『僕のワンダフル・ジャーニー』:2019、アメリカ&中国

犬のベイリーは何度も生まれ変わり、大好きなイーサン・モンゴメリーの元へ戻った。イーサンはハンナと結婚し、ミシガン州の農場で平穏に暮らしていた。イーサンもベイリーも年を取ったが、フリスビーの遊びは続けていた。農場には新たに、グロリアとCJという住人も加わっていた。グロリアはハンナの息子であるヘンリーの結婚相手で、CJは彼女の幼い娘だ。ヘンリーはグロリアが妊娠8ヶ月の時に事故死し、イーサンとハンナは2人を農場へ呼び寄せたのだ。しかしグロリアは田舎暮らしに全く馴染もうとせず、ベイリーのことも酷く嫌っていた。
グロリアが電話で友人と話している隙に、CJは馬の柵内に侵入した。ベイリーは彼女を守るために馬を威嚇し、気付いたイーサンが駆け付けた。イーサンは慌ててCJを助け、グロリアを注意する。しかしグロリアは全く悪びれず、嫌味っぽい態度を取った。ハンナも彼女に反抗的な態度を取られるが、不快感を抱くイーサンには「彼女はCJを抱えて生きて行く方法を必死で模索してる」と温かく見守るよう説いた。イーサンはベイリーの腹部にしこりを見つけ、獣医に診察してもらった。農場に戻った彼は、ベイリーに「ゆっくりしてろ。仕事は俺がやる」と話し掛けた。
グロリアはシカゴに戻ってラウンジ歌手の仕事を続けたいと考え、就職先を探していた。ハンナは「もし歌手の仕事を続けたいなら、CJは私たちが預かるわ」と優しく告げるが、グロリアは「悪い母親だから?私からCJを奪う気?」と腹を立てる。グロリアは「農場を立て直すのにヘンリーの保険金が欲しいのね」と言い放ち、CJを連れて農場を出て行った。高齢のベイリーは動けなくなり、イーサンは彼に「また生まれ変わったらCJの所へ行ってやってくれ。あの子を守って幸せにしてやってくれ」と語り掛ける。彼は医者に注射を打ってもらい、ベイリーを安楽死させた。
ベイリーが目を覚ますと、ヒルダという女性の家でメスのビーグル犬に生まれ変わっていた。ベイリーは6匹の兄弟と共に産まれ、モリーと名付けられた。やがて他の兄弟たちは貰われていき、モリーと弟のロッキーが残された。トレントという中国系の少年がロッキーを引き取りに来た時、モリーはCJが同席しているのを見つけた。彼女はトレントの幼馴染で、一緒に来ていたのだ。モリーは自分の目的を思い出し、CJに自分の存在をアピールした。
CJは「ママは犬が大好きだから」とヒルダに嘘をつき、モリーを引き取った。帰宅したCJは、グロリアに内緒で自分の部屋にモリーを運び込んだ。グロリアは酒浸りで多くの男性と頻繁にデートへ出掛けており、CJは1人で夜を過ごすことが日常茶飯事だった。CJはグロリアを装ってヒルダに電話を掛け、トレントの協力も得て上手く騙した。彼女は朝帰りで眠り込んでいるグロリアに気付かれないようモリーを連れ出し、公園でトレントと合流した。CJとトレントは、モリーとロッキーのしつけを開始した。
CJはモリーが激しく暴れたり吠えたりするので隠し切れないと感じ、グロリアに打ち明けようとする。しかしワインを飲みながら外出の準備をする母の様子を見た彼女は、何も言わなかった。雷鳴が轟く夜、怯えたCJはモリーと一緒に就寝した。翌朝、恋人のポールと帰宅したグロリアは、モリーを発見する。彼女が「犬を飼うのは絶対に許さない」と言うと、CJは「11歳の子供を家に置き去りにするのはおかしい。ほとんど毎晩だよ」と訴える。CJが必死で思いを伝えると、グロリアは仕方なく飼うことを許した。
モリーは幼い頃から母に歌手になるよう勧められていたこともあり、高校生の頃にはギターを弾いて歌うようになった。彼女は一刻も早くニューヨークに出てプロのミュージシャンを目指したいと考えており、そのためには高校中退も念頭に置いていた。トレントから資金について問われた彼女は、「パパの保険金があるから。18歳になったら貰えるの」と話す。CJはグロリアから、「祖父母が保険金を盗もうとした」と嘘を吹き込まれていた。
ある夜、CJはシェーンという男と出会い、声を掛けられた。モリーはシェーンに嫌な匂いを感じるが、CJは彼と付き合い始めた。2人が一緒にいる時、トレントがロッキーの散歩で通り掛かった。彼はCJにタレントショーのチラシを見せ、お客さんの前で歌うチャンスだと出場を勧める。しかしCJは消極的な態度を示し、トレントの言葉に賛同しなかった。シェーンはトレントを馬鹿にするような態度を取り、CJも「こういうの、ダサいかも」と出演を断った。
