『ブレア・ウィッチ』:2016、アメリカ&カナダ
YouTubeに投稿された動画を見つけたジェームス・ドナヒューは、写っているのが姉のヘザーではないかと考えた。動画について投稿者は、「この映像は2014年5月15日、ブラック・ヒルズの森で発見されたメモリーカードとビデオを編集したものである」とコメントしていた。ヘザーは1994年10月、モンゴメリー大学映画学科の仲間たちと共に、「ブレアの魔女伝説」に関するドキュメンタリー・フィルム撮影でブラック・ヒルズの森に向かい、そのまま行方不明となっていた。その時、まだジェームスは4歳だった。
恋人のリサは、ヘザーの行方を追うジェームスの姿をドキュメンタリーとして撮影することにした。調査活動には、ジェームスの幼馴染のピーター、彼の恋人のアシュリーも同行することになった。4人はモーテルで一泊し、バーキッツヴィルへ赴いて動画投稿者のタリアとレーンに会う。森でキャンプをする計画を知った2人は、同行して一緒に調査したいと申し出た。6人は車で森に到着すると、リュックを背負って奥へ進んだ。
タリアとレーンは森で起きた忌まわしい事件やブレア・ウィッチの伝説について真剣に説明するが、ジェームスたちは信じていなかった。タリアとレーンはテープの発見場所にジェームスたちを案内し、雷で折れた木の根元に埋もれていたことを説明した。さらに奥へ進む途中、タリアは少女が謎の手に引きずり込まれて川に消えたという事件について語った。しかしジェームズたちは相変わらず、何の危機感も持っていなかった。
歩いて川を渡る途中、アシュリーが右足の裏に切り傷を負った。一行は彼女の応急手当てを済ませ、テントを設営した。リサはドローンを飛ばしてヘザーが消えた家を捜索するが、何も見つからなかった。夜、タリアはリサからブレア・ウィッチの正体について訊かれ、エリー・ケドワードという名前だと告げる。エリーは子供の血を抜く魔術を使ったとされ、有罪になった。彼女は森で木に縛られたが、死体は見つからなかった。その後、町民が次々に姿を消す事件が発生し、残った住民は逃亡した。
レーンはエリーが拷問死したこと、それから森が呪われたことを付け加えた。ピーターが「小さい頃、この森に大勢の仲間と捜索チームで来たことがある。だが、俺は魔女に襲われてない」と話すと、レーンは「ネットで読んだが、どんな呪いでも夜の森でなければ大丈夫だ」と述べた。テントで就寝しようとしたジェームスたちは大きな物音で目を覚ますが、外を確かめると何もいなかった。レーンがいないのでジェームスとリサが捜しに行くと、彼は「音の正体を調べに行った」と言いながら戻って来た。
翌朝、一行はテントの近くに枝で作った人型のオブジェが吊るされているのを発見する。それはヘザーの映像に写っていた枝と同じ形をしており、ピーターやアシュリーは怖がって帰りたがる。目を覚ましたばかりなのに腕時計は午後2時を示しており、異常だと感じた一行はテントを片付けて森を去ることにした。リサはレーンがオブジェを作ったのではないかと疑い、その根拠を示して質問する。レーンは動画を真似して作ったことを告白し、タリアも協力していたことを明かした。
タリアは「現状を見せたかった」と釈明し、レーンは「事実だから作った。この森には何かある」と訴えた。2人は「深夜の物音や2時まで眠り込んでいたことは無関係」と話すが、ジェームスたちは信じなかった。森で迷うことを恐れたタリアとレーンは同行を求めるが、激怒したピーターが追い払った。ジェームスたちはGPSを確かめながら車を停めた場所へ戻ろうとするが、キャンプ地に戻ってしまった。アシュリーの怪我も考慮し、ジェームスたちは再びテントを張って泊まることにした。
ピーターはジェームスとリサにアシュリーの傷が悪化していることを知らせ、「何か変だ。傷の中に何かあるし、高熱を出してる」と言う。薪を探しに行ったピーターは、不気味な物音を聞いて逃げ出す。倒木の音を耳にしたジェームスがピーターの捜索に向かうと、懐中電灯が落ちていた。彼は無線機で呼び掛けるが、応答は無かった。ジェームスはキャンプ地に戻り、ピーターを待つことにした。するとタリアとレーンが、すっかり憔悴した様子で現れた。レーンはジェームスたちを異常なほど警戒し、偽物ではないかと疑いを掛ける。タリアが焚き火に近付こうとすると、レーンは「残りたいなら好きにしろ。彼らは死ぬ」と去ってしまった。
ジェームスたちはテントで就寝し、翌朝の7時に目を覚ます。しかし太陽は昇らず、外は暗いままだった。彼らがテントを出ると、周囲に人型のオブジェが幾つも吊り下げられていた。タリアは自分の頭髪が使われたオブジェに気付き、困惑の表情を浮かべる。彼女の仕業だと思い込んだアシュリーは憤慨し、オブジェを奪い取って乱暴に折った。するとタリアが腰から折れ曲がって倒れ、アシュリーは絶叫した。直後にテントが空中へ浮き上がり、ジェームスたちは散り散りに逃げ出した。
