『二ツ星の料理人』:2015、アメリカ

シェフのアダム・ジョーンズは若手時代、パリの巨匠であるジャン=リュックの一流レストランで10年間の修行を積んだ。彼は料理長にまで登り詰め、天才肌のシェフと評された。しかし彼は全てをぶち壊し、ルイジアナへ移り住んだ。彼は牡蠣の殻を剥く仕事で3年間を過ごし、100万個に到達すると店を辞めた。彼はロンドンへ赴き、パリ時代の知人であるトニーを訪ねた。トニーは現在、父親の所有するホテルでレストランの給仕長を任されている。
トニーはアダムを「薬漬け」と扱き下ろし、「パリの店は君が潰した。君が消えて、店を閉めた。オランダで麻薬絡みで殺されたと聞いた。ジャン=リュックの娘は妊娠した」と怒りを示す。アダムは意に介さず、「俺は復活した。三つ星を狙う」と宣言する。「パリで店をやるつもりなら、命を狙われるぞ」とトニーが言うと、彼は「ここはロンドンだ。この店をやる」と告げる。トニーは笑い飛ばし、「命が惜しければ口を慎め」と告げて立ち去った。
アダムは旧友のコンティーが経営するレストランを訪れ、ジャン=リュックが死んだことを知らされる。厨房を見学したアダムは、スー・シェフのエレーヌに傲慢な態度でアドバイスする。店を後にしたアダムはミシェルに気付かれ、慌てて逃げ出した。追い付かれたアダムが「殺さないでくれ」と懇願すると、ミシェルは笑って「ジャン=リュックの店では仲間だった。俺が去った時、お前は傷付いたはずだ。それで復讐した」と言う。「何をしたか覚えていない」と告げるアダムに、ミシェルは「店にネズミを放ち、衛生指導員に報告した」と話す。しかしミシェルは「職が欲しい。仲直りだ」と握手を求め、三つ星を狙うアダムに協力することを約束した。
アダムは彼を尊敬する若手料理人のデヴィッドに声を掛け、無給で働くことを持ち掛ける。デヴィッドが「修行のためなら」と快諾すると、アダムは逆に授業料を支払うことまで要求した。トニーのホテルを追い出されたアダムは、デヴィッドが恋人のサラと同棲している家へ転がり込んだ。アダムはエレーヌを呼び出して引き抜こうとするが、「今の店で満足してるわ」と断られた。アダムは辛口レストラン評論家のシモーヌに接触し、「君の力を借りて一泡吹かせたい」と語る。レズビアンなのにアダムと寝たことがあるシモーヌは、その誘いを承知した。
トニーはシモーヌが店へ来たので激しく動揺し、「終わりだ。潰される」と頭を抱える。厨房にアダムが現れたので、「仕組んだのか」と彼は口にする。アダムは「俺に調理させれば助かる」と言い、トニーに承諾させた。アダムはシモーヌを満足させ、店のシェフとして働くことをトニーに認めさせた。彼は「スー・シェフはミシェルに。マックスも雇う。牢獄にいるが、出所する。トニーの父親が改装費用を出すことになるが、アダムは条件として毎週金曜に麻薬とアルコール検査を受けることが義務付けられた。女医のロッシルドはグループ治療に参加するよう促すが、アダムは相手にしなかった。
アダムは旧知のリースがシェフを務める三ツ星レストランへ出向き、挑発的な言葉を浴びせて立ち去った。アダムは出所したマックスを出迎え、改装工事中の店で新作の調理を手伝わせた。トニーはアダムが麻薬の売人であるボナシスから大金を借りていることを脅迫メールで知り、何とかするよう要求した。トニーはテレビに出演して宣伝するよう促すが、アダムは拒否した。アダムのレストラン「ランガム」は雨の日にオープンを迎え、エレーヌは彼の勧誘メモのせいで店を解雇される。エレーヌが抗議に乗り込むと、アダムは「3倍の報酬で雇う」と告げた。
アダムはトニーから、空席が多いこと、新聞に低評価の記事が掲載されたことを知らされる。リースが視察に来る中、アダムは料理人たちを怒鳴り散らして皿を投げ付けた。彼は手際の悪さを罵り、反発するエレーヌに「俺の店から出て行け」と言い放った。エレーヌは憤慨して店を出て行き、アダムは他の面々も怒鳴り付けて厨房から追い払った。アダムはトニーに、「テレビに出まくるぞ。二度と空席なんか出してたまるか」と告げた。アダムはテレビのトーク番組に出演し、再開するまで食事を無料提供すると発表した。
シングルマザーのエレーヌは娘のリリーを幼稚園へ行かせ、新しい仕事を探す。トニーはエレーヌと会い、給料を2倍にすると持ち掛けて復帰を要請した。エレーヌは「彼のやり方は古い」と言い、厨房に真空調理器を持ち込んだ。アダムは新しい調理法を試し、メニューを考える。大勢の客だけでなく、タイムズの評論家であるエミールもやって来た。翌日のタイムズにランガムを絶賛するコラムが掲載され、それを読んだリースは激しく苛立った。彼は自分の店をメチャクチャに破壊して、オーナーから「このレストランに全財産を注ぎ込んだ。君らは子供以下だ」と告げられる。
トニーはミシュランの調査員が訪れる時に備えて従業員を集め、注意事項を教えた。アダムは準備中にボナシスの手下2人が来たので、話を付けて帰ってもらう。アダムはエレーヌから「木曜日は娘の誕生日だから、ランチは休ませてほしい」と頼まれるが、「優秀だから代えが利かない」と却下した。エレーヌは承諾するが、苛立ちからデヴィッドに八つ当たりする。アダムはミシェルに「彼女を扱き使ったら、気を付けないとお前と同じ道を辿るぞ」と忠告されるが、「しばらくすれば機嫌も直る」と軽く受け流した。
ロッシルドの検査を受けたアダムは、「トニーは貴方が好きなのよ」と告げられる。アダムが「知ってる」と言うと、ロッシルドは「彼は貴方のために店を用意した。三ツ星シェフにしたがっている」と話した。木曜日、アダムはトニーから、ある客のためにケーキを焼くよう頼まれる。アダムが断ると、エレーヌはリリーを店へ連れて来たこと、トニーが面倒を見てくれていたことを明かす。アダムはケーキを作り、リリーのテーブルに運んだ。
リースがレストランを再開することになり、トニーはアダムの元へ招待状が届いたことを教える。トニーが「ケンカを止められる人間を連れて行け」と言うと、アダムは「君みたいに?医者から聞いた」と口にする。アダムは男を愛せないことを告げ、トニーは「女を連れて行け」と述べた。アダムがエレーヌを誘って開店パーティーに出掛けると、ジャン=リュックの娘であるアンヌ=マリーがいた。アダムが驚いて話し掛けると、彼女は「もうドラッグはやめたわ。クリニックで治療した」と言う。アンヌは「私たち、お似合いだった」と告げ、その場を後にした。
アダムが店を出て行くと、エレーヌは追い掛けて市場で見つける。パリで何があったのか質問されたアダムは、「夢が叶うのが早すぎて、調子に乗った。支配しようとして、逃げ出した」と答える。市場を出た後、エレーヌはアダムにキスをする。アダムもエレーヌにキスを返すが、ボナシスの手下2人が来たので同行する。アダムは暴行を受けて怪我を負うが、ミシュランの調査員と思われる客が来店したので急いで調理に取り掛かる…。