夜、CJはシェーンから友達の所に寄らないかと誘われ、ホームパーティーに参加した。すると大勢の若者が集まり、ドラッグが取り引きされていた。そこへ警官隊が乗り込み、CJも他の若者と共にパトカーで連行された。CJは警察から、100時間の社会奉仕を課せられた。彼女が与えられたのは、癌を嗅ぎ分ける犬の訓練を手伝う仕事だった。CJはモリーを伴って訓練施設を訪れ、掃除を担当された。訓練の様子を眺めたモリーは、「癌を患う人間の匂いを嗅いだら前脚を交差させて座る」という合図を覚えて真似をした。それを見た職員のアンディーは感心し、モリーも訓練に加えた。
ある日、イーサンとハンナがグロリアの家を訪問した。2人は事前に手紙を送ったが、グロリアは無視していた。イーサンとハンナは納屋を掃除して見つけたヘンリーの遺品を持参しており、CJとも会いたがる。グロリアは娘に会わせることを拒否し、玄関先で2人を追い払った。イーサンはモリーの動きを見て、ベイリーの生まれ変わりだと確信した。彼は玄関前に遺品を入れた箱を置き、モリーに「CJのことを頼むぞ」と告げて立ち去った。
CJが施設で仕事をしていると、シェーンが訪ねて来た。ずっと電話を無視していたCJは、ヨリを戻そうとする彼を拒絶した。CJが帰宅すると、リチャードに捨てられたグロリアが苛立っていた。シェーンに暴力を振るわれたことをCJが話すと、泥酔しているグロリアは軽く笑って「変に気を持たせるようなことしたんじゃないの?」と言う。CJは彼女に幻滅し、家を出て行くと宣言する。父の保険金を渡すよう彼女が要求すると、グロリアは「もう無いわよ。どうやって家や車を手に入れたと思うの?」と悪びれずに言い放った。彼女は自分が贅沢をする目的で、夫が残した保険金を使い込んでいた。
CJはモリーを車に乗せ、家を出た。するとシェーンが追い掛けて来たので、彼女は慌ててスピードを上げる。CJは横転事故を起こし、シェーンは慌てて逃げ出す。CJは無事だったが、モリーは命を落とした。モリーは黒人男性のジョーが飼う犬に生まれ変わり、ビッグ・ドッグと名付けられた。ある日、ジョーが経営する田舎で雑貨店にCJがやって来た。彼女はシンガーソングライターとしての夢を叶えるため、ニューヨークへ向かう途中だった。ビッグ・ドッグは彼女の車を追い掛けるが、すぐに疲れて立ち止まった。
ジョーの店で一生を終えたビッグ・ドッグは、ヨークシャーテリアのマックスに生まれ変わった。ニューヨークの公園で譲渡会に出されたマックスはCJと再会するため、乱暴な振る舞いで客を寄せ付けなかった。CJの存在に気付いたマックスはケージを飛び出し、アパートまで追い掛けた。マックスを抱き上げたCJは公園へ連れて行くが、安楽死になることを知って引き取ることを決めた。彼女はアパートへ戻り、同棲中のバリーが飼っている犬のデュークにマックスを紹介した。出張から戻ったバリーは、マックスを受け入れた。
CJは自宅でギターを弾きながら、歌の練習を積んでいた。しかし人前では緊張で歌えなくなるため、プロになる夢は叶えられずにいた。彼女は犬を預かって散歩をさせるバイトで、生活費を稼いでいた。ある日、マックスが懐かしい匂いに気付いて走り出したため、CJは慌てて後を追った。すると引っ越して来たばかりのトレントがいて、CJは驚いた。トレントはロンドンからニューヨークに来たばかりで、愛犬のロッキーを亡くしていた。彼は来週末に恋人が来ることを話し、CJにダブルデートを提案した。
マックスはCJがトレントと一緒にいたいはずだと考え、バリーを追い出す作戦を開始した。彼の足元に放尿し、靴をボロボロになるまで噛み、床に排便した。バリーは苛立ち、CJに「歌手になるのは無理なんじゃないのか」と八つ当たりする。CJは腹を立て、マックスをアパートを出て行くことにした。彼女は友人に頼るなどして、宿泊先を転々とする。トレントが恋人のリースルと一緒にいる姿を見掛けた彼女は、慌てて身を隠した。しかしマックスが飛び出したため、仕方なく連れ戻しに行った。
CJはトレントの優しい言葉に泣き出し、事情を打ち明けた。するとトレントはCJに部屋を提供するが、リースルは嫉妬心から彼女に嫌味な態度を示した。疲れた様子を見せるトレントに抱き付いたマックスは匂いを嗅ぎ、前脚を交差させて座った。それを見たCJは困惑し、トレントに病院で診察してもらうよう勧めた。トレントはCJとリースルに癌と診断されたことを明かし、早期発見だが化学療法を受けることを説明した。リースルは「貴方の看護師にはなれない」と言い、トレントの元を去った…。

