『ビヨンド the シー 〜夢見るように歌えば〜』:2004、アメリカ&ドイツ&イギリス

ボビー・ダーリンはデビュー10周年記念公演を開催し、ココナッツ・グローブのステージに立った。彼はバンドを従え、ヒット曲『マック・ザ・ナイフ』を歌い始める。しかし少年が幕の向こうから覗いているのに気付いた彼は、ピアニストのリッチーに「ストップ」と指示する。それは実際の公演ではなく、ボビーの伝記映画の撮影だった。「もう一度、最初からだ」とビルが言うと、監督のチャーリーが「いい加減にしろ」と声を荒らげた。
トランペッターが抗議すると、ビルは「ちゃんと吹くまで、何度でもやり直すぞ」と言い放った。撮影は休憩に入り、ビルはスタジオを出て行く。記者が現れてビルに質問を浴びせると、マネージャーのスティーヴが「邪魔をするな」と追い払おうとする。記者が「この役には老けすぎでは?」と問い掛けると、彼は「この役のために生まれて来た男だ」と反論した。ボビーはスタジオに戻り、オープニングを変えようと提案した。「野次で退場した話からだ」と彼が言うと、チャーリーは「そんなの誰も見たいと思わない。目当てはヒット曲だ」と反対した。
ビルが「大衆の心が分かるのか」と訊くと、チャーリーは「君よりはな」と言い返す。すると隣のセットにいた少年が、「嘘つけ」と大声を出した。それは少年時代のボビーを演じる子役の少年だった。ビルは子役に歩み寄り、「どう始める?」と質問した。すると子役は、「真実を教えてあげる」と口にした。彼が指を鳴らすと、ボビーは幼少期を過ごした街に立っていた。彼は家具職人だった父を亡くし、母のポリー、年の離れた姉のニーナ、その夫であるチャーリーと共にアパートで暮らしていた。
ある時、ボビーは熱を出して寝込んだ。ポリーは医者から「リウマチ熱です。15歳まで生きられるかどうか」と通告され、それをボビーも聞いてしまった。チャーリーはボビーのために、ピアノを購入した。かつて音楽家だったポリーはピアノを演奏し、ボビーに「貴方には才能がある。神様も苦しめた後は、償って下さるわ」と告げた。音楽はボビーの生き甲斐となり、ピアノだけでなくドラムやトランペットを練習した。ポリーは舞台で覚えた所作や踊りを、息子に教えた。やがてボビーは「お前はフランク・シナトラを超えるわ」と言うポリーに見送られ、ニューヨークへ出た。
ボビーはマネージャーのスティーヴ、広報担当のデヴィッド、アマ楽団の指揮者であるリッチー、そして付き人になったチャーリーと共に、歌手としての成功を目指す。彼は成人式や結婚式、場末のバーでも歌うが、客に怒鳴られることもあった。ウォールデン・カソートという本名で活動していた彼は、客を呼ぶための芸名が必要だと考えた。ボビー・ダーリンに改名すると、すぐにテレビの仕事が舞い込んだ。しかしテレビで歌を披露したものの、人気は出なかった。
ボビーはレコード会社から最後のチャンスを貰い、シングルレコードを発売することになった。チャーリーは薄毛のボビーにイメージの大切さを説き、カツラを被るよう促した。ボビーは嫌がるが、シナトラも被っていると言われて承諾した。20分で考えた『スプリッシュ・スプラッシュ』が大ヒットとなり、ボビーはカツラを着用してテレビ番組に出演した。レコード会社の社長であるアーメットはロックを歌うよう勧めるが、ボビーはスタンダードを歌いたいと主張した。アーメットは路線変更に反対するが、ボビーは「ファンが子供だけなんて真っ平だ。俺は高級クラブや映画に出たい」と譲らなかった。
ボビーはスタンダード曲を収録した大人のアルバム『マック・ザ・ナイフ』を、スタジオで録音した。その直後に母が死去し、彼は棺に完成したばかりのアルバムを納めた。ボビーは新人アルバム賞を獲得し、「次は映画に出る」と宣言した。彼はハリウッドの誘いを受け、映画に出演するためイタリアへ飛んだ。共演者は人気スターのロック・ハドソンとサンドラ・ディーだ。サンドラと対面したボビーは、すぐに「彼女と結婚する」と決めた。
ボビーはサンドラを落とすため、まずは彼女の母であるメアリーを褒めて機嫌を取る。それだけでなく、彼はスティーヴに頼んで花束を届けさせる。ボビーは「映画の宣伝になる」とメアリーを丸め込み、サンドラとのデートを承諾してもらった。彼はサンディーを口説き落とし、婚約に漕ぎ付けた。メアリーは「宣伝しろとは言ったけど、結婚しろとは言ってない」と激昂する。サンドラはメアリーに「私が貴方を育てたのよ」と叱責されるが、母よりもボビーを選んだ。ボビーとサンドラは結婚し、新婚生活を始めた。
サンドラはコスモポリタン誌の表紙を飾り、ボビーに「見て」と嬉しそうな様子で告げる。するとボビーは「凄いじゃないか」と軽く言い、自分が特集されている雑誌の記事を自慢した。彼はスティーヴから「来月はコパに出る」と言われ、大喜びした。『コパカバーナ』は世界最高のナイトクラブであり、ボビーが目指していた場所だった。前座のコメディアンとして、スティーヴは黒人のジョージ・カービーを考えていた。しかしクラブの支配人であるジュールス・ポデルは、「黒人は出さないのがポリシーだ」と拒否する。ボビーは「座り込みの抗議運動が起きるかもしれない。マスコミも押し寄せる」と脅しを掛け、カービーの出演を承諾させた。
『コパカバーナ』のショー当日、ボビーが出番直前に準備をしているとニーナが押し掛けて来た。彼女は座席の場所が悪いことに文句を付けるが、ボビーは「ポデルが仕切っているから手出しできない」と告げて追い払った。ステージに立ったボビーは1曲目を歌い終えると、「このショーを2人の愛する女性に捧げたい」と述べた。最初に母の名を挙げたので、ニーナは次に自分が呼ばれると期待した。しかしボビーがサンドラの名を出したので、ニーナは悲しみに暮れた。
ボビーは長男のドッドが誕生した後、有名スターと共演する映画に出演した。一方のサンドラも別の映画に入るが、ボビーがツアーに出ると知って驚いた。「私は映画の撮影中よ」とサンドラが言うと、ボビーは「後からドッドと来い」と軽く告げる。サンドラが「まだドッドは赤ん坊よ」と口にすると、彼は「子守りに預けろ」と述べた。サンドラは「子守りに育てさせるの?」と反発するが、結局は承諾した。しかし彼女はツアー先に後から出向いたものの、不満が完全に解消されたわけではなかった。
ボビーは『ニューマンという男』でアカデミー賞候補となり、自信満々で授賞式に出席した。しかし受賞を逃したため、激しい苛立ちを示した。サンドラは彼に批判され、激怒して反発する。ボビーと言い争いになった彼女は、ドッドを連れて家を出て行くと宣言した。彼女が車で去ろうとすると、ボビーは謝罪して「家族で過ごそう」と提案した。1960年代に入ると国も音楽シーンも激変し、ボビーの舞台は消えて、お呼びでなくなった。彼は政治活動に関わり、ケネディーを全面的に応援するようになった…。

