『ビッグ・ママス・ハウス』:2000、アメリカ

FBI捜査官のマルコム・ターナーは変装の特技を使い、相棒のジョンと捜査に当たっている。ジョンは家族が大切だという考えの持ち主だが、マルコムは家族など邪魔なだけだ告げる。殺人罪で終身刑となった銀行強盗のレスター・ヴェスコが連邦刑務所から脱走し、テレビのニュースで情報を知った元恋人のシェリー・ピアースは動揺した。彼女は一人息子のトレントに「休暇へ出掛けよう」と告げ、急いで荷物をまとめる。彼女がトレントを車に乗せてアパートから逃げ出した直後、パトカーがやって来た。
レスターは刑務所の担当医を殺して脱走しており、銀行から強奪した金は今も発見されていない。シェリーは銀行のローン担当者であり、レスターに協力した疑いで逮捕されたが不起訴になっていた。ジョージア州にはシェリーが長く会っていない祖母のハッティーが住んでおり、マルコムとジョンは向かいの空き家から彼女を監視する任務を命じられた。ビッグ・ママの愛称を持つハッティーは庭いじりの最中に野良犬を見つけると、荒っぽく外へ放り出した。
ハッティーが近所の友人たちと挨拶に来る様子を見せたので、マルコムはジョンに「隠しカメラとマイクを仕掛けてくる。時間を稼げ」と告げて裏口から外へ出た。ジョンが話している間に、マルコムはハッティーの家へ忍び込む。しかしハッティーは面倒そうな態度を示し、友人たちを残して家へ戻ろうとする。慌ててジョンが引き留めようとするが、ハッティーは蹴りを食らわせて家に入った。バスルームに隠れたマルコムは、ハッティーに気付かれずに脱出した。
その夜、レスターは張り込んでいる刑事の目を盗んでシェリーのアパートへ潜入し、トレントのアレルギー薬を出している小児科医の場所を知った。ハッティーが友人からの電話を受け、手伝いのため数週間は家を空けることになった。彼女がタクシーでバスターミナルへ出発すると、マルコムとジョンは家へ忍び込む。するとシェリーから留守電にメッセージが入り、「ずっと会っていないから寄らせてもらおうと思ったんだけど」という声が聞こえた。彼女が「また今度寄らせてもらうわ」と言って電話を切ろうとしたので、マルコムはハッティーを装って電話に出た。シェリーは全く気付かず、ハッティーの家へ行くことを告げる。
マルコムは特殊メイクやボディースーツでハッティーに変身し、彼女の声色を練習した。シェリーはマルコムをハッティーだと信じ、久々の再会を喜んだ。しかしトレントは疎ましそうな様子を見せ、心を開こうとはしなかった。マルコムは料理を始めるが、油やバターを大量に使うのでシェリーは顔をしかめる。特殊メイクにボロが出そうになったので、気付かれないようジョンが助けた。フライパンから火が出たのでマルコムは慌てて消すが、完成した料理は酷い状態だった。
ハッティーに惚れているベン・ローリーが訪ねて来るが、マルコムは追い払おうとする。エロい行動ばかり取ろうとするベンに、マルコムは「そんなんじゃモノに出来ない。男ならビシッと決めな」と告げた。近所に住むトゥイラとレナが夜中に慌てた様子で現れ、「リタが破水した。もうすぐ産まれそうなの」とマルコムに告げる。ハッティーは助産婦なので、助けを求めに来たのだ。もちろん何の技能も無いマルコムは、ジョンから「救急車を呼んだ。時間を稼げ」と言われる。リタの家で適当に取り繕っていると、リタの兄のノーランが駆け付けた。胎児の頭が出て来たので、マルコムはノーランたちに協力させて何とか出産させた。マルコムはシェリーからレスターのことを聞き出そうとするが、彼女の口は重かった。
翌朝、特殊メイクがはがれそうになっているのに気付いたマルコムは、それを外した。シェリーに気付かれないよう窓から脱出した彼は、ボディースーツも外す。シェリーに見つかった彼は怪しまれ、「ビッグ・ママに修理を頼まれた電気修理工だ」と嘘をついた。トレントが出て来ると「ビッグ・ママがいつも自慢してた」と言って機嫌を取り、得意の空手を教えてくれと持ち掛けた。マルコムは顔にパンチを浴び、腕を捻られてタップした。
シェリーがトレントを車に乗せて町へ出掛けようとしたので、マルコムはハッティーの姿に戻って同行する。トレントをバスケットコートに送り届けた後、シェリーは公衆電話を使う。マルコムはハッティーの友人たちに見つかると、通っている武道教室へ連れて行かれる。暴漢対策を教える講師の試技をやり過ぎだと感じたマルコムは、相手を買って出た。彼は講師を投げ飛ばし、腕を捻って取り押さえた。そこへシェリーが来るが、マルコムは抜け出そうとした講師の動きでカツラが取れてしまう。慌てたマルコムが釈明しようとすると、教室の参加者は全員がカツラであることを告白した。
マルコムたちが出掛けている間に、ジョンはハッティーの家へ潜入してシェリーとトレントの所持品を調べた。マルコムはトレントから情報を聞き出そうとするが、「何も知らない。ママから余計なことは喋っちゃいけないって」と言われる。彼が意地悪されてバスケットコートから追い出されたと知ったマルコムは、「私が何とかしてやる」と告げる。彼はトレントを追い出した少年たちを挑発し、試合を要求した。見事なバックダンクまで決める活躍で勝利したマルコムは、トレントの気持ちを掴むことに成功した。
帰宅したマルコムは、シェリーに「しばらく町にいるなら、マルコムと少し付き合って色々と話してみたら?」と持ち掛けた。彼は素顔に戻ってシェリーと接触し、トレントから釣りに誘われた。マルコムは親子と湖へ出掛け、釣りをして楽しむ。その夜、ノーランはマルコムを張り込み、彼がジョンのいる空き家へ戻ったところに突入する。マルコムとジョンが正体と任務を明かすと、ノーランは口外せず協力することを快諾した。
就寝していたシェリーは雷雨に怯え、ハッティーの寝室をノックした。ハッティーに変装しているマルコムが目を覚ますと、シェリーがベッドの隣に潜り込んで来た。シェリーが勃起したペニスへの違和感を示したので、マルコムは慌てて「懐中電灯だよ」と誤魔化した。翌朝、マルコムはジョンから、シェリーへの恋心を指摘される。「彼女が俺を好きだとしても、捜査には関係ない」とマルコムが言うと、ジョンは「シェリーを救いたいなら、それでもいい。だが、まず全てを白状させろ。そうじゃないと、レスターと一緒に彼女も捕まることになるぞ」と忠告した…。