監督はゲイル・マンキューソ、原作はW・ブルース・キャメロン、脚本はW・ブルース・キャメロン&キャサリン・ミション&マヤ・フォーブス&ウォレス・ウォロダースキー、製作はギャビン・ポローン、製作総指揮はセス・ウィリアム・マイヤー&ラッセ・ハルストレム&ファン・ルーユアン&チャン・ウェイ、共同製作はホリー・バリオ&イアン・ディマーマン、撮影はローヒエ・ストファーズ、美術はエリック・フレイザー、編集はロバート・コマツ、衣装はパトリシア・J・ヘンダーソン、音楽はマーク・アイシャム。
出演はマーグ・ヘルゲンバーガー、デニス・クエイド、ベティー・ギルピン、ヘンリー・ラウ、キャスリン・プレスコット、アビー・ライダー・フォートソン、ジェイク・マンリー、イアン・チェン、ダニエラ・バルボサ、エマ・ヴォルク、ジョニー・ガレッキ、コンラッド・コーツ、アーリーン・ダンカン、ケヴィン・クレイドン、ヴィクトリア・サンチェス、チェリッサ・リチャーズ、チャン・ションエン、ケネス・リウ、スコット・ギブソン、ナタリア・ロングレー、アンジェラ・ナース、リーナ・シャー、ロン・ヴァーワイメレン、サラ=ジェーン・マルケス・ヒックス他。
声の出演はジョシュ・ギャッド。


W・ブルース・キャメロンのベストセラー小説『野良犬トビーの愛すべき転生』を基にした2017年の映画『僕のワンダフル・ライフ』の続編。
前作に続いて、原作者のW・ブルース・キャメロンが脚本に参加している。前作の監督だったラッセ・ハルストレムは、製作総指揮に回っている。
『クーガータウン』や『ロザンヌ』など数々のTVドラマを手掛けて来たゲイル・マンキューソが劇場映画初監督を務めている。
イーサン役のデニス・クエイド、ベイリーの声のジョシュ・ギャッドは、前作からの続投。
前作でハンナを演じたペギー・リプトンが癌を患ったため(公開された2019年の5月に死去)、マーグ・ヘルゲンバーガーが代役を務めている。

