『ビッグムービー』:1999、アメリカ
ハリウッドで弱小映画製作会社“ボウフィンガー国際映画社”を経営するボビー・ボウフィンガーは、会計係アフリムに執筆させた脚本に 感銘を受け、映画化すると決意した。ボビーは、キャッツの端役を受けようとしていた女優キャロル、男優スレーターとアフリムに連絡を 入れ、翌日の午前10時に集合させた。映画のタイトルは『チャビー・レイン』で、「エイリアンが雨粒に入って地球に襲来し、主人公の CIA諜報員キースが戦う」という内容だ。
ボビーは映画スタジオの洗車係デイヴに「撮影監督にする」と約束し、大物映画製作者ジェリー・レンフロのスケジュールを調べさせ、 スタジオの駐車場からベンツを持ち出させる。ボビーはベンツに乗って高級レストランへ赴き、レンフロの隣のテーブルに座る。レンフロ は、旬のアクション俳優キット・ラムジーを最新作に出演させたがっていた。その隣でボビーは、キットと電話交渉している芝居をする。 ボビーはレンフロに話し掛け、脚本を見せる。するとレンフロは、「キットが主演なら」と企画に乗ってきた。
キットは新作の脚本を読み、こじ付けで「黒人差別が隠されている」と思い込んでエージェントのハルに怒りをぶつける。ボビーは口八丁 でキットに近付こうとするが、ウソがバレて追い払われる。キットは「エイリアンや雪男がいる」という強迫観念に苛まれており、テリー ・ストリクターが創設した自己啓発セミナー団体“マインド・ヘッド”に入信していた。
ボビーは仲間の元に戻り、「レンフロとは話が付いたが、考えてみればキットが出演すれば自分たちで作ればいい。そのキットと会って出演 のOKを貰った」とウソをつく。ボビーはデイヴにだけは本当のことを話し、「キットを隠し撮りしてフィルムを繋げば映画になる」と 言う。ボビーは、こつこつと溜めた2184ドルで映画を作り上げるとデイヴに告げる。
ボビーは、25ドルの料金でヒロイン役のオーディションをする。そこへ、オハイオから女優を目指してやって来たデイジーが現われる。 小切手しか持っていなかったため、ボビーは追い払おうとする。しかしオーディションでキスの相手役を務めるスレーターは彼女に惹かれ 、ボビーを説得する。スレーターがデイジーと熱烈なキスをする様子を見て、ボビーは彼女を合格にした。
ボビーはメキシコからの不法移民を集め、製作スタッフにした。そしてデイヴには、スタジオの倉庫からカメラを盗み出させた。ずっと 借りたままだと気付かれるので、一日ごとに撮影が終わった後は返却することにした。ボビーはデイジーやキャロルたちに、「キットは役者 のポリシーとして、リハーサルはしないし、我々とも打ち合わせはしない。カメラも見ない」と告げ、隠し撮りのことを明かさずに撮影に 入った。ボビーはデイヴにキットのスケジュールを調べさせ、それに合わせてデイジー達に芝居をさせる。
キットは、いきなりオープンカフェでキャロルから「エイリアンが云々」と言われ、激しく動揺する。キャロルはセリフを喋っただけだが、 何も知らないキットはパニックに陥り、テリーの元へ駆け込む。テリーから幻聴を聞くことはあるか尋ねられたキットは、「レイカーズの チアリーダーにイチモツを見せろと、テッドという男に囁かれることはある」と答える。
スレーターと肉体関係を持ったデイジーは、彼から「出番が増えるかどうかは脚本家次第」と聞かされ、アフリムと寝て台本を書き換えて もらう。台本上では出番の増えたデイジーだが、アフリムから「新たなシーンが採用されるかどうかはボス次第」と言われる。精神的に 追い込まれたキットがマインドヘッドの特別ルームに入ったため、ボビーは彼の居場所が分からなくなった。そこで、そっくりさんの オーディションを行うことにする。ボビーは、バーガーキングのポテト係ジフを採用することにした。
ボビーはジフを使い、車が猛スピードで走る道路を横断するという危険なシーンを撮影する。デイジーに誘惑されて関係を持ったボビーは、 彼女の出番を増やした。特別ルームを出たキットが写真スタジオを訪れることが判明し、ボビーたちはロケに出向く。いきなりデイジー達に セリフで話し掛けられたキットはパニックに陥って逃げ出し、その様子をボビーは撮影する。
