『ブレイクダンス2/ブーガルビートでT.K.O!』:1984、アメリカ

ケリーはダンサーとして舞台に立っているが、仕事はコーラスラインばかりだった。父はプロダンサーを諦めてブリンストン大学に行くことを勧めるが、ケリーは「踊りは私の命よ」と即座に拒否した。父は弁護士のデレクと結婚することも望んでいるが、ケリーは全く関心が無かった。両親はケリーがストリートで踊っていた時期を快く思っておらず、生き方を考え直すよう説いた。ケリーは久しぶりにオゾンとターボの家を訪れ、近所の子供たちから歓迎された。オゾンとターボはコミュニティー・センターの「ミラクル」でダンスを教えており、近所の子供たちも生徒だった。
ケリーはオゾンとターボに案内され、ミラクルを訪れた。ミラクルではダンスクラブだけでなく、ボクシングのジムなども運営していた。オゾンとターボはケリーを責任者のバイロンに紹介し、生徒のマイケルたちに会わせた。オゾンはケリーに、「バイロンが廃屋を発見し、みんなで直してミラクルを始めた」と説明した。ケリーはダンスのコーチとして手伝ってほしいと頼まれ、喜んで引き受けた。同じ頃、土地開発業者のダグラスはミラクルを取り壊し、ショッピングセンターを建設しようと計画していた。地域活動に熱心な教育委員会が邪魔になるため、彼は都市開発局を味方にしようと考えた。ダグラスと結託している開発局担当官のランドールは「建物の老朽化が問題です。取り壊した方が市の利益になります」と持ち掛け、局長のスナイダーから取り壊しの許可を得た。
オゾンとターボがケリーを連れてディスコへ出掛けると、ダンス・チーム「エレクトロ」のストローブたちが「ここは俺たちのシマだ」と喧嘩を吹っ掛けて来た。オゾンは彼らを挑発し、双方が周囲の客たちによって引き離された。バイロンは開発局からの通知書を受け取り、20万ドルの改修費を工面できなければミラクルが取り壊されることをオゾンに伝えた。ケリーたちは陳情に出向くが、「30日の猶予期間を確保することしか出来ない」と言われた。
センターの子供たちは様々な方法で金を稼ぐが、7千ドルしか集まらない。そこでケリーたちはダンスのショーを開き、金を集めることにした。そんな中、ケリーはエージェントのスタンリーから、パリ公演の主役に名前が挙がっていると聞かされる。オーディションに合格する必要はあるが、ケリーは喜んだ。オゾンの元恋人のロンダは未練があり、ショーの準備を手伝った。そこへケリーが来ると、ロンダは敵対心を剥き出しにする。ケリーからパリ公演の話を聞いたオゾンは、「ここのショーは?」と不機嫌になった。
エレクトロがショーの準備を妨害したため、ケリーやオゾンたちは逃げる一味を追い掛けた。エレクトロはケリーたちを挑発してダンス対決を仕掛けるが、途中で立ち去った。ダグラスが測量に来ると、バイロンは「公聴会の結果が出るまで権利は無いはずだ」と追い払った。ターボはサブリナというダンサーに恋心を抱き、オゾンに相談した。ケリーはオーディションを受け、結果を待つことになった。父から夕食に呼ばれた彼女はミラクルのための資金援助を頼もうと考え、オゾンとターボを連れて行く。父がデレクを招待したことを知り、彼女は不快感を露わにした。
ケリーが事情を説明して援助を要請すると、父は冷たく拒絶する。オゾンとターボは「金の無心か。どうせドラッグや車を買うんだろ?」と言われ、腹を立てて去った。オゾンはディスコでストローブを見つけて「休戦しよう。力を貸してくれ」と頼むが、「お前らの問題だ。俺たちは関係ない」と断られた。オゾンはケリーからパリ公演のオーディションに合格したことを聞かされ、「行きたきゃ行けばいい」と荒っぽく言う。「迷ってるのよ」とケリーが言うと、彼は「君かが決めることだ。相談ならデレクにしろ」と突き放した。ケリーが店を出ようとするとロンダが立ちはだかり、「オゾンに近付かないで。引き下がらないと顔に傷付くよ」と凄んだ。スタンリーに電話を入れたケリーは、パリ公演の仕事を引き受けると告げた。
オゾンやバイロンたちは公聴会に乗り込み、ミラクルの必要性を訴える。スナイダーは「改修費用を払えなければ取り壊すしかない」と言い、ランドールに提案されたショッピングセンター建設の入札を受理した。ミラクルには2週間以内の明け渡しが通告され、取り壊しのための測量が開始された。ターボは作業員から道具を奪って逃走し、石段を転げ落ちて大怪我を負った。オゾンはケリーにターボの怪我を知らせ、病院へ来てほしいと告げる。ケリーはスタンリーから「パリに着くには明日が期限だ」と言われるが、オゾンと共に病院へ向かう。ターボは入院していたが、サブリナにキスされて元気を取り戻した…。

