『ボビー・ジョーンズ 〜球聖とよばれた男〜』:2004、アメリカ

1936年、スコットランドのセント・アンドリュースを訪れたボビー・ジョーンズは、旧知の仲であるキャディーのアンガスに声を掛ける。ボビーの妻であるメアリーは、車で街に出た。するとボビーの凱旋を喜んだ人々がセント・アンドリュースに出掛けたため、店は全て休業になっていた。コースに出ようとしたボビーは、大勢の人々の拍手に迎えられて感激した。「1人に知らせただけなんだがな」と言うアンガスや観客たちの見つめる中、ボビーはコースに出てティーショットを放った。
ボビーは幼い頃から遊び感覚でゴルフをやっており、メイドのカミーラに「窓が割れたらどうするつもりです」と諌められることもあった。母のクララは中国の十二支についてボビーに説明し、「貴方は寅年よ。人の上に立つ性格だけど、とても怒りっぽいの。でも困難に打ち勝って、夢を叶える」と述べた。父のビッグ・ボブはゴルフが好きで、コーチのスチュアート・メイドンが教えるクラブの会員になっていた。ある時、スチュアートの兄でプロゴルファーのジムがコースを訪れ、レッスンを行った。ビッグ・ボブはボビーを連れて参加するが、お世辞にも上手とは言えない腕前だった。スチュアートが披露した手本のティーショットに、ボビーは目を奪われた。
ボビーが両親と共に帰宅すると、祖父が待っていた。敬虔なクリスチャンである祖父は、安息日にゴルフへ行くことを快く思わなかった。「教育に悪い」と言われたボブは、病弱なボビーの健康を考えてのことだと説明した。「それは口実で自分が楽しみたいだけでは?」と指摘されたボブは、「接待でもある。コカ・コーラ社は大事な顧客になった。私が重役たちとゴルフをしたからだ」と述べた。すると父は、「弁護士としての成功はゴルフのおかげか?バカバカしい」と嫌味っぽく告げた。
スチュアートがレッスンを行っていると、コースへ忍び込んだボビーが彼のスイングを模倣しながら付いて回った。帰るよう言われて立ち去ったボビーは落ちているボールを拾い集め、スチュアートの作業場に届けて「1個20セント」と告げた。後日、ボブがボビーを連れてレッスンに行くと、スチュアートは「ボビーにもプレーさせたらどうかな」と持ち掛けた。彼はボビーのために、子供用のクラブを作っていた。ボビーは「思い切って打て」と助言されてボールを打ち、笑顔を見せた。
ボビーは幼馴染のアレクサ・スターリングに誘われ、ゴルフ大会の見物に出掛けた。大会には全英オープン王者のハリー・ヴァードンが出場しており、その見事なショットにボビーは興奮した。しかし係員から「学校は休みか」と言われ、追い払われてしまった。ボブは接待相手たちの前で、ボビーにスイングの物真似をさせた。アレクサたちがゴルフに行こうと誘いに来ると、ボブは笑顔で了承した。ボビーが出掛けた後、彼が放り出した聖書を拾い上げたクララは、ボブに咎めるような視線を向けた。
14歳に成長したボビーは、ジョージア州のアマチュア選手権に出場した。観戦に来た記者のO・B・キーラーは、旧知の仲であるミルトの相手が子供なので軽く見ていた。しかしボビーが見事なフォームで素晴らしいショットを放ったので、彼は驚愕した。ボビーは優勝し、OBはボビーの美しいフォームと天才的な才能を称賛する記事を書いた。全米アマチュア選手権に出場したボビーは、ショットの乱れに腹を立ててクラブを叩き付けたり汚い言葉を吐いたりすることもあったが、何とか初戦を突破した。
スポーツライターのグラントランド・ライスに褒められたボビーは、次の試合で負けた。それを伝える新聞記事を読んだボビーは、自分が能天気な男のように記されているので悔しくなった。するとOBは、有名税だから慣れるべきだと説いた。ボビーが列車で帰郷すると、大勢の人々が駅で出迎えてくれた。ボブは彼に、「この人たちが、お前の戦いを見守っている」と言う。「でも負けたのに」とボビーが口にすると、父は「いつか勝つ。その片鱗を見た。期待を裏切らないでくれ」と述べた。