続編が製作されることになった経緯には、中国という巨大市場が大きく関係している。
なぜか前作の『僕のワンダフル・ライフ』は、中国で大ヒットを記録したのだ。それを受けて中国企業のAlibaba Picturesが出資することになり、それによって続編の製作が決定したのだ。(言わずもがなだろうが、トレントが中国系なのは中国市場を意識したキャスティングだ)。
でも、「あの終わり方で、まだ続けるのか」と言いたくなる。
個人的には前作を全く評価しちゃいないが、それなりに綺麗に物語を終わらせていたとは言ってもいいだろう。なので、そこから話を続けるのは、ただの蛇足にしか思えないのだ。

「イーサンが大好きなベイリーは、転生を繰り返して彼の元へ無事に戻りました」ってのが前作の話だ。後日談を描く必要性など、微塵も感じない。
さて、どうやって「その後の物語」を作るのかと思っていたら、「ベイリーはイーサンの孫娘を守る新たな目的を課せられる」という設定を持ち込んでいる。
でも、「まだ生まれ変わりを繰り返すのかよ」と言いたくなるわ。
「バカバカしい御都合主義」ってことはひとまず置いておくとして、前作の設定からすると、ベイリーはイーサンと会うために転生を繰り返していたはずで。なのでイーサンと再会し、寿命を全うしたら、それで終了じゃないのかと。

もちろん、前作で5度も生まれ変わったベイリーが6度目以降も繰り返すのは、イーサンから「CJのことを託されたから」という理由はあるのよ。
ただ、それに関しては、「イーサンはベイリーに頼むんじゃなくて、自分でCJを守ってやろうとしろよ」と言いたくなるわ。
安楽死させる老犬に対する別れの言葉として、「また生まれ変わって孫を守ってやってくれ」ってのは、ホントに飼い犬を愛しているのかと言いたくなる。
しかも転生の一発目でCJと再会しているのに、それじゃ終わらないんだぜ。

前作のベイリーは、何度も転生を繰り返して、5度目でイーサンと再会できていた。なので、「紆余曲折を繰り返し、ようやく念願の再会が叶う」というドラマになっていた。
しかし今回のベイリーは、最初の転生でCJに会えてしまう。
再会できても、まだ「彼女を守って幸せにする」という任務を果たせているわけではない。ただ、もう会えた時点で、半分ぐらいは目的を達成できているようにも感じるぞ。
そもそもCJが幸せになれるかどうかは、本人次第なんだからさ。

モリーが厄介な暴れん坊なので、ちっとも「可愛げのある犬」として見ていられない。
CJを守って幸せにするのが目的だと分かっているはずなのに、ただ無節操に暴れて迷惑を掛けているだけなのだ。
モリーは部屋を荒らし回り、ベッドで放尿を繰り返すのだ。
「しつけが何も出来ていない子犬だから」ってのは、何の言い訳にもならないぞ。
だってモリーは普通の子犬じゃなくて、「過去の記憶を持ったまま転生している犬」のはずなんだからさ。

CJがクズ男のシェーンに惚れるのは、まるで同情できない。
シェーンが嫌な奴なのは、トレントへの態度を見るだけでも簡単に分かる。ところがCJは何の疑問も抱かず、交際を続ける。それどころか彼に同調するように、タレントショーを馬鹿にして出演を断る。
でも歌手になるのが夢のはずなのに、なぜ客の前で歌うのを嫌がるのか。「田舎の小さなイベントだからダサい」ってことなのか。
シェーンの誘いでパーティーに行って逮捕されるのも、「アンタがバカだからだよ」と言いたくなる。

