『バース・オブ・ザ・ドラゴン』:2016、カナダ&中国&アメリカ
1963年、中国の河南省。カンフー発祥の地で少林寺の代表と太極拳道場の代表が手合わせをすることになった。双方の指導者と門弟たちが見守る中、少林拳の達人であるウォン・ジャックマンは太極拳のワンと戦った。1964年、サンフランシスコ。ブルース・リーはカンフー道場を開き、地元の男たちに詠春拳を教えていた。彼は弟子にギャンブルを禁じており、ヴィニーが手を出していると知って「ギャングに目を付けられたらどうするんだ」と苦言を呈した。
俳優としての成功を夢見るリーは、仲間のフランキー・チェンたちと自主映画を製作していた。彼が主演を務めるアクション映画で、弟子のスティーヴ・マッキーやヴィニー・ウェイたちも出演している。道場でマッキーから今の腕前について問われたリーは、他の弟子たちが見ている前で手合わせをする。リーが軽く攻撃を受け流して挑発すると、マッキーはすぐにカッとなった。リーは彼の動きを封じ、自制心に欠けていることを指摘した。
稽古を終えたヴィニーが帰路に就くと、ギャングのトニー・ユーと手下たちが立ちはだかった。ヴィニーはトニーから、ボスのレディー・ブロッサムに金を払うよう要求される。トニーが手下たちにヴィニーを暴行させていると、リーが現れた。リーは手下たちを叩きのめし、トニーに「金は明日、払わせる」と告げて引き下がらせた。翌日、武術雑誌を読んでいたヴィニーは、ウォンが少林寺を出たという記事に目を留めた。一緒にいたマッキーが「その人なら師匠に勝てるんじゃないか」と言うと、ヴィニーは「師匠の方が強いだろう」と述べた。その記事には、アメリカのカンフーを視察する旅に出たウォンがサンフランシスコに来ることも記されていた。
マッキーはヴィニーの母のジャネットが営むクリーニング店で、配達の仕事をしている。仕上がった衣料品をチャイナタウンの中華料理店に届けた彼は、新入りのウェイトレスであるシューランと出会った。マッキーが彼女に好意を抱いたと知ったヴィニーは、「あの店の子に手を出すのは危険だ」と警告した。ヴィニーはオーナーがレディー・ブロッサムであること、店を利用してギャングに稼がせていることを教えて「だから女もギャングの物。密入国に払った金を返すまでは」と語った。彼はウォンの従兄であるジャクソン・カフェの店長から聞いた、「明日、ウォンが港に着く」という情報をマッキーに話した。
次の日、マッキーはヴィニーと共に港へ行き、ウォンに声を掛けた。マッキーは誰も出迎えがいないことを知り、バイクで送ると申し出た。ウォンをジャクソン・カフェまで送り届けたマッキーは、稽古を付けてほしいと頼んだ。しかしリーが師匠だと知った彼は、「もう私に教えられることは無い」と断った。リーはマッキーからウォンが視察に来たこと、自分を知っていたことを聞き、「そうか。少林寺から俺をスパイしに来たか」と言う。「何のために?」とヴィニーが尋ねると、彼は「香港でイップ・マン師匠に習っていた時、祖母が白人だと知られて少林寺では教えてもらえなくなった。だから俺はカンフーを誰にでも教える。それが許せないのかもな」と語った。
ウォンは従兄のカフェで、ウェイターとしての仕事を始めた。マッキーはヴィニーと共に、ブロッサムのレストランへ客として赴いた。彼はナプキンの交換を頼む名目でシューランを呼び、メッセージを書いた紙を渡した。ブロッサムが店に現れると、ヴィニーはマッキーに「チャイナタウンの半分を牛耳ってる。後ろにいるのがボディーガードのボビー・チェンだ」と説明した。さらに彼は、店の奥にいる2人の男が集金係のワイ・フーとキング・ラウだと教えた。
ヴィニーが「ブロッサムはまたショバ代を上げるらしいが、師匠は払わない。俺も払わない」と胸を張ると、マッキーは「お前と師匠は違う」と告げた。食事代が高すぎて払えないので、目的を済ませたマッキーはヴィニーを連れて早々に店を去った。リーはフランキーから「何を悩んでる?」と問われ、「ウォン・ジャックマン」と口にする。「無視すればいい」と言われた彼は、「世界で奴だけかもしれない。俺が必死で築き上げた物を壊せるのは」と語る。「挑戦されたのか?」とフランキーが訊くと、リーは「俺が白人に教えているのを良く思わない人は多い。ウォンが勝ったら全てが変わる。遅かれ早かれ、戦うしかない」と述べた。