監督はサム・ファーステンバーグ、キャラクター原案はチャールズ・パーカー&アレン・デビヴォイス、脚本はジャン・ベンチャラ&ジュリー・レイチャート、製作はメナヘム・ゴーラン&ヨーラム・グローブス、撮影はハナニア・ベア、編集監修はマルコス・マントン、振付はビル・グッドソン、衣装はドロシー・バカ&デヴィッド・バカ、音楽はマイク・リン、音楽監修はラス・リーガン、歌曲監修はオリー・E・ブラウン。
出演はルシンダ・ディッキー、アドルフ・“シャバ=ドゥー”・キノーネス、マイケル・“ブーガルー・シュリンプ”・チェンバース、スージー・ボノ、ハリー・シーザー、ジョー・デ・ウィンター、ルー・レナード、スティーヴ・“シュガーフット”・ノタリオ、ピーター・マクリーン、ジョン・クリスティー・ユーイング、サブリナ・ガルシア、ハーブ・ミッチェル、ビル・コート、サンディー・リプトン、ケン・オルフソン、ドン・ルイス、ヴィダル・“ココ”・ロドリゲス、アイスT、ジェイ・“スアーヴ”・サンズ、ニコラス・シーガル、ティム・ワイズ、アリシア・ボンド、ジェリー・ラザルス、サム・リヴニー、ジョン・ラモッタ、ジェイ・ラズムニー、ダニエル・リオーダン、アルベルタ・サンチェス他。


キャノン・フィルムズが製作した映画『ブレイクダンス』の続編。
監督は前作のジョエル・シルバーグから、『ニンジャII/修羅ノ章』『ニンジャ』のサム・ファーステンバーグに交代。
ケリー役のルシンダ・ディッキー、オゾーン役のアドルフ・“シャバ=ドゥー”・キノーネス、ターボ役のマイケル・“ブーガルー・シュリンプ”・チェンバース、ラッパー役のアイスTは、前作からの続投。
ロンダをスージー・ボノ、バイロンをハリー・シーザー、ケリーの母をジョー・デ・ウィンター、ストローブをスティーヴ・“シュガーフット”・ノタリオ、ダグラスをピーター・マクリーン、ケリーの父をジョン・クリスティー・ユーイングが演じている。

前作がキャノン・フィルムズ史上で最大のヒットを記録したので、もちろんメナヘム・ゴーラン&ヨーラム・グローブスは「まだ稼げる」と確信し、続編の製作に取り掛かった。
そして1作目からわずか半年後に、2作目の公開に漕ぎ付けた。
ほぼエクスプロイテーション映画みたいなモンなので、「鉄は熱い内に打て」という考え方で製作を進めたのは正しい判断だ。
突貫工事なのでお世辞にも作品の質は良くないが、何しろキャノン・フィルムズだから時間を掛けても面白くなった可能性は低いだろうし。

前作は昔からよく使われていたフォーマットを何の捻りも無くなぞっていたが、今回も同様だ。
前作とストーリー展開のパターンは異なるが、「どこかで見たような」という感想になるのは同じだ。
そして前回と同じく、実際に貴方はどこかで見たことがあるのだ。ハッキリ言って、まんまMGMミュージカルだからね。
ダンスのジャンルをタップに変えて、登場するキャラクターを上流階級の紳士や淑女に変更すれば、あっという間にジーン・ケリーやフレッド・アステアの主演作に早変わりだ。

今回は演出としても、かなりミュージカル的な色が濃くなっている。
序盤、ケリーがオゾンとターボの家を訪れると近所の若者たちが音楽に合わせて踊り出し、町を練り歩くと近くにいる人々も踊る。ダンサーとして登場する人々だけが踊るのではなくて、「普通に暮らしている人々がミュージカルシーンになると急に踊り出す」という演出になっている。
前作が純然たる「ストリート・ダンス映画」だったのに対し、今回は「ストリート・ダンスを題材にしたミュージカル映画」として始めているわけだ。
ただ、その方向で徹底するのかと思いきや、以降は同じような演出が見られないので、中途半端になっている。

