハサミや煙草、切断される目などの映像が飛び込んで来た。
ニックはローリに、「昨夜、変な夢を見たと言っただろ。あれは夢じゃない。一種の予知夢だ。炎やフック、赤いドアも見えた。まるでレイシストの死を暗示しているみたいだった。そして、また別の予知が見えた」と語る。その頃、サマンサは美容室を訪れていた。カットネイルの手入れを終えた彼女が子供たちを連れて店を出ようとした時、猛スピードて飛んで来た小石に左の眼球を貫かれて死亡した。
サマンサの事故を知ったニックとローリは、ジャネットとハントに予知夢のことを語る。2人はネットで調査し、大惨事を予知した人間に関する記事を集めていた。ニックは「予知夢で助かった者も、結局は死んでいる。生き残った者は、死ぬはずだった順番に死んでいる」と語る。しかしニックは、予知夢で見た死の順番を覚えていなかった。「誰かが死ぬのを防げば、そこで死の連鎖が止まるという話もある。それでも順番が変わるだけで、助からないっていう話もあるけど」と彼は述べた。
ジャネットは極度に怯え、「そういうのは私抜きで考えて」と告げて立ち去る。ハントは全く信じようとせず、呆れた態度を示した。その直後、またニックの脳内に予知の映像が飛び込んで来た。彼は死の順番を思い出すため、ローリを連れて深夜のサーキット場に侵入した。そこに現れたジョージは、監視カメラの映像を見せてくれた。それを確認したニックは、次がアンディー、その次がハントとジャネット、それからジョージ、ローリ、最後が自分であることを思い出した。
ニックはローリとジョージに、アンディーを助ければ死の連鎖が止まって全員が助かるはずだと語る。3人はアンディーの働く整備工場を訪れ、事情を説明して注意を促した。しかし工場で事故が発生し、アンディーはニックたちの目の前で死亡した。ハントとジャネットは予知夢では同時に死んでいたため、ニックは手分けして捜すことにした。ハントを担当することにしたニックは、水の予知夢を見た。彼はハントの携帯に掛るが留守電になっていたため、水に注意するようメッセージを残した。
プールで遊んでいたハントは、子供のイタズラで携帯を濡らされて使えなくなってしまった。一方、ローリはジョージと共にジャネットを捜索する。ローリは携帯に掛けるが、洗車場に入ったジャネットは「後で電話する」とすぐに切ってしまった。再び電話を掛けたローリは自ら離れるよう忠告するが、ジャネットは洗車機の音がうるさくて良く聞こえなかった。洗車機の故障で車が前に進まなくなり、天井部分のパイプが外れて大量の水が車に降り注いだ。サンルーフが開いて水が車内に流れ込むが、駆け付けたローリがジャネットを救出した。一方、ニックはプールに駆け付けるが一足遅く、ハントは事故によって命を落とした。
ジョージはローリの前で、「ジャネットが助かって死の連鎖が断たれたならいいが、もしも順番が飛んだだけなら次は自分だ」と口にする。ローリは「諦めちゃダメよ」と言うが、交通事故で妻子を死なせた過去を持つジョージは「別にいいんだ。家族の元へ行ける」と話す。その夜、ローリはニックにジョージの様子を語り、「きっと諦めたのよ」と言う。「彼が死んだら次は私よ。近付かない方がいい」と彼女が話すと、ニックは「何があっても一緒だ」と告げた。
室内に風が吹き込んでコーヒーがこぼれ、開いていた新聞が濡れた。「行動」や「生還」を示す文字だけが濡れずに残ったのを見たニックは、「誰も死なずに済むかもしれない」と言う。ニックとローリがジョージの家を訪れると、彼は首吊り自殺を図っていた。しかしロープが切れて落下したジョージは、他にも幾つかの方法を試したが死ねなかったことを明かす。ジャネットを助けたことで死の連鎖が終わったと確信し、3人はサイダーで乾杯した。
後日、ニックが旅行へ行くための荷物を準備していると、外出中のローリから電話が掛かって来た。彼女はジャネットと一緒に映画を見に行く予定だ。電話を切ったニックの脳内に、また予知の映像が飛び込んで来た。テレビのニュースを見た彼は、サーキット場の事故で死ぬはずだったのに生き残っている人物が他にもいることを知った。カウボーイハットのジョナサンという男で、ニックの予知夢ではジョージの前に彼が死んでいたのだ。彼はジョージに電話を掛け、重傷のジョナサンがいる病院へと急ぐ。ジョージと合流したニックは病室へ行くが、2人の眼前でジョナサンは事故死した…。

