『ブロークバック・マウンテン』:2005、アメリカ&カナダ

1963年、ワイオミング州シグナル。イニス・デル・マーは夏期の仕事を得るため、牧場主であるジョー・アギーレの事務所を訪れた。そこへジャック・ツイストという男も現れ、2人はアギーレから仕事の説明を受ける。ブロークバック・マウンテンに森林局が指定する野営地があり、数キロ先には羊の放牧地が広がっている。1人が野営地に残り、もう1人は小型テントで羊の番をしながら寝るというのが仕事の内容だ。イニスはアギーレから、毎週金曜に橋まで来て補給係と会うよう指示した。
イニスとジャックは酒場へ移動し、会話を交わす。ジャックはアギーレの仕事をするのが2年目で、去年は嵐のせいで42頭の羊が死んだと彼は話す。その時に彼はアギーレから「お前のせいだ」と理不尽に怒りを買ったが、それでも「父親と一緒に仕事をするよりはマシだ」と言う。一方のイニスは交通事故で両親を亡くし、牧場を銀行に取られていた。2人は羊を連れて山へ行き、仕事を始めた。イニスが野営地に残って料理を担当し、ジャックが食事の度に放牧地から通った。
イニスはジャックに、「金を貯めてる。下山したらアルマと所帯を持つ」と話す。補給係から食料を調達した帰り、彼は熊に遭遇する。ロバが逃げたせいで食料を失い、野営地に残っているのは豆だけだった。ジャックは「飯のために羊を撃とう」と提案するが、イニスは反対した。彼は鹿を仕留め、ジャックと2人で食べた。やがてジャックは、食事の度に通っては放牧地へ戻る毎日への疲労を感じるようになった。彼が愚痴をこぼしたので、イニスは受け持ちを交代することにした。
ジャックはイニスに、「親父はロデオのプル・ライダーだった。昔は有名だったのに、何も教えてくれない」と話す。泥酔したイニスは満足に歩けない状態に陥ったため、その夜は野営地で寝ることにした。彼は野宿するが、寒そうだったのでジャックがテントに招き入れた。ジャックはイニスの腕を取り、自分の体に回させた。気付いたイニスは慌てて起き上がるが、ジャックは彼に体を密着させる。イニスはジャックの誘いに応じ、肉体関係を持った。
翌日、イニスが「あれは1回きりのことだ」と言うと、ジャックは「俺たちだけの秘密だ」と告げる。しかし夜になると、また2人は関係を持った。数日後、山を訪れたアギーレは、イニスとジャックが抱き合う様子を目撃した。アギーレは何も見ていないフリでジャックと接触し、「お前の叔父が入院した。助からないらしい」と知らせた。嵐が訪れ、その影響で羊たちは他の飼い主の群れと混じってしまった。イニスとジャックは、とりあえずアギーレの群れだと思われる羊だけを連れ戻した。
積もった雪が溶けた8月中旬に、ジャックはアギーレから叔父が助かったことを知らされ、それと同時に「羊を連れ戻せ」という命令を受けた。大きな嵐が来るという予報が入ったためだ。イニスとジャックは予定より1ヶ月も早く下山した。「来年も山に来るか?」というジャックの質問に、イニスは「11月にアルマと結婚するから、牧場で仕事を探すよ」と答えた。イニスはジャックと別れ、直後に泣いた。彼はアルマの元へ戻り、結婚式を挙げた。
ジャックは道路舗装の仕事で金を稼ぎ、夏になると再びアギーレの元へ赴いた。するとアギーレは冷たい態度で、「お前の仕事は無い」と告げる。ジャックが「イニスは来ましたか?」と訊くと、アギーレは「山での楽しみを見つけて何よりだ。変な真似をしてやがったな。さっさと出て行け」と述べた。イニスとアルマには、アルマ・ジュニアとジェニーという2人の子供が誕生した。イニスはアルマから「町に引っ越さない?娘たちの遊び相手もいない」と言われ、家賃の高さを理由に難色を示す。するとアルマは、「リヴァートンに安い土地があるの」と告げた。
ロデオ大会で優勝したジャックは、ラリーン・ニューサムというカウガールに興味を抱いた。ジャックはバーテンダーにラリーンのことを尋ね、彼女が大型農機具販売会社の社長令嬢だと知った。ラリーンの方もジャックに興味を示し、すぐに2人は関係を持った。アルマは雑貨店で働くようになるが、ジャックは2人の子供たちを仕事中の彼女に預けて牧場の作業へ出向いてしまった。ジュニアが暴れて店の商品が台無しになるが、店主のモンローは謝罪するアルマに優しく接した。
ラリーンは息子のボビーを出産し、彼女の両親は大喜びする。ジャックも笑顔を見せるが、心底から喜んでいるわけではなかった。彼からイニス宛てに届いた葉書には、「24日に行く。返事をくれ」と綴られていた。イニスは「いいとも」と書き、葉書を投函した。アルマからジャックとの関係を問われたイニスは、釣り仲間だと答えた。ジャックが家に来ると、イニスは外に出て2人きりになる。彼らは募る思いを抑え切れず、熱烈なキスを交わした。その様子を目撃したアルマは、ショックを受けた。
イニスはアルマに、「ジャックと飲みに行く。募る話もあるから、今夜は帰らない」と告げて外出した。イニスとジャックはモーテルへ赴き、4年ぶりの情事を交わした。「これから、どうする?とジャックに問われたイニスは、「どうすることも出来ない。生きて行くことで精一杯さ」と答えた。次の日、イニスはアルマに「2日ほど釣りをして来る」と告げ、ジャックと共に山へ出掛けた。ジャックはイニスに、牧場を持って一緒に暮らそうと持ち掛けた。しかしイニスは少年時代に父がゲイを惨殺した事件を語り、その誘いを断った…。