リサはジェームスと合流し、アシュリーの捜索に向かう。アシュリーは傷口の膿が広がっているのに気付き、そこから這い出した虫を引き抜いた。リサの無線機にはピーターからの通信が入り、「助けてくれ」という声が聞こえた。ジェームスは大きな音に怯えるリサを落ち着かせ、捜索を続ける。アシュリーは枝に絡まったドローンを発見し、木に登って手を伸ばす。しかし彼女は落下してしまい、何者かに引きずられた。アシュリーの悲鳴を聞いたジェームスは、映像にあった家を発見する…。監督はアダム・ウィンガード、脚本はサイモン・バレット、製作はロイ・リー&スティーヴン・シュナイダー&キース・コルダー&ジェス・コルダー、製作総指揮はジェニー・ヒンキー&ダニエル・マイリック&エドゥアルド・サンチェス&グレッグ・ヘイル、共同製作はアダム・ウィンガード&サイモン・バレット、撮影はロビー・バウムガルトナー、美術はトム・ハモック、編集はルイス・シオッフィー、衣装はカティア・スターノ、音楽はアダム・ウィンガード。
出演はジェームズ・アレン・マキューン、キャリー・ヘルナンデス、ブランドン・スコット、ヴァロリー・カリー、コービン・リード、ウェス・ロビンソン。
1999年の映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の続編。
監督は『サプライズ』『ザ・ゲスト』のアダム・ウィンガードで、音楽も担当している。
脚本も同じく『サプライズ』『ザ・ゲスト』のサイモン・バレット。
ジェームスをジェームズ・アレン・マキューン、リサをキャリー・ヘルナンデス、ピーターをブランドン・スコット、タリアをヴァロリー・カリー、アシュリーをコービン・リード、レーンをウェス・ロビンソンが演じている。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』には2000年に公開された『ブレアウィッチ2』という続編があるのだが、この映画は「それとは別の続編」という形になっている。
『ブレアウィッチ2』は「前作の大ヒットを受けて起きた出来事を再現した映画」という内容だったが、今回は『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のヒロインであるヘザーを弟が捜索に向かう話になっている。
しかし『ブレアウィッチ2』で「1作目はフィクションでした」と言っているようなモノなので、今さら「やっぱり実話です」と軌道修正を図っても「いや無理だから。手遅れだから」と冷静にツッコミを入れたくなる。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は6万ドルという低予算で製作され、全米興行収入1億4000万ドルの大ヒットを記録した。
これを受けて、同じようにPOV方式を採用したモキュメンタリー・ホラーが世界中で雨後の筍のように次々と製作された。
しかし、勘違いされることも少なくないが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が爆発的にヒットした要因は「POV方式のモキュメンタリー・ホラー」という部分にあるわけではない。
あの映画の重要なポイントは、宣伝方法にあった。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の批評でも触れたように、脚本&監督&製作のダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスは、メリーランド州バーキッツヴィルという町に伝わる呪いの伝説を創作し、「伝説の取材に訪れて失踪した学生たちの残した映像を編集した」という体裁で、この映画を公開した。あたかも本作品がドキュメンタリーであるかのように見せ掛けた。Webサイトやテレビ番組、雑誌などのメディアミックス展開によって魔女伝説や学生たちに触れ、実話らしさを補強した。
そんなことで大勢のアメリカ人が「これは実話だ、本物のドキュメンタリーだ」と信じ込んだのは「おいおいマジかよ」と言いたくなるが、事実なんだから仕方がない。
ただ、これは1度きりだから成立する戦略であって、2度目からは使えない。生みの親であるダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスも、「同じ手は二度と使えない」と分かっていたはずだ。
だからこそ、2作目では製作総指揮に回っただけでなく、フェイク・ドキュメンタリーの手法は採用しなかった。そして2作目が失敗に終わると、もうシリーズをズルズルと続けようとはしなかった。
それなのに、なぜ今になって「1作目の続編」なんて作ろうと思ったのか。それを考えると、改めて『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の続編を作ろうとするってのは、どう考えても無謀だ。