とは言え、「ミュージカル映画としての味付け」に対する意識は続いている。
オゾンが人形をパートナーにして踊るシーンや、ターボが家の壁や天井を移動しながら踊るシーンがあるが、これは前作には無かったような「細工を凝らしたダンスシーン」と言っていいだろう。
オゾンがミラクルの屋根で作業をしている最中に踊り出すのも、同じようなことだ。
シンプルに「ダンサーのパフォーマンス」を見せるだけでなく、演出によって見せ場を飾り付けようとしているわけだ。

ターボが入院しているシーンで、久々に「ダンサーではない面々が急に踊り出す」という演出が持ち込まれている。
サブリナにキスされたターボが元気になると、見舞いに来ていたケリーたちがノリノリで踊り出す。
でも導入が下手なので、ミュージカルシーンとしての高揚感は無い。そもそも「ミュージカルシーン」と書いてるけど、歌は一切歌わないわけだしね。
それはともかく、ここでは看護婦や入院患者もダンスに参加する。

もちろん言うまでもないだろうが、前作と同じくオゾンやターボたちは基本的にロックやポッピングを踊る。エレクトロの連中も同様だ。
もっと細かく分類するならば、男性ダンサーがアニメーションを踊ったり、女性ダンサーがワックを踊ったりする。
たぶん本作品から見る人は皆無に等しいだろうが、前作を見ていないと「ブレイキングは?」と言いたくなるかもしれない。ケリーやオゾンたちは、ほとんどブレイキングを踊らないのだ。
ターボは少しだけブレイキングも踊るが、オゾンとケリーは皆無に等しい。彼らはブレイカーじゃないので、ブレイキングを踊るのは前作と同じく「名も無き脇のダンサーたち」なのだ。

ケリー&オゾン&ターボは前作のオーディションで審査員に絶賛され、メインキャストとしてショーに出演していたはず。ところが今回、3人とも全くスター街道に乗れていない。ケリーはコーラスラインしか仕事が無く、オゾンとターボもダンス講師の仕事だけ。
地域の子供たちのためにダンスを教えるってのは別に悪い仕事じゃないし、やり甲斐もあるだろう。ただ、オゾンとターボはともかくとして、ケリーは「ブロードウェーでスターになる」という夢を抱いていたはずで。
ミラクルのダンス講師になるのは、その夢を捨てたも同然だと言っていいんじゃないかと。片っ端からオーディションを受けるとか、そういう考えは完全に捨てたのか。
都合良くパリ公演の話が来るけど、自分から何も動かなかったのにチャンスが舞い込むって、そんな展開でホントにいいのか。

今回はケリーの両親が登場するが、存在意義は薄い。
一応は「父がケリーの交友関係を嫌っていて」みたいな要素があるのだが、充分に活用できているとは到底言い難い。
そもそも「ストリート・ダンサーへの偏見に満ちていて貧困層を嫌悪する富裕層」というポジションは、ダグラスも担っているわけで。そことの差異を上手く付けられていない。
最終的にケリーの父は「信念を認める」と言い出すけど、そこの変化を描く手順も薄っぺらいし。

終盤、ダグラスに雇われた業者が工事を始めようとすると、ケリーやオゾンたちは激しい妨害工作に出る。ターボが工事車両の前に立ちはだかったため、業者は人殺しになりたくないという理由で撤退する。
そこへテレビ局が取材に駆け付けると、ランドールは「選挙の年はマズい」ってことで考えを変える。取材を受けたダグラスも糾弾されるのを避けるため、手を引くと約束しただけでなく1万ドルの寄付を発表する。
でも、場所の明け渡しは開発局が通告した正式な決定であり、ダグラスはそれに従って作業を進めようとしただけだ。それを妨害したケリーたちの行動を全面的に正当化するのは、どうかと思うぞ。
せっかく「改修のためにショーで金を集めて」という流れを用意していたのに、そこを待たずに「取り壊しは中止」って、ショーの意味合いも薄れるでしょうに。

(観賞日:2021年12月4日)

 

*ポンコツ映画愛護協会