監督はケヴィン・スペイシー、脚本はケヴィン・スペイシー&ルイス・コリック、製作はアーサー・E・フリードマン&アンディー・パターソン&ジャン・ファントル&ケヴィン・スペイシー、製作協力はアンナ・キャンポー&クリスチャン・フローン&ジェレミー・ウィラハン、製作総指揮はマイケル・バーンズ&ピーター・ブロック&ジェイソン・コンスタンティン&ジム・リーヴ&スティーヴ・ロビンス&ティエリー・ポトク&ヘニング・モルフェンター&ジョアンヌ・ホロヴィッツ&ダグラス・E・ハンセン&マーク・デイモン、撮影はエドゥアルド・セラ、美術はアンドリュー・ラース、編集はトレヴァー・ウェイト、衣装はルース・マイヤーズ、振付はロブ・アシュフォード、音楽プロデューサーはフィル・ラモーン、音楽監督はジョン・ウィルソン、音楽パフォーマンスはケヴィン・スペイシー&ザ・ジョン・ウィルソン・オーケストラ。
出演はケヴィン・スペイシー、ケイト・ボスワース、ジョン・グッドマン、ボブ・ホスキンス、ブレンダ・ブレシン、グレタ・スカッキ、キャロライン・アーロン、ピーター・シンコッティー、ウィリアム・ウルリッチ、マイケル・バーン、マット・リッピー、ゲイリー・ウィーラン、ジェイク・ブローダー、タイファン・ベイデムゾイ、トーマス・スペンサー、トム・マニオン、マーカス・ブリッグストック、カーティス・ヴィクター、エンリケ・アルベルト・サウンダース、ヴィンツェンツ・キーファー、ハーヴェイ・フリードマン他。


