『ファム・ファタール』:2002、アメリカ
2001年カンヌ映画祭のメイン会場では、『イースト/ウェスト 遙かなる祖国』のプレミア上映を直前に控えて大勢の人々が集まってきた。レッド・カーペットの上を歩くモデルのヴェロニカを、カメラマンのロールが撮影していた。ヴェロニカは一千万ドルの宝石で飾られたビスチェを身に着けており、2人のガードマンが警護に当たっている。
会場内に入ったロールに呼ばれて、ヴェロニカはトイレに入った。ガードマンの様子は、ロールの仲間ラシーヌが監視している。ロールはヴェロニカの体からビスチェを外し、仲間のブラック・タイが用意した偽者と交換する。ロールたちは宝石窃盗グループなのだ。しかしロールはブラック・タイとラシーヌを裏切り、宝石を奪って逃走した。
街に出たロールは、カメラマンのニコラスに写真を撮影されてしまう。教会に駆け込んだロールは、中年夫婦から「リリー」と声を掛けられる。ロールは教会から逃げ出し、ホテルへ向かった。しかしラシーヌに襲われ、階下へ突き落とされる。ロールは追い掛けてきた先程の中年夫婦に発見され、気が付くと一軒の家にいた。
中年夫婦が去った後、飾ってある写真を見たロールは、自分がリリーという女性に瓜二つで間違えられたのだと気付く。そこはリリーの家で、中年夫婦は両親のようだ。ロールが風呂に入っていると、何も知らずにリリーが帰宅した。彼女は夫と息子を亡くしてショックを受けており、拳銃を使って自殺してしまう。ロールはアメリカ行きの飛行機に乗り、ブルース・ワッツという金持ちのアメリカ人と席が隣合わせになった。ロールは、すぐにワッツと親しくなった。
7年後のフランス。ニコラスはエージェントから、新しく赴任する米国大使ワッツの妻リリーの写真を撮ってほしいと依頼された。彼女は写真を嫌っており、誰も撮影したことが無いというのだ。ニコラスは浮浪者に変装し、ワッツの妻の写真を撮ることに成功した。もちろん、ニコラスはロールがリリーに成り済ましていることなど知らなかった。
ニコラスの撮影した写真がタブロイド誌に掲載されたことで、ブラック・タイとラシーヌはロールの居所を知った。ニコラスはロールを尾行し、ホテルの部屋に上がり込む。拳銃を発見したニコラスは、ロールが自殺を考えていると解釈した。ロールは喘息の吸入器を薬局で買って来てほしいと頼み、「これで逃げられない」と言って上着やバッグを渡した。
ニコラスはロールに言われた通り、彼女の来るまで薬局へ向かう。だが、ロールは警察に通報し、女性が襲われたと嘘をつく。ニコラスはセラ警部に捕まり、誘拐犯の疑いを掛けられる。セラは大使館へ行くが、ワッツはニコラスの弁明が正しいと告げる。しかし、それは警察を追い払うための言葉だった。ロールはワッツに対し、ニコラスに成り済まして身代金を要求していたのだ…。監督&脚本はブライアン・デ・パルマ、製作はタラク・ベン・アマール&マリナ・ジェフター、製作協力はクリス・ソルド、製作総指揮はマーク・ロンバルド、撮影はティエリー・アルボガスト、編集はビル・パンコウ、美術はアン・プリチャード、衣装はオリヴィエ・ベリオ、音楽は坂本龍一。
出演はレベッカ・ローミン=ステイモス、アントニオ・バンデラス、ピーター・コヨーテ、エリック・エブアニー、エドュアルド・モントート、リエ・ラスムッセン、ティエリー・フレモン、グレッグ・ヘンリー、フィオナ・カーソン、ダニエル・ミルグラム、ジャン=マルク・ミネオ、ジャン・シャテル、ステファン・プティ、オリヴィエ・フォレ、エヴァ・ダーラン他。
モデル出身のレベッカ・ローミンが初めて主演を務めた映画(当時はジョン・ステイモスと結婚していたので、レベッカ・ローミン=ステイモス名義)。ロール&リリーをレベッカ・ローミン、ニコラスをアントニオ・バンデラス、ワッツをピーター・コヨーテ、ブラック・タイをエリック・エブアニー、ラシーヌをエドュアルド・モントート、セラをティエリー・フレモンが演じている。
