『ベオウルフ/呪われし勇者』:2007、アメリカ

西暦507年、デンマークの雪深い王国。フロースガール王は新しい館に兵士や女たちを集め、盛大な宴を開いていた。みんなが浮かれる中で、ウィールソー王妃だけは顔を曇らせていた。だがフロースガールは、そんな王妃の様子など気にせず、服を脱いで宴に酔いしれた。彼は財宝を兵士たちに撒き、側近のアンファースを呼び寄せた。蜜酒で泥酔したフロースガールが眠り込んだ後も、宴は続けられた。
宴が盛り上がる中、怪物のグレンデルが館に現れた。グレンデルは怪力で暴れ、兵士や女たちを次々に殺害する。兵士が攻撃しても、全く歯が立たない。グレンデルが身を隠していたウィールソーを見つけると、フロースガールは剣を抜いて「こっちだ。掛かって来い」と言う。グレンデルがゆっくり歩み寄ると、フロースガールは「来い、化け物」と怯まずに戦う姿勢を示した。するとグレンデルは激しく咆哮し、その場から姿を消した。
住処の洞窟に戻ったグレンデルは、母から「魚や動物ならいいけれど、人間はいけません」とたしなめられる。グレンデルが持ち帰った死体を見せて「人間、あげる」と言うと、母は「人間は私たちの仲間をさんざん殺して来たのです」と告げる。するとグレンデルは「人間、なぜ嬉しいと大きな声を出す?俺を苦しめる?いなくなればいい」と苦悶する。「フロースガール王はそこにいましたか」と母が訊くと、グレンデルは「あいつには何もしてないよ、本当だよ」と弁明した。
フロースガールはアンファースに、「この不名誉は、既に旅の詩人たちによって方々へ広められただろう。知らせを出せ。グレンデルを倒した者には富の半分を与えると」と指示した。「ローマから伝わったキリストの教えに救いを求めてみては?必ずや苦悩を取り去ってくれるはずです」とアンファースが提案すると、彼は「神々とて、何もせぬを救ってはくれまい。英雄を探すのだ」と述べた。
ベオウルフは大勢の兵士たちに船を漕がせ、相棒のウィグラーフと共にデンマークへ赴いた。船が着岸すると、兵士が駆け付けて用向きを尋ねた。ベオウルフがフロースガールとの面会を求め、怪物退治に来たことを告げる。兵士が「褒美が目当てなら引き返せ。既に多くの者が死んでいった」と告げると、ベオウルフは「我らの望みは栄光と名誉のみ。褒美ではない」と口にした。かつてベオウルフの亡父であるエッジセオウが窮地に陥った時、フロースガールに助けてもらったことがあった。
ベオウルフはフロースガールと面会し、怪物退治への自信を見せた。彼は王国の人々に向かい、「北の海で巨人の一族を滅ぼした。大海蛇の頭蓋骨を叩き割ったこともある。この国の民に約束する。災いは去るだろう」と高らかに宣言した。フロースガールはベオウルフに全幅の信頼を置き、「すぐに向かってくれ。怪物のグレンデルは荒野を抜けた沼地の洞窟にいる」と告げる。するとベオウルフは「私には14人の仲間がいる。長旅で疲れている。ご自慢の蜜酒の樽を開け、振る舞って頂きたい」と頼んだ。
館での宴を所望するベオウルフに、アンファースは「館は閉鎖しました。その館での騒ぎがグレンデルを呼び覚ますのです」と告げた。しかしベオウルフが「なればこそ」と言うと、フロースガールは館の開放を命じた。フロースガールが宴を始めようとしていると、そこへアンファースが来てベオウルフに嫌味っぽい態度で話し掛けた。彼は、無敵のはずのベオウルフが過去に勇者ブレッカーとの遊泳勝負に負けていることを指摘した。
ベオウルフは平然とした態度で、ブレッカーに負けたことを認める。しかしアンファースがグレンデルにも勝てないだろうと言うと、彼は勝負の最中に海の怪物が襲って来たこと、群れを全て倒したはずが1匹だけ生き残りがいて海に引きずり込まれたこと、その生き残りも倒したものの泳ぎの勝負には負けたことを話す。ベオウルフは倒した群れが9頭だと告げたが、実際は3匹だけであり、引きずり込んだ相手は人魚だった。そしてベオウルフは、その人魚に誘惑されて勝負を放棄しただけだった。
フロースガールは宴を開き、ベオウルフに大切な宝であるであるドラゴンの盃を見せる。彼はベオウルフに、それが北の荒野のドラゴンを倒して手に入れた宝だと説明した。そして「ドラゴンの急所は喉だ。ドラゴンを倒したければ、その奥を剣で突け」と述べた。彼が就寝しようとすると、ウィールソーは同行を嫌がった。ベオウルフはフロースガールに、ウィールソーの歌をもう一曲だけ聴きたいと所望した。フロースガールは承諾し、ウィールソーを残して館を去った。
