『ファンタジア2000』:1999、アメリカ

『交響曲第5番』では、2つの三角形を組み合わせた蝶のような物体が音楽に合わせて飛び回る。背景は次々に移り変わり、雲の中や水面、地割れなどが様々な色で表現される。地面のあちこちからエネルギーが噴射され、天高く昇って行く。蝶のような物体は、2つの時もあれば、無数の群れも登場する。カラフルな物体もあれば、真っ黒な群れも登場する。真っ黒な群れがカラフルな物体を追い掛ける中で、雲の切れ間からは光が差し込む。
『交響詩「ローマの松」』では北極らしき場所が舞台となり、クジラたちが海を自由に泳ぎ回る。時には水面へ姿を見せ、まるで曲芸のように体を捻らせながらジャンプすることもある。ついには海面から飛び出し、クジラたちは空を泳ぎ始める。大きい2匹と小さな1匹は、どうやら親子のようだ。子供クジラは鳥の群れに混じろうとするが、追い掛けられて慌てて逃げ出す。彼は両親の元へ戻り、クジラの群れも合流して天高く飛んで行く。
『ラプソディー・イン・ブルー』はニューヨークが舞台で、4名の人物が登場する。1人は建設現場の作業員、1人は失業中の男、1人は多忙な両親から愛されたがっている少女、1人は金使いの荒い妻に付き合わされて全く自由の無い夫だ。4人はスケート場を眺めながら、それぞれ「好きなドラム演奏をしたい」「仕事にありつきたい」「両親と一緒に遊びたい」「自由に飛び回りたい」と妄想する。
作業員はドラム演奏への感情が抑え切れず、作業機械を落として現場を飛び出す。機械を拾った失業中の男は現場監督に見つかり、早く仕事を始めるよう命じられて喜ぶ。少女は窓から落としたボールを拾おうと街を走り回り、車にひかれそうになるが、両親に助けられる。失業中の男が動かしたクレーンが、金持ち妻を吊り上げる。妻の買った商品を運ばされていた夫は、ジャズクラブのチラシを目にする。ハーレムのジャズクラブでは作業員が楽しそうにドラムを叩き、夫は笑顔でダンサーと一緒に踊る。
『ピアノ協奏曲第2番〜アレグロ』は、アンデルセンの童話『しっかり者のスズの兵隊』が題材になっている。子供部屋の人形たちは、深夜になると動き出す。片脚の無い兵隊人形は、踊り子人形と惹かれ合う。踊り子人形を狙っていたビックリ箱の道化人形は腹を立て、片脚の兵隊人形に襲い掛かる。兵隊人形は道化人形に積み木の船を投げ付けられ、窓から転落してしまう。下水に流された彼は、川で魚に食べられる。魚は漁船に釣り上げられて市場に並び、兵隊人形の持ち主である子供の母親に買われた。元の場所に戻った兵隊人形は道化人形を退治し、踊り子人形と愛を確かめ合う。
『動物の謝肉祭より「終曲」』では、「フラミンゴの群れにヨーヨーを与えたら、どうなるのか?」という疑問への答えが示される。1羽が楽しそうに遊び、それを止めようとする仲間たちをヨーヨーで絡め取ってしまう。『魔法使いの弟子』では、ミッキーマウスが師匠の魔法使いから留守中の水汲みを命じられる。面倒に思ったミッキーは師匠の帽子を被り、魔法でホウキを操って代わりにやらせる。しかし転寝している間に部屋が水浸しになり、困っているところへ師匠が戻って事態を解決する。
『威風堂々』では『ノアの方舟』が題材にされており、ドナルド・ダックが預言者のノアから動物たちを方舟へ導く仕事を命じられる。洪水が起きることを説明しても信じなかった動物たちだが、雷鳴が轟いて大雨が降り出したので、方舟へと向かう。恋人のデイジーが乗り遅れたと思い込んで落胆するドナルドだが、アララト山に到着した後、実際は乗船していた彼女と再会して大喜びする。『火の鳥』では妖精が荒れ果てた土地を自然豊かな場所に変えようとするが、火山が噴火してしまう…。

監督はピショット・ハント&ヘンデル・ブトイ&エリック・ゴールドバーグ&ジェームズ・アルガー&フランシス・グレバス&ガエタン・ブリッツィー&ポール・ブリッツィー、ホスト・シークエンス監督はドン・ハーン、製作はドナルド・W・アーンスト、製作協力はリサ・C・クック、製作総指揮はロイ・エドワード・ディズニー、編集はジェシカ・アンビンダー=ロハス&ロイス・フリーマン=フォックス、スーパーバイジング・アニメーション・ディレクターはヘンデル・ブトイ、音楽製作総指揮はピーター・グレブ、指揮はジェームズ・レヴィン、演奏はシカゴ交響楽団、『魔法使いの弟子』指揮はレオポルド・ストコフスキー。
ホストはスティーヴ・マーティン、イツァーク・パールマン、クインシー・ジョーンズ、ベット・ミドラー、ジェームズ・アール・ジョーンズ、ペン&テラー、ジェームズ・レヴァイン 、アンジェラ・ランズベリー。
声優はウェイン・オールウィン、トニー・アンセルモ、ルッシ・テイラー。


ウォルト・ディズニーがNY批評家協会賞特別賞を受賞した1940年の長編アニメーション映画『ファンタジア』のリメイク。
クラシックの名曲から連想される映像をアニメで表現したオムニバス作品である。
『ファンタジア』は117分だったが、今回は75分の上映時間になっている。
ベートーヴェンの『交響曲第5番』、レスピーギの『交響詩「ローマの松」』、ガーシュインの『ラプソディー・イン・ブルー』、ショスタコーヴィッチの『ピアノ協奏曲第2番〜アレグロ』、サン=サーンスの『動物の謝肉祭より「終曲」』、デュカスの『魔法使いの弟子』、エルガーの『威風堂々』、ストラヴィンスキーの『火の鳥』が使用され、それぞれに合わせたアニメーション映像が製作されている。『魔法使いの弟子』に関しては、前作の一篇をデジタルリマスター版で再使用している。