青年へと成長したボビーは、アレクサと組んで赤十字の慈善大会に出場した。ミスショットに苛立った彼がクラブを投げると、アレクサは「人に怪我をさせる気?」と注意する。「貴方はスターなのよ」と言われたボビーは、「僕は無冠だ。アマチュア王者の君とは違う」と告げた。するとアレクサは、「将来を見込まれてるのよ。態度を改めなさい」と諌めた。試合はボビーとアレクサがペリー・アデア&エレイン・ローゼンタール組に勝利し、戦争の義援金として15万ドルが集まった。
ある慈善試合で、ボビーは全米オープン王者のウォルター・ヘイゲンと対戦することになった。ヘイゲンは遅刻しても全く悪びれた様子を見せず、まだ報酬を渡していないキャディーから金を借りた。彼のフォームは酷かったが、トラブルショットでもグリーンに乗せる腕前を見せてボビーに勝利した。彼はボビーに、「3度の失敗があっても見事な1打があれば取り戻せる。どう持ち直すかが大事だ」と語った。ヘイゲンはボビーにプロ転向を勧め、「戦争が終わればトーナメントも始まる」と言う。しかしボビーは、プロに行かず秋から工科大学へ進学することを話した。
「金を稼ぎたくないか?」と訊かれたボビーは、「僕には学業の方が大事です」と答えた。「だったら、なぜゴルフをやってる?」という質問に、彼は「好きだからです。勝ちたい」と述べた。ヘイゲンは「私は違う。金を稼ぐために勝たなければならない。君が私に挑んで来るのなら、必ず打ちのめす」と笑顔で告げた。大学に進んだボビーはメアリーと出会い、交際を始めた。相手がカトリックでないと知り、メアリーの父であるジョンは不快感を示す。しかしボビー・ジョーンズだと知ると、途端に態度を変えた。
ボビーは全米アマチュア選手権大会の決勝に進出するが、ショットの直前に役員が大声を発したことでペースを乱され、優勝を逃した。これで4大会連続の準優勝となり、OBは役員のせいだと憤懣を口にする。しかしボビーは、「関係ないよ。実力で負けた。この試合中に6キロ近くも痩せた。地元の大会では、こんなことは無かった。自己管理が出来ていない証拠だ」と語る。OBは「正しい判断のためには、それなりの経験が必要だ。経験とは失敗から学ぶものだ」と説いた。
禁酒法が施行される前日の1920年1月15日、ボビーはメアリーを連れて大学のゴルフ部に所属するアレクサやペリーたちの待つ酒場へ赴いた。しかしゴルフをやらず酒も飲まないメアリーは居心地の悪さを感じ、すぐに店を出た。ふさわしい人を選ぶべきだと告げる彼女に、ボビーはキスをして「もう見つけた」と告げた。1921年度の全英オープンに出場したボビーは、初めてキャディーのアンガスと組んだ。ボビーはヴァードンとの対戦を知り、心を躍らせた。
ボビーがバンカーショットに苦しんでいると、アンガスは「方法を変えないと結果は同じだ」と助言した。スコアを崩したボビーが途中で試合放棄しようとすると、アンガスが「負けた方がマシだ。放棄したことは人々の記憶に残るぞ」と諭す。しかしボビーは耳を貸さず、そのままコースを後にした。ボビーの棄権を知ったヴァードンは、「言いたいことは1つ、諦めるなということだ。ここは素晴らしいコースだ。今に分かるだろう。何があっても打ち続けなさい」と告げた。
ある大会で脚の痛みを堪えてプレーしていたボビーは、池にボールを落としてしまう。苛立った彼はクラブを投げ捨て、それは観戦していた女性の脚に当たってしまう。すぐにボビーは謝罪し、女性は「大丈夫」と言う。しかし全米ゴルフ協会は事態を重く捉え、ウォーカー理事はボビーに「自制心を身に付けるまで大会への出場を禁止する」と通達した。父から「成長して大人になれ」と諭されたボビーは、「勝てば大人になるのか」と反発した。ボビーの脚は静脈瘤に冒されており、しばらく入院することになった。ボビーはウォーカーに謝罪の手紙を書き、今後は紳士的な行動を心掛けると約束した…。