マッキーのメモで店の外へ出たシューランは、「こんなところを見つかったら何をされるか」と不安を訴える。マッキーは彼女に、英語の参考書をプレゼントした。シューランは仲間の女性たちに英語を教えるが、それをラウに見つかった。ラウから報告を受けたブロッサムは、「部外者と話すのは禁止よ」と鋭く告げる。「いつ自由にしてもらえるんですか」とシューランが訊くと、彼女は「私が許可したら」と答えた。さらに彼女は、「また貴方が仲間に英語を教えているのを見つけたら、厳しい罰を受けてもらう」と通告した。
翌日、街でウォンを見つけたマッキーは、ゴールデン・ゲートブリッジを見たがっている彼をバイクに乗せて案内した。ウォンからリーについて問われたマッキーは、「カンフーで成功したがってる。映画を撮っているし、テレビにも出たがってる」と話した。するとウォンは軽く笑い、「テレビでカンフーですか。何のために?」と訊く。「カンフーが役に立つことを知ってもらうためです」とマッキーが答えると、彼は「カンフーのどこに価値を感じます?」と質問した。
「強くなるためかな」というマッキーの答えに対し、ウォンは「北少林派では、カンフーは自分自身の鍛錬と、自分を見つけるためです」と述べた。彼は「カンフーは拳ではなく、魂にあります」と説き、しばらく鍛錬していくと告げてマッキーと別れた。ウォンの鍛錬を見物したマッキーは、道場で彼の動きを真似た。それを見たリーは「そんなの教えてないぞ」と笑うが、ウォンの真似だと知ると「伝えてくれ。模範試合の後、会って話がしたいと」と告げた。
マッキーはウォンのアパートを訪れ、リーが会いたがっていることを伝えた。カンフーを教えてくれない理由をマッキーが訊くと、ウォンは「カンフーは戦いのための手段ではなく、生き方であり、考え方です。中国人によって生み出された。だから中国人の物なのです」と答えた。カンフーの達人なのに皿を洗っていることについて、マッキーは苛立ったように疑問を口にした。するとウォンは「本当の私は、恥ずべき人間です」と言い、尊敬する人を傷付けた償いが必要なのだと語った。
「師匠は何を教えています?」とウォンが問い掛けると、マッキーは「ぶちのめす方法です」と答えた。ウォンは「そんな人の生徒を引き受ければ、謙虚な経験になるかもしれない。少し考えさせてください」と言い、リーには「話し合いに応じる」と伝えるよう告げた。北米の空手王者と戦う模範試合を控えたリーは、弟子たちに秘策を披露した。彼は勝利を確信し、得意げに「彼を倒せば、弟子たちは俺の道場に入る」と語った。
模範試合の当日、リーは大勢の観客を前に、余裕の態度を見せる。彼は空手王者のヴィンス・ミラーを馬鹿にして、力の差を見せ付けた。会場に来ているウォンに気付いたリーは、高慢な態度で観客に紹介した。ウォンが会釈して立ち去ろうとすると、リーは「少林寺の知恵を授けてくれないのか」と言って挑発的な態度を取る。ウォンが「貴方に出来ることも出来ないことも見せてもらった」と言うと、リーは具体的に話すよう要求した。「技は見事だが、限界があります。それは貴方です。野心とプライドで戦っている。魂で戦っているわけではない」とウォンが語ると、リーは「だったら証明してくれ。ここで俺と戦え」と要求した。しかしウォンは「必要ありません」と断り、会場を出た。
後を追ったマッキーが「なぜ戦わないんです?」と苛立つと、ウォンは「ここに来たのは驕りを伝えるためだ。戦うためじゃない」と言う。彼は「何か大切な物を見つけたら、それを守るために命を懸ける。それを貴方が見つけたら、私は貴方に稽古を付ける」と言い、その場を去った。礼拝所で祈るシューランを見つけたマッキーは、彼女をバッティング練習に誘った。打ったボールがマッキーに命中してしまうと、シューランは彼のツボを押さえて乱れた気を整えさせた。シューランは中国で医学を学んでいたこと、西洋医学を学びたくて渡米したことを語った。
ブロッサムの手下たちはクリーニング店を襲撃し、止めようとするジャネットに「金を払え」と凄む。ヴィニーが駆け付けて手下たちを倒すが、ボビーに叩きのめされて病院送りになった。命に別状は無かったが、店は破壊された。リーはマッキーからヴィニーが自分の真似をして金を払わなかったことを聞き、「俺は払わなくてもいい。香港の学校に通っていた頃、悪ガキを叩きのめした。それがギャングの息子だ。取引を迫られた父は、俺をアメリカに送った。向こうが手を出さなければ、俺も手を出さない」と語った。