各章の前には、俳優のスティーヴ・マーティン、ヴァイオリン奏者のイツァーク・パールマン、音楽プロデューサーのクインシー・ジョーンズ、俳優のベット・ミドラー、俳優のジェームズ・アール・ジョーンズ、マジシャンのペン&テラー、指揮者のジェームズ・レヴァイン、俳優のアンジェラ・ランズベリーがホストとして登場する。
ホストを置いて観客を入り込みやすくするというのは悪いことじゃないが、各章ごとに別々の人物を起用するよりも、誰か1人に限定した方が良かったんじゃないか。
ホスト役がコロコロと変わることが、「まとまりの無さ」という悪印象に繋がっている気がする。
もしも各章ごとに別々の人物を起用するのであれば、何か共通項があるメンバーを揃えた方がいい。ホントにバラバラなのよね。

前作で「上映時間が長すぎる」という批判があったことを考慮して、今回は75分という長編作品としては短めの上映時間になっている。
そういう考え方については評価したいが、しかし私は「リメイク版なんて作らなきゃ良かったのに」という意見を持っている人間なので、上映時間が短くなったことに対するプラス査定ってのは、そこで簡単に相殺される。
そもそも「前作が良かったからリメイクを作るべきではない」ということじゃなくて、私は前作に関しても低評価なので。

『ファンタジア』を見た時に私が感じたのは、「だから何?」ということだった。
あの映画は、レオポルド・ストコフスキーの指揮によってフィラデルフィア交響楽団がクラシックの名曲を演奏し、それに合わせたアニメーション映像を写し出すという内容だった。
それは「優れた芸術作品」として、お上品なセンスを持っている観客や映画評論家からは高く評価された。
だが、これといったストーリーが無く、エンターテインメント精神も見えない長編アニメーションに対して、私は退屈しか感じ取ることが出来なかった。

そんな『ファンタジア』のリメイク版である本作品も、基本的なスタンスは変わっていない。
もちろん、ガラリとテイストを変えていたら、それはそれで「じゃあ『ファンタジア』っていうタイトルを外して、続編じゃなくて独立した映画として作った方がいいだろ」ってことになっちゃうので、リメイクである以上、その精神を受け継ぐのは間違っちゃいない。
ただ、繰り返しになるけど、そもそもリメイク版を作る必要性を感じないのだ。

ディズニーのアニメーションは、「芸術的に優れている」ということで、芸術方面の専門家が高く評価することも少なくない。
そういうことに対してケチを付けるつもりは毛頭無い。
結果的に「素晴らしい芸術作品」として称賛されるのは、否定するようなことでもない。
しかし、やはりディズニーのアニメーションというのは、「まずエンターテインメントである」「子供たちが楽しめる作品にする」ということが重要ではないかと思うのだ。

エンターテインメント精神を忘れてしまったら、ディズニー・アニメとしてのアイデンティティーに関わるんじゃないかと、そこまで私は思ってしまうのよね。
「娯楽映画を作ったら、結果的に芸術として評価される」ということなら分かるけど。
そりゃあ、たまには実験的なアニメーション作品、挑戦的なアニメーション作品ってのを作ってもいいとは思うのよ。
ただ、そういうのを、普段の娯楽アニメと同じようなラインで宣伝&公開するってのは、ちょっと違うんじゃないかと思うのよね。

ちなみに、映画の冒頭で「これからご覧いただくのは大勢の音楽家とアニメーターが結集して完成したエンターテインメント」というナレーションが入るけど、これを「エンターテインメント作品」とは感じられないからね。
そのテイストがゼロとは言わないけど、やはり基本的には芸術映画だよ。
ナレーションでは続けて「スクリーンに表れるのは、コンサートホールで皆さんの心に浮かぶであろう言葉やイメージが映像化した物です」と語られるけど、それって「芸術」ってことだと思うし。

「お前のディズニーに対する固定観念が狭すぎるだけだ」「お前は映画を理解するセンスが無いから本作品の良さが分からないのだ」と指摘されたら、それに反論するつもりは無い。
その指摘は、少なからず当たっていると思うし。
ただ、ディズニー側が上映時間を前作より短くしたり、ストーリー性を持たせたりしているのは、やはり「前作が芸術的になりすぎた」「もっと子供たちにも分かりやすくしよう」という意識があったからじゃないかと思うのよ。

で、そういうことであるならば、もっと砕けた内容にすべきであって、これは中途半端。
子供たちにも見てほしい、芸術好きではない人々にも見てほしいということで敷居を下げようと考えていたのなら、もっと考慮する余地はあるはず。
クラシックのオーケストラだって、そういう部分で努力している楽団は幾らだって存在するからね。
特に『交響曲第5番』は酷いよ。最初のエピソードなんだから、そこでまず間口を広げるべきなのに、本作品においてダントツで娯楽性が無い中身なんだよな。

(観賞日:2014年2月24日)


第23回スティンカーズ最悪映画賞(2000年)

ノミネート:【誰も要求していなかったリメイク・続編】部門
<タイトルに“2000”が付いた全作品(『ドラキュリア』『ファンタジア2000』『ゴジラ2000 ミレニアム』『ヘヴィメタルFAKK2』『ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』『ブルース・ブラザーズ2000』)の1作品としてノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会