監督はジョン・ウェルズ、原案はマイケル・カレスニコ、脚本はスティーヴン・ナイト、製作はステイシー・シェア&アーウィン・ストフ&ジョン・ウェルズ、共同製作はキャロライン・ヒューイット、製作総指揮はクリス・サイキエル&ボブ・ワインスタイン&ハーヴェイ・ワインスタイン&マイケル・シャンバーグ&ゴードン・ラムゼイ&デヴィッド・C・グラッサー&クレア・ラドニック・ポルスタイン&ディラン・セラーズ&ネギーン・ヤズディー、製作協力はクリスティン・マルティーニ、撮影はアドリアーノ・ゴールドマン、美術はデヴィッド・グロップマン、編集はニック・ムーア、衣装はリン・エリザベス・パオロ、音楽はロブ・シモンセン、音楽監修はデイナ・サノ。
出演はブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、オマール・シー、ダニエル・ブリュール、エマ・トンプソン、ユマ・サーマン、リッカルド・スカマルチョ、サム・キーリー、アリシア・ヴィカンダー、マシュー・リス、リリー・ジェームズ、サラ・グリーン、ヘンリー・グッドマン、スティーヴン・キャンベル・ムーア、レキシー・ベンボウ・ハート、ボー・ベネ、エリサ・ラソウスキー、ジュリアン・ファース、ジョン・マクドナルド、ラファエル・アクローク、リチャード・ランキン、マーティン・トレナマン、ジョディー・ハルセ他。


