『Fame フェーム』:2009、アメリカ

名門であるニューヨーク芸術学校への入学を目指す若者たちが、オーディションのために全国各地から集まって来た。女優志望のジェニーもオーディションを受けるため、電車に乗って学校へやって来た。教室の場所が分からなくて困っていた彼女は、マルコという青年に場所を教えてもらった。演劇クラスのオーディションを受けた彼女は、緊張で言葉に詰まってしまった。講師のダウドはリラックスしてから始めるよう促し、ジェニーは深呼吸した。
マルコはミュージカルクラスのオーディションを受け、その歌唱力に講師のシムズは笑顔を見せた。演劇クラスのオーディションを受けたストリート出身のマリクは、ダウドから「ここは舞台だ。怒れる役者はいない」と怒りの感情を出し過ぎることを注意された。他にも、ピアニストを目指す者、バレエダンサーを目指す者、役者を目指す者、数多くの若者たちがオーディションを受けた。もちろん全員が合格するわけではなく、募集定員200名に対して1万人以上の応募があった。
第1学年。入学式に出席した音楽クラスのヴィクターは、ダンスクラスのアリスに好意を抱いた。シムズ校長は生徒たちに、「人一倍の努力が必要です。午前中は芸術科目を受け、午後は一日分の教養科目を詰め込む。成績の平均値がCを下回ったら退学。ここで君たちは自分の芸に全力を傾ける。近道を探しているなら、すぐに退学することを勧めます」と語った。
ロージーはドラムの音に合わせて踊る授業で、上手く出来ずに疲れてしまう。バレエのレッスンを受けたケヴィンはパートナーと上手く踊れずに酷評され、アリスは講師のクラフトから称賛される。ジェニーは思いのままに体を動かして表現する練習で考え込んでしまい、ダウドから力を抜くよう助言される。しかし芝居には無関係だと思っているジェニーは恥ずかしさを感じ、ニールやジョイといった他の生徒たちのような動きが出来なかった。
音楽クラスのデニースとヴィクターは、クランストン講師の授業でピアノの練習に励む。食堂で生徒たちが音楽を演奏したり歌ったりして盛り上がる中、そんな騒ぎに馴染めないデニースは廊下に出た。彼女は同じように喧騒を嫌ってポツンと1人きりだったマリクに話し掛け、言葉を交わした。デニースが「親が知ったら大変。クラシック音楽の教室だと思ってる」と言うと、マリクは「ウチの母親は通ってることも知らない。俺を役者やラッパーにさせたくないんだ」と述べた。「ピアノが専門?」と彼が尋ねると、デニースは「正直に言うと、分からない。ピアノしかやったことが無いから」と答えた。
ジェニーは歌のレッスンで淡々と歌い、講師のローワンから「内容を理解していない。伝わって来ない」と指摘される。ジェニーは理解しているつもりだと主張するが、ローワンから「何を言っているか分からずに歌っても意味が無い」と言われ、歌詞を書き起こしてセリフを読むように歌う宿題を課される。ローワンはマルコを指名し、同じ曲を内容が伝わるよう歌ってほしいと求めた。マルコの歌唱を聴き、ローワンは満足そうな表情を浮かべた。
ジェニーは女優になる夢を実現するため、故郷を離れて母と2人で暮らしていた。父とも一緒に暮らしたかったが、ずっと叶えたかった夢のためには仕方が無かった。そんな彼女はマルコの「みんなが君ほど一途で熱心なわけじゃない。僕はハッピーなら、それでいい」という言葉を聞き、「そんなに軽い考えなの?」と驚く。彼女は「私は何だってする。みんなの前で前で完璧に歌って、ウケる台詞を言うためなら」と話すが、「分からないか」と諦めたように漏らした。
デニースは講師のクランストンから、「君は誰よりも練習している優秀なピアニストだ。春に発表するミュージカル『シカゴ』の伴奏者を捜してる。少し分野は違うが、視野を広げる良い機会だ」と告げられた。デニースはやりたいと考えるが、父は「お前はクラシック奏者だ。くだらない曲を弾く必要は無い」と反対する。新しいことに挑戦したいとデニースは訴えるが、父は「断らなければ学校は辞めさせる」と厳しい口調で告げた。母も味方をしてくれず、デニースは落胆した。
マリクは母に芸術学校へ通っていることを知られ、「成功すると思ってるの?」と頭ごなしに否定される。「みんなの憧れだよ。この辺りの子はみんな、ラッパーになると言ってる」と、母は呆れたように語った。マリクが「通わせてくれ。俺には才能がある。成功しないとは限らない」と訴えると、母は「お前が特別だって、誰が言ったの?」と問い掛ける。「母さんだ」とマリクが告げると、母は少し黙り込み、それから「話は後で。仕事に行くわ」と出掛けてしまった。
