『ブラジルから来た少年』:1978、イギリス&アメリカ

南米のパラグアイ。ナチ・ハンターに憧れるバリー・コーラー青年は、ナチスの残党である男たちを見張っていた。ラルフ・ギュンターの邸宅へ向かうナチスの残党を尾行した彼は、使用人の少年に金を渡して情報を収集した。彼は写真を撮影し、オーストリアのウィーンにいるベテランのナチ・ハンター、エズラ・リーベルマンに連絡を取った。リーバーマンは雨漏りのする古アパートを事務所代わりに使い、妹のエスターが助手を務めている。
コーラーはリーバーマンに、戦犯たちが何かを企んでいる様子だと告げる。どうすべきか相談するコーラーに、リーバーマンは「アメリカに帰国しろ」と告げた。しかしコーラーは忠告を聞き入れず、少年の協力を得てギュンターの屋敷に盗聴器を仕掛けた。夜のギュンター邸に侵入したコーラーは、庭に潜んで盗聴を開始した。邸宅にはギュンターの他に、アウシュビッツの主任医師だったヨゼフ・メンゲレ博士、ナチス残党のムント大尉、トラウシュタイナー少佐、ファルンバッハ大尉、そしてネオナチのヘッセン、クライスト、シュウィマーが集合していた。
メンゲレはナチス会最大の作戦として、2年半で94名を所定の期日に殺害すること、標的が殺害時には65歳になっていることを話す。標的は各国に存在するが、ユダヤ人ではない。平凡な家庭を持つ男たちで、役人や校長といった職種だ。メンゲレは標的の家族を決して殺害しないよう命じた。少年が持っていたラジオからメンゲレの声が聞こえて来たため、警備員が盗聴に気付いた。コーラーは慌てて逃げ出し、リーバーマンに電話を掛けて入手した情報を知らせた。
メンゲレたちは少年を追及し、コーラーのいるホテルに乗り込んだ。リーバーマンは電話越しに、コーラーが殺されたことを察知した。メンゲレは部下たちに死体の後始末を任せた。翌朝、リーバーマンがコーラーが送って来た写真を確認する。古株であるムントたちの顔は知っていたが、ネオナチの若者たちは正体が分からなかった。コーラーが空港で撮影した写真には、ナチス会会長の副官であるサイベルトの姿が写っていた。
ようやくコーラーの情報が本当だったと確信するリーバーマンだが、「2年半で65歳の男性94名を所定の期日に殺害する」という作戦の意味は理解できなかった。リーバーマンはロイター通信社で働く知人のシドニー・ベイノンを訪ね、煙たがる彼にナチス会の計画を話した。リーバーマンは、期間中に事故死した65歳の公務員のリストを各国の支局から送ってもらいたいと頼んだ。リーバーマンは、かつて上司からベイノンを助けた貸しがあった。
ファルンバッハは西ドイツのグラドベック駅へ行き、65歳になる郵便局長のドゥーリングを張り込んだ。ドゥーリングが立ち小便をしている時を狙い、ファルンバッハは車を突っ込ませて殺害した。メンゲレが暮らす別荘をサイベルトが訪れ、ほぼ期日通りに第1期ノルマが完遂されたことを報告した。彼はメンゲレに、将軍がリーバーマンの動きを懸念していることを告げる。「彼は誰からも相手にされない。放っておけばいい」とメンゲレは軽く言うが、サイベルトは「勝手な判断をすると海外の同志に危険が及びます」と告げる。
将軍はリーバーマンの動きを把握するまで、計画のために散った面々を呼び戻そうと考えていた。そのことをサイベルトから聞かされたメンゲレは、「この計画には守るべきスケジュールがある。彼らが捕まったら他の者を差し向ければいい」と熱心に語った。リーバーマンはベイノンから受け取った資料を使い、不審死を遂げた公務員の遺族を訪ね回ることにした。まず彼はドゥーリング夫人と会うため、グラドベックへ赴いた。ファルンバッハの尾行に、彼は全く気付いていなかった。