監督はデヴィッド・R・エリス、脚本はエリック・ブレス、製作はクレイグ・ペリー&ウォーレン・ザイド、共同製作はアート・シェーファー、製作協力はタウニー・エリス=レーマン、製作総指揮はリチャード・ブレナー&ウォルター・ハマダ&シーラ・ハナハン・テイラー、撮影はグレン・マクファーソン、編集はマーク・スティーヴンス、美術はジェームズ・ヒンクル、衣装はクレア・ブロー、視覚効果監修はエリック・ヘンリー、音楽はブライアン・タイラー、音楽監修はデイナ・サノ。
出演はボビー・カンポ、シャンテル・ヴァンサンテン、クリスタ・アレン、ミケルティー・ウィリアムソン、ニック・ザーノ、ヘイリー・ウェブ、アンドリュー・フィセラ、ジャスティン・ウェルボーン、ステファニー・ホノレ、ララ・グライス、ジャクソン・ウォーカー、フィル・オースティン、ウィリアム・アギラード、ブレンダン・アギラード、フアン・キンケイド、モニク・デトラス、クリス・フライ、ティナ・パーカー、セシル・モンテイネ、ステイシー・ディゾン、デイン・ローズ、ガブリエル・チャピン他。


“ファイナル・デスティネーション”シリーズの第4作。
第2作『デッドコースター』のデヴィッド・R・エリス監督と脚本のエリック・ブレスが再登板している。
ニックをボビー・カンポ、ローリをシャンテル・ヴァンサンテン、サマンサをクリスタ・アレン、ジョージをミケルティー・ウィリアムソン、ハントをニック・ザーノ、ジャネットをヘイリー・ウェブ、アンディーをアンドリュー・フィセラ、カーターをジャスティン・ウェルボーンが演じている。

1作目と2作目で葬儀屋のブラッドワースを演じていたトニー・トッドは、3作目では悪魔の声を担当しただけだった。そして今回は、とうとう全く関与していない。
これは地味に痛いぞ。
そりゃあ、もうネットに大量の情報が散らばっているから、死のリストを書き換えるための手掛かりをブラッドワースが与える必要は無いかもしれんよ。
だけど、トニー・トッドが登場するだけでもそれなりに雰囲気が醸し出されるし、恐怖映画としての質や価値もアップすることは間違いないと思うぞ。

1作目は「あらかじめ定められた死の連鎖が襲いかかる」というアイデア一発勝負の映画であり、その時点で既に「色んな死に様」という部分にしか楽しみ方を見出すことが出来ない内容になっていた。何しろ誰が死ぬのかも、どういう順番で死ぬのかも中盤辺りで明らかになるし、死が訪れる直前まではそれを阻止するための行動も取れないから(どのように死ぬのかは分かっていないので)、そこで楽しむしかないのだ。
2作目になっても、色んな死に様だけを楽しむという「殺人ショー」としての作りは変わらなかった。死に様が違うだけで、2作目で既にマンネリズムの境地に達していた。
3作目も、もちろん同様だ。どれも全て、やっていることは基本的に一緒。
そして、それは4作目になっても変わらない。やはり「色んな死に様を順番に並べて、それを繋ぎ合わせて映画としての体裁を整えるために、一応のストーリーらしきモノが付け加えられているだけだ。
そこにドラマ性は無い。「ドラマ?それって美味しいの?」ってな感じだ。

1作目で飛行機、2作目は車、3作目はジェットコースターに乗っている時に事故が発生する予知夢を見て、主人公と数名が降りて助かるという導入部になっていた。
今回は乗り物に乗っていないものの、それ以外の部分はほぼ一緒。
最初に予知夢による大規模な事故が描かれ、主人公と数名が避難して助かる。でも予知夢で死んでいた人が犠牲になり、主人公は死の連鎖を知る。阻止しようとするが、予知の順番に従って次々に人が死ぬ。そして最終的には、主人公も命を落とす。
そういうパッケージが出来上がっていて、そこにキャラクターと死に様をハメ込んでいるという感じだ。

今回はジャネットが途中で助かり、死の順番が予知夢と異なる形になる。
しかし、それが物語の面白さや深みに繋がっているのかというと、そんなことは全く無い。
そもそも、ジャネットが助かって死の順番が入れ替わっても、そこに意外性さえ感じない。
このシリーズって、1作目から全て見ていると、もはや「死の順番が守られるのかどうか」「死の連鎖を阻止することが出来るかどうか」というところに対する興味も抱かなくなってしまう。
わずかな存在感しか示さないストーリーはどうでも良くて、1つ1つの死を「死に様コレクション」として観賞する意識だけが残されるのだ。

さて、そんな死に様だが、1作目から見ている人には言うまでもないだろうが、このシリーズの特徴は「死に様がピタゴラスイッチになっている」ということだ。
誰かが事故で死ぬ際に、例えば「脇見運転をしていた」→「壁に激突して死んだ」という風に、死亡原因が一言で簡単に説明できるようなパターンはやらない。
「どこかで何か小さなトラブルが発生した」→「それが別のトラブルに繋がった」→「それがまた別のトラブルに繋がった」→「そのせいで人が死んだ」という風に、トラブルの連鎖が死に繋がるのが基本パターンだ。
2つのトラブルが別の場所で発生し、それが関連することで死に繋がるというパターンもある。