監督はアン・リー、原作はアニー・プルー、脚本はラリー・マクマートリー&ダイアナ・オサナ、製作はダイアナ・オサナ&ジェームズ・シェイマス、共同製作はスコット・ファーガソン、製作総指揮はウィリアム・ポーラッド&ラリー・マクマートリー&マイケル・コスティガン&マイケル・ハウスマン、撮影はロドリゴ・プリエト、美術はジュディー・ベッカー、編集はジェラルディン・ペローニ&ディラン・ティチェナー、衣装はマリット・アレン、音楽はグスターボ・サンタオラヤ、音楽監修はキャシー・ネルソン。
出演はヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール、ランディー・クエイド、リンダ・カーデリーニ、アンナ・ファリス、アン・ハサウェイ、ミシェル・ウィリアムズ、グレアム・ベッケル、スコット・マイケル・キャンベル、デヴィッド・ハーバー、ケイト・マーラ、ロバータ・マクスウェル、ピーター・マクロビー、デヴィッド・トリンブル、シャイアン・ヒル、ケイラ・ウォルヴァー、サラ・ハイスロップ、ジェイシー・ケニー、ウィル・マーティン、キーナ・デュベ、ブルックリン・プルー、マーティー・アントニーニ、ダン・マクドゥーガル、トム・ケアリー、メアリー・リボイロン他。


アニー・プルーによる同名の短編小説を基にした作品。
監督は『グリーン・デスティニー』『ハルク』のアン・リー。
『ラスト・ショー』『スモールタウン・ブルース』を手掛けた小説家のラリー・マクマートリーと、これが初の映画となるダイアナ・オサナが共同で脚本を執筆している。
イニスをヒース・レジャー、ジャックをジェイク・ギレンホール、ジョーをランディー・クエイド、ラリーンをアン・ハサウェイ、アルマをミシェル・ウィリアムズが演じている。
アカデミー賞の監督賞&脚色賞&作曲賞、ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞など数々の映画賞を獲得した。

まず感じるのは、「季節労働のシーンに、そこまで長い時間を費やす必要ってホントにあるのだろうか?」ってことだ。
その内の大半は、イニスとジャックが仕事をしている様子が淡々と描かれるだけだ。
嵐が来るとか、羊が逃げ出すといったトラブルはあるものの、それらが2人の関係を描くドラマにおいて重要な意味を持っているとも思えない。
そこは「イニスとジャックがゲイカップルになる」という出来事さえ描けば、それで事足りるはずで。

もちろん、それが事足りるからと言って、「必要事項だけを描けば他は全て邪魔」というわけではない。他の要素とか、余韻とか、余白とか、そういった部分が映画の厚みや奥行きに繋がることもあるだろう。
ただ、そういうことを考慮しても「さすがに長すぎやしないか」と思ってしまう。
イニスとジャックが肉体関係を持つまでのシーンは、そこに向けた伏線や流れなんて、ほとんど無い。
「顔に怪我をしたイニスの血をジャックが拭いてやる」「ジャックの背後で裸になったイニスが体を拭く」という2つぐらいだ。

イニスとジャックが肉体関係を持ったら、もう目的は終了したはずなのだから、さっさと下山する手順へ移ればいい。
ところが、「あれは1回きりのことだ」とイニスが言った夜には再び関係を持ち、そこから何度も情事に及んだ様子だ。
だけど、そこは1回きりの関係にしておいた方が良かったんじゃないか。その方が、「1回きりのセックス」に大きな意味が生じたはずで。
っていうか極端な話、プラトニックなままで終わってもいいんじゃないかと思うのよね。