マッキーはリーに「レディー・ブロッサムは女たちを働かせ、自由を奪っています。その1人と出会った。助けたいんです」と助力を頼むが、「関わるな。俺には関係ない」と突き放された。マッキーはウォンにも手を貸してほしいと頼むが、「私は皿洗いです」と断られた。マッキーが「師匠の言った通り、貴方は時代遅れだ。自分のことしか頭に無い」と苛立つと、彼は太極拳の達人との模範試合に臨んだ時のことを語る。劣勢に陥った彼は危険な蹴りを出し、相手を殺しそうになった。
模範試合で相手を二度と戦えない体にしてしまったことへの後悔を口にしたウォンは、「カンフーは解放が目的です」と述べる。マッキーが「だったらシューランを解放してください」と訴えると、彼は「そのために命を懸ける覚悟はありますか」と問う。ウォンはマッキーに自分を攻撃するよう指示し、ためらう彼に2つの教えを語った。マッキーが久々に道場へ行くと、リーは「ウォンと特訓していたのか。俺の技に飽きたか」と言う。「マスター・ウォンと一緒にシューランを助けます。戻ってきます」とマッキーが話すと、リーは「師匠を2人も持てないぞ」と冷たく告げた。
テレビドラマ『グリーン・ホーネット』への出演が決まったことをリーが話すと、マッキーは「マスター・ウォンが、カンフーはテレビの物じゃないと」と言う。リーが「奴は俺を恐れてる」と高慢な態度で話すと、マッキーは彼に愛想を尽かして立ち去った。ブロッサムはマッキーがウォンと親しいことを知り、彼に接触した。マッキーはウォンの元へ出向き、ウォンがリーと戦えばシューランを自由にすると持ち掛けた。難色を示すウォンだが、マッキーの訴えを聞いて対決を承知した。
リーとウォンの対決は新聞でも報じられ、賭けの対象になった。マッキーと話すことが許されたシューランは、他の女たちが解放されないなら店に残ると告げた。ウォンのセコンドに付くマッキーはリーの元へ行き、対戦の条件を提示した。顔面と急所への攻撃と目潰しは禁止で、その代わりにウォンは蹴りを使わない。しかしリーは、ルール無しで時間無制限を要求した。リーは対戦を利用して金を儲けることばかり考えていたが、マッキーはウォンが場所は港近くの倉庫で立会人を十人程度と要望していることを伝える。リーは条件を受諾するが、「ただし結果は全世界に公表する」と告げた。
ウォンはマッキーに、戦うのは貴方のためでも、シューランのためでも、自分のためでもない。リーは世界にカンフーを広めるでしょう。素晴らしい才能と野心がある。しかし彼が広めるのは、怒りの拳か、傷付ける拳か。金で売買される拳かもしれない。ただし、彼が自ら生まれ変われば」と語った。1964年10月24日、ついにリーとウォンの対決する日がやって来た。ブロッサムや大金を賭けたソニー・ソーら数名の立会人が見守る中、リーは不意打ちで目潰しを仕掛けた。ウォンは落ち着いて身をかわし、リーの打撃を防御しながら心を入れ替えさせようと試みる…。監督はジョージ・ノルフィー、原案はマイケル・ドーガン、脚本はスティーヴン・J・リヴェル&クリストファー・ウィルキンソン、製作はマイケル・ロンドン&ジャニス・ウィリアムズ&ジェームズ・ホン・パン&レオ・シー・ヤン&スティーヴン・J・リヴェル&クリストファー・ウィルキンソン、製作総指揮はデヴィッド・ニックセイ&ジョージ・ノルフィー&ジェイソン・ブラム&マイケル・J・ルイージ&ヘレン・イー・チョン&ケリー・ミューレン、共同製作はジェイソン・マー&ジョエル・ヴィアテル、撮影はアミール・モクリ、美術はデヴィッド・ブリスビン、編集はジョエル・ヴィアテル、衣装はアイーシャ・リー、武術指導はコーリー・ユン、音楽はH・スコット・サリナス&レザ・サフィニア、音楽監修はロビン・アーダング。
出演はフィリップ・ン、シア・ユイ、ビリー・マグヌッセン、ジン・シン、クー・ジンジン、ロン・ユアン、テリー・チェン、ヴァネス・ウー、サイモン・イン、リリアン・リム、ダレン・E・スコット、ヤン・チョウ、キング・ラウ、サイモン・チン、ヴィンセント・チェン、ウー・ユエ、ニクソン・コン、スティーヴン・F・ロバーツ、イー・チー・ツォー、ワン・シーアン、ユー・ハイ、ライリー・ウッド、ピーター・チャオ、ハワイアン・ン、ドン・リュー他。
詠春拳のブルース・リーと少林拳のウォン・ジャック・マンが戦った事実をモチーフにした作品。