監督はラジャ・ゴズネル、原案はダリル・クォールズ、脚本はダリル・クォールズ&ドン・ライマー、製作はデヴィッド・T・フレンドリー&マイケル・グリーン、製作総指揮はマーティン・ローレンス&ジェフ・クワティネッツ&ロドニー・ライバー&アーノン・ミルチャン、共同製作はデヴィッド・W・ヒギンズ&アーロン・レイ、撮影はマイケル・D・オシア、美術はクレイグ・スターンズ、編集はブルース・グリーン&ケント・バイダ、衣装はフランシーン・ジェイミソン=タンチャック、特殊メイクアップ効果はグレッグ・キャノン、音楽はリチャード・ギブス、音楽監修はスプリング・アスパーズ。
主演はマーティン・ローレンス、共演はニア・ロング、ポール・ジアマッティー、テレンス・ハワード、アンソニー・アンダーソン、エラ・ミッチェル、ジャッシャ・ワシントン、カール・ライト、フィリス・アップルゲイト、スターレッタ・デュポワ、オクタヴィア・L・スペンサー、ジェシー・メイ・ホームズ、ニコール・プレスコット、ティチーナ・アーノルド、セドリック・ジ・エンターテイナー、フィリップ・タン、エドウィン・ホッジ、アルディス・ホッジ、ブライアン・パレルモ、ブライアン・ポール・スチュアート、サラ・ジンサー、ショーン・ランプキン他。


『バッドボーイズ』『ブルー・ストリーク』のマーティン・ローレンスが主演と製作総指揮を兼ねた作品。
監督は『ホーム・アローン3』『25年目のキス』のラジャ・ゴズネル。
脚本は『ソルジャー・ボーイズ』のダリル・クォールズと『ドタキャン・パパ』のドン・ライマー。
シェリーをニア・ロング、ジョンをポール・ジアマッティー、レスターをテレンス・ハワード、ノーランをアンソニー・アンダーソン、ハッティーをエラ・ミッチェル、トレントをジャッシャ・ワシントン、ベンをカール・ライトが演じている。