監督はローディー・ヘリントン、原案はローディー・ヘリントン&キム・ドーソン、脚本はローディー・ヘリントン&ビル・プライアー&トニー・デポール、製作はキム・ドーソン&ジョン・シェパード&キム・ドーソン、製作総指揮はリック・エルドリッジ&デイヴ・ロス&トム・クロウ&ジム・ヴァン・イーデン&グレッグ・ギャロウェイ、製作監修はリック・エルドリッジ、撮影はトム・スターン、編集はパスクァーレ・ブバ、美術はブルース・アラン・ミラー、衣装はビヴァリー・サフィア、音楽はジェームズ・ホーナー。
出演はジム・カヴィーゼル、クレア・フォーラニ、ジェレミー・ノーサム、マルコム・マクダウェル、コニー・レイ、ブレット・ライス、エイダン・クイン、デヴォン・ギアハート、トーマス・“ババ”・ルイス、ダン・オルブライト、ポール・フリーマン、アリステア・ベッグ、ヒルトン・マクレー、エリザベス・オミラミ、ブライアン・F・ダーキン、ジョン・シェパード、ハッピー・ラシェル、アレン・オライリー、ラリー・トンプソン、ティム・ウェア、デヴイッド・ヴァン・ホーン、ランド・ホプキンス他。


1930年に全米オープン&全英オープン&全米アマ&全英アマの4大メジャー・トーナメントを制して年間グランドスラムを達成するなど、8シーズンでメジャー優勝13回を達成しながらも28歳の若さでアマチュア選手のまま引退した伝説のゴルファー、ボビー・ジョーンズの伝記映画。
監督は『スリー・リバーズ』『コンフェッション』のローディー・ヘリントン。
ボビーをジム・カヴィーゼル、メアリーをクレア・フォーラニ、ヘイゲンをジェレミー・ノーサム、OBをマルコム・マクダウェル、クララをコニー・レイ、ボブをブレット・ライスが演じている。

6歳のボビーが登場すると早速、庭でゴルフの真似事をやっている様子が描かれる。
だから、そこから彼とゴルフの関係について描写されるのかと思いきや、母親から十二支について説明されるシーンになる。その前には父親が帰宅するシーンもあるが、父の影響でゴルフの真似事を始めたってのも、その段階では分からない。
だから、たまたま遊びの中の1つとしてゴルフをやっていたのか、もう少し熱心な度合いでゴルフが好きだったのか、その辺りもボンヤリしている。
例えば帰宅した父とボビーの間でゴルフに関する会話を少し入れるだけで、「父がゴルフ好きで、その影響でボビーも興味を持つようになった」ってことは伝わるのだ。

その後、汽車でやって来た男を別の男が出迎え、ゴルフコースへ行く展開がある。汽車で来たのはプロゴルファーのジム・メイドンで、出迎えたのは弟でコーチのスチュアートなのだが、そのことが全く分からないまま話が進行する。
上述した粗筋だと、もう登場した段階で2人の名前や職業や関係性が分かっているように思うかもしれないが、そうではない。
ものすごくボンヤリしたまま、しばらく話が進む。
当時のジムは、まだプロゴルファー転向前なのかもしれないけど、その辺りも良く分からない。

スチュアートが手本としてボールを打つと、スローモーション映像になる。
それを見たボビーの顔がアップになり、「衝撃を受けた」ということを表現しているのは明白だ。ただし問題は、そこまでに「ボビーのゴルフに対する思い入れ」が全く伝わっていないってことだ。
そのため、そこで急に「ボビーがスチュアートのショットに心を奪われた」という表現を持ち込んでも、ピンと来ないのだ。
ちょっと遊びでボールを打つシーンを入れただけってのは、どう考えたって足りないわ。

