『バイバイマン』:2017、アメリカ&中国

1969年10月20日、ウィスコンシン州マディソン。ラリーは車でジェーンの家へ赴き、「あの名前を誰かに言った?」と質問する。ジェーンが軽い調子で「リックは怪しんでたわ」と答えると、ラリーは他の誰かに話したか尋ねる。他は誰にも言っていないと聞いた彼は「申し訳ない」と告げ、車に積んでおいたショットガンを持ち出した。ジェーンが慌てて家に逃げ込むと、ラリーはドアに発砲して蹴破った。彼は倒れ込むリックにを恫喝し、向かいに住むジゼルにも話したことを聞き出す。リックを殺したラリーは「お前を止める」と呟き、ジェーンの遺体の横を通り過ぎる。彼はジゼルと娘のアンナを見つけると逃げる2人を追い掛け、家に乗り込んで発砲した。
現在。大学の寮に住んでいたエリオット、ジョン、サーシャの3人は、古い一軒家を借りて同居することにした。エリオットとサーシャは恋人同士だが、友人のジョンも一緒でなければ家賃が支払えないのだ。3人が地下室へ行くと、大家が言っていた家具一式が置いてあった。夜、2階の寝室にいたサーシャはコインの落ちる音を聞き、小部屋の扉を開けて中を確認した。入り口の扉が閉まったのでエリオットの悪戯だと思ったサーシャだが、そうではなく勝手に動いていた。
3人は引っ越しパーティーを開き、友人たちが遊びに来た。エリオットの兄であるヴァージルは、妻のトリーナと娘のアリスを伴って訪問した。2階の寝室に入ったアリスは、小部屋の扉を開けて中を除く。反対側の小部屋の扉が開いて真っ黒の何かが姿を見せたが、アリスは全く気付かなかった。コインの落ちる音が聞こえたので、アリスは視線を向ける。古いコインが床に落ちているのを見つけた彼女は、それをナイトテーブルに置いて部屋を出た。
エリオットが寝室に行くと、アリスがナイトテーブルに置いたはずのコインは床に落ちていた。エリオットは引き出しに入れるが、去ろうとするとコインは床に落ちた。引き出しを外したエリオットは、底面を埋め尽くすように「考えるな、言うな」という文字が何度も書いてあるのを見つけた。底の紙を剥がすと、「ザ・バイバイマン」という文字が彫られていた。サーシャは不可解な現象が気になり、霊能力のある友人のキムを呼んでいた。他の友人たちが庭で草野球を始める中、キムはセージを焚いて浄霊した。
ジョンの提案を受けて、キムは交霊術を承諾した。まるで信じていないエリオットは馬鹿にした態度を取るが、サーシャも含めた4人で交霊術を開始した。エリオットは両親が事故死していることをキムに指摘されても、サーシャかジョンが教えたのだろうと決め付けた。彼はキッチンへ行って鍋に鍵を隠し、キムに「どこに何を隠した?」と質問する。エリオットにペテン師呼ばわりされたキムはムッとして、鍋に鍵を隠したことを言い当てた。それでもエリオットは、彼女の能力を全面的に否定した。
キムは「何かが来る」と言い出し、「考えるな、言うな」と何度も繰り返して辛そうに頭を押さえる。エリオットが「バイバイマン」と口にすると、ロウソクの炎が消えて部屋が真っ暗になった。ジョンが慌てて照明を付けると、キムが床に倒れていた。エリオットは2階の寝室でサーシャと共に寝ようとするが、何かの気配を感じて照明を付けた。部屋には誰もおらず、サーシャは咳き込んだ。「愛してるわ、ジョン」と彼女が呟いたので、エリオットは動揺した。
エリオットが物音を聞いて階段を下りると、ジョンの部屋ではキムとセックスしている声が聞こえた。エリオットが窓に近付くと、庭から何かを引っ掻くような音が聞こえた。翌朝、ジョンは車でキムを家まで送り、「ルームメイトは留守よ」と誘われる。しかしキムの頭髪に数匹のウジ虫がいるのを見たジョンはギョッとして、「俺は帰る」と告げた。エリオットは外壁に鋭い爪痕を見つけ、帰宅したジョンに教える。しかしジョンは大して気にせず、「昨日の誰かがやったんだろ」と軽く告げた。
ジョンはキッチンにいるサーシャに歩み寄り、「君は清潔で綺麗だ」と告げる。彼はシャワーを浴びに行き、エリオットに「キムはヤバい女だ。豚だよ」と言う。サーシャが咳き込んだので、エリオットはお茶を入れる。サーシャは裸のジョンが「来いよ。あいつは忘れろ」と誘うので困惑するが、少し目を離すと彼は姿を消した。エリオットはジョンとサーシャの関係を疑い、ヴァージルに電話を掛けた。物音がしたのでエリオットは外に出るが、誰もいなかった。彼が地下室に行くと壁に爪痕があり、床にコインが落ちていた。
エリオットは大きな物音を聞き、人影を目撃した。彼は慌てて地下室を出ようとするが、扉が閉まって閉じ込められた。エリオットは焦るが、すぐにジョンとサーシャが来て扉を開けた。エリオットに疑われた2人は、ずっと部屋にいたことを話す。全く信じないエリオットに、サーシャは「幻聴を聞いて幻覚を見たのよ。私は1階で勉強していたのに、記憶が無い」と告げてノートを見せた。するとノートには不気味な絵が描かれており、ビッシリと「言うな、考えるな」という文字が殴り書きされていた。