『カンパニー・メン』『8月の家族たち』のジョン・ウェルズが監督を務めた作品。
原案は『プライベート・パーツ』『舞台よりすてきな生活』のマイケル・カレスニコ、脚本は『堕天使のパスポート』『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』のスティーヴン・ナイト。
アダムをブラッドリー・クーパー、エレーヌをシエナ・ミラー、ミシェルをオマール・シー、トニーをダニエル・ブリュール、ロッシルドをエマ・トンプソン、シモーネをユマ・サーマン、マックスをリッカルド・スカマルチョ、デヴィッドをサム・キーリー、アンをアリシア・ヴィカンダー、リースをマシュー・リスが演じている。

主人公のモデルとなった有名シェフのゴードン・ラムゼイも、製作総指揮として参加している。
ゴードン・ラムゼイはテレビ番組『ヘルズ・キッチン〜地獄の厨房』で、無名の若手シェフを激しく罵倒していた人物だ。日本で言えば、TBSの『ガチンコ!』の企画「ガチンコラーメン道シリーズ」における佐野実みたいな存在かな。
ラムゼイは番組のパフォーマンスで短気なキャラを演じていたわけではなく、実際にスタッフを罵倒したり物を投げ付けたりする人物らしい。
ミシュランで3つ星を獲得しているぐらいだから、腕は間違いなく一流なんだろう。でも、そういうシェフは、まるで称賛に値しない。

そんなゴードン・ラムゼイがモデルなんだから、そりゃあ主人公に好感が持てないのも当然だろう。
アダムは冒頭から、不快感と嫌悪感ばかりを喚起させる。
トニーの元へ乗り込んで「この店をやる」と勝手に宣言するわ、エレーヌには傲慢な態度で「こうした方がいい」と言うわ、デヴィッドには無給で働くよう要求して女と同棲している家へ転がり込むわと、見事なぐらいのジャイアニズムだ。
ミシェルとの過去に至っては、卑劣で醜悪でヘドが出るような犯罪者だ。もはや何をやっても、そこの負債は返せそうにないぐらいの罪だ。

アダムは最初にモノローグで「全てをぶち壊してルイジアナへ。罰として牡蠣の殻を剥いて3年間」と語るけど、それは勝手に「自分の罪に対する罰」として設定しただけで、「3年間の労役を自分に課した俺ってイケてるだろ」という陶酔に過ぎない。
だから彼は100万個に到達すると、店主を完全無視して急に店を出て行く。
周囲の迷惑とか、そういうことはお構い無しなのだ。常に自分のやりたいように、自分のペースでやり続けているだけなのだ。
自分で「罰」と称しているけど、過去の失敗を何も反省しちゃいないのだ。

アダムは自分の店を持つために、シモーヌを使ってトニーに罠を仕掛ける。そして強引な方法で、シェフとして働くことを認めさせる。
ここは、ひょっとすると笑えるシーンとして描いているつもりなのかもしれないけど、これっぽっちも笑えない。ただ不快感を煽るだけだ。
っていうか、そこまでのアダムの俺様っぷりも、一応は軽妙なノリの中で描いているので、喜劇の範疇のつもりなんだろうとは思うのよ。でも、口角が上がるような箇所は、どこにも見当たらない。それ以降のシーンも、やはり同様だ。
主人公が魅力的だと思えないってのは、映画にとって大きな痛手だ。

アダムが復活できたのは、全て周囲の面々のおかげだ。
アダムが傲慢で自己中心的な態度を取り続けても、周囲の面々は見放さず、受け入れてくれる。アダムが酷い行為を繰り返しても、それを許してくれる。だからアダムは、シェフとしての仕事を続けることが出来るのだ。
でも、そんな周囲の面々の寛容さに対して、アダムが感謝することは無い。
彼は自分を「神だ」と評するほど思い上がっているので、周囲の人間が自分に従うのは当然だという考えなのだ。

