『ビー・ムービー』:2007、アメリカ

働きバチのバリー・B・ベンソンは大学の卒業式に出席するため、両親のマーティン&ジャネットト暮らす自宅を出た。彼は車を運転し、親友のアダム・フレイマンを途中で拾った。あっという間に卒業式は終了し、バリたちはハネックス産業の説明会へ向かった。ハネックス産業では花粉レンジャーが運んできた花の蜜を調合し、蜂蜜を作っている。案内役の女性はバリーたちに、仕事を選んだら一生辞めることは出来ないのだと教えた。初めて聞く情報なので、バリーは驚いた。
他の面々は全く気にしなかったが、バリーは死ぬまで同じ仕事を続けることに疑問を抱く。外の世界を知りたいと考えた彼は、自由に飛び回れる花粉レンジャーに憧れる。しかし花粉レンジャーは望めばなれる仕事ではなく、育ちによって決まっていた。若い女性たちの前でバリーとアダムが花粉レンジャーを詐称していると、本物のレンジャーであるジャクソンたちが気付いた。彼らはバリーとアダムに声を掛け、「明日は10キロほど先のひまわり畑へ行くぞ。俺たちは余裕だが、ちょっと厳しいかな」と冷やかす。バリーが「余裕だよ」と反発すると、ジャクソンは集合時刻を教えた。
帰宅したバリーは、かき混ぜ係として働く父に「毎日同じ仕事って飽きないの?」と尋ねる。マーティンは「リズムに乗ると気持ちいい」と言うが、バリーは「蜂蜜業界は向かない気がする」と漏らす。しかしマーティンは全く聞いておらず、「かき混ぜ係になるらしい」とジャネットに告げた。翌日、バリーとアダムは仕事を決めるため、受付に行く。しかしバリーはアダムと別れ、花粉レンジャーの集合場所へ赴いた。隊長のルー・ロ・デュカが「ここは立ち入り禁止だ」と追い出そうとすると、ジャクソンが「俺たちが面倒を見るよ」と約束した。ルーキーとして認められたバリーは、ルーから人間とは絶対に喋らないよう命じられた。
外の世界へ飛び出したバリーは、人間の住む世界を初めて見て興奮した。花粉レンジャーのチームに同行して花畑へ辿り着いた彼は、花粉が花や蜂蜜を増やしていることを知らされた。誤ってテニスコートに入り込んだバリーはテニスボールに捕まり、遠くへ飛ばされてしまう。車内に迷い込んだ彼は殺虫剤を噴射され、慌てて逃げ出した。バリーは仲間の元へ帰ろうとするが、雨が降り出してしまう。雨を避けるために急いでアパートの一室へ飛び込むと、住人のヴァネッサや恋人のケンたちが帰宅した。
ケンがヴァネッサに頼まれて窓を閉めたため、バリーは脱出できなくなった。バリーは蛍光灯を太陽と間違えて接近し、墜落してしまう。ケンはバリーに気付き、殺そうとする。そこへヴァネッサが来てケンを制止し、バリーを窓の外へ逃がした。ヴァネッサが1人になるのを待ったバリーは、彼女に声を掛けた。驚いたヴァネッサは夢ではないかと思うが、すぐに事実だと認識する。バリーが助けてもらった礼を言って去ろうとすると、ヴァネッサは興味を抱いて引き留めた。
ヴァネッサはラムケーキとコーヒーを用意し、バリーと会話を楽しんだ。今後の仕事について問われたバリーは、「巣のために何かしたいとは思うけど、押し付けられるのは嫌なんだ」と答える。するとヴァネッサは、「気持ちは分かるわ。親には医者か弁護士にと言われたけど、お花屋さんになったの」と述べた。日暮れが近付くと、バリーは「また会いに来ていい?」と言う。ヴァネッサが「いいわよ」と快諾すると、バリーは彼女と別れて巣に戻った。