ブルース・リーの弟子だったマイケル・ゴードンが1980年の空手専門誌で発表した記事から着想を得ている。
監督は『アジャストメント』に続いて長編2作目となるジョージ・ノルフィー。脚本は『ニクソン』『ALI アリ』のスティーヴン・J・リヴェル&クリストファー・ウィルキンソン。
リーをフィリップ・ン、ウォンをシア・ユイ、マッキーをビリー・マグヌッセン、ブロッサムをジン・シン、シューランをクー・ジンジン、トニーをロン・ユアン、フランキーをテリー・チェン、ソニーをヴァネス・ウーが演じている。何しろタイトルが『バース・オブ・ザ・ドラゴン』なんだし、「ブルース・リーの伝記映画」として作られているんだろうと思うのは変な感覚じゃないはずだ。ビリングトップもブルース・リー役のフィリップ・ンだしね。
ところが実際のところ、この映画はブルース・リーが主人公というわけではなかったのである。
さらに、ブルース・リーを「偉大な武術家」として描くのではなく、かなり傲慢で性格や行動に何のある厄介な男として描いている。
そりゃあ、シャノン・リーが不満を抱くのも当然だわな。ブルース・リーとウォン・ジャック・マンの対決については、「これが真実」という内容が確定していない。目撃者は少なく、しかも双方が全く異なる主張をしているからだ。
「ブルース・リーが外国人にカンフーを教えていることに中国人コミュニティーが激怒し、刺客としてウォンを差し向けた。しかしブルースは簡単にウォンを破った」というのが、ブルース・リー側の主張。
一方、ウォン・ジャック・マン側からは「対決はブルースの方から仕掛けられ、結果は引き分けだった」という主張がある。
細かいことを言うと、他にも様々な説があり、どれが正解なのかは誰にも断定できない状態となっている。そんな対決をどういう角度から描いているのか、どういう説を選択しているのかってのが、この映画を見る上での大きな注目ポイントだ。
そして、その答えは「ウォン側の主張を採用している」ってことになる。それどころか、「器が小さくて傲慢な男だったブルース・リーが、人格者で寛大なウォン・ジャック・マンとの出会いによって人間的に成長した」という内容に仕上げている。
つまり、ブルース・リーはウォン・ジャック・マンと出会ったことで「ドラゴン」として「バース」したってのが本作品の主張なのだ。
製作サイドにウォンの信奉者でもいたのか、あるいはブルース・リーを憎んでいる奴でもいたのかと邪推したくなるほど極端な描き方だ。「大半の見方とは逆を行く」というやり方で、世間の注目を集めることを狙ったのかもしれない。
そういう手法が、ダメだとは言わない。
例えば、本能寺の変を起こした明智光秀は、悪玉扱いされるケースも少なくない。そんな中で、彼を立派な武将として描く作品が出ても、それを「そんなのは有り得ない」と批判するような人はいないだろう。
逆を行くことが物語の面白さに繋がる可能性は、充分に考えられる。
しかし、この映画の場合は、何の面白さにも繋がっていない。ただブルース・リーを無雑作に貶めているだけだ。リーの弟子であるマッキーも、明らかに自分の師匠よりウォンのことを上に見ている。リーの道場には通っているが、ウォンから指導してもらいたいと考えている。積極的にウォンと近付いて、すっかり信奉者になる。
つまり、この映画はマッキーという男を通して「リーよりウォンの方が遥かに格が上」ということを明確に示しているのだ。
当時の中国武術界においては、実際にウォンの方が格上だったのかもしれない。
ただ、「表向きはそうだった」という描き方をするならともかく、「リーの弟子もウォンを上に見て崇拝している」という形にしちゃうのは、いかがなものかと。それは間違っているんじゃないかと。それだけでも、シャノン・リーだけじゃなく「ブルース・リーが主役の映画」を期待して観賞した人からすると不満だらけになるだろう。
その描写を歓迎できるのは、たぶんウォン・ジャック・マンが好きな人ぐらいだろう。
しかも、そこにプラスして「ほぼマッキーが主人公のようになっている」という問題まであるのだ。
マッキーを狂言回しのような形で配置し、「彼の目から見たブルース・リー」という作りにするなら分かるのよ。でも、そうじゃなくて、マッキーの扱いが明らかに大きくなり過ぎているのだ。興行的なことを考えると、アメリカでは無名の中国人であるフィリップ・ンとシア・ユイをメインに据えても、お客に喜んでもらえないという考えがあったのかもしれない。