ドゥーリング夫人にはエーリヒという息子がいた。夫人は年の離れた夫が息子に暴力を振るっていたことを話し、「彼を殺したのは神様ですわ。彼が死んでから感謝を捧げています」と穏やかな表情で告げた。ヘッセンはアパート経営者のハリントンを殺害するため、住人であるナンシーに接近していた。彼はナンシーを殺害し、部屋に来たハリントンを始末して首吊り自殺に偽装した。メンゲレはサイベルトから報告を受け、計画が順調に進んでいることに満足そうな表情を浮かべた。
サイベルトからリーバーマンがドゥーリングを探っていることを聞かされたメンゲレは、始末するよう指示した。しかしサイベルトはリーバーマンを殺して警察や情報部が動くことを不安視しており、監視を強化して対応すると告げる。サイベルトはメンゲレに、状況によっては計画を中止することもあると述べた。メンゲレは強い怒りを示し、「私の計画よりも老いぼれのユダヤ人を大切にするのか。君は自分の義務を果たせ」と声を荒らげた。
調査旅行から戻ったリーバーマンは、駅まで迎えに来ていたエスターに収穫が少なかったことを告げる。駅を出ようとしたリーバーマンに、コーラーの友人であるデヴィッド・ベネットが声を掛けた。彼はユダヤ青年自衛団に所属していることを明かし、調査して突き止めたネオナチ3人の素性を教えた。彼はリーバーマンに、同志だったコーラーの仕事を引き継いで協力したいと申し入れた。最初は断ったリーバーマンだが、ベネットの熱意に押されて承諾した。
スウェーデンの山奥を訪れたムントは、電気技師に村へ行く道を尋ねた。すると、その男は偶然にも昔の上官であるハルトンクだった。妹がスウェーデン人と結婚し、匿ってもらって電気技師になったのだと彼は語る。ムントはナチス会の任務で来たことを明かし、「くだらん任務です。小学校のルンドバーグ校長を殺せと言うんです。無意味な殺しですよ」と愚痴をこぼす。「上層部には意味があるんだろう。命令は命令だぞ」とハルトンクが諭すと、ムントは彼を突き落として殺害した。
リーバーマンはアメリカのマサチューセッツ州へ行き、不審死した男の妻であるカリー夫人を訪ねた。夫人の息子であるジャックの顔を見たリーバーマンは、エーリヒと瓜二つなので驚いた。容姿だけでなく、その態度や話し方までが酷似していた。「生き写しの子がドイツにいる」というリーバーマンが言うと、カリー夫人は激しく動揺し、早く引き取ってほしいと告げた。一方、ベネットは不審死を遂げた男の妻であるハリントン夫人を訪ねた。夫人の息子であるサイモンも、やはりエーリヒと瓜二つだった。
リーバーマンの元をカリー夫人が訪れ、ジャックが養子であることを打ち明けた。彼女に養子を紹介したのは、リーバーマンの告発で逮捕されたナチスの女看守、フリーダ・マローニーだった。リーバーマンは被害者の供述書を渡す条件でマローニーの尋問を許可してもらい、デュッセルドルフ刑務所で彼女と面会した。マローニーは彼に、ナチス会から連絡を受けて養子の斡旋を始めたこと、夫が1910年生まれから14年生まれで妻が1933年から37年生まれの夫婦が条件だったこと、赤ん坊はブラジルから送られて来たことを話した。
リーバーマンはマローニーから、ヘンリー・ウィーロックという男にも養子を斡旋したことを聞き出した。メンゲレの名前を出した途端にマローニーは苛立ち、「もう何も答えない」と告げた。サイベルトはメンゲレに、ナチス会の上層部が作戦中止を決定したことを告げた。納得できないメンゲレは、一人でも作戦を続行すると主張した。リーバーマンは生物学研究所のブルックナー教授と会い、双子よりも似ている少年たちについて話した。するとブルックナーは、少年がクローニングによって誕生したのではないかと告げる…。