バリーはアダムに自分の体験を明かし、ヴァネッサとの出会いを興奮した様子で語る。人間のことを忘れるようアダムは説くが、バリーは仕事をせず3日間も家で過ごす。ヴァネッサへの思いを捨て切れないバリーは、彼女の元へ向かった。ヴァネッサはバリーを自分の花屋へ連れて行き、パサデナで開かれる花のパレードに出るのが夢だと語る。ヴァネッサと一緒にスーパーへ出掛けたバリーは、大量の蜂蜜が売られているのを目にした。人間が食べるために売られていることを知り、彼は「君たちは泥棒だ」と憤慨した。
倉庫に侵入したバリーは従業員のヘクターを攻撃して脅し、蜂蜜がハニー・ファームから運ばれていることを聞き出す。ハニー・ファームのトラックを見つけたバリーは、窓に捕まって旅をしている蚊のムースブラッドと出会った。献血車を見たムースブラッドは、すぐに飛び移った。ハニー・ファームに到着したバリーは、巣箱にいる蜂たちを目にした。「どうしてこんな場所にいるの?ここは偽の巣箱だ」とバリーが言うと、女王が移されたので仕方がないのだと彼らは説明した。
人間が何百個も巣箱を使って蜂蜜を奪っていると知ったバリーは、アダムや両親に憤懣を吐露した。彼は「人間に蜂蜜を奪う権利は無い」と言い、裁判を起こすと決める。彼は蜂のテレビ番組に出演し、司会者のラリー・キングに自身の考えを説明した。ヴァネッサはバリーに協力し、書類を作成した。バリーはヴァネッサ&アダムと共に、蜂蜜業界を敵に回した裁判に出廷する。蜂蜜業界の代表として出廷したモントゴメリーは、陪審員たちに「与えられた自然の恵みを楽しむことこそ人間の権利」と語り掛ける。一方のバリーは、「蜂は命懸けで蜂蜜を作って来た。それを奪われると僕たちの価値も消える」と訴えた。
バリーはハニー・ファームを経営するクラウスを糾弾し、訴訟を優位に進める。ケンはバリーに敵意を抱き、殺害しようとする。気付いたヴァネッサはケンを非難し、彼を追い払った。モントゴメリーは法廷でバリーに罠を仕掛け、挑発するような言葉を並べた。カッとなったアダムは、彼の尻を突き刺した。作戦通りになったモントゴメリーは、陪審員に蜂の恐ろしさを訴えた。バリーは煙を使って逆転する計画を思い付き、アダムに時間稼ぎを頼む。バリーとヴァネッサは蜂用のスモーカーを法廷に持ち込み、「蜂は人間の作った収容所に入れられ、頼んでもいないのに煙を吸わされ、奴隷のような蜂蜜を作っている」と黒人になぞらえた。
バリーが蜂の解放を要求すると、陪審員は全員一致で彼の訴えを認めた。バリーが喜ぶと、モントゴメリーは「これで自然界のバランスが大いに崩れるぞ。きっと後悔する」と言い放つ。バリーは無視するが、アダムはヴァネッサに「向こうの言う通りかもしれない。ずっと同じ生き方なんだよ」と告げる。勝訴によって全ての養蜂所は封鎖され、世界中の蜂蜜や蜂蜜を使った商品が回収された。人間界での需要が無くなったため、蜂蜜作りはストップして花粉レンジャーの仕事も無くなった。受粉されなくなった花は枯れてしまい、ヴァネッサの花屋は潰れてしまった…。