ウィールソーが歌い終わり、ベオウルフは称賛した。「あの怪物は王の恥です。なのに王には、退治すべき息子がいない。この先、出来ることも無いでしょう」とウィールソーは語る。彼女が館を去った後、ウィグラーフはベオウルフに、兵士が女ばかり気にしていて士気が下がっていることを告げる。懸念を示すウィグラーフが対処を求めても、ベオウルフは「俺は寝る」と言う。「指示をしてから寝てくれ」とウィグラーフが頼むと、ベオウルフは「大声で歌え」と告げた。
封鎖していた扉が激しく叩かれ、ウィグラーフはグレンデルの襲来だと感じる。しかし兵士のホンドシューは、自分が口説いた王国の女が来たのだと言い出す。不用意に扉へ近付いたホンドシューは、グレンデルに吹き飛ばされた。兵士たちが襲い掛かるが、まるで敵わずに倒されていく。ベオウルフがグレンデルを攻撃してダメージを与えると、体が縮んだ。グレンデルが館から逃げようとすると、ベオウルフは腕を鎖で拘束した。扉の向こうに体を出したグレンデルは、「俺は化け物じゃない」と弱々しく告げた。ベオウルフは扉を力強く閉じて、グレンデルの腕を引き千切った。
ベオウルフはグレンデルを退治したと確信し、ウィグラーフたちは盛り上がる。知らせを受けたフロースガールは、詩人たちを使って世に伝えるよう家臣に命じた。彼はウィールソーに、「悪夢は去った。こっちへ参れ。世継ぎを作れ」と告げる。ウィールソーは「他の女と子まで儲けたくせに、汚らわしい」と拒絶する態度を取った。グレンデルは瀕死の状態で洞窟へ戻り、母に泣き付いた。「あいつ、俺に酷いことした」とグレンデルが言うと、母は「安心して。償いはさせます」と告げた。
翌朝、フロースガールはベオウルフにドラゴンの盃を与えた。グレンデルを看取った母は、怒りと悲しみで絶叫した。館で眠っていたベオウルフは、ウィールソーが「私を抱いて」と誘惑して来る夢を見た。ウィールソーが怪物に変貌し、ベオウルフは驚いて目を覚ました。すると館にいた兵士たちが皆殺しにされていた。フロースガールは「グレンデルの母親の仕業だ。とっくに、この地を去ったと思っていたのだが」と口にした。
ベオウルフが「どれだけ倒せば済むのですか。怪物の母に父、叔父や叔母もですか」と苛立つと、フロースガールは「残るは母親だけだ。母親を殺せば、この地から怪物はいなくなる」と告げた。「母親がいるなら、父親もいるはずです」とベオウルフが言うと、彼は「父親は人間に危害を加えない」と述べた。アンファースはベオウルフに詫びを入れ、祖父が持っていたという家宝の名剣を彼に手渡した。
ベオウルフは沼地へ向かい、同行したウィグラーフを外に待機させて、洞窟へ足を踏み入れた。ベオウルフが慎重に進んでいると、途中で松明の炎が消え、腰に下げていたドラゴンの盃が輝いた。彼は盃を明かりとして使い、洞窟の奥へと進む。財宝で一杯の場所に到着すると、そこにグレンデルの母が出現した。彼女はベオウルフに、「いつの日か貴方は王の座を手に入れる。貴方の中にも、グレンデルのような魔物が潜んでいる。貴方の物語は、詩人によって脈々と受け継がれる」と語った。
グレンデルの母は、「貴方は私の息子を奪った。だから代わりに息子を授けて。私を抱いて。そして盃を頂戴。叶えてくれれば、貴方が見たことも無い財宝をあげる。そして歴史に名を残す偉大な王にしてあげるわ」と持ち掛けた。彼女の誘惑に負けたベオウルフは取り引きを承諾し、肉体関係を結んだ。ベオウルフはグレンデルの首を館へ持ち帰り、「グレンデルの母親を殺し、息子の首を落とした」と嘘をついた。フロースガールは「呪いは終わった」と宣言し、宴を開いた。
フロースガールはベオウルフを奥の部屋に呼んで2人きりになり、「母親の首はどうした」と尋ねる。「グレンデルだけでは不足ですか。お望みなら、化け物の断末魔の一部始終をお聞かせしましょうか」とベオウルフが言うと、彼は「あれは化け物ではない。答えてみろ。奴を殺したのか」と見透かしたように尋ねる。「逃がしたとでも言いたいのですか」とベオウルフが不快感を示すと、フロースガールは含んだような笑みを浮かべて「グレンデルさえ殺せば、ワシは別に構わない。あの女は、もうワシにとっての災いになることは無い。ワシにとってはな」と述べた。
フロースガールは兵士たちの前に戻り、「ワシには跡継ぎとなる息子がおらぬ。そこでワシが死んだ後、王国や財宝、この館、そして王妃、全てをベオウルフに譲ろう。ワシの亡き後は、ベオウルフを国王にする」と宣言した。アンファースは反対し、ベオウルフも困惑する。しかしフロースガールはベオウルフに王冠を渡すと、館から飛び降りて自害した。こうしてベオウルフは国王となり、時は過ぎた…。