あの映画の熱烈なファンで(その段階でセンスに疑問符が付くので映画を手掛けない方が賢明だと思うが)、「興行収入を度外視してでも、どうしても続編が作りたい」という熱い思いがあったのなら、まあ仕方がないかもしれない。
だけどアダム・ウィンガードが引き受けたのって、そういうことじゃないと思うんだよね。
どこに勝算があると感じて、この仕事を受けたんだろうか。ザックリ言うと、やってることは『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』と同じだ。
大ヒットに繋がった宣伝手法が無くなって、「POV方式のモキュメンタリー・ホラー」という部分だけが引き継がれている。
続編だし、実際に物語としても『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の「その後」を描いているが、実質的にはリメイクみたいなモノだと解釈してもいいぐらいだ。
「素人が作った映画をプロが手直ししてみました」ってな感じかな。ダニエル・マイリックとエドゥアルド・サンチェスとは違ってアダム・ウィンガードはホラー映画の世界で経験を重ねてきた監督なので、演出の質は間違いなく『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』よりも向上している。
ただし、POV方式のモキュメンタリーにしても、ホラーにしても、実は「質の高さが必ずしもプラスに働くとは限らない」というジャンルなのよね。
まずPOV方式のモキュメンタリーに関しては、「登場人物がカメラを回している」という設定なので、カメラワークが素人っぽくても「ドキュメンタリーらしさ」に繋がる部分がある。
また、ホラー映画で『悪魔のいけにえ』というトビー・フーパー監督の傑作があるのだが、あれは画質の悪さや洗練されていない演出だからこそ怖かったという部分もあるわけで。それ以外にも難点はあって、まず「森に入る前からリサがカメラを回しているしている意味が全く無い」ってこと。家でゲームをしている様子とか、クラブで楽しむ様子とか、そんなの撮影する必要性は全く無いよね。
最初に「姉を捜索するジェームスを撮影する」ってことを説明しているのに、なんでノンビリと遊んでいる様子を撮っているのか。モーテルに一泊するのも、わざわざ映像に残す意味は無い。
そうやって無駄にしか思えない部分を映像に残している理由は明白で、「観客にジェームスたちを紹介したり、行動を説明したりする必要があるから」ってことだ。つまり、「リサがドキュメンタリーを撮っている」という体裁で作っているのに、その向こう側に「観客」の存在を意識していることが見えてしまうのだ。
っていうか実のところ、観客を意識したとしても、クラブで楽しんだりモーテルに一泊したりするシーンは無くてもいいんだけどね。あと、どんなに危険な状態に陥っても、どんなに必死で逃げている時でも、決してカメラを回すことは忘れない」という不可解極まりない行動を登場人物が取るが、これは『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』から何も改善されていない重大な欠陥だ。
ただ、これはPOV方式の映画、特にモキュメンタリー・ホラーでは、もはや仕様になっていると言ってもいいだろう。
この問題を解消できているPOV方式のホラー映画を、私は知らない。
そして解決方法も、全く思い付かない。ジェームスたちがブレア・ウィッチの伝説を全く信じず、それどころかタリアたちを馬鹿にするような態度を取るのは不可解。
まだ単なる同行者のピーターとアシュリーはともかくとして、ジェームスは失踪した姉を見つけたいと本気で思っているんでしょ。それなのに、動画投稿者のタリアたちを馬鹿にするってのは、真剣さが欠けているようにしか思えないのよ。
まさか、「そんなに本気で姉を見つけたいとは思っていない」ってことでもあるまい。
ひょっとすると、後に待ち受ける恐怖に向けての「緊張と緩和」ってのを狙ったのかもしれないけど、そのためにジェームスの真剣度を欠如させるのは間違いだ。あらかじめ負け戦が実質的に確定していた作品なので、当然のことながら酷評を浴びて興行的にも失敗に終わった。
何の装備も用意せず、戦場に突っ込んでいくようなことをやらかしているわけだからね。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』が作品の内容じゃなくてギミックの部分で売れた映画ってことは素人から見ても一目瞭然なのに、それを理解できない映画人もいるのよね。
ものすごく好意的に表現するならば、「だから映画は面白い」ってことは言えるだろう。
ただ、この映画は面白くない。(観賞日:2021年1月11日)