トニーはアダムに店を潰されたり、シモーヌを使って店を乗っ取られたりしても、それを受け入れている。何しろゲイのトニーはアダムに惚れているので、最終的には許してしまうのだ。
アンヌ・マリーもアダムに冷たく捨てられたのに、惚れた弱みで許してしまう。アダムの下で働く料理人たちは激しく罵られても、相手が天才シェフだから受け入れる。リースは営業を妨害されたり酷いことを言われたりするが、自暴自棄に陥ったアダムを励ます。
恨みを忘れず復讐を果たす人物もいるが、そっちの方が普通だろう。
そういう奴が1人しかいないんだから、どんだけアダムは周囲恵まれているのかってことだ。

導入部で感じさせたアダムへの強烈な不快感は、ランガムが軌道に乗り始めると、高まることも無く落ち着きを見せるようになる。
店が軌道に乗ればアダムが誰かを罵ったり苛立って暴れたりすることも無くなるわけだから、そりゃあ不快な言動が消えるのも当然だろう。ただし、じゃあアダムへの好感度が湧くのかというと、そうではない。
エレーヌが休みを貰えずにリリーを店に連れて来ると、トニーに頼まれて誕生日のケーキを焼いてやるという行動は見せるけど、それで今までのマイナスを帳消しに出来るわけではない。
例えるなら、「DV男が稀に見せる優しさ」みたいなモンであって、観客を騙そうとする姑息な罠だ。

とは言え、最初に「不愉快な人物像」が強くアピールされているってことは、「こいつが変化する様子をドラマとして描くんだろうな」というのを多くの人が想像するだろう。
何かのきっかけでガラリと一変するか、少しずつ変化していくか、それはどっちでもいいんだけど、ともかく好感の持てる人物への「精神的な成長」を見せるために、あえて最初は嫌われるようなキャラクターにしてあるんだろうってのは容易に予測できることだ。
だから観客サイドとしては、「どういうきっかけで、どの辺りのタイミングで、アダムの好感度が上昇する展開が訪れるのか」ということを頭に思い浮かべながら、映画を観賞することになる。
そこが映画の重要なポイントになっているのだ。極端に言ってしまえば、そこが綺麗にバチッと決まれば、他の部分で生じたマイナスも、全部とは言わないまでも大半は補填することが出来るかもしれない。それぐらい重要なポイントなのだ。

ところが、そういう「アダムの精神的な成長、性格や振る舞いの大きな変化」ってのが、なかなか描かれない。
前述したように、中盤辺りでは不快な言動が消えているが、それは「アダムが周囲の影響や経験によって変化した」ってことではない。
アダムが心を入れ替えたことが描かれていないから、不快な行動が消えても好感度には結び付かないのだ。
ただ何となくボンヤリしたシーンが羅列されるだけで、時間が淡々と経過していくのだ。

完全ネタバレだが、終盤にミシュランの調査員らしき客が来ると、復讐心を忘れていなかったミシェルが唐辛子をソースに混ぜて妨害する。自暴自棄になって泥酔したアダムはリースの店へ乗り込み、自殺させてくれと喚いて暴れる。
翌朝になってリースに励まされたアダムはランガムへ戻り、昨日の客がミシュランの調査員じゃなかったことを知らされる。彼はエレーヌから一緒に働いてほしいと頼まれ、仕事に復帰する。
映画が終わる直前、今度こそ本物のミシュランの調査員らしき人物が来店すると、アダムはトニーに「やることをやるだけだ。みんなで力を合わせて」と言う。
ようするに、残り5分ぐらいになって、ようやく「アダムが経験や周囲の人間の影響によって心を入れ替え、生き方や考え方を改める」という展開が訪れるのだ。

それは要求される我慢に対して、それと引き換えに得られる褒美が少なすぎるだろう。だから、まるで満足感を得られないのだ。 そもそも、本気でアダムが反省し、心を入れ替えて生まれ変わろうとするのなら、今まで迷惑を掛けた人々に対する贖罪が必要だろう。
目の前にいる仲間たちと仲良くするとか、以前と違う生き方をしようと誓うとか、それだけでは全く足りていないのだ。
せめて「今まで迷惑を掛けた人々に対する罪の意識」を感じている様子があれば、まだ少しは救いになるだろう。でも、そういう意識を、こいつは全く見せていないのだ。
それでハッピーエンドってのは、随分と虫の良すぎる話じゃないかと。

(観賞日:2017年9月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会