監督はロバート・ゼメキス、脚本はニール・ゲイマン&ロジャー・エイヴァリー、製作はスティーヴ・スターキー&ロバート・ゼメキス&ジャック・ラプケ、共同製作はスティーヴン・ボイド、製作協力はジャクリーン・ロペス&ピーター・トビアンセン&ジョシュ・マクラグレン、製作総指揮はマーティン・シェイファー&ロジャー・エイヴァリー&ニール・ゲイマン、撮影はロバート・プレスリー、編集はジェレマイア・オドリスコル、美術はダグ・チャン、衣装はガブリエラ・ペスクッチ、シニア視覚効果監修はジェローム・チェン、音楽はアラン・シルヴェストリ、オリジナル・ソングはグレン・バラード&アラン・シルヴェストリ。
出演はレイ・ウィンストン、アンソニー・ホプキンス、アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチ、ロビン・ライト・ペン、ブレンダン・グリーソン、クリスピン・グローヴァー、アリソン・ローマン、コスタス・マンディロア、ジャッキー・バーンブルック、グレッグ・エリス、シャーリーズ・ベイカー=バーナード、シャーロット・ソルト、ジュリアン・レネ、セバスチャン・ロッシェ、タイラー・スティールマン、ドミニク・キーティング、フレデリック・ヒラー他。


『キャスト・アウェイ』『ポーラー・エクスプレス』のロバート・ゼメキスが監督を務めた作品。
ベオウルフをレイ・ウィンストン、フロースガールをアンソニー・ホプキンス、グレンデルの母をアンジェリーナ・ジョリー、アンファースをジョン・マルコヴィッチ、ウィールソーをロビン・ライト・ペン、ウィグラーフをブレンダン・グリーソン、グレンデルをクリスピン・グローヴァーが演じている。

英文学最古の伝承の一つ『ベオウルフ』をベースにした映画だが、その内容はかなり改変されている。
原作はベオウルフの青年期を描く第一部と老年期の第二部で構成されているが、それを1つの物語としてまとめている(途中でベオウルフの青年期から老齢期への時間経過があるので、二部構成ではあるが)。
また、原作では、第二部に戦うグレンデル&母親と、第二部で戦うドラゴンは全く別個の存在だが、この映画ではそこに関係性を持たせている。