ジャックがイニスに惚れるのはともかく、イニスの方はアルマという異性の婚約者がいるわけで。
それなのに、ジャックから誘われると簡単に深い関係へと発展するので、「なんで?」と言いたくなる。
そこで初めて衆道に目覚めたのか、それとも以前からゲイだったのか、それも良く分からないし。
どっちにしろ、アルマという婚約者がいることもあるんだし、もう少し苦悩や葛藤があっても良さそうなモノだが、1回きりじゃなくて何度も簡単にジャックと関係を持っちゃうんだよな。

イニスはジャックと深い関係に陥り、別れる時には号泣するぐらい悲しんでいるが、帰郷すると何の迷いも無くアルマと結婚する。そしてアルマと幸せそうに暮らし、2人の子供まで作っている。どういうことなのかと。
彼がアルマと後背位でセックスするシーンを用意して、「ジャックの代わりに彼女とセックスしています」と思わせたいのかもしれんけど、全く違うでしょ。
平気で女性ともセックスし、2人の子供まで作るってことは、ゲイじゃなくてバイなのか。それなら腑に落ちるけど、そうなると話の意味が全く変わって来ちゃうのよね。
ジャックもラリーンと結婚してガキを作ってるけど、こっちは「逆タマ狙い」ってのがハッキリしているからね。

イニスが以前からゲイで、それなのにアルマと交際していたとすれば、「本当の気持ちを隠したまま結婚生活を続けている」ってことになる。
っていうか、ジャックとの関係で目覚めたとしても、それは同じことだわな。
で、ホントはゲイだしジャックに惚れているんだから、イニスは「全面的に幸せ一杯」とは行かないはずだ。それならば、そういう気持ちが見えるべきだろう。
彼の心の揺らぎってのが全く見えて来ないので、ちっとも感情移入したり共感したり出来ないのである。

イニスとジャックの恋も、その苦悩や葛藤が伝わらないせいで、ちっとも応援したいという気持ちが湧かない。
それよりも、「彼らに利用されたり欺かれたりした周囲の人々が可哀想だ」という気持ちばかりが強くなる。
本気で自分を愛してくれていると思って結婚した妻や、何も知らずに育った娘たちは、ものすごく不憫な存在だ。
せめてイニスやジャックが、そんな彼女たちに対して罪悪感を抱いてくれればともかく、そういう気持ちは全く感じちゃいないのよね。

イニスとジャックが隠れて関係を持つのは勝手だし、もちろん当時の社会情勢を考えれば内緒にするのは当然のことだろう。
ただ、その隠れ蓑として利用された女たちや子供たちに、多大な迷惑を掛けているからね。
「許されざる恋だから、偽らざるを得ない」という事情は、本来ならばイニスとジャックへの同情心を誘う要素になるはずだ。でも彼らが妻や子供たちへの罪悪感を全く見せないので、同情心が全く湧かない。
イニスなんかより、アルマの方が間違いなく苦悩はデカいと感じるのよ。

イニスは4年ぶりに再会したジャックと山へ出掛けた時、ずっと一緒にいられない状況、たまにしか会えない状況について、「どうにもならないんだ。耐えるしかない。終わりは無いんだ」と口にする。
「愛する相手と、たまにしか会えない。堂々と一緒にいられない」ということに対して、辛い思いはあるだろう。
だけど、夫が同性愛者であること、浮気相手(ジャック)と会っていることを知りながらも、アルマが耐えていることの方が、もっと辛いだろうと思うのよ。

イニスはジャックとの「秘密の情事」を繰り返すが、「家族を持つ夫で父親」という体面を保つために、アルマとのセックスは続行する。
イニスは、「経済的に厳しいから3人目は難しい」という理由で、避妊を求める。
するとイニスは「俺の子を産むつもりが無いなら、もうお前とは寝ない」と、冷たく言い放つ。
秘密の情事が続く中、とうとう耐え切れなくなったアルマからジャックとの関係を指摘されると、睨み付けて恫喝する。
サイテーじゃねえか。

イニスは最後まで、妻や子供たちへの罪悪感を見せず、裏切り行為への謝罪もしない。全てを知ったアルマに対して、「俺は苦しいんだ、辛いんだ、お前には分からないだろう」という気持ちでしか接しない。
アルマは子供たちを傷付けたくないから、真実を打ち明けられない。アルマがイニスのことを悪く言ったり、冷たい態度を取ったりしたら、彼女の方が悪者になってしまう。
子供たちは何も知らないから、もちろん父であるイニスを大好きなままで成長する。離婚後にイニスと会う時も、楽しそうに出掛けて行く。アルマとしては、複雑な思いもあるだろう。
イニスは「自分だけが不幸なんだ」みたいな態度を取るけど、テメエのせいでアルマを不幸にしていることへの思いやりや誠実さが完全に欠如しているのだ。

(観賞日:2016年12月15日)


第28回スティンカーズ最悪映画賞(2005年)

ノミネート:【最も過大評価の映画】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会