『ブラックホーク・ダウン』:2001、アメリカ

1993年、東アフリカのソマリア。アイディード将軍率いる統一ソマリア会議は、首都モガディシオを制圧していた。アメリカは先鋭部隊デルタ・フォースと陸軍レンジャー部隊、ヘリ部隊を送り込むが、6週間が経過してもミッションの成果は上がらなかった。
10月2日、ガリソン少将は将軍派の幹部集会を襲撃し、アイディードの副官2名を捕らえる作戦を行うと決定した。デルタ・フォースのエヴァーズマン二等軍曹は、急病になったビールズの代わりに初めて分隊を指揮することになった。分隊には、エヴァーズマンの補佐役スミスや新人のブラックバーン上等兵らがいる。
デスクワーク専門で実験経験の無かった特技下士官グライムズは、腕を負傷した同僚サイズモアの代理で出撃することになった。デルタ・フォースのサンダーソン軍曹、レンジャー部隊のスティール大尉やフート軍曹、マクナイト中佐らも、作戦に参加する。後方支援は、航空部隊をマシューズ中佐、陸上部隊をハレル中佐が担当する。
10月3日、4機のリトルバード・ヘリと8機のブラックホーク、車輌隊、総勢100名の米軍兵士が、幹部会議の行われるビルへと向かった。3時42分、最初の部隊が目的地に到着し、ビルへと突入した。ミッションは、30分で終了する予定だった。
エヴァーズマンは、部下達にブラックホークからの降下を命じた。しかしソマリア民兵の攻撃を受け、降下中のブラックバーンが落下して重傷を負った。部隊はブラックバーンと捕虜をストロッカー達の車輌に乗せ、基地へ向かわせる。
民兵の攻撃を受け、1機のブラックホークが墜落した。エヴァーズマンの分隊はネルソンとトゥオムブリーを残し、墜落地点へ向かう。だが、激しい市街戦が続く中で、さらに別のブラックホークも墜落する。ヘリに乗っていた兵士達は暴徒に殺され、死体は引き摺り出される。近くで負傷していたデュラントは、アイディードの指示で捕虜にされる…。

監督はリドリー・スコット、原作はマーク・ボウデン、脚本はケン・ノーラン、製作はジェリー・ブラッカイマー&リドリー・スコット、製作協力はテリー・ニーダム&ハリー・ハンブリーズ&パット・サンドストン、 製作総指揮はサイモン・ウエスト&マイク・ステンソン&チャド・オーマン&ブランコ・ラスティグ、撮影はスラヴォミール・イジャック、編集はピエトロ・スカリア、美術はアーサー ・マックス、衣装はサミー・ホワース=シェルドン&デヴィッド・マーフィー、音楽はハンス・ジマー、音楽監修はキャシー・ネルソン&ボブ・バダミ。
主演はジョシュ・ハートネット、共演はユアン・マクレガー、トム・サイズモア、サム・シェパード、エリック・バナー、ウィリアム・フィクトナー、ユエン・ブレムナー、ガブリエル・カセウス、キム・コーテス、ヒュー・ダンシー、ロン・エルダード、ヨアン・ グリフィズ、トーマス・グイリー、チャーリー・ホフハイマー、ダニー・ホッチ、ジェイソン・アイザックス、ジェリコ・イヴァネク、グレン・モーシャワー、ジェレミー・ピヴェン、ブレンダン・セクストン三世ら。


実際にあったアメリカの軍事作戦を基にした作品。
エヴァーズマンをジョシュ・ハートネット、グライムズをユアン・マクレガー、スティールをジェイソン・アイザックス、マクナイトをトム・サイズモア、フートをエリック・バナー、ガリソンをサム・シェパードが演じている。
他に、サンダーソンをウィリアム・フィクトナー、ネルソンをユエン・ブレムナー、トゥオムブリーをトム・ハーディー、デュラントをロン・エルダード、スミスをチャーリー・ホフハイマー、ブラックバーンをオーランド・ブルームが演じている。

冷戦時代のアメリカは、エチオピアを支援するソ連に対抗してソマリアへの資金援助と武器供与を続けた。やがてソ連が崩壊し、アメリカは戦略的価値の低下したソマリアから手を引いた。ソマリアでは内戦が起こり、アメリカの供与した武器が使われた。
クリントン大統領時代のアメリカは、内戦終結を目的にソマリアへの軍事介入を決めた。米軍はアディード将軍の本拠地を攻撃しようとするが、作戦は失敗した。墜落したブラックホークに乗っていた米兵は殺され、ソマリア市民によって引きずり回された。その様子は全米にテレビ放映され、クリントン政権はソマリアから撤退した。