第2学年を迎えても、ケヴィンは相変わらずダンスの技術が上達していなかった。そんな彼の様子を、クラフトは冷静に観察している。ヴィクターはバッハの曲を自由な感覚で演奏し、クランストンから「楽譜通りに弾きなさい。技術を覚えなければ、誰の曲もまともに弾けない。自分の曲もだ」と注意される。「技術は才能を邪魔しない。むしろ解放する」と言われてもヴィクターは納得せず、「この音楽は退屈です。俺流じゃない」と主張した。
マリクは自身のことを劇的に語る授業で、妹が8歳で撃ち殺されたことを話した。ダウドは「君が何を感じたのか知りたい。君の自分の感情を知る必要がある。教えてくれ」と言うが、マリクは「さあな。事実だけで充分だ」と口にする。「その夜、君は泣いたのか。自分を責めたか」とダウドが問い掛けると、彼は「俺は有名になる。セラピーは要らない」と声を荒らげて教室を出て行った。劇場でピアノの練習をしていたデニースは、感じるままにポピュラー音楽の弾き語りをした。自分しかいないと思っていたデニースだが、実はマリクが客席で聴いていた。
デニースの歌声に惚れ込んだマリクは声を掛け、「ヴィクターと一緒にアルバムを作ってる」と言う。彼はデニースをヴィクターに紹介し、製作中の曲で歌手を務めるよう持ち掛けた。「父からクラシック以外は止められている」とデニースが断ると、「バレなきゃいいだろ」とヴィクターは告げた。ハロウィンの学内パーティーで、ヴィクターとマリクは完成した曲を流して反応を見た。生徒たちが楽しく踊り出したので、2人は手応えを感じた。デニースが「何してるの。親にも内緒にしてるのよ」と抗議すると、マリクは「君の親はいない。見ろ、みんな気に入ってる」と告げる。みんなの楽しそうな様子を見て、デニースも笑顔になった。
マルコはジェニーから何度断られても、食事に誘い続けていた。その熱意に負けたジェニーは、彼の父親の店で食事することをOKした。ジェニーが食事の後で「こんなに努力するのは初めて。先生はハッキリ言わないし。貴方は何でも簡単にこなす」と言うと、マルコは「経験が長いだけさ。幼い頃から、この店で歌ってた」と話した。彼はジェニーに求められ、店のピアノを弾きながら愛の歌を熱唱した。ジェニーは隣に座り、マルコとキスを交わした。
第3学年。ジョイはマルコに、オーディションで配役担当と会うことを話す。「15人による争奪戦で、たぶん負けるわ」と諦め気分の彼女を、「でもジョイは君だけだ」とマルコは元気付ける。ニールはマルコたちに、ユーチューブの動画がきっかけで映画プロデューサーと会うことを話す。彼が事務所を訪れると、プロデューサーのエディーは「君の脚本を読んだ。任せてくれ。あまり短編は撮らないが、君は特別だ」と告げた。
ニールは興奮するが、「それで、どうやって予算を集める?」と問われて困惑する。彼は精肉店を営む父に「チャンスなんだ。テレビ局に売れば利益は出るとエディーも言ってる」」と告げ、5千ドルの出資を頼む。ジェニーはマルコに誘われて訪れたホーム・パーティーの場で、学校出身でプロの俳優になったアンディーと遭遇する。彼は自身の出ているTVドラマで単発の出演者を捜していることを話し、「興味ある?推薦しておくよ」と告げた。
連絡のためにアンディーから電話番号を問われ、ジェニーは喜んで教えた。その様子を見ていたマルコは、「信じてるのか?君と寝たいだけだ」と苛立つ。ジェニーは「彼は人気俳優よ。女には困ってない」と否定した上で、「もう話さないわ」と告げた。ヴィクターたちはアルバムを音楽プロデューサーに視聴してもらい、「面白いことになるかもしれない。来週の会議で流す」と好感触を得た。デニースは「まだ決まったわけじゃないわ」と言うが、ヴィクターとマリクは大喜びした。
ジェニーはジョイから、『セサミ・ストリート』のオーディションに合格して準レギュラーになることを聞かされた。ローワンは生徒たちをカラオケ・クラブへ連れて行き、失敗することを期待している客の前で歌うよう指示した。全員が歌い終わった後、ケヴィンはローワンを紹介してステージに上がらせた。ローワンはマイクを握って熱唱し、拍手喝采を浴びた。「どうして観客の前で歌わなくなったの?」とマルコが質問すると、彼女は「大学時代は演劇専攻で、期待に満ち溢れてた。卒業してオーディションを受け始め、色んな経験をした。しばらくして、私じゃ成功できないと感じるようになった。でもブロードウェイのミュージカルを見に行くと、あそこで私も歌えたかもしれないと考える」と語った…。