別にエピソードとして何か入れる必要は無くて、会話の中でゴルフについて言及する形でもいいんだけど、とにかく「ゴルフと私」のアピールが全く足りていない。
ゴルフに対して、そんなに思い入れが無くてもいいのよ。それならそれで、そういうことに触れておけばいい。
そうすれば、「そんなに興味は無かったけど、スチュアートのショットに胸を撃ち抜かれ、ゴルフ熱が急激に芽生えた」ってことになるし。
何でもいいから、ボビーがスチュアートのショットを見たことに大きな意味を持たせるための前置きが欲しいのよ。

スチュアートがボビーに熱心さを感じてプレーさせるようになる展開は、もうちょっと熱が欲しいし、いい意味での引っ掛かりが弱い。何となくサラッと流されてしまう。
その後には急に少女が登場してボビーに「もう始まってるわ」と声を掛けるが、「とりあえず誰なのか紹介してくれよ」と言いたくなる。
その少女が成長すると登場しない程度のチョイ役ならともかく、その後もゴルファーとして関わる人物なのに、登場シーンの扱いが雑。
あと、それは後にアマチュア・ゴルファーとして活躍するアレクサ・スターリングなんだけど、そういうことって実は先に明かしちゃった方がいいんじゃないか、その方が面白味が出るんじゃないかという気がしないでもない。

ボビーはアレクサと一緒にゴルフ大会を見物に行くが、すぐに追い払われてシーンが終わっちゃう。その次に、ボブが接待相手たちの前でスイングの物真似をボビーにさせる様子があって、そこへアレクサと友人たちがゴルフの誘いにやって来る。
そうなった時に感じるのは、「大会を見に行く手順って要らなくねえか。ただ邪魔なだけじゃねえか」ってことだ。
そこをカットして、「ボビーが友人たちに誘われてゴルフに行く」というシーンを描いた方がスッキリするよ。
これがハリー・ヴァードンに強い影響を受けたってことなら分かるんだけど、そういうわけでも無さそうだし。

で、ゴルフボールを打ってゴミ箱に入れる練習をしている間に、ボビーは14歳に成長する。
もちろん、どこかで時間の飛躍を設けないとボビー・ジョーンズの半生を描くことが出来ないのは分かる。ただ、「そのタイミングかなあ」と思ってしまう。
スチュアートが「プレーさせてみては」と言うシーンはあるが、そこからボビーが彼のレッスンを受けているのかどうかは分からない。アレクサたちからゴルフに誘われたけど、一緒にプレーするシーンは全く無い。
そういうのが、手落ちに思えてしまうのだ。
しかも、それ以降はスチュアートが後半に入るまで登場しないんだよな。

ジョージア州のアマチュア選手権でボビーが優勝した時も、全米アマチュア選手権に出場する時も同行する小太りのオッサンがいるのだが、これが誰なのかサッパリ分からない。
それはジョージ・アデアという男で、その息子がペリー・アデアだ。
ペリーは慈善試合で対戦したり大学のゴルフ部でも一緒になったりする男で、ってことはアレクサがゴルフに誘いに来た時、一緒にいた幼馴染が彼ってことだろう。
でも、そういうのも映画を見ているだけだと分かりにくい。
誰もがボビー・ジョーンズの情報に詳しいわけじゃないのに、「全てのことを御存知でしょ」ってなスタンスで描いちゃってるんだよな。

全米アマチュア選手権の一回戦でボビーはゴルフを叩き付けたり汚い言葉を吐いたりするが、それを誰かが咎めるわけでもないし、普通に勝ってしまうので、その行動を描写する意味が薄い。
2回戦の相手であるガードナーは恋人か妻らしき女性に視線をやった後、ショットを失敗するのだが、カットが切り替わるとボビーの敗北が決まっている。
だったら、ガードナーに関する描写は何の意味があるのかサッパリ分からない。
説明不足と無駄な描写の多さが、ものすごく気になるわ。

帰郷シーンから映像が切り替わるとボビーは青年へと成長しており、アレクサと組んで試合に出ている。
でも、幼少時代のシーンで誘いに来た少女の名前が一度も出ていないので、その少女が成長した姿がアレクサであることが伝わりにくい。
その大会ではボビーがアレクサからクラブを投げる悪癖を注意され、さっさと終わって次のシーンに移る。そんなに中身のあるシーンとは言い難い。ヘイゲンとの出会いは重要なはずなんだけど、かなり淡白に処理される。
だからヘイゲンのプロとしての凄さが、あまり伝わって来ない。

