『ファンタジア』:1940、アメリカ

クラシック音楽に合わせて、アニメーション映像が展開する。バッハの『トッカータとフーガ・ニ短調』では、抽象的なイメージが描かれる。チャイコフスキーの『組曲・くるみ割り人形』では、森の妖精やキノコが踊る。季節は秋から冬へと移り変わって行く。
デュカの『魔法使いの弟子』では、師匠の帽子をこっそり被ったミッキーマウスがホウキを操って水汲みの仕事をさせる。だが、眠っている内に水が溢れ出してしまう。ストラヴィンスキーの『春の祭典』では、数十億年前の宇宙から始まり、地球に生物が誕生する。やがて恐竜の時代が来るが絶滅し、大地震や大津浪が地球を襲う。
ここで休憩が入り、オーケストラのピックアップメンバーによるジャズ演奏、サウンドトラックの紹介が入る。後半に入り、ベートーヴェンの『交響曲第6番・田園』では神話の世界が描かれ、ポンキエリの『時の踊り』では様々な動物が踊る。そしてムソルグスキーの『禿山の一夜』で悪魔が登場し、シューベルトの『アヴェ・マリア』へと続いていく…。

製作監修はベン・シャープスティーン、“オーケストラ・シークエンス”物語演出はジョー・グラント&ディック・ヒューマー、ミュージカル監督はエドワード・H・プラム、ミュージカル・フィルム編集はスティーヴン・シラグ。

『トッカータとフーガ・ニ短調』
監督はサミュエル・アームストロング、脚本はリー・ブレア&エルマー・プラマー&フィル・ダイク、美術はロバート・コーマック。
『組曲・くるみ割り人形』
監督はサミュエル・アームストロング、脚本はシルヴィア・モバーリー=ホランド&ノーマン・ライト&アルバート・ヒース&ビアンカ・マージョリー&グレアム・ヘイド、美術はロバート・コーマック&アル・ジネン&カーティス・D・パーキンス&アーサー・バイラム&ブルース・ブッシュマン。
『魔法使いの弟子』
監督はジェームズ・アルガー、脚本はパース・ピアース&カール・フォールバーグ、美術はトム・コドリック&チャールズ・フィリピー&ザック・シュワルツ。
『春の祭典』
監督はビル・ロバーツ&ポール・サッターフィールド、脚本はウィリアム・マーティン&レオ・シール&ロバート・スターナー&ジョン・フレイザー・マクリーシュ、美術はマクラーレン・スチュワート&ディック・ケルシー&ジョン・ハブレー。
『交響曲第6番・田園』
監督はハミルトン・ラスク&ジム・ハンドレー&フォード・ビーブ、脚本はオットー・イングランダー&ウェッブ・スミス&アードマン・ペナー&ジョセフ・サボー&ビル・ピート&ジョージ・スターリングス、美術はヒュー・ヘネシー&ケネス・アンダーソン&J・ゴードン・レッグ&ハーバート・ライマン&イェール・グレイシー&ランス・ノーレー。
『時の踊り』
監督はT・ヒー&ノーマン・ファーガソン、美術はケンドール・オコナー&ハロルド・ドーティー&アーネスト・ノードリー。
『禿山の一夜』&『アヴェ・マリア』
監督はウィルフレッド・ジャクソン、脚本はキャンベル・グラント&アーサー・ハイネマン&フィル・ダイク、美術はケイ・ニールセン&テレル・スタップ&チャールズ・ペイザント&トー・パットナム。


ウォルト・ディズニーがNY批評家協会賞特別賞を受賞した作品。クラシックの名曲から連想される映像をアニメで表現している。ディームス・テイラーがナレーションを担当し、指揮者レオポルド・ストコフスキーとフィラデルフィア交響楽団は画面に登場する。

『トッカータとフーガ・ニ短調』では、赤や青や黄色や緑の光の中でオーケストラ団員がシルエットで浮かび上がったり、星や丸い形が流れていったりする。『組曲・くるみ割り人形』では、妖精が飛び回って光を放ち、幾つもの花が水面に落ちて回転する。

『魔法使いの弟子』になって、ようやく物語のあるアニメになる。ただし、やはり普通のアニメ映像ではなく、幻想的な雰囲気で描かれている。『春の祭典』は、地球誕生から恐竜滅亡へと、壮大なイメージで生命の進化が展開していく。サウンドトラックの紹介では、画面上に現れた線の震える形の変化で、様々な楽器の音を表現する。

『交響曲第6番・田園』では、ユニコーンやペガサスといった想像上の生物、アポロンやバッカスキューピッドといった神話の世界の住人が登場する。『時の踊り』ではダチョウにカバ、ゾウにワニが踊り、『禿山の一夜』では気高い山の上に悪魔が君臨する。

なるほど、クラシックの持つ高尚な音楽としてのイメージに、エレガントなアニメーション映像を合わせることによって、芸術的なクオリティーの高さを誇る作品となった。アニメーションが単なる娯楽ではなく、芸術的価値を持っていることを示した作品だ。
そこで私は思うのだ。
「だから何?」と。
クラシックのオーケストラ演奏にアニメ映像を乗せました。曲からイメージする抽象的な映像を描きました。それで、何が面白いのかと思うのだ。普通にクラシックの演奏だけを聞いていても、別にいいのではないかと。

ここで提示されるアニメーションは、つまり「音と同じ動きを映像で表現しました」ということだ。音と映像が同調している、それだけだ。ミュージカル映画にあるような、音楽とダンスの融合が生み出す楽しさ、心地良さを、この映画から感じることは出来ない。
この映画には、これといったストーリーが無い。エンターテインメント精神も感じさせない。明確なキャラクターが明確なイメージの中で踊るというシーン、つまりキノコの踊りや動物達の踊りなど、わずかな部分だけが、高尚な感覚の無い者にも楽しめる時間だ。

そう、この映画は、ブルジョワジーな意識が無い者は、退屈で退屈で、途中で眠くなってしまう可能性が高い。しかし、これは、ディズニーが芸術への意欲だけを押し出した実験的作品だ。だから、おそらくブルジョワではない観客はハナから無視されているはずだ。
だとするならば、普通の人間が退屈だと感じても、どうでもいいのかもしれない。

 

*ポンコツ映画愛護協会