サーシャはエリオットに、「あの名前を知ったから、近付いて来てるみたい。忘れようとするほど考えてしまう」と怖がる。エリオットが「バイバイマンは現実じゃない、妄想だ」と告げると、彼女は「概念は本物よ。それとも、3人とも同時に正気を失ってるとでも?」と問い掛ける。エリオットは寝室へ戻って就寝し、地下鉄のトンネルに3人が全裸で立っている夢を見た。目を覚ました彼は、小部屋の扉が開いて不気味な黒い影が目を光らせているのに気付いた。その直後、部屋の隅にマントを羽織った男が現れ、エリオットに迫った。慌ててエリオットが照明を付けると、部屋には誰もいなかった。
翌日、エリオットは後でサーシャと会う約束を交わし、大学図書館へ赴く。バイバイマンについてパソコンで検索すると該当は0件だったが、「考えるな、言うな」と打ち込むと没になったラリー・エドモンの記事の資料が1件だけ見つかった。エリオットは司書のワトキンスに頼んで、保管書庫の資料を見せてもらった。一方、サーシャは大家であるデイジーのいる温室へ行き、「地下のナイトテーブルに文字が書いてあった。誰の物だったの?」と質問する。そこは温室なのに、サーシャは寒さを感じていた。
ジョンは大学の講義に出席し、スマホの写真を見る。知らないセピア色の写真を見つけた彼が困惑していると、その画像が動き始めた。彼は正気を失いそうになるが、教授のクーパーに注意されて我に返った。エリオットが資料を確認すると、「言うな、考えるな」と何度も殴り書きしてある紙が入っていた。ラリーが取材していたのは、1969年10月18日にアイオワ州で10代の少年が家族と4人の若者と殺害し、動機を問われて「バイバイマンがそうさせた」と答えた事件だった。
ワトキンスはエリオットに、「ラリーは記事を没にした後、8人の友人と家族を殺害して自殺した」と教える。事件に関する記述は、誰かによって削除されていた。改めて資料を調べたエリオットは、バイバイマンが近付いて来る幻覚を見た。彼は記事の「バイバイマン」という文字を次々に塗り潰し、ワトキンスに注意されて我に返った。サーシャと約束した時間を過ぎていると気付いたエリオットは、慌てて図書館を後にした。
エリオットはジョンとサーシャが抱き合っている様子を目撃し、物陰に隠れて観察した。ジョンとサーシャが車で去った後、エリオットの近くにあったショーウィンドウにバイバイマンが写ってガラスが割れた。エリオットはキムの家へ行き、霊視を要請した。キムは血まみれの手を洗い、エリオットの車に乗り込んだ。彼女はルームメイトのケイティーにバイバイマンの名を言ったことを打ち明け、「細胞が全滅する前に止めなくちゃ。切除しないと、どこまでも広がる」と述べた。
既にケイティーを殺害しているキムは、エリオットがワトキンスにバイバイマンの名を教えたと聞いて「会いに行かなくちゃ」と告げる。彼女は線路で車の事故を起こした母と娘2人の幻覚を見て、急いで助けに戻った。エリオットはキムが車に持ち込んだ血染めのハンマーに気付き、それを持ってキムの元へ向かう。しかしキムは走って来た列車にはねられ、命を落とした。警察の現場検証が始まる中、ジョンとサーシャがエリオットの元へやって来た。エリオットが「奴の名まえを誰にも言うな」と告げると、ジョンは「指図するな」と反発した。エリオットとジョンが言い争っていると、ショー刑事が来て制止した。
ショーはエリオットに、血まみれのハンマーを持ってキムを追い掛けていたという目撃証言を話す。サーシャはショーが目と口から血を流している幻覚に見舞われ、吐き気を催した。エリオットはケイティーの殺人容疑を掛けられ、警察署に連行された。しかしキムの遺書が発見され、彼女がケイティーを始末した後でエリオットたちも殺そうと計画していたことが明らかとなった。ショーから詳しい事情説明を求められたエリオットは、「巻き込みたくない。何も言えないんだ」と告げる。身柄の引き取りにヴァージルが来るが、エリオットは兄にもバイバイマンのことを話そうとしなかった。
帰宅したエリオットは、ジョンとサーシャが浮気している現場を目撃してしまう。カッとなった彼は、ジョンをバットで殴り倒した。そこで正気に返ったエリオットは、ジョンが具合の悪いサーシャを解放していただけだと気付いた。ワトキンスからの電話を受けたエリオットは、「あれからバイバイマンのことばかり考えてしまう」と告げられる。エリオットはジョンが握っていたメモを見て、レドモンの未亡人の住所が書かれていることを知る。彼はワトキンスに「何とか解決法がありそうだ。後で話そう」と言い、電話を切った。ワトキンスは既に家族を惨殺しており、「今から行くわ」と口にした…。