ヴェロニカを演じるのは、本作品が映画デビューのリエ・ラスムッセン。レベッカ・ローミンのモデル仲間で、彼女が監督に推薦して出演が決まったそうだ。また、冒頭のカンヌ映画祭のシーンでは、上映される『イースト/ウェスト 遙かなる祖国』のレジス・ヴァルニエ監督と主演したサンドリーヌ・ボネールが本人役で出演している。どうやらブライアン・デ・パルマ監督は、いよいよ腹を括ったようだ。
自分はアルフレッド・ヒッチコックのバッタモンとして生きていくのだと、そう覚悟を決めたようだ。
そうとしか思えないような、完全に開き直っているとしか思えないような内容だ。
重要なポイントは、「ヒッチコックの後継者」ではなく、あくまでも「バッタモン」ということだ。冒頭に流れる「ボレロ」のバッタモンみたいな曲も、その意志の強さを感じさせる。
たまたま似てしまったのではなく、デ・パルマ監督が坂本龍一に指示して、あえて似たような曲を書いてもらったらしい。
そこまでするぐらい、「バッタモン」としての意識が強いのだ。
普通、そんなことをするぐらいなら、本物の「ボレロ」を流せばいいわけだから。ここには、観客に楽しんでもらおうとするエンターテインメントの精神はゼロだ。
「俺は俺のやりたいようにやる、撮りたいものだけ撮る」というデ・パルマ監督の頑なな意志が感じられる。
冒頭、ロールはヴェロニカの体をまさぐってレズりながら、ビスチェを交換していくシーンがある。たっぷりと時間を掛けて、ネッチョリと女性2人が絡み合う様子が映し出されている。
普通に考えれば、それほど時間に余裕は無いのだから、悠長にレズっている暇など無い。さっさとビスチェを剥ぎ取ってしまうべきだ。ストーリー上だけで考えれば、そこでレズる必要性は全く無い。
しかし、そこに必要性はある。
「デ・パルマ監督が撮りたいから」という必要性だ。
どうしても彼はレズるシーンが欲しかったのだ。
ちなみに、その蛇のビスチェは乳首が簡単に見えてしまうという機能的には役立たずのシロモノだが、エロという意味においては見事なデザインだ。後半には、いきなりロールが行きずりの男を誘惑し、ストリップを始めるというシーンがある。それも、ストーリー上での必然性は全く無い。
しかし、そこにも必要性はある。
「デ・パルマ監督が撮りたいから」という必要性だ。
観客へのサービスではない。監督の満足のために、そのシーンは必要なのだ。なぜなら、デ・パルマ監督はエロい人だからだ。『ボディ・ダブル』などでも見られたデ・パルマ監督のド変態スピリットが、この映画では、さらに露骨に表現されているのだ。『スネーク・アイズ』でも見られた「仕掛けに凝りすぎて観客には全く伝わらない」というデ・パルマ監督の得意技も、さらに強くなっているようだ。
もはや「伝わらなくてもいいや」と開き直ったのかと思えるぐらい、映像の中には色々と仕掛けが張り巡らされている。
だが、たぶん大半の観客には気付いてもらえないだろう。最初から集中して仕掛け探しに気を配らないと、ほとんどの仕掛けは見落としてしまうだろう。
でも、それでもいいのだ。
極端に言えば、この映画はデ・パルマ監督の自己満足なのだから。それに、どうせ幾つも張り巡らせた伏線に気付いたところで、それを解きほぐした所に待っているドンデン返しは(完全ネタバレだが)、「全てはロールの夢だった」というモノだ。
チンチロリンのカックンとなる夢オチを堂々と持って来る辺り、さすがデ・パルマ監督。もはやサスペンスなんて、どうでも良かったに違いない。
そんなわけでサスペンスとしては完全に破綻しているのだが、それでもデ・パルマ監督の熱狂的なファン、マニアックなファンであれば、きっと「やっぱりデ・パルマはバカだなあ」とニヤニヤしながら楽しめるに違いない。まあ、たぶん楽しめるだろう。ひょっとしたら楽しめるかもしれない。やっぱり無理かもしれないけど、何かの間違いで楽しめれば幸いだ。
第25回スティンカーズ最悪映画賞
受賞:【最悪のインチキな言葉づかい(女性)】部門[レベット・ローミン=ステイモス]
<*『ファム・ファタール』『ローラーボール』の2作での受賞>ノミネート:【最悪の演出センス】部門[ブライアン・デ・パルマ]
ノミネート:【最悪の主演女優】部門[レベッカ・ローミン=ステイモス]
<*『ファム・ファタール』『ローラーボール』の2作でのノミネート>