大学の近くにあるカフェにいたボビーが、入って来たメアリーと視線があって恥ずかしそうに逸らすシーンがある。
だが、それが初対面で一目惚れしたってことなのか、以前から知っていたのか、それは良く分からない。
そして路線バスに乗ったメアリーをボビーが自転車で追い、「衝突事故を起こしたと思ったら、いつの間にか隣の席に座っている」という描写がある。その時点で、っていうか登場した時点で、もう2人は惹かれ合っている。そしてシーンが切り替わると雨中の大会シーンになり、会場からメアリーに電話を掛けている。もう2人は交際しているらしい。
そりゃあ恋愛劇に多くの時間を費やす余裕は無いだろうけど、それにしても淡白な処理だ。

全米アマチュア選手権大会に出場したボビーに同行しているボブは、OBに「問題は息子の性格だ。常にイライラしていると非難されてる。君が話してくれ」と頼む。それに対してOBは、「彼はクラブを投げることでしか楽になれないんだ」と擁護する。
で、そういう会話があるぐらいだから、その後に描かれる決勝戦ではクラブを投げるのかと思いきや、投げないんだよな。役員のせいで調子が狂ったのに、ため息をつくだけなのだ。
いやいや、そこはクラブを投げるチャンスでしょ。そこで投げずに、どこで投げるのよ。
それと、その後に「これで4大会連続の準優勝」という台詞があるけど、そういうのって先に触れておくべきじゃないかと。

1921年度の全英オープンに出場したボビーは、初めてアンガスと組む。
ってことは、そこでは2人が友情を育むとか、アンガスの助言でボビーの態度や考え方が変化するとか、そういう関係性を描くのかと思っていたら、ボビーのヴァードンに対する憧れとか、ヴァードンからの助言も描かれるのでピントがボンヤリしてしまう。
それと、途中棄権ってのは大きな要素のはずなのに、そこに至る流れが皆無なので弱くなっている。
また、ヴァードンの「35年の現役生活で君ほど優雅な選手は初めてだ」という言葉も、ボビーのプレーがちっとも優雅に見えないからピンと来ない。

ある大会でボビーの投げたクラブが、ギャラリーの女性に命中する。
しかし、それが原因でボビーの悪癖が改善されるのかというと、そうではない。
彼は全米ゴルフ協会から出場禁止を言い渡されたボビーは、父親に説教に反発した後、治療のために入った病院で協会理事に「反省してます。もう二度と悪いことはしませんから」という謝罪文をタイプする。
どうやら、それで出場が許可されているようだが、その流れだと本気で反省しているわけじゃなくて、ただ単に試合に出たいから謝罪文を出しただけにしか見えない。

その後は悪癖が描写されないのでボビーはクラブを投げなくなったんだろうけど、そのきっかけが「出場禁止を通達されたから」ってのは、すんげえ弱い。
そして「ずっと続いていたボビーの悪癖が改善された」ということを描くエピソードとしては、構成の質が著しく低い。
あと、ボビーが誰も見ていないのにボールが動いたことを申告してペナルティーを受け、1打差で優勝を逃すシーンがあって、それが「真のスポーツマンシップ」と称賛されるけど、そこまでの彼のプレーからすると「急に紳士的な奴に変貌してるけど、何があったのよ」と言いたくなる。
それも出場禁止の通達がきっかけで変わったってことなのか。だとしたら、すんげえ単純な人なのね。

ただ、そういう形で後半に入ってから急に「紳士的にプレーしました」ってのを描かれても、ボビーが魅力的に見えるわけではないのよね。
それと似たようなことが、「ボビーが人々から注目されたりして極度のプレッシャーを感じ、神経障害を起こしたり酒に逃げたりする」というシーンにも言える。
そこは同情心を誘うべきシーンなんだけど、ちっとも心に響くモノがないのは、「ボビーが大会に優勝することでスターになり、注目が高まる中で重圧に押し潰されそうになる」というドラマが薄っぺらいからだ。
しかも、その重圧を感じる描写の後、トントン拍子で優勝を重ねちゃうし。