「主人公が特殊メイクやウィッグなどで別人に成り済ますことから巻き起こるドタバタ喜劇」ってのは、ロビン・ウィリアムズの『ミセス・ダウト』やエディー・マーフィーの『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』がある(ちなみに本作品の特殊メイクは、『ミセス・ダウト』のグレッグ・キャノンが担当)。
なので新鮮味は無いし、特に『ナッティ・プロフェッサー』に関してはスタンダップ・コメディー出身の黒人俳優という共通点があるし、シリーズ第2作『ナッティ・プロフェッサー2/クランプ家の面々』は同じ2000年の公開だし、どうしても本作品は「二番煎じ」という印象が否めない。
後発というだけで既にハンデを背負っているような状態なので、『ミセス・ダウト』や『ナッティ・プロフェッサー』シリーズには無い特徴を出す必要がある。しかし、そんな強みは何も見当たらない。
ただし「違い」という観点で言うと、明確なモノが1つある。それは、「主人公が既に存在している人物に化ける」という点だ。
『ミセス・ダウト』にしろ『ナッティ・プロフェッサー』にしろ、主人公が変身する対象は架空の人物だった。
この映画の場合、「シェリーの祖母」という実在の人物に変身している。ここは大きな違いだ。

実在の人物に変装するってことは、彼女を知っている周囲の人物に気付かれる危険性が高くなる。
それだけでなく、本人に鉢合わせするというリスクも生じる。
そういうポイントを上手く活用すれば、『ミセス・ダウト』や『ナッティ・プロフェッサー』には無い面白さを出すことが出来る可能性はあるかもしれない(でも実は、そんなに変わらないんじゃないかとも思っているんだけどね)。
だが、そういった類の面白さをアピールしよう、積極的に活用しようという意識は全く見られない。

「実在の人物に変装する」というのは、1つの大きな問題を解消することが求められる設定でもある。それは、「実在の人物とそっくりに変身しなきゃ成立しない」という問題だ。
ここを解決するには、2つの方法しか思い付かない。
1つは、「マーティン・ローレンスに酷似した女性を本物のビッグ・ママ役に起用するという方法だ。だが、それは現実的に考えて、まず不可能だろう。
もう1つの方法は、特殊メイクのマーティン・ローレンスを「本物のビッグ・ママ」として配置しておくという方法だ。ただし、こちらの場合、「主人公が特殊メイクで老女に変身する」という設定そのものを崩壊させることに繋がってしまう。主人公は劇中の設定として変装しているのに、本物は「そういう女性」という設定なので、そこに陳腐さやバカバカしさが出てしまうのだ。
本物として登場しても、「いやテメエも特殊メイクじゃねえか」とツッコミを入れたくなるだろう。

この映画が採用したのは、どちらの方法でもなかった。
ハッティーを演じるエラ・ミッチェルは、マーティン・ローレンスとは全く似ていない。
なので当然のことながら、周囲の誰も変装したマルコムが偽者だと気付かないという状況が続くのは、「いやいや、それは無理」と言いたくなってしまう。
まるで似ていないことを思い切って開き直り、それも含めて笑いに転化していれば、まだ何とかなった可能性はあるだろう。
でも、そこは何の工夫も無く、ただ雑に「なぜか誰も気付かない」という状態で放置しているだけだ。

「主人公が別人に変装している」という設定を使った作品の御約束として、「トラブルやミスによって変装がバレそうになり、慌てて取り繕う」という作業も幾つか盛り込んでいる。
例えば、シェリーの前でマルコムのカツラが外れてしまうシーンがある。
マルコムは焦るが、周囲の面々もカツラだったので難を逃れるという展開が用意されている。
でも、そもそもマルコムの変装がハッティーには全く似ていないから、「そういう問題じゃねえだろ」とツッコミを入れたくなるのだ。