舞台設定は6世紀のデンマークだが、当時のデンマークを忠実に再現しているわけではない。
歴史考証がデタラメということではなくて、「6世紀のデンマークと言ってるけど、架空の世界観でやってます」ってことだ。
ヒロイック・ファンタジーでは中世ヨーロッパが舞台になることが多いが、この映画は相当に自由度が高い。様々な時代、様々な地域のイメージを繋ぎ合わせて、世界観が構築されている。
まあ悪く言ってしまえばツギハギ状態ってことになるが、そこは正直、そんなに気にならない。

この作品はフルCGによる3D映画であり、ロバート・ゼメキス監督は「パフォーマンス・キャプチャー」という技術を『ポーラー・エクスプレス』に引き続いて使用している。
パフォーマンス・キャプチャーとは、特殊なスーツを着用した実際の俳優の表情や動きをコンピュータに記録し、それをCGによって精密に映像化する技術だ。
つまり、ベオウルフを演じているのはレイ・ウィンストンだが、画面に登場するのは彼本人の姿ではなく、その動きや表情を精巧に再現したCG映像というわけだ。

上述したように、アンソニー・ホプキンスやアンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチ、ロビン・ライト・ペンといった豪華な顔触れが出演しているのだから、わざわざCGに加工せず、俳優たちをそのまま使った実写映画として作った方がいいんじゃないかと思うのだが、そんなことをロバート・ゼメキスに言ったところで馬耳東風だ。
むしろ「豪華俳優をパフォーマンス・キャプチャーで起用することに面白味がある」とでも思っていたことだろう。
当時のロバート・ゼメキスはパフォーマンス・キャプチャーに取り憑かれていたので、周りが何を言おうが無理なのだ。
言ってみればカルト教団の信奉者みたいなモンだから。

ロバート・ゼメキスとしては、妄信するパフォーマンス・キャプチャーの技術を駆使したことで、満足の行く仕上がりになっているのかもしれない。
しかし信者ではない人間からすると、その技術によって描き換えられた登場人物には魅力を感じられない。
生命感に欠けるし、表情や動き、肌の質感にも違和感がある。
「よりリアルな人間に近付ける」という方向でCGを使用したことで、むしろ本物の人間との微妙な違いが気になってしまう。

コンピュータ・ゲームやコマーシャルの映像であれば、これでも別に構わないだろう。
しかし映画としては、リアル志向で描写されたCGの人間は、プラスには作用しない。
これは「絶対」と言い切ってもいいんじゃないか。むしろ、アニメとして誇張された人間キャラクター、リアルとは正反対のデザインを施された人間キャラクターの方が、その感情が伝わるのではないか。
なぜなら、完全に「我々とは別の存在」「アニメーションとしての存在」として受け止めることが出来るからだ。

技術的な部分で抱えた大きな負債を度外視して観賞したとしても、やはり低い評価になる。
何より、ベオウルフに何の魅力も無いというのは厳しい。
この男、勇敢なヒーローなのかと思いきや、チンケで見栄っ張りな、上っ面だけの怪力男でしかないのだ。
それが最初に露呈するのが、遊泳勝負についての説明。
彼は悠然と「怪物の群れを倒した。生き残りに引きずり込まれたが、そいつも始末した。全部で9頭だった」と語るが、実際に倒したのは3匹で、人魚に誘惑されて勝負を捨てたことが映像で示されている。

アンファースは嫌味な男だが、彼がベオウルフの遊泳勝負について話す「両者の命を危険にさらしたのも、ただ己の虚栄心を満たしたいがための行為。あまりにも高慢で愚かだ」という指摘は、見事に当たっているのだ。
ベオウルフがグレンデルを倒しに来たのも、遊泳勝負と同じ目的だ。
「俺様は圧倒的に強い。無敵の英雄だ」というのをアピールして、みんなに称賛されて持ち上げてもらいたいだけだ。

しかもベオウルフは遊泳勝負の内容に関して嘘をついて見栄を張るだけでなく、アンファースの名前を聞いて「お前か。思い出したぞ。母親を犯した兄弟を手に掛けたという哀れな輩は」と侮辱する。
激昂したアンファースが剣を抜くと腕を押さえ付け、「お前が口ではなく腕を振るうことの出来る男であれば、なぜグレンデルは易々と館を襲うのだ。グレンデルを倒すのは我々だ。ひ弱な羊ではない」と言い、彼を突き飛ばして「腰抜けめ」と罵る。
そりゃアンファースも嫌な奴だけど、それに輪を掛けてベオウルフの方が嫌な奴だぞ。