この映画は最初から最後までそんな感じで、とにかく1つ1つのエピソードが薄っぺらくて雑。しかも、重要な出来事を羅列しているわけでもないんだよな。
例えばアレクサと組んで出場する慈善大会にしても、ボビーの半生を語る上で、それほど重要ってわけじゃないでしょ。
そんな風に意味の弱いエピソードも含めて色々と盛り込みすぎているから、ただ順番に断片を並べているだけでメリハリが無く、後に残るモノが何も無い雑な仕上がりになっちゃうのよ。
初優勝のエピソードも短く淡白に処理されるから、高揚感も感動もゼロだし。

ボビーをどういう人間として描きたいのか、どういう切り口から見せようとしているのか、そういうことに対する意識が全く感じられない。
伝記映画ってのは、ただ事象を順番に並べているだけでは、間違いなく退屈な仕上がりになるのだ。だから、それを避けるための工夫ってのは何よりも重視すべきなのに、何も考えちゃいない。
でも、そういう伝記映画って山のように存在するんだよな。
むしろ、そこを工夫して、伝記映画の陥りがちな失敗を上手く回避している作品の方が少ないんじゃないか。

上述したようにボビー・ジョーンズはメジャー優勝13回を達成している実力者なので、プロでも間違いなく通用したはずだ。しかし彼は、引退するまでアマチュアであり続けた。
プロを目指さなかった理由、アマチュア生活を貫いた理由ってのは、彼の半生を描く上で重要な要素になるはずだ。
しかし本作品を見ても、そこは最後までハッキリしない。
途中でヘイゲンから「金を稼ぎたくないか?」とプロ転向を勧められたボビーは「僕には学業の方が大事です」と告げ、「だったら、なぜゴルフをやってる?」という質問に「好きだからです。勝ちたい」と言っているが、ちっとも腑に落ちる答えではない。

まず「学業の方が大事だからプロに転向しない」ってのは、その年齢の頃なら、一応は分からなくもない。ただし、そこまでの展開の中で「ボビーがゴルフ一筋というわけではなく、学業も重視していた」ということに全く触れていないので、まるでピンと来ない台詞になっている。
むしろ、そこまでの展開ではボビーがゴルファーとして活躍する様子だけが描かれ、ミスショットでイライラするなど「ゴルフに情熱を注いでいる」という印象になっているので、急に「学業が大事」とクールなことを言われても、違和感があるぐらいだ。
「なぜゴルフをやってる?」という質問に対する「好きだからです。勝ちたい」という言葉は、「だからプロに転向しない」という答えに繋がるモノではない。たぶんアマであれプロであれ、みんな好きだからゴルフをやっているし、誰もが勝ちたいと思っているはずだからだ。だからボビーが大学を卒業すると、もはやアマにこだわる理由は無くなってしまう。
しかし彼は工科大学を卒業するとハーバード大学へ進学し、プロには転向しないわけで、それは何故なのかと。

後半、ボビーはハーバードを出て弁護士になるんだけど、そこまでに「弁護士になりたい」という願望が語られることは一度も無かった。
だから、「なぜプロに転向せず弁護士になるのか」という疑問が湧いてしまうし、それは最後まで解消されない。
ボビー・ジョーンズを語る上で「生涯アマチュア」ってのは重要な要素のはずなのに、そこに説得力のある答え、そして観客の心に響く答えを何も用意できていないってのは、かなりの痛手だろう。
劇中には「アマチュアこそ本当の紳士。プロとして金を稼ぐのは堕落したゴルファー」という旨の台詞があったりするけど、それは全く賛同できないし。

ひょっとするとボビー・ジョーンズは、「そもそも伝記映画に不向きな人物だった」ってことなのかもしれない。
これがドキュメンタリーなら事実を淡々と羅列していくだけでも成立するし、掘り下げ方も色々とあるので場合によっては主人公の人間性や人生をフォーカスしない作り方もあるだろう。
しかし劇映画として製作する場合、そこには観客を引き付けるドラマ性とか、キャラクターの魅力ってモノが必要になってくる。
そういうのがボビー・ジョーンズには不足していたのかもしれないと、この映画を見る限りは感じてしまった。

(観賞日:2015年7月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会