この映画は「マーティン・ローレンスが特殊メイクで老婆に変装する」というアイデアだけで、一点突破を図ろうとしているようなモノだ。
ある意味では潔いと言えなくもないが、なかなか厳しい勝負である。
結果としては、アメリカでヒットしてシリーズ化されたわけだから、その挑戦は大勝利に終わったと言っていいんだろう。
でも興行の方はともかく、中身はお世辞にも褒められた出来栄えではない。前述した1つのアイデアだけでは、とても勝負できているとは思えない。

っていうか、冒頭でジジイの特殊メイクをしているマルコムを登場させており、「これで勝負します」と高らかに宣言しているようなモノだと思うんだけど、そこの徹底ぶりは中途半端なんだよね。
本筋となる「脱獄したレスターを捕まえる」という任務が開始されると、そこも早く特殊メイクさせてしまえばいいものを、しばらくは素顔のままでマルコムを動かしている。
「家へ忍び込んだマルコムが戻ってきたハッティーに気付かれないようバスルームに隠れるが、彼女が排便した匂いにやられ、入浴しようと服を脱いだ彼女の全裸を見てしまう」というシーンを用意する。
特殊メイクと無関係なトコで喜劇を作るんだよね。

マルコムが最初にハッティーに成り済ますのは、容姿ではなく声だけ。シェリーから電話が掛かって来た時、ハッティーに成り済まして話すのだ。
でも、冒頭で「変装が得意」という特技は示していたけど、声色を真似るのは全く別の技術だろ。しかも、ハッティーの声とは似ても似つかないし。
これが「友人に対する軽いイタズラ」とか、そういう遊び感覚なら別にいいかもしれんけど、重要な捜査の一環なわけで。しかも、なぜかシェリーは全く気付かないのだ。
「しばらく会っていないから」ってのを言い訳にしているんだろうし、段取りとしては理解できる。でも、「いや強引だしバカバカしいし、そのノリに乗っかるのは厳しいわ」という印象は否めない。

マルコムは冒頭のガサ入れシーンで悪人を退治し、格闘能力があることを見せている(とは言っても、いわゆるアクションスター的な能力という意味ではないよ)。ところがトレントに空手を教えてもらう時は、調子に乗って相手をしていたらパンチを食らって腕を捻られてタップする。
でも暴漢対策の武道教室では、講師を軽くあしらい、投げ飛ばしてから腕を捻って取り押さえる。
その場その場で、見せたい喜劇シーンに応じてマルコムの格闘能力をコロコロと変えているのだ。
それは本作品の特徴が顕著に現れたポイントと言ってもいい。
そこに限らず、「その場の笑いが最優先で、全体の流れや構成は二の次」ってのが本作品だ。

マルコムが特殊メイクでハッティーに化けたら、そこからは「彼がハッティーとして振る舞うが、偽者なので誤魔化すのに苦労する」とか、「特殊メイクがバレないようにアタフタし、てんやわんやの大騒ぎ」とか、そんな方向で喜劇を進めていけばいい。
しかし製作総指揮も兼任したマーティン・ローレンスは、自分の姿が見えないのは嫌だと思ったのか、マルコムとして行動する時間帯も多く設けている。
これが「ハッティーに変身している時にマルコムを登場させる必要があって、慌てて元に戻る」とか、そういう使い方をするなら賛成できる。でも、そうじゃないのよね。
特殊メイクじゃないマルコムを出しても、そこに笑いの種は少ないでしょ。っていうか、そこで笑いを作ろうとすること自体がズレているし。

マルコムはレスターを捕まえるために特殊メイクでハッティーに変装したわけだが、その任務は遅々として先へ進まない。
だけど、それが本筋だなんて、さらさら思っちゃいない。だから、その要素が脇へ追いやられて物語が進行するのも、レスターの出番が少なくて終盤までマルコムとシェリーと関わらないのも、別に構わない。
ただし、本物のハッティーも終盤まで消えており、レスターが来た直後に戻ってくるってのは使い方としてマズい。
それでも、最後まで「マルコムが変装する相手」としてだけの存在に留めるなら、まだ分からんでもない(ホントはダメだけど)。しかし、最終盤に入ると、レスター退治を少し手伝うなど、それなりの仕事は担当するのだ。
だったら彼女の出番も、マルコムたちと絡む時間も、もっと増やした方がいいでしょ。

(観賞日:2018年2月27日)


第23回スティンカーズ最悪映画賞(2000年)

ノミネート:【最悪な総収益1億ドル以上の作品の脚本】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会