監督はステイシー・タイトル、原作はロバート・デイモン・シュネック、脚本はジョナサン・ペナー、製作はトレヴァー・メイシー&ジェフリー・ソロス&サイモン・ホースマン、製作総指揮はセス・ウィリアム・マイヤー&パトリック・マーリー&マーク・D・エヴァンズ&ドナルド・タン&ロバート・シモンズ&アダム・フォーゲルソン&オーレン・アヴィヴ、共同製作総指揮はジョナサン・ペナー、共同製作はメリンダ・ニシオカ、製作協力はシェリー・ハウリッシュ、撮影はジェームズ・クニースト、美術はジェニファー・スペンス、編集はケン・ブラックウェル、衣装はリア・バトラー、特殊メイク効果プロデュースはロバート・カーツマン、音楽はザ・ニュートン・ブラザーズ、音楽監修はジェームズ・カード。
出演はダグラス・スミス、ルシアン・ラヴィスカウント、フェイ・ダナウェイ、キャリー=アン・モス、クレシダ・ボナス、マイケル・トルッコ、ダグ・ジョーンズ、ジェナ・カネル、エリカ・トレンブレイ、クレオ・キング、マリサ・エチェヴェリア、リー・ワネル、キーリン・ウッデル、ララ・ノックス、ジョナサン・ペナー、ニコラス・サドラー、マーサ・ハケット、アヴァ・ペナー、アンドリュー・ゴーレル、ウィル・ムーア、ダニエル、カート・ユエ、ジェシカ・グライエ他。


ロバート・デイモン・シュネックの著書『The President's Vampire』の一篇"The Bridge to Body Island"を基にした作品。
監督は『最後の晩餐/平和主義者の連続殺人』『ギャング・オブ・ホラー』のステイシー・タイトル。
脚本はステイシー・タイトルの夫で俳優のジョナサン・ペナー。
エリオットをダグラス・スミス、ジョンをルシアン・ラヴィスカウント、レドモンをフェイ・ダナウェイ、ショウをキャリー=アン・モス、サーシャをクレシダ・ボナス、ヴァージルをマイケル・トルッコ、バイバイマンをダグ・ジョーンズ、キムをジェナ・カネル、アリスをエリカ・トレンブレイ、ワトキンス夫人をクレオ・キングが演じている。