今回で言えば、まず冒頭の予知夢では「サーキット場が老朽化していて様々な箇所にヒビが入っている」&「オイルタンクが倒れてオイルがピットレーンにこぼれる」&「走行の振動でフェンスのボルトが少しずつ緩んでいる」という状況がある。
その後、「オイル交換の車が工具を突き刺したままコースに戻る」→「工具が落ちる」→「それを踏んだ車のタイヤがバーストし、クラッシュする」という展開になり、飛んで来たタイヤの激突でナディアが死亡する。
この時点で「オイルは何だったのか」ということが引っ掛かるぞ。
それって事故に全く関係ないよな。

それはともかく、その後は別のクラッシュで飛んで来たボンネットでカーターと妻が体を真っ二つに切断され、サマンサは爆発で飛んできた車のエンジンに体を押し潰されて死亡する。
アンディーは転倒した際に折れた観客席の破片が突き刺さり、ジャネットとハントは落下した天井の下敷きになる。
ローリとジョージは爆発に飲み込まれ、ニックは爆風で吹き飛ばされて鉄パイプに体を突き刺される。
予知夢を回避した連中も、様々な死に方をする。
カーターのケースは、まずレッカー車から嫌がらせのためのデカい十字架を降ろす時にチェーンが地面に垂れ下がり、風でビール缶が落ちてレバーに触れたために車が動き出してしまい、慌てて止めようとしたカーターの足がフックに引っ掛かり、地面を引きずられている間にチェーンに引火して火だるまになり、燃料タンクに引火して車が爆発する。

アンディーのケースは、缶が振動で落ちて液体がこぼれ、機械が壊れてリールが外れ、車がスロープを滑落する。ギリギリでアンディーには激突しなかったが、直後にリールの芯が飛んでガスボンベに激突し、そのガスボンベが直撃してフェンスにめり込んで死亡する。
ハントのケースは、イタズラするガキから取り上げた水鉄砲を柵の向こうに置き、それが落ちて排水機が作動する。落としたコインを拾うためにプールへ飛び込んだハントは尻を排水口に吸い込まれ、内臓を全て吸い出されて死亡する。
これは実際にあった事故が元ネタだ。
ただ、なぜ排水機が暴走したのかが描かれていない。
ここは制御盤が壊れて吸引力が最大になってしまうシーンを撮影したのにカットしたらしいが、そこをカットしちゃうと筋が通らなくなるでしょ。

2作目の監督&脚本家コンビが再登板していることもあるのか、一応は「何から何までパターンの焼き直しではマズいだろ」という考えが少しはあったらしく、変化を付けようという意識は感じられる。
例えばサマンサの死に様は、故障している椅子のレバーや、手入れされている足の爪、カットしているハサミがアップになる。
それはニックの予知夢ともリンクしている。
ホウキが倒れて液体が床にこぼれたり、シーリング・ファンが取れそうになっていたり、スプレー缶が棚を滑って電気ゴテに接触したりする。で、熱されたスプレー缶が飛んで、それがぶつかったシーリング・ファンが落下するのだが、それはサマンサに命中しない。
つまり、肩透かしってやつだ。
結局、理髪店では何も起こらず、サマンサが外へ出たところで、芝刈り機がタイヤが弾いた小石が命中して死亡する。
そこに意外性はある。
でも、それが映画の面白さに繋がっているのかというと、それは無いんだよな。

ジョージの死に様に関しても、そこはピタゴラスイッチの肩透かしさえ無い。
「病院を出たところで走って来たトラックにひかれる」という一瞬の出来事だから、意外っちゃあ意外だけど、それが作品の評価を高めることには繋がっていない。
前述したように、このシリーズは「死に様コレクション」を楽しむことだけを目的とした映画になっており、「どれだけ凝った手順を掛けてピタゴラスイッチを作り上げ、ケレン味たっぷりに死に様を描くか」ということが肝なのだ。
だから、死のピタゴラスイッチを用意せず、一発であっさり死なせるのは、ただの手抜きにしか感じないのだ。

とは言え、じゃあ色んな死のピタゴラスイッチを並べただけで楽しめるのかというと、それも難しいんだよな。
もはや似たようなパターンが出て来るようになっているとか、ネタ切れを起こしているんじゃないかとか、そういう印象もあるけど、それだけじゃない。それ以前の問題として、たぶん今までと全く異なる死のピタゴラスイッチばかりを並べて作品を構築したとしても、やっぱり高い評価には繋がらないと思う。
その理由は簡単で、「あらかじめ定められた死の連鎖が襲いかかる」「死のピタゴラスイッチが次々に描かれる」というネタに対して、もう飽きてしまったからだ。
これ以上は、どう頑張っても無理じゃないかな。大幅に構成やパターンを変えればマンネリは回避できるけど、そうなるとシリーズとしての意味が無くなっちゃうだろうし。

(観賞日:2014年8月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会