撮影が続く中、ジフがキットの実兄だということが明らかになった。ボビーはジフに指示し、キットのスケジュールを聞き出させた。同じ 頃、映画スタジオの警備員は、デイヴがカメラを持ち出していることに気付いた。マインドヘッドの入信者である警備員は、キットが 隠し撮りされていることをテリーに報告した。そんなことは知らず、ボビーたちは順調に撮影を続ける。ボビーは、エイリアンが本当に襲来 したと信じ込んだキットをデイジーにビルへと連れ出させ、最終シーンの撮影に入る…。監督はフランク・オズ、脚本はスティーヴ・マーティン、製作はブライアン・グレイザー、製作協力はキャスリーン・コートニー、 製作総指揮はカレン・ケーラ&バーニー・ウィリアムズ、撮影はウエリ・スタイガー、編集はリチャード・ピアソン、美術はジャクソン・ デゴヴィア、衣装はジョセフ・G・オーリシ、音楽はデヴィッド・ニューマン、音楽監修はピラー・マッカリー。
出演はスティーヴ・マーティン、エディー・マーフィー、ヘザー・グレアム、テレンス・スタンプ、ロバート・ダウニーJr.、 クリスティン・バランスキー、ジェイミー・ケネディー、バリー・ニューマン、アダム・アレクシ=モール、コール・サッダス、 アレハンドロ・パティーノ、アルフレッド・デ・コントレラス、ラミロ・ファビアン、ジョニー・サンチェス、クロード・ブルックス、 ケヴィン・スカネル、ジョン・プロスキー、マイケル・デンプシー他。
主演のスティーヴ・マーティンが脚本も担当し、『ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ』『ハウスシッター/結婚願望』のフランク・ オズが監督を務めた作品。
『ビッグムービー/だから映画はやめられない』という別タイトルもある。
ボビーをスティーヴ・マーティン、キット&ジフの2役をエディー・マーフィー、デイジーをヘザー・グレアム、テリーをテレンス・スタンプ、レンフロをロバート・ ダウニーJr.、キャロルをクリスティン・バランスキー、デイヴをジェイミー・ケネディーが演じている。「スター俳優を隠し撮りして映画を作る」という題材には、実は元になった事実がある。
1927年、メアリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスは新婚旅行でモスクワを訪れた。
その際、撮影所に立ち寄った2人は、ニュース映画に使用すると聞かされて撮影を許可した。
ところが、セルゲイ・コマロフ監督はそのシーンを使って劇映画を作った。
それがソ連映画『メアリー・ピックフォードの接吻』だ。
こちらは隠し撮りではないが、そういう元ネタがあるのだ。導入部分からして失敗していると感じた。
まずアヴァンにおけるボビーや会社の現状のアピールが薄い。どれだけ弱小の会社なのか、 今までにどんな作品を手掛けてきたのか、今の会社がどれだけヤバい状態なのか、そういうことをもっと描写すべきだ。
そこは逆に、「いかにもマトモな会社に見せ掛けて、タイトル後に会社のチープさや感動した脚本のチープさを示してギャップで笑いを 取る」という方法もある。
だが、アヴァン・タイトルで電話料金を滞納していることは見せているわけで、どっちで考えても中途半端だ。
っていうか、後で「こつこつ溜めた2184ドルで映画を作る」と言っている辺りからすると、もしかして今までに1本も作っていないのかな。
その辺りも、良く分からないんだよな。
もしも1本も作ったことが無いという設定なら、それはやめた方がいい。何本かトラッシュ映画を作っている設定の方が絶対にいい。
どっちにしろ、今までの実績が分からない描写ってのが中途半端だ。ボビーが話を持ち掛けた時の、レンフロの対応も中途半端。
パラパラと簡単に脚本をめくり、最後の主人公のセリフ「うせろボケ」を気に入ったということで企画にゴーサインを出すのだが、それが 「ウザい奴(ボビー)が来たので適当に追い払った」という風には見えない。
そうなると、クールだけれど普通に乗り気だということになる。
でも、アフリムの書いた脚本は「誰が考えてもチープでヒドい」というトコロで笑いにしてあるはずで、そんなに簡単に乗ったらダメでしょ。キットが登場しても、アクションスターとしてのアピールが弱い。