冒頭、ラリーがショットガンを発砲してドアを蹴破ると、なぜか真っ暗な地下トンネルに列車が走る様子が挿入される。
どうやらラリーの見ている幻想ってことらしいが、「何だか良く分からないイメージ映像」と化している。
ラリーの「リックはどこだ」という声だけが響き、幻想から現実に戻るとショットガンを持ったラリーのすぐ近くにリックが倒れている。
「どこだ」と言ったけど、目の前にいるじゃん。バカなのかと。
ただ、リックは出血もしていないから、たぶん撃たれていないんだよね。なので、なぜ倒れているのか、その状況が良く分からないぞ。

ラリーがリックに発砲すると、またトンネルの中にある線路の映像が挿入される。そして再び現実に戻ると、ラリーが倒れているジェーンの横を通り過ぎて外へ出る。
つまりラリーがジェーンを殺すシーンは、省略されているわけだ。
それだけでなく、実はリックを射殺する際も、発砲音が聞こえるだけで「リックが撃たれる」という映像は無い。ジゼルと家族が殺されるのも、発砲音が聞こえるだけだ。
そこまで徹底しているからには、直接的な殺人描写を意図的に避けているんだろう。
ただ、それが効果的かと問われたら、答えはノーだ。雰囲気で不安を煽る作戦は失敗しており、「素直にキチガイ残酷殺人ショーを見せればいいのに」と思ってしまう。

現在に移ると、サーシャが引っ越した一軒家で怪奇現象を体験する様子が描かれる。
だが、まだ引っ越したばかりでバイバイマンの呪いは発動していないはず。なので、まだ何も怪奇現象を起こさないままにした方がいいんじゃないかと。
そうじゃないと、「名前を言ったら呪いが発動して怪奇現象が起きる」という仕掛けが死ぬでしょ。
しかも「コインの落ちる音がする」「勝手にドアが閉まる」という現象に留まらず、アリスが寝室に入った時には不気味な怪物まで出現させちゃうし。それは早すぎるぞ。

早いと言えば、サーシャがキムを呼んで浄霊してもらうってのも、「あまりにも行動が早すぎないか」と思ってしまう。
そりゃあ不可解な現象は起きているけど、「コインの落ちる音がした」「勝手にドアが閉まった」という2つだけでしょ。
音に関しては「幻聴かな」とか「ラップ音かな」と考えることも出来るし、ドアについても「建て付けが悪かったのかな」みたいに解釈が出来ないことも無い。まだ「気になって浄霊してもらう」という行動に至るには、早すぎるんじゃないかと。
例えば、「友人としてパーティーに呼ばれたキムが悪霊の存在を感じる」みたいな流れでもいいんじゃないかと。

交霊術の最中にエリオットが「バイバイマン」と言うとロウソクの炎が消え、照明を付けるとキムが床に倒れている。しかし、キムは肉体にも精神にも異常が出るようなことは無く、ジョンとセックスに及ぶぐらい元気一杯のままだ。
そうなると、「じゃあ床に倒れ込んだのは何の意味があるのか」と言いたくなる。
そこで何のダメージも受けないのなら、それ以外の怪奇現象でも起こした方がいいでしょ。
それは、もはや肩透かしとかじゃなくて、無意味なコケ脅しと化している。

エリオットが幻聴を耳にするとか、幻覚を見るとか、派手さに欠ける描写を入れて来る。
雰囲気を醸し出してジワジワと忍び寄る恐怖を演出しようとする手法だが、その前に「急にドアが閉まる」とか「急にロウソクの火が消える」といった分かりやすい演出を入れている上、「不気味な何かが小部屋から姿を現す」という様子まで見せているのよね。なので、今さらそっち方向から攻めても、ポイントを取ることは難しい。
しかも、エリオットが見る幻覚の多くは「ジョンとサーシャが浮気している」という内容であり、それ自体は全く恐怖に繋がらないからね。それを「どうです、怖いでしょう」と言わんばかりに見せられても、むしろバカバカしさが際立つぞ。
その一方、たまに「いきなり大きな物音がする」といったショッカー演出も盛り込んでいるのだが、どっちかに絞り込んだ方が良くないか。ショッカー描写が入ると、陳腐な幻覚の必要性に対して、ますます疑問が高まってしまう。