エンターテイナーとして活躍したボビー・ダーリンの伝記映画。
主演のケヴィン・スペイシーが、1996年の『アルビノ・アリゲーター』以来となる2度目の監督を務めている。脚本を担当するのは、これが初めてだ。
彼と共同で脚本を手掛けたのは、『遠い空の向こうに』『ドメスティック・フィアー』のルイス・コリック。
ボビーをスペイシー、サンドラをケイト・ボスワース、スティーヴをジョン・グッドマン、チャーリーをボブ・ホスキンス、ポリーをブレンダ・ブレシン、メアリーをグレタ・スカッキ、ニーナをキャロライン・アーロン、リッチーをシンガー・ソングライターのピーター・シンコッティーが演じている。

企画自体は1987年からスタートしていて、何度もシナリオが書き直されたり、製作会社や監督が変わったりという経緯があった。
ワーナー・ブラザーズでバリー・レヴィンソンが監督を務めてジョニー・デップが主演する予定だった時期もあり、ポール・シュレイダーが撮ろうとした時期もあり、トム・クルーズが主演に予定されていた時期もあった。
その間に大勢の脚本家とプロデューサーが携わり、ようやく製作に漕ぎ付けたという難産の映画である。

伝記映画ってのは、「その人物の辿って来た道のりを、表面だけ軽くなぞって終わってしまう」という事態に陥りがちだ。
「薄っぺらいダイジェスト」になることを避けるためには、回想劇にするのは悪くない判断だと言える。ポイントになるエピソードだけを抽出して、場面転換の時は現在のシーンに戻って来るという形も取れる。
しかし、せっかく回想劇にしてあるのに、その利点を活かそうという意識が弱いとしか思えない。
結局のところ、前述した失敗に落ちているのだ。

切り替える部分の表現も上手くない。
例えばボビーがニューヨークへ行くシーン。ミュージカル形式でポリーが見送るのだが、まだ少年のボビーを、たった1人でニューヨークへ送り出すのは不自然だ。
で、そこから切り替わると、まずマネージャーのスティーヴら4人が紹介され、ケヴィン・スペイシーが「若き日のボビー」として登場する。ってことは、見送られたシーンから随分と歳月が経過していると解釈すべきなんだろうが、どれぐらい経ったのかは全く分からない。
あと、「若き日のボビー」をケヴィン・スペイシーが演じていると、幾つなのかサッパリ分からない。