マックスは「CJはトレントと一緒にいたいはず」と勝手に決め付け、バリーを追い出すための嫌がらせを繰り返す。
だけどバリーって、決して嫌な男じゃないのよね。急にCJがマックスを連れて来ても、すぐに受け入れている。真面目に仕事もしているし、高慢な態度を取るようなことも無い。
CJに「歌手になるのは無理なんじゃないのか」とは言ってしまうが、それはマックスの嫌がらせが続いて苛立ちがあったせいだ。なので、ここをマックスが別れさせるのを「正解」として描いているのは、すんなりと受け入れ難い。
あと、そんな言葉だけでCJが簡単に出て行くのは、「堪え性の無い奴だなあ」と思っちゃうぞ。
まあ「そんなに好きじゃなかったから、些細なことで別れを決めた」という風に受け取るべきなのかもしれないけどさ。

導入部で感じるのは、「グロリアが正真正銘のクソ親」ってことだ。
こいつは自分のことばかり考えており、CJの幸せなど全く考えちゃいない。彼女は「私のいる場所がCJのいる場所」と言うが、その時点で間違えているしね。
そりゃあハンナが言うように、妊娠8ヶ月で夫を亡くしているし、大変なことも色々と多いとは思うよ。イーサンとハンナは実の親じゃないから、「いきなり赤の他人である老夫婦との慣れない田舎暮らしを余儀なくされる」という状況で、ストレスも色々とあるだろう。
ただ、イーサンとハンナは親切に接してくれているのに、グロリアの方から歩み寄る気は皆無なのだ。田舎や農場での暮らしに馴染もうとする気はゼロで、「シカゴに戻りたい、歌手の仕事に戻りたい」ってことばかり考えているのだ。

グロリアは何から何まで自分本位であり、CJのことは完全に後回しだ。農場を出てからも一向に改善は見られず、むしろ悪化している。
酒浸りで男と夜遊びを繰り返しており、ほぼ育児放棄と言ってもいい状態だ。
自分がリチャードに捨てられて悪酔いすると、シェーンに暴力を振るわれたCJの心を傷付けるようなことを平気で言う。
それを「酒のせい」と擁護することは出来ない。そもそも酒浸りの生活を送っていること自体が、非難される行動だからね。

グロリアが夫の保険金を勝手に使い込んでいるのも、情状酌量の余地は皆無だ。
「生活に困窮していたから止むを得ず」ってわけではなく、贅沢な暮らしをするために使っただけだからね。
同情できる要素が全く見当たらないので、そのままグロリアは悪玉として扱われるのかと思った。
ところが厄介なことに、こいつは終盤になって「擁護されるべき存在」として描かれるのだ。「酒を断って反省し、涙で許しを請う」という態度を示し、CJとの関係は修復されるのだ。

まあ曲がりなりにもCJの母親だし、ハンナの息子が選んだ結婚相手だし、悪玉のままで終わらせないのも分からんではないのよ。
ただ、グロリアを擁護したいのなら、最初から「同情の余地がある哀れな女性」として見せておくべきでしょ。
そんなの皆無で酷い母親として話を進めていたのに、後から急に名誉挽回を狙っても無理があるのよ。
「あの時に実はハンナのことを思って行動していた」という真相が隠されているわけでもないし。

終盤、CJは農場を訪れ、イーサン&ハンナと会う。イーサンはマックスを「ベイリー」と呼び、何度も生まれ変わっているのだと話す。もちろんCJは全く信じないが、イーサンは「証明してやる」と言い、マックスにフリスビーの遊びをさせる。それを見たCJは、今まで自分が飼ってきた犬が全てベイリーの生まれ変わりだと気付く。
でも、この手順が邪魔に思えちゃうんだよなあ。
極端なこと言っちゃうと、別にCJが生まれ変わりの話を知るかどうかなんて、どうでもいいのよ。イーサンさえ分かっていれば、それでいいのよ。
その手順を感動のシーンとして演出しているけど、むしろ話の流れやテンポを悪くしているように感じるわ。

(観賞日:2021年7月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会