ワトキンスがエリオットにラリーの起こした事件を話すと、冒頭シーンの続きが描かれる。ラリーがジゼルとアンナを追い掛け、家の中で射殺する様子が描かれるのだ。
この時は、銃弾を浴びて倒れるジゼルとアンナの姿をハッキリと見せている。
そうなると、冒頭で直接的な殺人描写を徹底して避けていた意味は何だったのかと言いたくなる。
あと、ジゼルたちが射殺される姿は見せるけど、スプラッター風味は皆無なのよね。だから見せても見せなくても、どっちにしろ低調なのだ。

ラリーはジゼルとアンナを始末した後に自害しようとして、バイバイマンと怪物の姿を目撃する。怪物ってのは、粗筋で「小部屋から出現した黒い影」と説明している生物の正体だ。
そのシーンではバイバイマンと怪物をハッキリと見せているのだが、そのタイミングじゃないだろと言いたくなる。
っていうか、もはやハッキリとした姿を見せるタイミングなんて、無いんじゃないか。
そこで画面に堂々と写っているバイバイマンの姿って、見事なぐらい「幽霊の正体見たり枯れ尾花」になっちゃってるし。

あとさ、マントの男がバイバイマンなのは分かるけど、死体に食らい付く怪物の正体は何なのかと。
それに、そもそも怪物なんか要らないだろ。登場させたら、そいつが何なのか気になっちゃうでしょ。
バイバイマンの正体や背景がサッパリ分からんのは別にいいとして、名前も分からん怪物に関しては説明を要求したくなるぞ。
それと、そのシーンって「ワトキンスがエリオットにラリーの事件を説明している」ってことのフォロー映像のはず。なのに、ラリーがバイバイマンと怪物を見る様子を描いたら整合性が取れないだろ。

地下鉄のトンネルや線路の妄想に関しては、ラリーだけが見るわけではなく、エリオットも見るようになる。バイバイマンの呪いに落ちた人間はそれぞれに異なる幻覚を見るようになるが、そこだけは共通しているようだ。
ってことは、それはバイバイマンに何か関係がある映像なのだろう。
しかし、バイバイマンとどんな関係があるのかは全く教えてくれない。バイバイマンの格好からも、行動からも、関連性は全く見えない。
そこに関しては、それなりの説明を入れないのは単純に「手落ち」、もしくは「手抜き」としか思えんぞ。

キムがケイティーを殺害するシーンは描かず、血まみれの手を洗う様子や車に持ち込んだ血染めのハンマーによって「既に殺された後」ということを表現するだけ。
そもそもケイティーって台詞で触れているだけで、全く登場していないしね。
見せる方向で行くのか、見せない方向で行くのか、それが全く定まっていない。演出の方針が、その場によってコロコロと変化している印象を受ける。
それが欲張って色々な演出をやろうとした結果なのか、ただ雑で考えが浅かっただけなのかは分からんが、どっちにしろ怖くはない。

終盤に入ると、エリオットはバイバイマンが自分たちを怖がらせるために幻覚を見せていること、恐怖心が力を与えていることに気付く。
そして彼は、「恐れなければ敵は無力」という結論に至る。レドモン夫人の元を車で去った彼は、道路に人がいるのを目にするが、幻覚と確信して避けずに走る。
その推測は正解なのだが、調子に乗って後ろを見ていたせいでワトキンスをはねる。それはバイバイマンの狙い通りだったわけじゃなく、エリオットが馬鹿だっただけ。
余所見をせずに運転していれば、ワトキンスを避けることは出来たわけで。
ただ、ワトキンスはエリオットたちを殺そうとしているので、それを阻止するには殺すしか無いんだけど。

「それが実際に起きたら」と想像したら、繰り広げられる全てが幻覚だったとしても、怖さを感じるのは間違いない。だけど、この映画を見ていると、「所詮は幻覚だからなあ」という気分になってしまう。
バイバイマンが直接的に襲って来るわけじゃなくて幻覚を見せて標的を狂わせるのは、既存のスラッシャー映画と大きく違う特徴であり、新鮮味があるはずだ。
ただし、大先輩にフレディー・クルーガーという殺人鬼がいて、夢と幻覚はちょっと違うけど「夢の中で行動すると現実になる」という能力を持っている。で、そっちの方が、仕掛けとしては面白いわな。
でも本作品の場合、仕掛けが悪いんじゃなくて、アイデアの膨らませ方や見せ方に大きな問題があるんじゃないかという気はするけどね。

(観賞日:2019年3月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会