シーンが切り替わると最初にマネージャーや広報担当が紹介されるという入り方も、上手くない切り替えだ。
そこはボビーと彼らの出会いを描いた方がいい。
そこを省略したいのなら、ボビーが場末のバーで歌っている様子を先に見せて、その後で「今の彼には、こういう仲間がいまして」という形でスティーヴたちを登場させた方がいい。
どういう流れでもいいけど、まずナレーションでスティーヴたちを紹介するのではなく、ドラマの中でお披露目するようにした方がいい。

伝記映画なのだから、本来なら「ボビー・ダーリンはどういう人物だったのか」を掘り下げるべきだろう。しかし、彼については表面的な事象しか描かれていない。
「どこにポイントを置くか」「どういう切り口から描くか」ということが伝記映画では重要になるのだが、それ以前の問題だ。
売れない時期の苦悩も、ヒット曲が出たことによる喜びも、母親が死去したことを受けての悲しみも、まるで伝わらない。
なぜ伝わらないのかと言えば、描かれていないからだ。

サンドラとの不和や仲直りなど、夫婦関係はそれなりに描かれている。しかし、ボビーの人生を描く上で、その一部分としてとりあえず触れているだけだ。どこに焦点を当てるかが定まっていないから、ただ段取りを消化するだけになっている。
『コパカバーナ』のショーで自分の名前が出なかったことにニーナがショックを受けるシーンがあるが、これも同様。
幼少期のボビーにとってニーナがどういう存在だったのか、ニューヨークに出て以降の関係性はどうだったのか、そういうことに全く触れていない。
だから、そのシーンで急にニーナをフィーチャーしてもピンと来ないのだ。

『コパカバーナ』の前座に、ホビーが黒人コメディアンのカービーを使おうと考えるシーンがある。クラブ支配人のポデルは反対するが、ボビーは「時代遅れのポリシーだ」と一蹴し、脅しを掛けて承諾を取り付ける。
そういう手順まで描くぐらいだから、それ以降にカービーとの関係が描かれるのか、あるいは「ボビーは差別意識の無い進歩的な人物」ってことが描かれるのかというと、そういう方向には全く進まない。
カービーは前座に出ているのがチラッと写るだけで、ボビーと絡むことさえ無い。ボビーに差別意識の無いことが、それ以降の展開に重要な意味を持つわけでもない。
だったら、前座を巡る出来事なんて描く必要性が無い。

「1960年代に入ると国も音楽シーンも激変し、ボビーの舞台は消えて、お呼びでなくなった」ってことが、ボビーのナレーションによって説明される。
そういう淡白な処理なので、どれぐらい環境が変化したのか、落ち目になったことに対して本人がどう感じていたのか、脱却するために何を考えていたのか、そういうことが伝わって来ない。
「祖国が戦時下にあったから政治に関わった」「ボビー・ケネディーに希望を託す一方で、妻との距離は開いて行った」ってのも、やはりナレーションで説明される。
ボビーが政府への怒りを口にしたり、反戦の歌を歌おうと考えたりするのも、「そういう時代だから」ってことで軽く処理してしまう。

ボビーが政治活動に力を入れ始めたことが語られた後、ニーナが彼の元を訪ね、「きっとマスコミが貴方の過去を調べる」と懸念を示し、「実はポリーがボビーの母じゃなくて祖母で、本当の母は自分」ってことを打ち明ける。
もちろんボビーは大きなショックを受けるのだが、そこまでの家族ドラマが薄いから、唐突な告白シーンとしての違和感が強くなってしまう。
ラスベガスでの復帰コンサートでニーナへの感謝を述べて紹介するシーンがあるので、そこで一応は前述した「コパのショーでボビーがニーナの名前を出さなかった」という部分も含めて、ちゃんと着地させることは出来ている。
ただ、そこへ持って行く流れが、あまり上手く作れていない。