監督はサイモン・J・スミス&スティーヴ・ヒックナー、脚本はジェリー・サインフェルド&スパイク・フェレステン&バリー・マーダー&アンディー・ロビン、製作はジェリー・サインフェルド&クリスティーナ・スタインバーグ、編集はニック・フレッチャー、プロダクション・デザイナーはアレックス・マクドウェル、アート・ディレクション&キャラクター・デザインはクリストフ・ロートレット、衣装はジェーン・プール、視覚効果監修はダグ・クーパー、音楽はルパート・グレッグソン=ウィリアムズ、音楽監修は音楽製作総指揮ハンス・ジマー。
声の出演はジェリー・サインフェルド、レニー・ゼルウィガー、クリス・ロック、マシュー・ブロデリック、ジョン・グッドマン、パトリック・ウォーバートン、キャシー・ベイツ、バリー・レヴィンソン、ラリー・キング、レイ・リオッタ、スティング、オプラ・ウィンフリー、ラリー・ミラー、ミーガン・ムラリー、リップ・トーン、マイケル・リチャーズ、マリオ・ジョイナー、ジム・カミングス、トム・パパ、アンディー・ロビン、デヴィッド・ピメンテル、チャック・マーティン、コンラッド・ヴァーノン他。


『となりのサインフェルド』のジェリー・サインフェルドが主演&脚本&製作を兼任したドリームワークスの長編アニメーション映画。
監督は『アンツ』『シュレック』にhead of layoutとして参加していたサイモン・J・スミスと、『プリンス・オブ・エジプト』のスティーヴ・ヒックナー。
バリーの声をジェリー・サインフェルド、ヴァネッサをレニー・ゼルウィガー、シカッチをクリス・ロック、アダムをマシュー・ブロデリック、レイトンをジョン・グッドマン、ケンをパトリック・ウォーバートン、ジャネットをキャシー・ベイツ、マーティンをバリー・レヴィンソン、バンブルトン判事をオプラ・ウィンフリーが担当している。

冒頭の会社説明会のシーンでは、「死ぬまで蜂として生きて行くため、死ぬほど頑張って来たと思います」「蜂は休みなく働き続けている」「仕事を選んだら一生辞められない」と案内役の女性が語っている。それは明らかに、「一生を決められてしまうハチの生き方」を望ましくないモノとして印象付ける手口だ。
だから、そこから「一生を定められている現状にバリーが疑問を抱き、自由を目指して奔走する」という「解放の物語」が描かれるんじゃないかと予想した。「死ぬまで働き続けるだけの人生なんて間違っている」「死ぬまで同じ仕事しか出来ないなんて間違っている」という答えに辿り着くんだろうと予想した。
しかし、そうではなかった。むしろ逆で、「死ぬまで同じ仕事を続けることが蜂の生きる道」という結論に至っている。
実際の蜂を考えれば、そういうことになるだろう。でも、それは映画の結末として、ホントに正解なのかと。
少なくとも、この映画を見ている限り、まるで賛同できない結末になっている。

バリーの花粉レンジャーに対する憧れは、単なる「隣の芝生は青い」じゃダメなはずだ。
何しろバリーは、家業を継ぐわけではないのだ。初めての就職で一生が決まることに疑問を抱き、外の世界を見てみたいと感じて花粉レンジャーに憧れるのだ。
就職する前に外の世界を見たいってのは、決して否定されるような考え方じゃないはずでしょ。
でも、そこが「隣の芝生は青い」という見せ方だと、それは「世間知らずのワガママ」という解釈になっちゃうわけで。

最初に「花粉レンジャーは誰でもなれるわけじゃなく、育ちで決まっている」とアダムの台詞で説明する。それなのに、バリーが行くと簡単に仲間に入れてもらっている。花粉レンジャーと一緒に、外の世界へ出ている。
それはダメでしょ。
そんなことが簡単に許されるなら、「蜂の仕事は大学を卒業した直後に決定し、それが死ぬまで続く」というルール設定が無意味になっちゃうでしょ。大学を卒業した後にモラトリアム期間が認められるのなら、そこに「自由な時間」が生じるでしょ。
バリーは「ホントなら許されない行動」を取っているはずなんだから、それを周囲の面々が容認しちゃダメなのよ。「バレたら大変なので、バリーは内緒で外の世界に出る」という形で描くのは、絶対に守らなきゃいけないルールなのよ。

ケンがバリーに気付いて殺そうとした時、ヴァネッサが制止して「この子より貴方の命が大切って言える?どんな命も大切よ」と説く。
だけど、その慈愛の精神は「いや嘘だろ」と苦笑してしまう。
ヴァネッサを善玉として描きたいのは分かるけど、それは無理があるでしょ。ハチを殺そうとした時に「どの命も大切」ってことで止めるような女、ちょっと怖いわ。たぶん神父や僧侶でも、そんなことを言う奴は滅多にいないと思うぞ。
そもそも、蜂に刺されたら人間は死んじゃう恐れもあるんだし、それを「悪行」のように描かれても賛同しかねる。
ケンは蜂のアレルギーだと言っているので、殺そうとするのは充分に理解できるし。

バリーはヴァネッサに命を救われ、「礼を言いたい」ってことで接触する。でも、それだけではなく、一目惚れしたかのような雰囲気がある。
普通に考えれば、「いやいや、ヴァネッサは人間でバリーは蜂だから。有り得ないから」ってことになるだろう。
しかし巣に戻ったアダムがヴァネッサについて語る様子は、明らかに「惚れた相手に対する反応」になっている。
その時点で「全く乗れない話だな」と強烈に感じるし、それを「性的マイノリティーの問題」と重ねて捉えることも絶対に無理だよ。