監督はケヴィン・タンチャローエン、オリジナル脚本はクリストファー・ゴア、脚本はアリソン・バーネット、製作はリチャード・ライト&マーク・キャントン&トム・ローゼンバーグ&ゲイリー・ルチェッシ、製作総指揮はエリック・リード&デヴィッド・カーン&ベス・デパティー&ハーリー・タンネボーム、共同製作はブライアン・マクネリス、撮影はスコット・キーヴァン、美術はポール・イーズ、編はマイロン・カースタイン、衣装はデイナ・ピンク、振付はマーガリート・デリックス、音楽はマーク・アイシャム、音楽監修はエリック・クレイグ。
出演はデビー・アレン、チャールズ・S・ダットン、ケルシー・グラマー、ミーガン・ムラリー、ビビ・ニューワース、アッシャー・ブック、クリスティー・フローレス、ポール・アイアコノ、ポール・マッギル、ナトゥーリ・ノートン、ケイ・パナベイカー、カリントン・ペイン、コリンズ・ペニー、ウォルター・ペレス、アンナ・マリア・ペレス・デ・タグレ、エイプリル・グレイス、マイケル・ハイアット、コディー・ロンゴ、ジェームズ・リード、ライアン・サーラット、デイル・ゴッドボルド、ハワード・ガットマン、ジュリアス・テノン、ローラ・ジョンソン他。


アラン・パーカーが監督を務めた1980年の映画『フェーム』のリメイク。
脚本は『オータム・イン・ニューヨーク』『ブラックサイト』のアリソン・バーネット。
振付師出身で、2006年の『Twentyfourseven』や2007年の『Dancelife』といったリアリティーTVの演出を担当した手掛けたケヴィン・タンチャローエンが映画初監督を務めている。
シムズをデビー・アレン、ダウドをチャールズ・S・ダットン、クランストンをケルシー・グラマー、ローワンをミーガン・ムラリー、クラフトをビビ・ニューワース、マルコをアッシャー・ブック、ロージーをクリスティー・フローレス、ニールをポール・アイアコノ、ケヴィンをポール・マッギル、デニースをナトゥーリ・ノートン、ジェニーをケイ・パナベイカー、アリスをカリントン・ペイン、マリク をコリンズ・ペニー、ヴィクターをウォルター・ペレス、ジョイをアンナ・マリア・ペレス・デ・タグレが演じている。

オリジナル版で主演のアイリーン・キャラが歌った有名なテーマ曲は、アレンジされたインスト版の一部分が冒頭で十数秒ほどチョロッと使われるだけ。それ以降は、まるで使われないまま映画が終わってしまう。
オリジナル版を知っている人からすると、パブロフの犬みたいなモンであって、あれを流すことで高揚感を喚起する効果があるのに、それを利用しないのは勿体無い。
あえてオリジナルとの差別化を意識したのかもしれんけど、だとしても失敗だ。
ぶっちゃけ、そこに頼らないと、まるで魅力が足りないんだから。

根本的な問題として、「どう考えたって時間が足りないでしょ」と言いたくなる。
上映時間は107分。最後の卒業公演やエンドロールを除くと、100分を切る。
その尺で、主要キャスト10人の4年間に渡る学校生活を描くなんて、そりゃ誰が考えたって無茶でしょ。
これは監督や脚本が云々という問題じゃなくて、どんなに才能のある人間が頑張ったところで、全員のドラマを厚くしたり深く掘り下げたりするのは無理。絶対に浅くて薄いモノにならざるを得ない。

それを回避するのに最も分かりやすい方法は、主役を1人に絞り込むってことだ。
最初にフィーチャーされるのがジェニーなので、彼女が周囲の仲間や先生たちと触れ合う中で、成長したり挫折したりするドラマを描いて行くってのが、最も分かりやすい形だ。
ただし、それだと『フェーム』のリメイク版じゃないという印象になるんだよな。
っていうか、仮に1人に絞り込んだとして、それでも4年となると随分と省略しなきゃいけないだろう。それを考えると、10人の群像劇にするなんてのは、最初から無謀なのだ。