グレンデルが「俺は化け物なんかじゃない」と弱々しく告げても、ベオウルフは全く耳を貸さない。
「お前、誰?」と問われた彼は、得意げに「斬り捨てて、ねじ込み、引き裂き、抉り出す男。暗闇に潜み牙を剥き、密かに鉤爪を研ぐ。
歴史に名を残す、最強で、無敵の男。我こそはベオウルフ」と語る。
そんな奴の、どこが英雄だよ。
グレンデルは怪力の怪物として描写されているが、それでも人間味のあるキャラクターだった。
ベオウルフの方が、ある意味では怪物だぞ。

ベオウルフは体にも相当の自信があるらしく、なぜかウィールソーの前でいきなり脱ぎ始める。
「怪物は武器を持っていない。だから私も丸腰で挑もうと思う」というのが全裸になる理由だが、ただ脱いでテメエの肉体をウィールソーに見せたいだけだろ。
武器や鎧を捨てたとしても、全裸になる必要は無いんだから。
それに脱ぐとしても、わざわざウィールソーに裸を見せ付ける必要は無いんだから。

ちなみに、ベオウルフが全裸になっても、絶対にチンコは画面に写らない。
誰かの体の一部分なり何かしらの物品なりが、必ずチンコの部分を隠すようなアングルになっている。
まるで日活ロマンポルノのような演出だが、もはやギャグにしか見えない。
そんな滑稽なことになるぐらいなら、ベオウルフを全裸にさせなきゃいいのに。
だって、こいつを全裸にさせた意味って、ホントに何も無いんだよ。

人魚の誘惑に欠けて遊泳勝負を放棄したベオウルフだが、こいつは相当な女好きのようで、ウィールソーにも目を付けている。
自分の父が世話になった男の奥さんなのに、そんなことは全く関係が無い。
そんな女好きのベオウルフは、グレンデルの母親に誘惑されると、簡単に取り引きを承諾して肉体関係を持っている。
もちろん「莫大な財宝や歴史に残る王の座を授ける」というのも魅力的だっただろうが、彼女に対する色欲もあったことは確実だ。

ベオウルフにグレンデルの母親と関係を結ばせて、「ドラゴンはベオウルフと彼女の息子」という設定を持たせることで第一部と第二部をリンクさせている。
だけど、よりによって、なんでベオウルフを矮小化する方法を使ってリンクさせるかね。
しかも、それは息子と戦うっことになるんだけど、ベオウルフが苦悩したり葛藤したりすることは全く無いし。
だからと言って、姑息な野郎によるマッチポンプでしかないベオウルフのドラゴン退治に、「英雄が怪物を倒す」という爽快感は無いし。

女好きで怪物と取引を交わしたことだけでなく、それ以外の部分、虚栄心に満ちているとか、無意味に全裸になりたがるとか、そういうことも含めて、ベオウルフって英雄としての資質はゼロだぞ。
話の中身はペラッペラなんだから、せめてシンプルな勧善懲悪のヒロイック・ファンタジーにすればいいものを。
なぜ変にベオウルフのキャラ設定をいじって、英雄として不適格な奴にしてしまったのか。

それと、第一部と第二部をくっ付けて脚本を構成したのも失敗だろう。
巨人(グレンデルの母)を倒して、それで終わりにすればいい。どうしてもドラゴンを登場させたいのなら、巨人がドラゴンに変身するとか、ドラゴンを手下にしているとか、そういう設定にでもすれば済むことだ。
第一部だけでは2時間の上映時間を埋め切れないだろうけど、そこはグレンデルに手下を配置するとか、ベオウルフが館で待ち受けるのではなく洞窟へ向かうことにして途中に敵を用意するとか、そうやって途中のアクションを増やせば対応できる。
っていうか、そういう作業は、第一部と第二部をくっ付けた本作品でも、ヘントはやるべきだと思うよ。
繰り返しになるけど、中身がペラッペラなんだから。それでも上映時間を埋めなきゃならないってんで、無駄にダラダラと時間を使っているし。

(観賞日:2013年11月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会