バリーは仲間の元へ戻らずヴァネッサに接触するが、「礼を言おうとするけど言葉が通じない」ってことになるのかと思いきや、なんと言葉は通じてしまうのだ。
この映画では、人間と蜂が同じ言語を喋っているという設定なのだ。
もちろん、世の中には「動物や虫が人間と同じ言葉を喋る」という映画なんて幾らでもある。
「特定の1匹や数匹だけが人間の言葉を喋る」という設定のケースが多い印象があるけど、アニメなんかだと全ての動物と人間が会話を交わせる作品もあるだろう(今すぐパッと具体例は思い付かないけど)。
だから、それを全否定するつもりは無い。

だけど、この映画の場合、あまりにも雑な形で「人間と蜂が同じ言語を喋る世界」を描いているんだよね。そのため、違和感が最後まで拭えない。
しかも、単に蜂が人間の言葉を喋るというだけでなく、かなり深いトコまで人間社会に入り込むのだ。なんとバリーは訴訟を起こし、裁判に出廷するのだ。
もうさ、そうなったら「蜂は自分たちの世界で仕事を選んで一生が決められて云々」という話とか、まるで要らなくないか。そこから外れ過ぎてないか。
もっと根本的な問題を指摘すると、この映画って人間を主要キャラとして出したのが大失敗なんだよね。
人間を登場させるにしても、背景と同じレベルに留めておくべきなのよ。蜂と喋らせて物語に深く関与させるなんて、もってのほかだ。

ヴァネッサはバリーを見た時、蜂が人間の言葉を話すことに驚いている。しかしケンはバリーと話す時、まるで驚いていない。バリーが話せることを受け入れ、普通に接している。
そもそも、「蜂が人間を相手に裁判を起こす」ってことが成立している時点で、他の人間たちも「蜂が人間の言葉を話せる」ってのを受け入れていることになるわけで。
「蜂が人間相手に裁判を起こす」ってことより先に、そっちの問題を片付けておくべきじゃないのか。そこを上手く処理できず、適当に放り投げちゃってんだよね。
「蜂に人間社会で訴訟を起こす権利が認められるのか」という問題も雑にスルーしているけど、そこは「蜂が言葉を喋ることを人間たちが受け入れる」という部分を綺麗に処理していれば大して気にならない可能性が高いんだよね。
丁寧に世界観を構築せず、充分なパワーも無いくせに強引に突破しようとするから、物の見事に破綻しちゃってるわけで。

裁判に勝った後、蜂が受粉しないと生態系が完全崩壊することを知ったバリーとヴァネッサは、元に戻すための行動に出る。
でも、それはようするにマッチポンプでしかないわけで。一応、自分たちのせいで問題が起きたことを理解して反省するシーンはあるけど、ものすごく薄っぺらくて軽いんだよね。
で、そんな軽いノリのままで「パサデナのバレードへ受粉に向かう」という展開になるので、「もっと重大な責任を痛感しろよ」と言いたくなるわ。
あと、バリーが「蜂蜜作りは小さな仕事の積み重ねなんです。だけど、どんなに小さな仕事でも、頑張れば大きな結果を生む。みんなの役に立つ。だから蜂には、自分の得意な仕事に戻って欲しい」と語るけど、「どの口が言うのか」とツッコミたくなるわ。
バリーは蜂蜜作りなんて体験していないし、その大変さや重要性を全く理解していなかったじゃねえか。リーダーとして蜂を先導する資格なんて、バリーには無いだろ。

あとさ、最終的に「蜂が受粉して、人間が養蜂所の巣箱に蜂を集めて蜂蜜を作って、スーパーで販売されて」という元の生活が戻るってくるけど、「それを全面的に肯定するのは、蜂の世界から見た場合、ホントにいいのか」と思っちゃうんだよね。
蜂にとって受粉が必要な仕事であっても、それが生態系を保持するために必要であっても、それを利用して人間が蜂蜜で商売をしていることは紛れも無い事実なわけで。
人間たちが巣箱に蜂を集めて蜂蜜を採取するのは、決して生態系や蜂のことを考えての行動ではないからね。自分たちが金を稼ぐためだからね。
蜂たちは今回の一件で「人間との共存」を意識したかもしれないけど、蜂蜜を使ったビジネスに関わっている人間たちの大半は、きっと「これでまた蜂を利用して稼げる」と考えるだけだからね。
蜂の世界から見ると、「そんな人間たちの金儲けのために、多くの蜂が死ぬまで同じ仕事を続ける」ってことになるわけでね。

(観賞日:2020年6月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会