監督はフランクリン・J・シャフナー、原作はアイラ・レヴィン、脚本はヘイウッド・グールド、製作はマーティン・リチャーズ&スタンリー・オトゥール、製作総指揮はロバート・フライアー、撮影はアンリ・ドカエ、編集はロバート・E・スウィンク、美術はギル・パロンド、衣装はアンソニー・メンデルソン、音楽はジェリー・ゴールドスミス、テクニカル・アドバイザーはドクター・デレク・ブロムホール。
出演はグレゴリー・ペック、ローレンス・オリヴィエ、ジェームズ・メイソン、リリー・パルマー、ジェレミー・ブラック、ユタ・ヘーゲン、ジョン・デナー、ローズマリー・ハリス、アン・メアラ、ジョン・ルビンスタイン、デンホルム・エリオット、スティーヴ・グッテンバーグ、デヴィッド・ハースト、ブルーノ・ガンツ、ウォルター・ゴテル、ウォルフガング・プライス、マイケル・ガフ、ヨアヒム・ハンセン、スキー・デュ・モン、カール・ドゥーリング、リンダ・ヘイドン、リチャード・マーナー、ゲオルグ・マリシカ、ギュンター・マイズナー、プルネラ・スケイルズ他。


アイラ・レヴィンの同名小説を基にした作品。
監督は『パットン大戦車軍団』『パピヨン』のフランクリン・J・シャフナー、脚本は『ローリング・サンダー』のヘイウッド・グールド。
アカデミー賞で主演男優賞、編集賞、作曲賞にノミネートされた。
メンゲレをグレゴリー・ペック、リーベルマンをローレンス・オリヴィエ、セイベルトをジェームズ・メイソン、エスターをリリー・パルマー、少年をジェレミー・ブラック、マローニーをユタ・ヘーゲン、ドーリング夫人をローズマリー・ハリス、カリー夫人をアン・メアラ、ベネットをジョン・ルビンスタイン、ベイノンをデンホルム・エリオット、コーラーをスティーヴ・グッテンバーグが演じている。

グレゴリー・ペックと言えば、『ローマの休日』『ナヴァロンの要塞』など数多くの名作に出演し、『アラバマ物語』ではアカデミー主演男優賞を受賞した名優だ。そして彼は基本的に、善人や好感の持てる人物ばかりを演じ続けてきた。
そんなペックが「恐るべき計画を実行しようとするナチス残党」という、完全無欠の悪党を演じたのだから、かなり思い切ったチャレンジである。本人としては相当に気合いが入っていただろう。
アカデミー賞ではローレンス・オリヴィエが主演男優賞にノミネートされたが、本作品で頑張っているのはグレゴリー・ペックの方だと感じる。少なくとも、物語を牽引しているのは間違いなくグレゴリー・ペックだ。
ローレンス・オリヴィエは、本人の問題じゃなくて演出の問題が大きいんだろうけど、そんなに素晴らしいとは思わない。むしろ、「ホントにその演技でいいんですか」と言いたくなるし、「この映画でオスカー候補?」と疑問を抱いてしまう。

徹底してシリアスなサスペンスなのだが、それにしてはリーバーマンが登場するシーンにおける態度や、家主とエスターのやり取りなどは、明らかにコメディー寄りだ。それ以降も軽妙なテイストを交えた話であればともかく、そうじゃないので、そこだけが浮いている。
そもそも、コーラーは身の危険を感じるような状況の中でリーバーマンに連絡しているわけで、それなのに軽妙な雰囲気を出していること自体、演出としてどうなのかと。
コーラーが情報を知らせてテープを聴かせた時も、どうも軽いんだよな。真剣さが足りない。本気にしていない素振りがある。それまではコーラーが送って来た写真さえ確認していないし。
そりゃあ、知らない青年が急に情報が云々と言っても信じられないかもしれないけど、ナチ・ハンターとしてナチス残党狩りに執念を燃やしているはずなんだから、せめて写真ぐらいは確認しておくべきじゃないかと。そこで確認しないのは、本気度が低いように思える。

それ以降も、今一つ緊迫感が足りていない。
その大半は、リーバーマンの態度によるものだ。どうもノンビリした雰囲気が拭えないのだ。
「メンゲレの計画の恐るべき内容を知らないから」ってこともあるだろうけど、相手がナチスの残党なんだから、詳しい内容はどうあれ、それなりに恐ろしい内容であることは容易に想像が付くはず。
それにしては、「一刻も早く何とかしないと」という切迫感が不足している。メンゲレが「老いぼれのユダヤ人」と扱き下ろしているけど、ホントに「老いぼれ感」が強く出過ぎているし。

リーバーマンにノンビリした雰囲気が漂っているだけでなく、映画全体としてもノンビリした雰囲気が拭い切れない。無駄な描写にまで時間を使って、ダラダラしている印象を受ける。125分の上映時間だけど、もっとシェイプアップできるし、した方がいい。
例えば終盤、メンゲレがウィーロックを脅して地下室へ行かせ、射殺するシーンが描かれるが、そんなのはバッサリとカットすればいい。ウィーロックがドーベルマンを隣室に追い払い、メンゲレが安心して不敵な笑みを漏らしたところでシーンを終わらせ、次は「リーバーマンが訪れるとメンゲレが待っている」というシーンへ移ればいい。
それでメンゲレがウィーロックを始末したことは充分に伝わるし、そっちの方がテンポが良くてシャープな印象になると思うんだよな。
他にも、無駄に丁寧な描写をしている箇所が多いと感じる。

2014年の感覚からすると、「クローンを作って云々」というのは使い古されたネタであり、そこに目新しさは全く無い。
しかし1978年なら、たぶん新鮮味のある素材だったのだろう。
ただし、そういう時代感覚とは別の部分で、クローンという要素の扱いに関して乗り切れないモノを感じる。
何が引っ掛かるかっていうと、「ヒトラーと同様に公務員の父親が65歳で死んだからって、ヒトラーと同じように成長するはずがねえじゃん」ってことだ。