まず最初に、生徒の主要メンバー10人の顔と名前を一致させ、どういう分野で学ぼうとしているのかを把握するための作業が必要となる。しかし、そこから既につまづいてしまう。
タイトルロールで面々が登場した段階では、まだ名前が分かっていないし、顔を見ただけで「次に登場したら判別できる」という状態にも至っていない。ハッキリと判別できるのは、せいぜいジェニーぐらいだ。
ところが、そんなことはお構いなしで、オーディションを受ける様子が順番に描かれていくのである。
しかし、こちらからすると「名前も良く分からない奴らがオーディションを受けている」という映像でしかない。そいつらのパーソナルな部分なんて分からないから、気持ちなんて全く入らない。

せめて名前ぐらい分かっていれば少しは気持ちを入れるための助けになるのに、それも分からない。
そうなると、モブシーンに登場するエキストラの生徒たちと、そんなに変わらない奴らでしかないのだ。無名キャストばかりを揃えているので、「演じている役者の顔で区別してね」というスター映画的な手口は使えないし。
開始から12分ほど経過して第1学年になった段階で、ちゃんと顔と名前が区別できるのはジェニー、マルコ、マリクの3人しかいない。
ちょっと映画っぽさを失わせる手口、そして安易な手口ではあるが、いっそのこと登場した時点で名前、希望クラスをスーパーインポーズで表示しても良かったのではないかと。
ぶっちゃけ、それぐらいのことをやらないと、10人の主要キャストを早い段階で把握させ、区別させるってのは無理でしょ。

話が進むにつれて、少しずつ主要キャストの顔と名前と所属クラスが判明していく。でも、それが全て分かった頃には、かなりの時間が経過している。
そして、それが全て理解できるまでは、ドラマに集中できない。
そんなにドラマが膨らんでいないってのは、不幸中の幸いと言えるかもしれない。
ただし、それ以降もドラマは薄っぺらいまま最後まで進行するので、もちろん脚本として「キャストの把握が終了するまではドラマを厚くしない」という計算があったわけではない。

食堂のシーンでは、楽器を演奏したり、タップを踏んだり、歌ったり、ラップしたりする連中が出て来る。
その時点では主要キャストの顔と名前を把握できていないので、「こいつら主要キャストだったっけ」と思っていたら、その場面だけの連中だった。
ややこしいわ。
オリジナル版で有名なシーンを模倣しているのは分かるけど、形だけ真似しても高揚感はイマイチだし、「そんなことで時間を使っている余裕なんて無いだろ」と言いたくなる。

時間が足りないもんだから、映画開始から30分で第2学年に入ってしまう。
だから、例えばデニースが『シカゴ』の伴奏を断られた後日談、マリクが母から学校に通うのを反対された後日談は、バッサリと省略されてしまう。それ以降、親子関係に触れるシーンは、なかなか出て来ない。
たぶん尺が107分だから足りないってことじゃなくて、仮に120分でも、140分でも、やはり時間が足りないという問題は解消できなかっただろう。
結局のところ、リメイクするなら映画という形を選ばず、TVシリーズにすべきだったってことよ。

どうやらジェニーはマルコの言葉を借りると、「熱心で一途」という設定らしい。
それにしては表現の授業で真面目にやらないとか、歌の授業でも全く気持ちを入れないとか、そういうのは違和感があるわ。
ちっとも熱心な態度には見えないのよ。表現のレッスンに至っては、「芝居と無関係」ってことで本気でやらなかったことを認めているし。
ホントに熱心で一途なら、どんな稽古であろうと真面目に取り組むはずじゃないのか。

「妹が撃ち殺されて云々」と話した後でダウドに激しい怒りを示していたマリクが、次のエピソードでは軽いノリでデニースを誘うので、こっちは困惑させられる。正直、最初は「こいつ、誰だったかな」と思ったぐらいだ。
それぐらい、そいつがマリクであることに違和感があったのだ。
しかも軽いだけじゃなくて、ヴィクターとアルバムを作ってるとか言い出すし。
お前は演劇クラスじゃなかったのか。いつの間にラッパー&DJになってんだよ。
しかもハロウィンのパーティーではDJを担当し、陽気なノリで生徒たちを煽るし、なんかキャラが変貌しちゃってるじゃねえか。