せいぜい出演作の看板が映るだけであり、どれだけ活躍しているか、旬の男かというアピールは薄い。
彼が出演しているヒット映画の1シーンを観客に見せるとか、メジャーのスタジオで新作を撮影している現場を見せるとか、そういうモノ が欲しい。そうすれば、ボビーの「チープでインチキな映画作り」との対比にもなる。
っていうか、これって「架空の俳優」じゃなく、本人役で出てもらった方が面白くなるんじゃないの。
ただ、その場合はエディーじゃなくアクション俳優じゃないとダメだけど。
元々、スティーヴ・マーティンはキット役にキアヌ・リーヴスを想定したそうで、その方が、少なくとも本作品よりは面白そうだ。
キアヌは“ビルとテッド”シリーズでコメディーもやってるし。コメディーとしてもねえ、なんか滑ってる感じが強いんだよなあ。
例えば、スレイターがデイジーと熱烈なキスをするのを見たボビーが「もう追っ立てるなよ」と言って合格を出してシーンが 切り替わるんだが、それってオチてないでしょ。ボビーのセリフが、「なぜデイジーを合格させるのか」というトコロに繋がってないじゃん。
キットが何でも無理矢理に黒人差別と繋げるという場面や、テリーが彼に「エイリアンはいない。雪男はいない」などと考えるルールを 説く場面などは、笑いの作り方としては分かるけど、まあ滑ってるよな。キットがレイカーズのチアにチンポを見せたい衝動に駆られる という設定も、ボビーが映画上映に漕ぎ付けるための交換条件には使用されるが、笑いとしては使われない。
そもそも、ボビーが強迫観念に駆られているという設定が、ワガママで気難しいという性格設定を薄れさせるマイナスにばかり作用して いると感じる。強迫観念という設定があることによって、マインドヘッドという団体が絡んでくるのだが、そこの存在価値も薄いんだよな。 いかにも悪党っぽい配置なんだけど、別にワルとして行動するわけでもないし。ボビーは仲間に「キットは出演をOKした」とウソをつくのだが、そこはデイヴ以外の面々にも「隠し撮りで作る」と宣言してしまった方 がいいと思うんだけどな。
その方が、チームプレーとしての面白さを見せられる。
そこで「キットはカメラを見ないしリハは無いし我々と打ち合わせもしない」という無理な説明で仲間にウソをつくよりも、そっちの方が いい気がするが。キットが消えて、そっくりさんのジフを使って撮影をするという辺りに来て、完全に話がブレる。
エディーにお得意の「1人で複数の役」というのをやらせたかったのかもしれんが、それなら最初から似た奴を起用して映画を撮影すると いう内容にして、本物とニセモノのギャップで笑いを取りに行けばいい。
隠し撮りで始めたなら、最後まで徹底すべきだ。
途中で中途半端にそっくりさんなど挟むべきではない。
どうにも足場が定まってないなあ。ボビーがシーン増加を望むデイジーに誘われ、部屋に招いてベッドインするという場面は、いちいち時間を費やすようなシーンではない。
デイジーがスレイターとアフリムと次々に寝るシーンでは、「寝た翌朝」というアフターの部分だけを描いているのだから、ボビーの時も 天丼でいい。
そこに時間を割いているからといって、邪魔が入って失敗するとか、デイジーがベッドで豹変して変態趣味を発揮してボビーが焦るとか、 何か笑いを取りに行くようなモノも無いんだし。完成した映画の試写会で、観客から拍手喝采が来るという描写は有り得ないだろう。
それなら、「ボビーがイメージしていたのとは全く別の内容になってしまったので落胆するが、瓢箪から駒で客に受けるモノになっていた」 ということにでもすべきだろう。
明らかにクソ映画の内容だったのに、そのままで拍手喝采って、どこにコメディーとしてのポイントがあるのか分からないぞ。
あと、この映画よりも、もちろん『チャビー・レイン』よりも、最後に「台湾からジフ主演で製作のオファーが来た」ということで描写 される映画『FAKE FURSE NINJAS』の方が遥かに面白そうなんだよな。
その映画の中では、スティーヴとエディーがコンビを組んでるしね。
本作品の中では2人がバディーを組まないので、コンビネーションとしての面白さは皆無なんだよな。