大手術を受けたボビーは、サンドラの「人は浅はかだから、見た目で訊くの」という言葉を耳にすると、途端に「ベガスのクラブで歌う」と決める。
それまで政治活動に力を入れたり、反戦の歌を歌ったり、イメチェンを図って失敗したりしていたのに、サンドラの言葉で一瞬にして自分の進むべき道に気付くのだ。
それは段取りとしては分かるけど、腑に落ちる展開とは到底言い難い。
ものすごく安易で、雑に片付けているという印象が強い。

ボビーがイメージチェンジを図ろうとするのは、どうやら「出生の秘密を知り、自分が何者かを探したくなったから」ってのが理由らしい。
ただ、それは本人の言葉によって「そういう設定」ってのが何となく伝わるだけで、表現としては明らかに不足している。
なんでもかんでも適当に盛り込んでいるから、全てが薄っぺらくなり、まとまりに欠ける仕上がりになっている。
1つ1つのエピソードを粒立てて描写する気が、全く無いのだ。色んなことをサラッと触れては、慌ただしく次へと進んでいくのだ。

難産だったのは分かるし、希望していた役者に断られるとかスケジュールの都合が付かなくなるとか色々と事情はあったんだろうと思う。
ただ、それにしても、なぜケヴィン・スペイシーなのかという部分で大いに疑問が湧く。
かつてパラマウントが製作する予定だった頃はレオナルド・ディカプリオの主演を希望していたらしいが、それなら理解できる(ちなみに本作品の製作会社はライオンズ・ゲート)。
ジョニー・デップやトム・クルーズも分かる。全員、二枚目だからね。
でもスペイシーは無いでしょ。

本人が主演だけじゃなくて監督も脚本も製作も兼ねているってことは、もはや「ケヴィン・スペイシーの俺様映画」と化している。
たぶん、いつの間にか「ケヴィン・スペイシーありき」という状態になってしまったんだろうけど、これが大きな問題を引き起こしてしまっている。
ハッキリ言って、ケヴィン・スペイシーはミスキャストと言わざるを得ないのだ。
ボビー・ダーリンは1973年12月20日に37歳で死去したのに、撮影当時のスペイシーは44歳。それは変でしょ。

この映画は冒頭、「ボビー・ダーリンが伝記映画を撮影している」というシーンから始まる。
つまり、「伝記映画で自身を演じているボビーをケヴィン・スペイシーが演じている」という構造にしてあるわけだ。
そして記者から「老けすぎでは?」と質問されたことに対し、スティーヴが「この役をやるために生まれて来た」「自分を演じるのに、老けすぎだと?」と反論するシーンを用意している。
その辺りは、ケヴィン・スペイシーの苦しい言い訳にしか聞こえない。
大体さ、チャーリーが言うように、実際に伝記映画で本人が自分を演じるなら、年齢的な問題はスルーできるかもしれんよ。でも、本人じゃないからね。

ケヴィン・スペイシーは年齢的にミスマッチというだけでなく、見た目も全く似ていない。
ボビー・ダーリンは童顔&甘いマスクで人気だったスターだ。ケヴィン・スペイシーがティーンエイジャーの女の子たちからキャーキャー言われるようなアイドル歌手になれるかっていうと、それは厳しいでしょ。
あと、カツラを着用しても、ボビー・ダーリンより頭髪が薄いってのは、どういうつもりなのかと。
ようするにケヴィン・スペイシーは、ボビー・ダーリンに見た目を似せようという気が全く無いとしか思えないのよね。

これは「ボビー・ダーリンを描く映画」じゃなくて、完全に「ケヴィン・スペイシーを見せる映画」と化している。
つまり「伝記映画」という体裁は整えているが、実際はケヴィン・スペイシーのショーケースってことだ。
だから劇中でボビーのヒット曲が流れる時も、本人の声は一切使われていない。全てケヴィン・スペイシーの歌声だ。
彼が芸達者なのは伝わって来るが、ボビー・ダーリンの魅力は全くと言っていいほど伝わって来ないのである。

(観賞日:2017年7月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会