ヴィクターに関しては、そりゃクラシックの授業で勝手に弾いたら叱られるのは当然だし、そもそも彼が目指している方向を考えると、その学校に入っていること自体がどうなのかと思ってしまう。
尺の都合もあるだろうけど、劇中でピアノ練習以外に彼が受ける音楽の授業って皆無なのよ。そうなると、ピアニストはクラシック以外の授業が受けられないと解釈できるわけで。
他の楽器を持っている奴らもいたから、たぶん色んな授業があるんだろうとは思うけど、それもクラシックが基本じゃないのかと。
映画を見ている限りは、「ダンス音楽を作っている奴が入学するべき学校じゃないだろ」と思ってしまう。

デニースが歌い始めたり、マリクがラッパーになったりするだけでなく、演劇クラスのはずのジョイも公園のシーンでラップを始めるし、どうなってんのかと言いたくなる。
そりゃあ、見せ場を作るのに演劇やバレエだと難しいってのは分かるけど、「それにしても」だろ。
だったら最初からラッパーとかR&B系の連中が入る学校を舞台にしておけよ(そんな学校が存在するのかどうかは知らんけど)。
なんで見せ場になるシーンが全て、ポピュラー音楽関連ばかりなのかと。

アリスは母から「プロのバレエ団に入れる?」と問われ、「知らない」と答える。「お前の無関心は軽度のうつ病だと医師が言ってた。うつ病なのか」と父から問われ、「いつも退屈なだけ」と淡々と答える。
自信満々で踊っている様子が描かれていたのに、なんで全く熱の無い態度になっているのかサッパリ分からない。いつの間に、何があったのか。
こいつもマリクと同様、急にキャラが変貌していると感じる。
しかも、じゃあバレエに対する情熱が冷めたのかと思いきや、第4学年になると世界屈指のモダンダンス・カンパニーで世界ツアーに行くことが決まって喜んでるし。
支離滅裂じゃねえか。

ジェニーはマルコに「こんなに努力するのは初めて。先生はハッキリ言わないし。貴方は何でも簡単にこなすから」と言う。
だが、デートをOKするシーンまで、しばらくジェニーの出番は無かった。だから、彼女が必死で努力している様子なんて全く描かれていないし、先生からハッキリ言われず悩んでいる様子も描かれていない。
さらに言うなら、マルコが何でも簡単にこなす様子も描かれていない。
彼の歌唱力は示されているが、それ以外の才能については全く触れられていないのだ。

その後、マルコはピアノを演奏しながら歌うが、そういう他の才能を見せる暇があったら、他の面々が本職の部分で努力したり、上達したり、壁にぶつかったり、講師から助言を受けたりする様子を描けよ。
こいつら、ちっとも上達する気配が見えないし、ちっとも壁にぶつからないし、ちっとも深刻に悩まない。
すんげえヌルい学校生活なのよ。
一途で熱心と評されたジェニーでさえ、何に悩んでいるのかサッパリ分からんぐらいだ。

後半に入ると、生徒たちにはチャンスが巡って来る。
だが、ヴィクターにしろニールにしろジェニーにしろ、それが成功のチャンスじゃないことは、彼らがチャンスだと思った段階でバレバレになっている。
ヴィクターたちに関して言うなら、「デニースの声だけが気に入られるんじゃないか」という推測まで出来るし、その通りになる。
ニールに関しても、きっと金を騙し取られる羽目になるんだろうと予想していたら、その通りになる。アンディーが体目当てだろうという予想も的中する。

ニールとジェニーに関しては、騙されて嫌な思いをしても「自業自得だろ」と言いたくなる。
ジェニーに関しては、レイプされなかっただけマシだと思えよと。
そこまでに何の努力も苦労もしていなかったのに、急にチャンスだけ巡って来てモノに出来るとか、そんな都合のいいことがあるもんかと。
ジェニーの焦りとか迷いも描かれていないから、「少しぐらいイチャついても、役がもらえるならいい」と考え、有名になりたくて誘いに乗るという愚かしい行為に全く同情できないのよ。

ケヴィンは上達していない様子が2学年の最初に描かれていたが、その後は全く触れられない。
だから第4学年になって「プロは無理」と宣告されて自殺を図ろうとしても、「残り時間が少なくなって、慌てて話を片付けに行った」としか感じない。
他の連中にしても、努力や奮闘、挫折や苦悩ってのが全く描かれていない。
結局、ジェニーにしろマルコにしろ、それぞれの得意分野で成長した、上達したという印象は皆無だ。だから最後の卒業公演も、まるで感動が無いのである。

(観賞日:2015年10月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会