そこで、アメリカ人であるビリー・マグヌッセンを配置し、客を呼ぼうと思ったのかもしれない。日本じゃ無名な俳優だけど、アメリカだとトニー賞のノミネート経験もあるぐらいだし、それなりに知名度はあるだろうからね。
ただ、そこを実質的な主役にするぐらいなら、最初から「ブルース・リーとウォン・ジャック・マンの対決」を描く映画なんて作らなきゃいいのよ。
それを題材に選んだ時点で、アメリカ人が主役にならないことは確定事項でしょうに。マッキーの描き方にも、大いに疑問があるんだよね。
彼はリーの道場で稽古を積んでいるのにウォンの記事を見ると「その人なら師匠に勝てるんじゃないか」と言い出す。なんで自分の師匠がウォンに負けることを期待しているかのような発言なのかと。
おまけに、ウォンを迎えに行って、稽古を付けてほしいと頼むし。その神経がサッパリ分からないぞ。
一刻も早く強くならなきゃいけない理由でもあるならともかく、そういうわけじゃないんだし。何を焦っているのかと。
あと、彼は「生ける伝説に会えた」と言っているけど、こっちはウォンがその時点でどれぐらい高名な人物なのかという情報が無いので、そういう意味でもマッキーの行動がピンと来ないのよ。いよいよメインイベントであるリーとウォンの対決が始まるが、この作品のセールスポイントに出来るほどのパワーを感じさせてくれない。
フィリップ・ンとシア・ユイの格闘アクションが冴えないってわけではなくて、そこは充分な品質を持っている。
だけど根本的な問題として、「2人が戦う理由」ってのが薄いんだよね。
一応、リーの方は「ウォンを倒して邪魔者を排除したい」、ウォン側には「リーの心を入れ替えさせたい」という思いがあるけど、それだけじゃ弱いでしょ。あと、「なぜブロッサムはリーとウォンを戦わせたがるのか」ってのも、大いに引っ掛かるんだよね。
その答えは「賭け試合にするため」ってことなんだけど、それも対決を盛り上げるための材料としては弱いんだよね。それまでブロッサムと両名との関わりってのは、皆無に等しいしね。
ちなみに内容は「ウォンが圧倒的な力の差を見せ付け、どんどんリーが追い込まれていく」という形で、もう完全にウォン側に立って描いているよね。
ウォン・ジャック・マンを描きたくて、そのためにブルース・リーを噛ませ犬として利用しているかのような映画だよね。この映画を見ていると、「ウォンは純粋に武術を求道しているが、リーは有名になるために武術を利用している」という解釈にしか受け取れない。
そりゃあ、実際にブルース・リーは俳優としての成功を夢見ていたし、ハリウッドでオーディションも受けていた。カンフーの技能が、俳優として活動するための武器として利用されたことは否定できないだろう。
でも、そういう切り口でブルース・リーを描いたら、彼だけじゃなくてカンフーをやってる他の俳優も否定することになっちゃうよね。
リーが全く好感の持てない嫌な奴でしかないから、彼のアクションシーンも楽しく見られないし。
つまり嫌な奴として描くことのメリットは、皆無ってことよ。リーとウォンの対決がメインイベントと前述したが、それは表面的なことだ。
実際のところ、それは「途中で双方が戦いをやめる」という形で終了してしまい、消化不良そのものだ。
で、マッキーはブロッサムから「真夜中までに勝敗を決めなければシューランを売り飛ばす」と迫られ、ウォンには突き放され、自分で助けに行くと決める。
「ブロッサムの手下たちを倒してシューランを救出する」ってのが本作品の最終目標に設定されているわけで、いかにマッキーの扱いが大きいかってのが分かるだろう。さすがに「マッキーが敵を倒してシューランを助け出す」ってのをクライマックスにすることはなくて、リーとウォンが手を組んで戦うという展開が用意されている。マッキーの実力だと、ブロッサムの手下たちを倒せないしね。
そこは「リーが改心してウォンに協力を頼む」という形になっていて、最後までリーを鼻持ちならない奴のままに終わらせることはしていない。そして最終決戦も、リーが主でウォン従という感じだ。
ただし、それでリーが主役にふさわしい扱いになったかというと、答えはノーだと断言できる。
終盤になって慌てて帳尻を合わせようとしても、まるで足りていないし、名誉回復には遅すぎる。(観賞日:2020年1月26日)