人間が成長する上で影響を及ぼす要素ってのは、「父親の存在」「母親の溺愛」の占める部分が圧倒的に多いわけではない。周辺の住環境とか、読む本とか、見る映画とか、友人関係とか、学校での教育とか、時代の雰囲気とか、他にも色々とあるわけで。
「時代の雰囲気」という要素1つに絞っても、1978年のジャックが過ごしている米国と、ヒトラーが少年時代を過ごしたドイツでは全く異なるわけで。
そんな環境で少年が「独裁者としてアーリア人の支配する世界を作ろう」という野望を抱くようになるってのは、無理があり過ぎるわ。
そもそもヒトラーにしても、少年の頃から「独裁者になろう」「ユダヤ人を迫害しよう」と思っていたわけじゃないし。

メンゲレも「全てのクローンがヒトラーのように成長するわけではない。成功確率は3〜5パーセント」と思っているからこそ、大勢のクローンを用意しているんだけど、そのために養子斡旋会社を作り、赤ん坊から養育してもらい、14歳になったところで父親を事故に見せ掛けて殺害するってのは、すげえ手間と時間を費やした計画だよなあ。
それは費用対効果として、どうなのかと。
本気で計画を進めるのであれば、少年の住環境は、もっと細かいところまでヒトラーと一緒にしなきゃダメでしょ。アメリカやイギリスなど、ドイツ以外の国で養育してもらっている時点で言語が異なるという問題が生じるし。そもそも世界情勢がヒトラーの時代とは全く異なるわけで、他の部分を「同じ環境」に近付けても、そこだけはどうしようもないぞ。
そういうことを考えると、メンゲレの計画は、まさに「絵に描いた餅」であり、机上の空論でしかない。
本気で「ヒトラーの再来」を作ろうとするのなら、環境を似せて養育してもらうよりも、メンゲレが手元に置いて徹底的に独裁者としての英才教育を詰め込んだ方が可能性が高いだろう。

映画のラスト、ベネットは94人のクローンを抹殺すべきだと主張するが、リーバーマンは「罪の無い子供を殺すべきではない」と考えてクローンのリストを焼却する。
ウィーロックの養子であるボビーがメンゲレの死体を写した写真を現像し、不気味な笑みを浮かべる様子が描かれる。
最後に「メンゲレの作戦は成功していた」と匂わせるオチを用意してゾッとさせるってのは、映画の手法としては理解できる。
ただし、それは「残忍な殺人者の遺伝子を持つ子供は必ず残忍に成長する」という風に解釈できるわけで、ちょっとヤバめのオチではある(そのため、ビデオ化の際にはラストシーンがカットされた)。

それと、そういうオチを用意するのであれば、帰宅した時のボビーの動かし方は明らかに間違っている(っていうか、そのオチが無くても間違っているとは思うんだけど)。
格闘の末に血だらけになっているリーバーマンとメンゲレを見たボビーは嬉々とした表情で写真を撮影するんだけど、そこで浮かれるってのはイカれてるだろ。
ドーベルマンにメンゲレを殺させた後、リーバーマンに「放っておけばアンタも死ぬぞ。僕が殺させたことは口外するなよ」と脅しを掛けるのも違うだろ。
そういうイカれっぷりや冷酷さを先に見せちゃったら、その後で「ヒトラーの遺伝子が受け継がれている」というオチを用意しても「まあ、そういう奴でも不思議ではないわな」と思わせてしまう。そこに意外性が無くなる。

ボビーにそういう行動を取らせるのであれば、オチに登場するのは別の少年にすべきだろう。
そして出来ることなら、ボビーは何らかの方法で命を落とす形にしてしまった方がいい。
そもそも、ボビーを「死にそうなリーバーマンに脅しを掛けるような冷酷なキャラ」にしておくと、リストを渡すよう要求するベネットにリーバーマンが「罪の無い子供を殺させるわけにはいかない」と告げるシーンで「いやいや、ボビーは明らかにヒトラー候補生の雰囲気バリバリだったぞ」とツッコミを入れたくなるし。
そういうことを考えると、「生意気なガキ」というキャラ造形にしていること自体、どうかと思うぞ。

(観賞日:2014年11月9日)


1978年スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最悪の助演男優】部門[ローレンス・オリヴィエ]
<*『ベッツィー』『ブラジルから来た少年』の2作でのノミネート> ノミネート:【最も苛立たしいインチキな言葉づかい(男性)】部門[ジェレミー・ブラック]
ノミネート:【最も苛立たしいインチキな言葉づかい(男性)】部門[ローレンス・オリヴィエ]
<*『ベッツィー』『ブラジルから来た少年』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会