ようするに、「アメリカ合衆国がソマリアに大量の武器を渡し、用済みになったから手を引いて、その後で自分達が渡してあった武器によって激しい内戦が起こり、軍事介入したら混乱が深まり、作戦に失敗して撤退した」という、おマヌケ極まりない出来事だったわけである。
その辺りの歴史的背景は、もちろん劇中では描かれていない。

映像と音楽を巧みに組み合わせたMTV映画を作らせたら右に出る者がいない大物製作者ジェリー・ブラッカイマーと、映像の男リドリー・スコットが手を組んだ。となれば、出来上がる作品は「映像」が最大のセールスポイントになるのは当然である。
この映画は「事実を忠実に再現している」ことを売りにしているが、もちろんアメリカ側から見て忠実に再現しているわけである。リアルに作っていることを売りにしているが、もちろんアメリカ側から見た主観によるリアルである。そんなことは、言うまでも無い。

もちろん、アメリカ映画だし、ハリウッド映画だし、何しろジェリー・ブラッカイマーだから、アメリカ国民に好意的に受け入れてもらえるような傾きはある。しかし、アメリカの行為が是だろうが非だろうが、そんなことは、どうだって良いのである。
この映画で重要なのは、「ソマリアで何が起きたのか」を描くことではない。ほぼ戦闘オンリーのフィルムを作り上げる上で、たまたま舞台設定として都合が良かったに過ぎない。この映画から感じ取るべきは、「そこに戦闘がある」という目の前の事実だけだ。

この映画を見て、「アメリカ側に都合の良い解釈をした国威掲揚映画だ」と感じる人もいるだろう。逆に、「いや、米軍の頭の悪さが描かれているし、批判的な視線が感じられる」という人もいるだろう。しかし、この映画からイデオロギーを汲み取る必要は無い。
なぜイデオロギーを汲み取る必要が無いかといえば、この映画にとって「米軍とソマリア民兵」という対立の図式は大きな意味を持っていないからだ。そうではなく、この映画の図式は、実質的には「人間の部隊とエイリアン軍団」なのである。

エイリアンを倒す連中に反感を覚えることは無いだろうし、同時にエイリアン軍団に同情することも無いだろう。だから、そういう余計な感情を抱く必要は無いということだ。エイリアンを退治する映画で、戦争の悲劇や愚かさを考えるのは愚かなことだ。
「長時間に渡って繰り広げられた激しい戦闘」という現実を、忠実に再現することを目的としているのだから、ストーリーやドラマティックな要素は、ほとんど皆無に等しい。ただひたすらに、激しい戦闘が繰り広げられる。ジョシュ・ハートネット達は、「お前はもう死んでいる」とでも言いたげに(それはジョシュ・バーネットだ)、敵を撃ちまくる。

ストーリー性や人間ドラマは、基本的には排除されている。キャラクターも、誰が誰なのかをアピールすることは出来るだけ避けている。見分けが付かなくても、何の問題も無いように出来ている。そして、連続するイベントのみによってフィルムを構成している。
これは歴史的事実をリアルに映像化した作品ではなく、ミリタリー・アクション・ゲームをリアルに実写で映像化したフィルムなのである。ここにあるのは戦争映画としてのリアリズムではなく、「ビデオ・ゲームの忠実な実写化」としてのリアリズムなのである。

良く計算されたフィルムだが、惜しい点が3つある。
1つ目は、どうしてもドラマ的な展開を作ろうとしてしまうこと(特に終盤の展開)。
2つ目は、そこに戦闘があるという現象だけに満足できず、戦うことに意味を持たせようとしていることだ。

そして最も惜しむべき点は、これが通常の映画館で、普通に上映される映画だということである。銃撃が行われたら火薬の匂いがするとか、ヘリが墜落したら椅子が揺れるとか、そういう体感システムが用意された劇場や施設で上映されなかったということだ。
「それでは、まるでアトラクションじゃないか」と指摘されるかもしれない。
しかし、「戦闘を追体験させる」というフィルムなのだから、映像以外の部分でも戦闘を追体験させる効果を求めるのは、間違っているだろうか。
間違っているとしたら、ごめんなさい。

 

*ポンコツ映画愛護協会